坐禅の仕方

Dharma

基本的な作法

合 掌(がっしょう)

相手に尊敬の念をあらわすこと。両手の掌を合わせ、臂を脇の下から離し、指先を鼻の高さに揃えます。

叉 手(しゃしゅ)

歩くときの手の作法。右手の親指を中にして拳を作り、これを胸に当て、これを左手の掌でおおう。

隣位問訊(りんいもんじん)

両隣の参禅者への挨拶です。自分の坐る位置に着いたら、その場所に向かって合掌し低頭する。両隣に当たる二人は、これを受け合掌。

対坐問訊(たいざもんじん)

坐る向かいの人への挨拶。隣位問訊をしたら、右回りをして、向かいに坐っている人に合掌、低頭する。向側の人はこれを受けて合掌する。

結跏趺坐(けっかふざ)

両足を組む坐り方。対坐問訊が終わったら、そのまま坐蒲の上に腰をおろし、足を組む。右の足を左の股(もも)の上に深くのせ、次に、左の足を右の股の上にのせ、左手を坐蒲に添え、右手は床をおさえ、身を坐蒲と共に右回りをして面壁(めんぺき)する。

半跏趺坐(はんかふざ)

結跏趺坐ができない人の足の組み方。左の足を右の股のうえに深くのせます。結跏趺坐でも半跏趺坐でも肝要なのは、両膝とお尻の三点で上体を支える。自分の身体に合った坐蒲を使用し、両膝を確実に地につけ、その三辺が正確な二等辺三角形を描くように坐ること。

上体の作法両脚のまわりの衣服を整え、背骨をまっすぐにのばし、お尻を後方につきだすようにして腰にきまりをつけます。両肩の力を抜き、腰の骨をまっすぐに伸ばし、首筋には力を入れず、顎を引き、頭で天をつきあげるようにすると、背骨がまっすぐになります。

手の作法(法界定印、ほっかいじょういん)

右の手のひらを上向きにして組んだ足の上に置き、その上に、左の手のひらを同じように上向きにして置き、両手の親指の先を、かすかに接触させます。力を入れておしてはいけませんが、決して離さないようにします。目の作法目は決して閉じないで、自然のままに開いておく。視線は、およそ1メートル前方、約45度の角度におとしたままにする。

呼吸について(欠気一息、かんきいっそく)

すべてのものを吐き出してしまうような気持ちで、大きく口を開けて息を吐き出す。いっぱいに吐き出すと、あとは吸おうと思わなくとも、新鮮な空気が身体全体に入ってきます。この深呼吸を数回行った後は、鼻からの自然な呼吸にまかせる。

口の作法

舌の先を上の歯の内側の付け根につけ、歯と歯とをつけ、唇を密着させる。口を結び、開けたり、動かしたりしない。

左右揺振(さゆうようしん)

腰骨を中心にして、上半身を左右に振り子のように動かし、じょじょに小さくし、脊梁骨を地球の鉛直線に合わせ、坐相を正しく落ち着かせる。

止静鐘(しじょうしょう)

坐禅の始まる合図。参禅者の身相が整う頃、堂頭(どうちょう)が入堂して堂内を一巡し、正しい坐にあるかを点検します。これを検単(けんたん)といいます。堂頭が自分の後ろに巡ってきた時は合掌をし、通りすぎた後に法界定印にもどします。この後、鐘が三回鳴ります(止静鐘)。止静鐘が鳴るまでに、自分の坐る場所に坐っているように。

警 策(きょうさく)

心のゆるみを警めるために打ちます。睡魔におそわれたり、心が乱れた時などに自分から受ける方法と、 姿勢が悪かったり眠っていたりする人に直堂(じきどう)(堂内を監督し、警策を行ずる者)の方から入れる方法があります。

どちらの場合も、右肩を軽く打って予告されます。他所では合掌して首をやや左へ傾け右肩をあけるようにしますが、学道舎ではそのままの姿勢で受け、終わったら合掌のまま頭を下げ、もとに戻ります。

