参禅の感想ー14 アメリカでの禅との出会いから、朽木學道舎まで

30代女性 環境教育 新潟県在住


禅との出会いは、今から10年ほど前、アメリカでのことでした。

交換留学でカリフォルニアの Santa Clara University というカトリックの大学へ行き(渡米した日はなんと2001年9月10日でした)、宗教学(Religious Studies)を志望して、様々な授業を受けていました。

その中の「Zen Spirituality」という授業を受講し、「これだったのか!」と思いました。
どう生きたらいいのか、どう生きていきたいのか、という悩みに、あるいは何となく予感していたことに、”Zen” は次々と答えと名前をくれるかのような出会いでした。

その「Zen Spirituality」の授業には40~50人の学生が出席していて、講義の前に必ず15分間の坐禅の時間がありました。
教授はもとは神父でありながら仏教(禅)に改修した黒人の男性で、その教授の振鈴(チベタンベル)で坐禅が始まります。


足が組めない人は椅子で、できる人は床で、人種も先祖の国も宗教も違う様々な人たちが、一つの部屋で静かに真面目に坐を組んでいます。
私はというと日本人でありながら、仏教徒でもなければ坐禅も初めて。まさに「るつぼ」と言った感じの不思議な空間でした。


毎回の授業ごとに数十ページという何冊もの禅関連のテキストの読書が課題で、今は日本に逆輸入されている「Zen Mind, Beginners Mind」という鈴木俊隆老師の本も英語で読みました。日本で仏教の本を読んでも難解だった教えやお経の意味などが、英語では明快に分かりやすく翻訳されていました。


授業だけでなく毎日朝晩坐るようになり、バスに自転車を積んで朝の坐禅会へ通ったりもしていました。

一番の衝撃は、カリフォルニアの南部にあるZen Mountain Centerでの ‘Earth&Sky Sesshin’ に参加したことでした。
空港から車で2時間ほど入った、街とは隔絶された山のど真ん中にある禅堂で、私は初めての摂心(確か5日間だったと思います)を体験しました。
もちろん無言の行で肉食もせず、朝は少し山を登っていった所にある開けた岩の上で、蝋燭の明かりを真ん中に置いて、円になって夜明けまで坐禅をしたり、自由時間の間に希望者が集まってヨガをしたり、一人で森の中で坐ったりと、伝統的な禅の摂心とは違うかもしれませんが、本当に心地よく満ち足りた時間を過ごしました。

指導者はニュージーランド出身の方で、独参を受ける機会もいただきました。
長期滞在者(resident)と私のような短期の参禅者が混じっており、摂心後に話したところ「大学入学までの半年はここで過ごすんだ」という18歳の男の子や、ヨガをインドなどで一通り学んでから、ここに長期滞在している目のきれいな男性、私の帰り際に遠くから大声で「会えてよかった!」と叫んでくれた快活な女性など、多様な理由で、多様な人たちがそこに集っていました。
その摂心は括弧づけで retreat(リトリート、隠遁) ともされており、アメリカでは普段の暮らしと瞑想的な “隠遁生活” との間を、こんなに自由に行ったり来たりできるのかと驚きました。


日本に帰ってからも、アメリカで禅を通して出会った人たちの美しさが忘れられず、あれはどこから来るんだろう?と書物に探し始めて、アメリカの禅と、50~60年代のビート・ジェネレーション、ディープ・エコロジーなどを絡めて「空の心~『アメリカ禅』が呼び覚ます仏教の新たな可能性」という勇敢なタイトルの(笑)卒業論文を書きました。
その動機の一つになったのは、帰国してから方々の禅寺や禅の会に参加してもアメリカで体験したような感動がなかったことでした。

坐禅する人の中に若い人は当時はあまりおらず、また作法や読経などが大変重んじられていて、アメリカの「誰もが選べる様々な瞑想法の一つ」のような気軽さとは正反対に、禅は一部の人達のものという感じがしました。

その中でも、鎌倉の寺で開かれる居士向けの摂心と土曜坐禅会には度々通っていました。

年末の鑞八摂心は朝の2時か3時に起きだして、寒いなか窓を全開にして「丹田に力を込めれば寒くない!!」と先達の方に怒鳴られながら体を震えさせて坐ったり、うとうとするとすぐに警策を持った人が飛んで来たり、摂心中は大変辛かったのですが、摂心終了後は達成感と解放感、不思議な昂揚感があり、全身で受けるお日様の光がとても暖かかく感じられたのを覚えています。

