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参禅の感想-15

T.Mさん 20代後半


目次
大学時代の探求と宗教との出会い
ダルマサンガとの出会い
禅道場での修行
修行の経過
現成公案

大学時代の探求と宗教との出会い

 大学に入学したころから「共生とはどういうことか」ということが頭から離れなかった。自分自身がこれからどのように生きていくべきか分からなかった。自分と周りの人がどうすれば平穏無事でいられるのか分からなかった。自分の内側から湧いてくるこれらの問いに答えようと在学中は経済学から科学哲学まで幅広い分野を学んだ。しかし大学の学問はどうしても私にとってはリアリティを感じることができなかった。机上で学んだことと現実世界の乖離を常に感じていた。

 そんなとき、友人の一人が仏教の考え方を紹介してくれた。Youtubeの南直哉さんの動画も合わせて紹介してくれた。その晩、その動画をみて衝撃を受けた。「自分は如何に生きていくか」「他者とどのように共存していくか」という仏教の扱っている中心問題は私の抱えていた問題そのものであるように感じた。そこから仏教に興味をもって、インドでチベット仏教の入門コースを受講したり、京都の参禅会に参加したりして修行と勉強を始めた。

 仏教への興味と理解が深まってくると、宗教一般への興味も芽生えた。キリスト教系の大学に通っていたこともあって実際には、キリスト教の方が仏教よりも身近な環境だった。大学礼拝に参加したり、通学中に四谷のイグナチオ教会のミサや朝祷会に参加するようになった。当時は、自分自身が日本人として生きていることに実感が無かったので、特に日本の禅にこだわりがある訳でもなく、結局キリスト教も仏教も他の宗教も結局は同じことを説いているように感じた。それでもキリスト教で洗礼を受けることは無かった。当時、明確に意識していた訳ではないが、今考えているみると教団としてのキリスト教が教義を重んじて、聖書の解釈、イエスキリストの解釈はこうあるべきという模範解答を示すばかりで信者とキリストの個人的なつながり、信者にとってのキリストとはどういう存在であるかということを軽んじることに違和感を感じていたのかもしれない。それでも大学時代は自分の問題意識を現実世界に及んで深く掘り下げようと朝のミサには通い続けた。キリスト教の教義のためではなく自分の問題解決のために跪いて祈り続けた。

 宗教への興味を持った時期に一方では大学からの交換留学生としてベルギーに留学する機会に恵まれた。それまで日本で生活してきた私にとって、自分が日本人として生きていることを意識することは無かった。しかし一度日本の外で生活を始めると自分が日本人であることを強く意識せざるを得なくなった。それからは、せっかく日本人として生まれてきたのだからという理由で日本と日本人について関心が移り、日本の文化に深く根付く禅仏教に惹かれるようになった。
 

ダルマサンガとの出会い

 大学卒業を直前に控えたころ、カトリック教会へのミサに参加しながら坐禅も継続したいと思った。良い座布をインターネットで探していたところ、ダルマサンガの販売している座布を見つけて注文した。それが縁となり、在家で本格的な摂心ができる禅堂があることを知り、大学卒業前に一度参禅してみることにした。

 初めて朽木學道舎に行って、その環境の素晴らしさに感動した。背後には山、前には川が流れる自然環境に位置して、日本の伝統家屋である茅葺屋根の禅堂はベルギーから帰ってきて、日本とは何かということを考えていた私にとってはまさに求めていたものだった。これぞ古来日本人の生き方が伝えられていると思った。

 そこで飯高老師と初めて相見して、坐禅に興味を持った理由などを聞かれたがそのときは自分の中の考えが纏まっておらず、うまく伝えることはできなかった。けれども、老師の圧倒的な存在感と力強さを感じることはできた。

 本格的な初めての摂心では呼吸についての指導を受けた。以前に行った参禅会でも坐禅の入門としての数息観といった話を聞いていたので、最初はそれの延長くらいにしか考えていなかった。摂心の日数を重ねて提唱と独参を受けていくうちに、呼吸が坐禅にとってすごく大切なものであることが理解できるようになった。とはいうものの体感として呼吸の大切さを理解できた訳ではなく、最初の摂心は体のあちこちが痛む中で内から湧き出てくる想念に振り回されながら終わった。最後の独参の際に老師に「何を求めてそれほど真剣に坐っておられるのですか」と質問されて「坐禅は私にとって十字架に掛かることです」と答えようと思ったが、禅修行の場でキリスト教の話を持ち出すのも不適切かと思い、何も言わず黙っていた。今思えば初めての摂心は体は痛かったが、提唱と独参でいただいた言葉がどこか自分の心に、自分の抱いていた問題意識に響いていることを感じていたのだろう。これまで大学での学問や知識としての仏教やキリスト教では決して解決のできない自分の内なる問いの根本的かつ現実的解決法を坐禅や摂心を通して実践できる気がした。
 
