朽木學道舎について

朽木學道舎は、自己と宇宙の探求の場ーほんらいすべての人の心に内在している叡知に目覚め、根源的な自由と平和を生きようとする、あらゆる人びとのために開かれた小さな茅葺きの学校です。

音が音楽から離れることができないように、個人も宇宙もほんらいダルマそのものであり、その本質は同一です。つまり、この宇宙のなかのすべてのものは、それぞれミクロコスモスであり、マクロコスモスとしての宇宙を完全に反映しているのです。その意味で人間のみならず、あらゆるものはそれぞれ宇宙の中心なのです。

これはなにか非日常的な世界の中に逃避するような特殊な経験ではなく、あるがままの自己を経験すること。自我とは別の意味で、宇宙の中心としての自己を生きることにほかなりません。

釈尊はその最後の説法に「自らの力で救いの道を切り開きなさい。他人に頼ってはいけません」という言葉を残されたと伝えられておりますが、ダルマに目覚めるということは、特定の宗教指導者や教えに盲目的に隷属するようなことからは、もっとも遠いものです。

朽木學道舎は、東洋の優れた精神の伝統である禪に深く根ざしており、多大な恩恵を蒙ってはおりますが、いかなる特定の宗派や教団に所属するものではありません。またいかなる団体や組織を構成するものでもありません。なぜならダルマは、なにか特定の宗派や哲学ではありませんし、また一つの文化や時代、地域、民族などに依存するものでもないからです。

共に道を學ぶ仲間の友愛によって「サンガ」が形成されるのはもちろんですが、精神の自由を希求する人々が集い、真の自己に目覚めるために坐禪や作務、山歩きなどの実践を共にし、行事が終ればそれぞれの場に帰って行く、そうした開かれた空間です。

洪水のような情報の氾濫と物質主義のなか、精神の貧困化と奴隷化による人間の自己喪失は進行し、大地や、水、空気といった自らの生命の基盤さえわれわれは破壊するに至っております。いま最も必要とされることは、一人でも多くの方が自己自身の存在の事実、この宇宙のなかのすべてのものは本来一体であり、相互に依存し合って存在しているという真理に目覚めることです。

社会がひとりひとりの個人から構成されている以上、個人の内面的な成長をとうしてしか、より良い社会が生まれることは有り得ません。世界をほんとうに変えるための、ただ一つの現実的な場所は個人であり、すべてそこから出発する必要があります。このささやかな学道舎に集うすべての人が、内なる叡知に目覚め、真の自由と平和を生きられますように、どんなに願うかわかりません。合 掌

朽木學道舎 師家   飯高転石 九拝

This entry was posted in 雑記. Bookmark the permalink.

Comments are closed.