また、坐禅中にふっと自分がいなくなる、内と外を隔てる枠が外れるような感覚になることがたまにありました。

居士の方の中には老師に公案をもらって独参をされている人もいましたが、当時の私には全くその意味が分かりませんでした。
ただ自分の中で、あぁこうすればいいかもなぁ、この感じいいなぁ、そんな風にして「気持ちよい理想の状態」つまり、自分勝手な理解による“空”を追い求めて坐っていたように思います。


他にも在家の会や、兵庫の禅道場、尼寺、屋久島の道場などを訪れました。
自分がちょっと深く坐禅をしたいと思った時、ご縁のあった所に、曹洞/臨済の別なく片っ端から行ってみるという感じでした。

また、正直なところ日本の禅の現場を体験して見てみたいという興味もありました。
そして分かったことは、一口に禅と言っても、場所によって各々のカラーは全然違うということです。
どんな組織でも独自のカラーを持つものですが、禅が体系づけられた宗派でありその骨となる部分(仏法)が揺るぎないものであるのに、血肉となる部分がこうも変わってくるのかと思いました。

警策や独参の有無、見性の意味合い(どう見ても至っているようには見えないが、摂心中に次々と見性する人が現れたり)、老師の提唱(現代口語での説明がほとんどなかったり、提唱自体がなかったり)、それに何より坐禅の仕方についての指導が違っていました。

きちんとこの道で修行しようという時にはこれらは大きな差異になるのかもしれませんが、当時の私には先述の通り「自分にとっての禅」ができることが重要でしたので、それぞれの“カラー” は個性程度にしか気にしていませんでしたし、法が継がれた系譜についての知識も興味もありませんでした。

また、「この方の下で学んでみたい」と志すような師との出会いもありませんでした。
先の鎌倉のお寺で、老師の提唱中に隣で居士の方が涙していても、私には響かないような場面もあり、本当に法縁というのは人それぞれだなぁと思います。


就職活動もしておらず、一度はしばらく禅道場で修行してみようかとも思ったのですが親に泣かれたために止め、もともと自然が好きだったので環境教育を学ぶ大学院に入り、修了後は新潟の自然学校で働くことになりました。
社会人になって忙しくなると、ほとんど坐禅をすることもなくなり、瞑想はヨガや “スピリチュアル” な世界のものに取って替わられたりして、実質的には禅から離れていましたが、心のどこかにはいつも禅を据えていました。

学生時代の東京暮らしを経て、それ以降もずっと抱えることになった問題意識は、東京・都市への強烈な違和感にありました。
言葉にするならば、自我が肥大化し、暴走している人間の在り方に対する違和感ですが、その対局には常に「自然」と「禅」がありました。

「ほんらい人はどう在るべきか」という答えを、その両者は持っているのだとどこかで確信していました。
そしてそれを自分が体験することで実践し、自分の仕事として表現していきたいと、今後の道を考え始めた時、朽木學道舎に出会いました。

ホームページを見て、昨年の年末の成道会摂心に一部参加しました。
初めてホームページを見た時にすでに「ここで修行していきたい」と腹を決めていました。
自分が卒論を通して取り組んだテーマのまさにそのものがそこにあり、アメリカから始まった初心と今後の道とが、スーッと一本の線でつながった気がしました。

楽しみにしていた摂心への参加、安曇川駅から雪の降る真っ白い景色の中を、バスを乗り継いで小入谷に到着しました。
最初は禅堂の前をそれと気づかずに通りすぎてしまったほどの凄まじい雪の量に、またそんな奥まった土地に禅堂があるということにびっくりしました。

もはやかまくらのような茅葺きの道場の扉を明けると、奥の禅堂で坐禅が始まっているようでしたので、土間で待たせていただくことにしました。

程なくしてガツンと扉が開き、雪の中から30キロの米袋を両腕に抱えて老師が中へ入ってこられました。
アウトドアのジャケットに冬用のブーツというお姿で、あまりにお若く見えたので「この方だろうか?」と一瞬戸惑いました。