 初めてのダルマサンガでの摂心は充実したものであったが継続的な通参は難しいと思っていた。というのも大学時代に留学した際に就職先を決めて帰国したので、大学を卒業したら働くためにまた海外に戻る予定だった。しかし、就労ビザの関係で予定通りに働き始めることが難しくなり、進路を考え直すことになった。元々、自分の問題意識を解決するために宗教的な生活への興味はあったので、就職する予定が頓挫したことを契機としてキリスト教の修道院か禅宗の僧堂のようなところで集中的に修行をしてみようと思った。ここでもやはり自分が日本人であるという意識を大切にしたいと思い、また日本人の農業を基本とした生活にも興味があったのでカトリックの修道院ではなく、曹洞宗の禅道場に入門した。

禅道場での修行

 入門した禅道場は曹洞宗の認可僧堂ではないが僧堂に近いスケジュールに沿って生活しており、摂心も毎月することができる場所だった。また米や野菜を自分たちで作り、山から原木を切り出して料理と風呂は薪エネルギーで生活するという自給自足に近い生活をしていたので作務もかなり忙しかった。農作業や山仕事をしながら禅修行をすることは充実感があり、楽しかったが「自分はここに何をしに来たのか」ということを自分自身で常に意識しなければ、己事究明を中心にする修行生活ではなく、ただの農的隠遁生活に陥ってしまう危険性があった。本来の禅道場のあり方は摂心、坐禅を主として、その坐禅を中心とした生活を支えるために作務がある。しかし自給自足のような生活をしているとそんなキレイごとは言っていられない。天気や米、野菜の様子に合わせて摂心の日程があってもそれをキャンセルして農作業を行わななければならないこともしばしばあった。そうしたことが重なるとどうしても農作業が主で摂心や坐禅が従になり本来の修行の主従関係が逆転してしまうこともあった。

 坐禅については「ただ黙って坐る」を家風とする道場だったので、坐禅の指導はほとんどなく、摂心中は一切無言でお経や偈文はなく、提唱や独参もなかった。そのために坐禅の方法やあり方などに混乱をきたしている参禅者の姿もよく見られた。具体的には坐禅を何のために、どこに向かってやるかについていつも迷いの中にいる人や坐禅中の姿勢(法界定印や背筋の伸びなど)に囚われて、坐禅中はそればかりを気にしている人などであった。幸運なことに私自身は禅道場に滞在して生活しながら、時間を見つけては年に数回はダルマサンガに継続して参禅して飯高老師の指導を受けていたので、坐禅の方法やあり方、どこに向かって修行しているかなど迷うことはほとんどなかった。曹洞宗の禅道場とダルマサンガの両方の坐禅、摂心を経験して、坐禅、提唱、独参の三本柱は摂心には欠かせないように思う。そうしなければ修行者の勝手な都合の良い解釈で修行がおかしな方向に進んだり、一方でせっかく発心した人が坐禅の仕方、方向が定まらず修行全体に対して絶望することにもなりかねない。

 また曹洞宗の道場であったので「悟り」の事実を根底から否定されることも多かった。「悟り」はタブーのように扱われ、それについて参禅者の間で話題にすることはほとんど無かった。身心脱落や悟りを求めて修行するのではなく、すでに悟っているからこそ修行ができる、生活そのものが悟りであるといった解釈が主流であった。もちろんこのような解釈は「悟り」を自分の外において、何か特別なものを追い求める修行者を戒める意味である。それでも私にとっては「悟り」の事実を頭から否定する曹洞宗のあり方に疑問を感じていた。それはダルマサンガでの参禅を通して、ブッダダルマとは本来どういうものであるかという実際の様子を飯高老師から直接お聞きしていたので、当然の疑問であった。問題なのは「悟り」自体ではなく「悟り」に執着して、そこに腰掛けようとする「人」であり「自意識」であるにも関わらず、宗門では「悟り」自体を問題としている点が明確におかしいと感じていた。

