ブッダダルマ

仏法ーBuddha-dharma

仏教とは、ダルマ(法)と「真の自己」に目覚める。この事のみに尽きている。その意味から言えば、現代では、あまりに一般的な「仏教」っという呼称は正しくない。

ゴータマ・ブッダの歩まれたその同じ「道」を自らも歩み、ブッダ(Buddha)、すなわち「目覚めた人」(覚者)となることが本来なのだから、「仏が説いた教え」つまり「仏教」ではなく、もともとこの道を歩む探求者が使ってい

た「仏法」(Buddha-dharma)という言葉を使うべきなのだ。これは言うまでもなく、Buddha(仏陀)とdharma(法、真理)の複合語。 この言葉には、「仏が覚った真理」「仏によって説かれた真理」「仏になるための真理」という意味をすべて含まれるという。しかし、「仏法」という呼称はあまりに古めかしく、残念ながら、手垢にまみれ過ぎている。

21世紀の世界の中で、仏教の創造的な再生を求めるダルマサンガとしては、サンスクリットで「ブッダダルマ」と呼ぶことを提唱したい。

仏教の原像

仏教の原像ー「仏法ーブッダ ダルマ」 「仏教」とは、そもそもいかなるものであるのか。その原像を探ることは、この道を歩もうとするものとっては、避けて通ることのできない問題だ。 日本全国に各宗派の寺院が存在し、書店に行けば仏教書が氾濫している日本社会。 あまりに身近で、情報が有り過ぎることが、かえって「仏教のほんらいとは何か」が分からなくなっているのではないだろうか。 自ら生命を断つ人が年間3万人を超え、鬱病患者は100万人とも200万とも云われる現代の日本社会で、葬式や法事、観光仏教ではない、真に人間の自由や解放を希求する人々にとって、ほんらいの「仏教」を問うことは、何よりも最初になさねば成らな […]

大乗仏教の原像

大乗仏教の原像 ガンダーラ菩薩像(國學院大學所蔵) 紀元1~2世紀、シルクロードの要衝の地、現在のアフガニスタンとパキスタンに跨る地方で、ヘレニズム文化の影響を受け、菩薩の姿を彫刻することが始まり、仏教史上類のない石造彫刻群が生まれた。 大乗仏教の勃興が在家の仏教徒によって為されたという説を裏付けるかのように、この菩薩像は坐禅中の姿ながら、頭上に宝冠を着け、装身具で身を飾り、左手に宝瓶を下げて立ち、両手で説法印を組む。 勃興 初期の経典に「仏滅後五百年」という言葉があるが、およそ紀元前後の頃、ブッダダルマの衰退に危機感を抱いた少数の異端者たちによって興された「革新ー原点回帰」の運動が、大乗仏教 […]
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