抽解鐘(一回鳴ります)

終わりの鐘が一回鳴ると終わりの合図です。合掌し低頭したのち、左右揺振します。今度は、両手の手のひらを上にして膝に置き、はじめ小さくだんだん大きく揺り動かします。身体をほぐしたのち右回りをして向きを変えます。

そして、足を解きゆっくりと静かに立ち上がります。 坐蒲を元の形に直します。直し終わったら、自分の坐っていた場所に向かって合掌し低頭(隣位問訊)し右まわりして向かいの人に合掌(対坐問訊)します。そのあと、叉手で退堂します。

経 行(きんひん)

坐禅が長時間行われる場合、堂内をゆるやかに、静かに歩行すること。坐禅中に経行鐘(きんひんしょう)が鳴ったら(二回鳴ります)、合掌し低頭し、左右揺振し、組んだ足を解き、ゆっくりと静かに立ち上がります。坐蒲を直し、自分の坐っていた場所に向かって合掌し低頭(隣位間訊)し、右回りして向かいの人に合掌し低頭(対坐問訊)します。

そのあと、叉手にして、呼吸を整え、最初の歩を右足より出します。列の前後を等間隔に保ち、堂内を右まわりに緩歩します。緩歩の方法は、一呼吸に半歩前進します。息を吸い吐く間に、足の甲の長さの半分だけ歩を進めるのです。呼吸の仕方や上体の姿勢、目や口元などは、坐禅の場合と同様です。

5分ほど歩きますと係の方の合図があります。それを聞いたら、直ちにその場に両脚を揃えて止まり、叉手を合掌に変えて低頭し、右足から、普通の歩速で進行方向に進み、自分の坐っていた場所にもどり、隣位問訊、対坐問訊したのち退堂します。

-〈注意事項〉-

時計などは外し、靴下や足袋は脱いでおくこと。

堂内を歩くときは、必ず叉手にします。

聖僧さまの前を横切ってはいけません。

坐禅の準備と心得

*坐る前の準備
特に身体のかたい方は、真向法 簡単なハタヨガ、太極拳、チベット体操などで、身体をほぐすことが有効です。
股関節を柔軟にして、楽に坐禅の姿勢が取れるようにする為には、真向法体操が有効です。
以下のYouTubeの動画が参考になります。

真向法体操

*どんな服装で坐るか

ジーパンのような窮屈なズボンなどは適さない。ユッタリしたズボンやスカートが望ましい。普通、ズボンを履くときのようにお腹の上を締めているのは良くないので緩める。できれば作務衣や着物に袴で坐るのが良い。

*どんな場所で坐るか

できるだけ静かで清潔な場所を選ぶ。風や日光が直接当たるような所は避ける。屋外でもかまわないのだが、初心の内は他者が気になるので、屋内がよい。

*明るさについて

  あまり明るすぎのは気が散ってしまい、暗すぎるのは心が沈んでしまうので良くない。古来、読書をするには、少し暗いくらいが良いとされる。昼間は、カーテンを引くなどして、夜は調光式の照明などで調節する。

*面壁か対坐か

 臨済宗は対坐であるが、曹洞宗は面壁である。達磨の証跡を見るまでもなく向上門(修行中)は本来みな面壁であったはずである。それに面壁のほうが他者が気になったり、気が散ることもなく、落ち着いて坐れる。基本的に面壁で坐るべきである。壁や襖などに向かい、目線から7、80センチくらい離れて坐る。

*食事と睡眠

  「飲食節あり」と示されているように、食事は過不足なく腹七分から八分で止め、食事の前後はさける。また睡眠も少なすぎるのも良くないし、もちろん貪るのはもっと良くない。

*坐禅の長さ、時間

 坐禅中、時間を気にしなくて良いように時計を置いておく。あるいは、あらかじめ時間で長さを決めておいた線香を立て、時間を計る。線香の香りが禅定を助けてくれるという効用もある。