 入門した禅道場には結局3年間滞在したが、叢林での修行の難しさを何度も痛感することがあった。一つ目は道場の規矩(規則)やスケジュールに従っていれば修行をしている気になってしまう危険性があった。典座当番で料理が上手に作れるようになったから、食事作法を覚えたから、鐘が上手く打てるようになったから修行が進んでいる訳ではないが、禅道場という閉鎖空間は勘違いを招きやすい環境であった。そんなこともあって私自身は機会があれば意識して禅道場の外に出て、ダルマサンガの摂心に参禅したり、托鉢に出たりして環境がマンネリ化しないように注意して、禅道場に滞在中は自分の問題意識を解決するために禅道場で修行していることを意識して思い起こしていた。禅道場での修行の難しさの2つ目は指導者が禅の修行を終えた師家ではなく、先輩雲水(修行者)であったこと。もちろん責任者としての堂頭はいたが、叢林生活での指導の中心は先輩雲水であった。禅修行の本来の目的は己事究明であって、他人の機嫌を伺う方法を学ぶことではない。しかし、先輩雲水が指導役となると己事究明ではなく、常に先輩雲水の目を気にしての修行となってしまい、せっかくの恵まれた環境が台無しになってしまう危険性さえあった。最後に毎月同じスケジュールでまた同じメンバーで生活しているので修行がマンネリ化しやすい環境にあった。ダルマサンガでは在家の方が中心で、摂心参禅のメンバーは毎回変化するし、また当分摂心に参禅できない方も多いので一回の摂心に向けた真剣さが凄まじいと感じる。それに対して禅道場では今月の摂心が終わってもまた来月の摂心があるような気がして一回の摂心に賭けるモチベーションを維持することは難しかった。

修行の経過

 禅道場で修行する難しさを感じながらも、ダルマサンガに平行して参禅していたので修行を相続して来れたと思っている。曹洞宗の禅道場に入門して以降、私はどこか坐禅にこだわりを持っていた。坐禅さえしていれば、安心で修行はできていると思っていた。そんな折、飯高老師よりメールをいただく。「ダルマサンガは、参禅者のそれぞれが自らが修行する場として、各自が支えて行く禅堂です。薪割りや、屋根の葺き替えの萱刈りなど、多くの参禅者が手伝いにきてくれ、そうして摂心の相続が可能になっているのです。あなたは、摂心に来られるだけです。」

 言葉が心に突き刺さった。体に電気が走ったようだった。なんと自分は愚かであったことか、これまで坐禅、摂心のことしか考えられなかった自分が情けなくて、申し訳なくて本当に悲しかった。これまでの自分のことしか考えていない行動を心から懺悔して反省した。

 このことを契機として自分の修行する場を自分自身で支えていくことの大切さに気づき、坐禅に対する特別意識もなくなっていった。坐禅中の姿勢のこだわりのようなものもなくなっていった。すべてを「修行」として身構えるのではなく、より自然体で生活できるようになっていった。自分の修行をする場を自分自身で支えていくという姿勢、そしてそれを実践することは修行を深める上で大切なことだった。

 修行の深まりを感じ始めていたころ、坐禅の様子も変化し始めた。ある夏の朽木での摂心で朝晩にヒグラシが鳴いていて、その声が今まで感じたことのないほど鮮明に聞こえるようになっていた。こんなこともあるんだなあと自分でも驚いた。

 修行を深める上でもう一つ大切だったのは、信仰ではなく信を持つこと。神様を信仰したところで、仏教を信仰したところで、自分の問題が解決できるとは限らない。坐禅をするのも何かのためにするのではない。ダルマサンガの摂心に参禅していてもそれは同じことで当初は「何かを独参に持っていきたい」と思う気持ちがどこかであった。しかし自分自身だけを信じて坐に徹しきることが何よりも大切だった。どれだけ素晴らしい提唱を聞いても、何度独参を受けても、信決定して徹底して坐禅するまでは問題を解決することはできないと思った。飯高老師も提唱でこのことはよく言われてる。

 曹洞宗の禅道場に入門して2年が過ぎた頃、出家得度することになった。安名(お坊さんの名前)を考えていたところ、以前ダルマサンガの提唱でお聞きした道元禅師の道歌が真っ先に頭に浮かんだ。『冬草も 見えぬ雪野のしらさぎは おのか姿に身をかくしけり』。『禮拝』と名付けられた道歌だった。朽木學道舎の真冬の越年摂心の提唱で聞いた一句で、提唱で聞いてからその道歌が頭から離れなかった。外は雪が降りしきり、一面真っ白になった景色と道歌に詠われた情景が心の中で深く共鳴していたのだと思う。私の修行の目的は坐禅を習得することでも仏教マニアになることでもなかった。本当に身も心も礼拝をする、そんな礼拝ができたとき、自分自身の修行は円成すると思った。何年、禅道場で修行しても、住職に嗣法の資格を貰っても、自分自身が全てのものに心から礼拝できなければ修行が円成することはないと思った。せっかく出家得度の縁を頂けたなら、心から礼拝ができる自分自身に正直な坊さんになりたいと思った。

