學道舎の位置と環境



琵琶湖に流入する安曇川の支流、針畑川の源流に位置し、日本海と太平洋の分水嶺にそびえる百里ヶ岳の南西の小さな谷間にあります。(滋賀、福井、京都の三府県の境に近い滋賀県西北部)

標高500メートル近い山間部のため、冬季には2メートルもの積雪があり、典型的な雪国です。気候は暖温帯から冷温帯への移行帯に 属し、そのため付近はブナやミズナラ、トチノキ、アシュウスギなどからなる豊かな森林地帯です。

ツキノワグマ、カモシカ、ニホンジカ、キツネ、テンなどの大型ほ乳類。鳥類ではオシドリ、ヤマセミ、カワガラスなどの渓流の鳥アオ ゲラ、コゲラ、ヤマガラなどの森林の鳥が生息し、夏にはカッコー、ホトトギス、ヨタカなどが渡ってきます。さらには、百里ヶ岳の周 辺にはイヌワシ、クマタカなどの猛禽類が生息しております。

朽木學道舎は背後に山を抱えて東に面して建ち、前には針畑川が南流するという優れた地理的環境に恵まれ、また古代より大陸や朝鮮半 島から若狭へと海を渡って来た人々が、奈良や京都の都へと歩いた古くからの街道のそばにあり、歴史的にも象徴的な場所に位置してお ります。

木々の梢を渡る風や、裏の山裾を流れる水の音。ときおり聞こえる鳥やけものたちの鳴き声。漆黒の闇に煌めく星座。雪の中の静寂。雪 解けとともに始まるめくるめくような春の息吹。夏空に浮かぶ白い雲。ホタルの乱舞。秋の紅葉のシンフォニー。 ここにはほんとうの光と闇、そして静寂があります.

生命地域主義

朽木學道舎の位置と環境についてかなり詳しい説明をしているのは、近年、日本でも注目されてきた「生命地域主義」(バイオリージョナリズム)という思想に、舎主が深い共感をおぼえているからです。しかし、この考え方は、日本近代の知識人が様々な西欧思想を深く問い直すことなく、移入紹介してきたようなものではありません。

従来の西洋と東洋、北と南などの文化、政治・経済などの枠組みを越えて、環境の問題は21世紀の最大の問題になりつつあります。誰でも一つの「場所」に生きており、その場所についての深い認識なしに、その土地に根差す確かな生き方をすることは不可能です。

禅を深く探究していきますと、いま自分のいる場所が世界の中心であり、すべての存在はそれぞれ宇宙の中心であることがわかります。逆に言えば、今いるこの「場所」についてを深く知れば知るほど、ほんらい環境の中でさまざまものと一体のものとして生きている自分自身の存在に気づくことができるのです。その気づきは享楽的な一時的な喜びではなく、自己存在が自分を取り巻いている山や川、植物、野生動物などと共鳴して生きているという深い喜びです。

環境文学としての俳句や、生活のすべてを芸術家した茶道などの優れた文化を産み出した日本の文化ですが、禅と同じようにそれが現代社会が直面するさまざまな問題とは別の次元で形骸化してしまっているような現状です。誰でも、一つの場所に根差して深く生きようとすれば、必然的に「生命地域主義」の思想に行き着きます。そうした意味でこの考え方は、人種や国境を超えた普遍的なものです。この思想を通じて、現代社会に生きるわたしたちの存在そのものや、この社会のあり方などを問い直すことができると思います。一つの場所について深く知ることなしに、別の場所について真に知ることはできません。

たんなる知識としてだけでなく、いま自分のいる場所について深く知ることは、生命地域主義の基本です。つまり、その土地の気候を知り、地形つまり川や山について知ることが出発点です。そしてその場所の植生についての認識が必要です。ある植物がどのように分布し、その生態学的な意味を理解する必要があります。さらにその植生の歴史的な背景を知ることです。長い人間と環境の交渉のなかで、植生が変化していたりします。潜在植生がどのようなものであるかにも注意を払う必用があります。つまりその土地で人間がどのように生きてきたかを探るのです。

朽木學道舎では、生命地域主義の観点からこの土地を再認識し、参禅者とその知識や土地との深い共感や喜びを共有したいと思います。そして朽木學道舎のある場所について深く知ることによって、それぞれの人がいま生きている場所について、より深く知ることができるようになればと期待します。

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