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七日間摂心体験記

2008年朽木學道舎 灌仏会大摂心会(大接心)に参加して

はじめに
禅はむやみに厳しいものではない
前 夜
第一日
坐禅を組みっぱなしではない
二日目
三日目
四日目
提唱
坐禅による意識の深化
坐禅の妨げ
独参とは
食事
夜 坐
摂心で修行する意義
五日目、六日目
最終日
摂心終了後
その後
八日目
正 師
はじめて摂心する人へ
現代における禅


はじめに

まず、前置きになりますが、この灌仏会大接心の感想は、接心の個人的な体験記であると共に、接心に参加されたことのない方、また坐禪に関心がありながら、禪の敷居の高さに実際に参禅することをためらわれているような方の為に、接心というものが実際にどのように行われているのか、また実際の参禪はどのようなものなのか、そのガイドのような形で書いていきたいと思います。

多くの方にとって、禅や禅寺、禅道の持つイメージ、その禪の敷居は高過ぎ、近寄りがたいものに感じられていると思います。
ましてや、摂心で朝から晩まで坐り続けるなど、とても普通の人には不可能なことだと思われるのが普通かもしれません。

私にとっても、実際に参禪に赴くまでは、禅の敷居はとてつもなく高いものでした。
何か一言でも質問をしたものなら、すぐさま警策をもって打ち据えられるような、そんなイメージがありました。


禅はむやみに厳しいものではない

そうした、禪に対する固定化されたイメージの為に、かつての自分のように、禪に関心を持ちながら、実際の参禪を躊躇われている方がいるとしたら、非常に残念なことです。実際に参禪して感じられるものは、そうした禪のイメージとは、全く違ったものです。
かつて朽木学道舎での七日間の摂心が、私の初めての坐禪であり、参禪となりましたが、坐禪の経験がない、全く初めての方でも、坐禪に何か求めるものがあってこられた方であるならば、七日間を坐ることは決して難しいことではありません。

そうした方の為に、かつて私も禪の敷居の高さに参禪を躊躇った者として、実際の参禅はどのようなものなのか、少々長くなると思いますが、その点においてなるべく詳しく体験記を書きたいと思います。

私が朽木学道舎へ参禪するようになってから、3年程になります。坐禪そのものの経験も、それまでありませんでしたので、3年ということになります。
お盆、ゴールデンウイーク等の連休にはよく摂心に参加させて頂いており、また學道舎へ参禪されている方の中では、一番家が近い方ですので、週末の休みや少し長い連休が取れた時にも、時間の都合が取れる時は、参禅させてもらっています。


前 夜

今回の灌仏会大摂心には、7日間を通して参加させてもらいました。
29日に仕事を終えて、車で夜9時前に學道舎に到着すると、7日間参加される方は少なく、今回のゴールデンウイークは、連続して休みが取りにくい形になっているので、多くの方は5月2日から5日間参加されるということでした。
摂心は明日30日の朝から正式に始まりますが、私自身も比較的時間の都合を取りやすい仕事をしているとはいえ、やはりこうした機会は、そうそうありませんので、既に始まったものと気を引き締め、11時過ぎまで坐ってその日は休みました。


第一日

あくる朝30日より、摂心が始まりました。

摂心のスケジュールは、夏時間なので、4時振鈴(起床)、4時20分より二炷(一炷(いっちゅう)は約40分)の坐禪、7時に粥座(朝食)、8時20分より三炷の坐禪、11時半に斎座(昼食)、13時20分より三炷の坐禪、16時30分より薬石(夕食)、18時20分より三炷の坐禪、一日の最後に四弘誓願文(しぐせいがんもん)と普回向(ふえこう)を読んで、21時以降は随座、22時に開枕(就寝)となります。

一日の最後に読む四弘誓願文と普回向を掲載します。四弘誓願文は三度読みます。

四弘誓願文

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)

煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)

法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)

仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)

(意味)

生命あるものは限りなけれども、誓ってみちびかんことを願う

わずらいなやみは、尽くることなけれども、誓って断ちきらんことを願う

ことわりのかずは、はかりなけれども、誓って学ばんことを願う

さとりの道ははるかなけれども、誓って成し遂げんことを願う

 

普回向

願(ねが)わくは此(こ)の功徳(くどく)を以(も)つて

普(あまね)く一切(いつさい)に及(およ)ぼし、

我等(われら)と衆生(しゅじょう)と、皆共(みなとも)に仏道(ぶつどう)を成(じよう)ぜんことを。

十方(じーほー)三世(さんしー)一切佛(いーしーふー)

諸尊(しーそん)菩薩(ぶーさー)摩可薩(もーこーさー)

摩可(もこ)般若(ほじゃー)波羅密(ほろみー)

(意味)

若しも願うことが可能であるならば、今此処に積み上げた成果を

広く一切のものに及ぼし

われわれ自身と全ての生物とが

皆一緒に釈尊の教えを達成する事が出来るように願いたい

あらゆる方角における過去,現在、未来のあらゆる仏(ほとけ)

多数の仏道修行者、偉大な人々

真実に向かう為の偉大な知恵


坐禅を組みっぱなしではない

一炷と一炷の間には径行(きんひん、歩行禪)と(ちゅうかい、足を休めたり、手洗いに行く時間)が20分間あります。一日に一度独参と提唱があります。

こうしてスケジュールを見ると、摂心に参加されたことのない方は、早朝から夜までびっしりと坐禪をしているように見えて、普通の人にはとても無理なように感じると思いますが、食時の後には、約一時間半の空き時間があります。