老師にお部屋に通していただくと、書棚に並ぶ本の数と種類にまず驚きました。
禅だけでなく、私も大きな影響を受けたゲイリー・スナイダーを含むビート関連の書物、自然系の書物などが大変魅力的だったのと、老師が積んで来られた学識の豊かさに頭が下がる思いでした。

また、その隣にはビートの詩人であるアレン・ギンズバーグ直筆の學道舎へのメッセージが額に入れてかけられていて、これにもまた驚きました。


茅葺き古民家の居間を改築したという禅堂はたいへん寒く、白い毛布をかぶって皆さん坐っておられました。
私もそのようにして坐っておりますと、老師がいらしてご自分の単に坐られました。


薪ストーブが空気を吸う音がする以外はない静寂の中、突然「バチーン!」と、ものすごい音がしました。老師が警策を床に打ち付けた音でした。
私はびっくりして、坐ったまま飛び跳ねていたと思います。

そして、正確にはたどれませんが老師がこのようなことを仰りました。
「音が鳴った瞬間、それを聞いたのは誰ですか? その間は自分はなく、ただ音そのものだったはずです。それが本来です」。

摂心中の提唱では、老師がその時に集まった参禅者の様子を見て、曹洞/臨済の別なく禅の語録から一つ選んでお話し下さいました(同じ語録を取り上げる摂心もあります)。
老師のお話を聞きながら、震えたり涙したりしている自分がいました。

真っ直ぐに心に届く提唱は初めてでした。「言葉」はとても難しいものだと思います。
言葉にして概念化することで、元々から離れているのに一人歩きしてしまう言葉があまりにも多いように感じますが、その指の間から零れ落ちるような全てを老師の言葉は掬っていくようなのです。借り物でない言葉で、大概大いに脱線しながら(笑)私たち参禅者に、なんとか伝えてくださろうとする真摯な思いが、びしびしと伝わってきました。


毎晩の独参では、その時の坐禅の疑問点を相談することができます。
「私に参じるのではないですよ、ご自分に参じるのです」という老師の言葉の意味が分かったのは後のことで、それまでは独参となると緊張して大変でした。
独参を続けるうちに、いかに自分が今まで自己流の坐禅を続けてきたかが見えてきて、唖然としました。

過去の参禅から習った坐禅の仕方(時にはある老師が仰っていた教え)について、ここでは真逆のことが言われることもしばしばでした。
そして、独参で教わった通りに坐り始めると、今までこんなに楽に坐ったことがないというほど、リラックスして気持ちよく坐禅ができるようになってきました。

足はもちろん痛いのですが、体のどこにも緊張がなく、摂心が進むにつれ心も自ずと静かになっていきました。
老師は「集中」ということを仰りません。
そこには「意識を集中させる」という自意識がすでに働いているからです。

「自意識をどこにも添えない」と仰ります。「良い坐禅、悪い坐禅というのはない。良い悪いを付けることが悪いのです」と。
自分の今の坐禅を持っていき、そこで極めて具体的に仏の立場からご指導いただける独参は本当に有難いものだと思います。
「師なしで禅の修行をすることは、小さな船で大海原に漕いでいくようなものだ」と言われます。

私は今まで、師に付くということの意義が全く分かっていませんでした。
しかし學道舎に出会い、飯高老師に出会い、摂心に通い続ける中で、ようやく納得がいきました。

【本来の自己に目覚める】と言って、言葉上は同じことを言っているようでも、本当にその師が「分かっていること」を話しているのかについては、参禅して体感するしかないと思います。あるいはその師が「分かっている」としても、やはり人それぞれに違う体を持って生まれてきたように、その人に与えられた法縁という不思議な働きがなければ、自分にとって正しい師とのつながりは得られないのでしょう。

老師から「あなたには『ディープ・エコロジー』を生涯の公案としていただきたい」という言葉をいただきました。

また「宗教や禅というものは、最後には消えてなくならなくてはいけません」とも。
在家の身で仏道修行を終えられた老師だからこその、バランス感覚というのでしょうか、決して禅を仏道をおさめることを目的化しない姿勢に、深く共感しています。

私はことあるごとにアメリカの禅堂を思い出します。自己の成長、あるいは自己の本来を求める全てのご縁ある人たちに、禅がより身近で開かれたものであるようにと願って止みません。

長文にお付き合い下さりありがとうございました。 合掌



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