 また朽木學道舎のトイレに貼ってある張り紙を読んだ。そこには「この雪隠は雲古を微生物の力を借りて禅堂の畑の野菜を育てる肥料に変えます」という旨が書かれていた。雪隠はなんと素晴らしいものかと感動した。この二つのことが機縁となり「雪隠」という安名をいただいた。出家得度して以来、大衣に御袈裟を掛けて坐禅するようになり、より一層の精進に努めようと気持ちを新たにした。

現成公案

 禅道場での最後の雪安居中に大きな転機があった。その年の雪安居中の課題の一つは道元禅師の『学道用心集』の参究であった。その中で『狗子仏性』の公案について言及されていた。それを読んだ瞬間、ここ3年間ほど相続してきた「呼吸を見つめる功夫」が臍落ちした。これまでは頑張って呼吸を見つめようと努めていたけれども、別に努める必要はどこにもないことに気づいた。小さな「私」が見つめようが見つめないが呼吸は常に存在していて、「私」に宿っていることに気づいた。『狗子仏性』で狗子に仏性があるか、ないかという問い自体に意味がないのと同じように、呼吸においても「私」が見つめる、見つめないのには関係なくそこに確かに存在していることに気づいた。以前知識として聞いたことのあった公案が始めて自分の問題として降りてきた。これは結構な衝撃だった。一気に肩の力が抜けた。呼吸を努めて見つめよう、見つめようとしてなんとこれまで独り相撲をしてきたことか。それ以来坐禅の深まりを一層感じるようになった。

 3年間過ごした禅道場を離れ、曹洞宗の本山で修行することになった。本山に上山する前に少しまとまった時間が取れたのでダルマサンガの大多喜學道舎の摂心に始めて参禅することになった。久しぶりの7日間の摂心ということもあり、後悔のないように油断なく坐っていた。この摂心は一日目からかなり集中できていた。5日目の独参で、残りの摂心の時間を只管打坐で坐るよう指導を受けた。6日目は坐禅の方法を息念の法から只管打坐に変化させたため最初は掴みどころがなく、なかなか落ち着かなかったが夕方くらいになるとようやく落ち着いてきた。6日目の差定が終了し、最後の夜だったのでしばらく夜坐をしようと思い、居間で休憩しながら「喫茶去」の扁額を見た途端、笑いが込み上げてきた。周りに他の参禅者の方もおられたので心の中で笑っていた。「喫茶去」。なんと当たり前のことか。そんなことは言うまでもないことではないかと。食事が坐禅と同じで大切である所以が臍落ちした。応量器を使って食事をすることと坐禅で只管打坐することが全く同じに感じた。そうすると自分でも驚くほど意識が鮮明になり、高揚しているのを感じた。その状態で夜坐を始めると、これまで聞いたことがあった公案が次々と向こうから降りてくるのを感じた。『南泉斬猫』『婆子焼庵』これまで訳の分からなかった公案が手に取るように、自分の問題としてよく分かる。どうしてそうなったのか自分でもよく分からなかった。最終日の独参で老師にそのことを報告。その後「転た悟れば、転た捨てよ。途中のことですから決して掴まないように」という言葉をいただく。

 人の自意識は巧妙なもので自分が意識していなくても、知らず知らずの間に世界と自分自身との間に境界を作ってしまう。ダルマサンガのホームページにも述べられているように、継続して同じ場所に参禅しているとその場所に基づいて摂心や修行の枠のようなものを作ってしまう。これまでは朽木學道舎で参禅していたので、どこかで自分で枠を作り、自分自身をその枠に閉じ込めていたのかもしれない。今回場所を変えて、大多喜學道舎での初めての参禅経験がそれを如実に実証することとなった。

 ブッダダルマ(法)を求めて禅修行することは簡単ではない。曹洞宗のような伝統と格式のある禅道場の門を叩いてもそこで本当にブッダダルマを参究できるとは限らない。むしろブッダダルマを参究するのに必要なことは自分自身の内から湧いてくる問題意識を決して誤魔化さないこと、そしてブッダダルマを体現している指導者に教えを請うことであると思う。そしてそれをどこまでも相続していくことに尽きる。まさに坐禅弁道と参師問法の両輪を軸として正念相続をしていくのみである。近道はどこにもない。どこかの禅道場や僧堂で修行していても、それに満足して腰掛けるのではなく、自分自身の修行を絶えず問い直すことが大切だと思う。「百尺竿頭進一歩」という絡子(御袈裟の簡略版)の裏面に書かれた言葉が身にしみる。ということでこの参禅記を終わりにしたいと思う。


2016年9月28日
合掌





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