*坐禅の回数と坐る時間帯

一日のうちにいつ坐るのがいいかであるが、仕事や家庭の事情で理想通りの時間を選べない人がほとんどであろう。ただ、朝の坐禅と夜の坐禅は明らかに違う。可能ならば朝晩2回、30分くらいの坐禅ができれば理想である。

 ほとんどの宗教で、夜明け前や日没の頃がもっとも神聖な時間として、祈りを捧げたり沐浴したりすることが行われているが、古来、太陽が西に傾きはじめてから地平線に没するまでの時間が、いちばん深く坐れると云われる。

 わたくしの経験からも、夜の昏鐘坐、学道舎では 6:20~7:00がいちばん良く坐れます。在家の生活ではもっとも坐禅に難しい時間ですが、一人暮らしの方などは、週に一度の休日などにこの時間帯に坐ってみることを勧めたい。

*坐蒲について

  「坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用ゆ」(普勧坐禅儀)とあるように、坐禅をするには、まず厚くて大きな座布団を敷く。なぜ厚くなければいけないかというと、薄いとどうしても早く脚が痛みやい。また痔疾に罹る恐れもなしとしない。

「痔」という漢字が、病垂に寺であることを知るべきである。古来、痔はお坊さんの持病であったようだ。 その上に、円形のクッションのような坐蒲を置く。直径30センチ以上、高さは10センチ、パンヤがしっかりと詰めてあるものを選ぶ。

臨済宗では、長い単布団と呼ぶ蒲団を折り返して使うが、バカらしいほど高価であることと、腰が沈んでしまうので勧められない。(大きな座布団が高価なため入手できない人は、できるだけ本綿入りの古い敷き布団を探し、それを二つ折りにして使う方法もある。)

坐禅の組み方

*坐禅の三要素ー身息意

 調身の法 足の組み方 手の組み方

 ー右の手を下に左の手を上にして左の足の上に、置く。「法界定印」という印相である。 熱心に坐禅すると手が崩れるが、気になるようだったら、右手の親指と人差し指で輪をつくり、そこに左手の親指を差し入れ軽く握るようにしてもよい。

姿勢

 腰をしっかりと立てる。下腹が両股の間に入り込むように。 上半身には決して力を入れず、ユッタリとしておく。 首の後ろが伸びるように、軽く顎を引く。顎が上がっているときは、視線も高くなっている場合が多い。 目は、坐禅儀にも「眼は須く常に開くべし」と示されているように、絶対に閉じてはいけない。

調息の法

 坐禅儀には、まず始めに「欠気一息せよ」と示されているように、深呼吸をする。 あとは「鼻息微かに通ず」と示されておりますように、鼻から自然な呼吸をする。

調心の法
道元禅師も「心操を整うること、もっとも難し」と云われていますように、心、意識の状態をどうしたらいいのか、という問題はもっとも難しいものです。

 思いを放ち、さまざまな想念に引き回されないこと。目に映るものにも、耳に聞こえる音にも鼻に匂う香りにも、心に浮かぶ思考にも、あるがままに。それらの一切のことを、相手にせず、邪魔にせず、ただ坐ること。

(詳細は後日に記述します)

気海丹田とは、もともと仙道の言葉。

朽木学道舎の坐禅その他の作法は、基本的には曹洞宗の作法に従います。以下の動画を参考にしてください。

曹洞宗の坐禅・座禅入門

*魔境について

  熱心に坐禅に取り組んでいる人は、坐禅中、さまざなま心境が起こります。具体的に物が見えたり、聞こえたり、恐ろしいことや、素晴らしい光景など。こうしたことは魔境と呼ばれ、驚くに値しません。

かつて学道舎に参禅した50歳くらいの女性、しっかりした高校の先生でしたが、摂心に来られ初日、5,6火主も坐ったら、もうかなりの魔境が出たようで、パニックになったというような例もあります。

坐禅の修行を続けて行く上で害があるような魔境は、自分でも良く認識できますので、いいのですが、素晴らしい境地が現出する場合、人はどうしてもそうしたものに取り憑いてしまう。独参の必要性が、こうした所にもあるわけです。

魔境に対する態度としては、どんな心境が現れても、それは心の作用であり実体はない。ですからその魔境をいっさい相手にせず、邪魔にもせず、ただ随息観なり只管打坐の工夫に徹することが最も大切なことです。

そうやって正しい工夫を相続して行くうちに、もとより虚妄なものですから、追い払おうとしなくとも、消えてなくなります。もっとも、次にはまた違う魔境が、手を替え品を替え現れてきますが。

*坐禅から出るとき 後日に記述します。

*経行(きんひん)について

坐禅から立ち上がり、手は叉手(しゃしゅ)といって右手の親指を中に折って握り、それを鳩尾の上に当て、それを左手の手のひらで覆う。腕を一文字にし、視線は自分の足から2メートルほど前方の床に自然に落とす。歩行禅であるから、随息観、只管打坐など、自分の参じている工夫に三昧で歩くことはもちろんである。

曹洞宗では、一息半歩といい、一呼吸の間に半足分すすむというユックリした歩き方であるのに対して、臨済宗ではトットと小走りに歩く。経行は静中(坐禅中)と動中(日常)をつなぐための修行である。これも一息半歩の曹洞宗の方法が優れている。

*動中の工夫について

動中の工夫
坐禅の大事と題して「せぬときの坐禅を人の知るならば なにか仏の道へだつらん」 至道無難禅師白隠禅師は「動中の工夫は、静中の工夫に勝ること千万倍す」とまで云い、日常の工夫を勧めている。ダルマの探求者には、日常の中に雑用があってはならない。普通の人の日常的な価値観ではつまらないことと思えるような、部屋の掃除であるとか、洗い物のような仕事も、動中の工夫に最適な仕事である。

 仕事でも、何の用事でも、その時にはその仕事に成り切って一所懸命につとめ、少しでも合間ができたときには、椅子に坐っていても腰を延ばして、息を吐ききり、5分でも良いから随息観をする。こうして動中の工夫を相続し、坐禅の静中と日常の動中を平行して進める。

*独参について

 独参は、師家と學人が一対一で問答商量する場である。
*独参の作法ー後日に記述します。

*読書と読経について 「古教照心」の必要性

ダルマサンガの基本経典

初期仏教から 一夜賢者経 過ぎ去れるを 追うことなかれ。 いまだ来たらざるを 念うことなかれ。 過去、そはすでに 捨てられたり。 未来、そはいまだ 到らざるなり。 されば、ただ現在するところのものを、 そのところにおいて よく観察すべし。 揺ぐことなく、動ずることなく、 そを見きわめ、そを実践すべし。 ただ今日 まさに作すべきことを熱心になせ。 たれか明日 死のあることを知らんや。 まことに、かの死の大軍と、 逢わずというは、あることなし。 よく、かくのごとく見きわめたるものは、 心をこめ、昼夜おこたることなく 実践せん かくのごときを、一夜賢者といい、 また、心しずまれる者とはいうなり。 ( […]

普勧坐禅儀

原(たず)ぬるに、夫(そ)れ道本円通(どうもとえんづう)、争(いか)でか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。 宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。 況んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出(い)づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。 大都(おおよそ)当処(とうじょ)を離れず、豈に修行の脚頭(きゃくとう)を用ふる者ならんや。 然(しか)れども、毫釐(ごうり)も差(しゃ)有れば、天地懸(はるか)に隔り、違順(いじゅん)纔(わず)かに起れば、紛然として心(しん)を(の)失す。 直饒(たとい)、会(え)に誇り、悟(ご)に豊かに、瞥地(べつち)の智通(ちつう)を獲 […]
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