坐禪の経験者は少し休んだ後坐ったりもしますが、初心の方が無理をする必要はなく、この時間はゆっくりと体を休めたり、外を少し遠くまで散歩することもできます。坐禪と坐禪の間の抽解の時間も、20分あるので、その間別室で横になって体を休めたり、縁側で体を楽にしたり、外の椅子に坐って景色を眺めたり、外を少し歩いたりも出来ます。

禪堂の玄関の土間には、各自で御茶が飲めるようにしてあり、抽解等の時間には自由に飲むことができます。ごく簡単にですが紅茶やコーヒーも飲めるようにしてあります。
老師の奥様が手作りされた御菓子が置かれる事もあります。

そういった感じで、坐禪以外の時間も充分あり、その時間はゆったりしたものです。摂心中、ただ厳しい雰囲気のみが禪堂を支配しているということはありません。

30日からの参加者はまだ少なく、また初心の方もおられませんでしたので、他の方がこられる2日までは、一炷の始まりと終わりの鐘は打たず、めいめいが坐れる長さだけ自由に坐り、足が痛くなったら自由に抽解を取り、又坐る形になりました。

坐禅に多少習熟してきますと、一炷以上の時間を坐ることも、難しいことではなくなってきます。
一炷ごとに鐘を打つと、かえって坐禪が途切れ途切れになってしまうので、朽木學道舎では、人が多いときは無理ですが、それほど多くない時は、しばしばこうした形をとります。


二日目

最初の一日目、二日目は、より徹底して坐る意味で、それぞれが自分に合った時間で坐るということになりましたので、私は禪堂内で坐る他にも、早朝や晩は外で坐ったりもしました。
學道舎の裏手の山は、途中まで15分程で登れる道がついているのですが、その行き止まりまで上って、大きな杉の大木の下に、じかに、坐布を用いず、すぐ横を流れるせせらぎの音を聞きながら、坐ったりしました。

また朽木学道舎の前の川に渡された、大きな丸太二本を渡して作られている、橋の上で坐ってみたり、川べりで坐ったりもしました。その橋は、昨年の夏に老師が参禪者と渡したものです。

一日目はまだ、川上にある大きな桜の木は、花を付けていて、非常に美しい佇まいを見せていました。
二日目はわずかの風に、花が舞い落ちていくのを見ました。桜の花びらが絶え間なく川面を流れていく中、カジカの独特の鳴き声とせせらぎの音を聞きながら、橋の上で坐りました。
三日目には、花は全て散ってしまいました。

こうして文章に書くと、何か美しさに酔っているかのように見えてしまいますが、他の時ならともかく、摂心の時はそういった余裕はありません。

普段の生活を離れて、こうした自然環境の中で一週間を過ごすだけでも、何らかの気付きといったものが得られるかもしれませんが、こうして一週間坐り通せる機会というのは一年において、また人生においても、そうあるものとは限りませんので、油断なく呼吸を見つめることに徹します。
初心の内は外の環境にどうしても注意が引きずられますが、そうしたことも無くなれば、ただ呼吸を見つめることに徹底するのみです。

もちろん、自然の移り変わりに対して敏感であり、無常に気づくこともまた、大変な修行であることに変わりはありません。それゆえ、古人も修行の場として、山深い場所を選んできたものと思います。

七日間を坐る摂心では、個人差はありますが、だいたい三日目が峠となります。一日目はそれほど苦もなく坐れますが、同じ姿勢を維持する為、二日目、三日目と足の痛み、人によっては腰など他の部分の体の痛みもだんだん増して行きます。

その三日目までをしっかり坐っておくと、峠を越えた四日目からは、痛みはありながらも、痛みと共に坐れる状態と言うのでしょうか、耐えられない痛みといった感じではなくなります。ここからやっと、禪の本当の醍醐味が感じられるようになってきます。
ですので、一泊から三泊の坐禅では、なかなかそこまで届きません。三日間の坐禪だと、痛みの峠をやっと終えてこれから、というところで終了になってしまい、非常に勿体無いのです。

四日目以降は坐禪中、全く足の痛みを感じない時もあります。また姿勢を維持し続けることにも、全く力が要らない、そういった状態になったりします。
そういった状態を、定力じょうりきがつく、禪定ぜんじょう力がつくと言います。定とは、簡単に言えば三昧サマーディーを意味します。

今回の摂心は定の深まりが早く、二日で峠を越したようで、三日目からは抽解に足を休めなくても、一炷目から次の食事の時間まで、三炷を通して坐れるようになりました。一炷が終わって鐘が鳴っても、このまま次の回も坐れる、続けて坐りたいと思えば、径行と抽解に坐を立つ必要はありません。

もちろん、坐禪は足の痛みを我慢することが目的でもなく、当然のことながら、我慢大会でも何でもありませんので、うまく姿勢が維持し続けられない時、足が痛い時は、抽解の時に足を休めます。

坐禪が深まってくるとでも言うのでしょうか、定力がつきはじめると、意識の上でも様々な変化を感じることになります。


三日目

摂心の三日目、5月2日には、今回の摂心に参加される大半の方が揃いました。
摂心の参加者は、いつもだいたい男性と女性が半々といった感じです。三日目からは、人も多くなりましたので、一炷ごとに鐘を打つ形になりました。
その一炷の始まり(止静)と終わりの鐘は参禪者が交代で打ちます。専門僧堂では、女性が鐘を打つことはありませんが、ここでは男性、女性、関係なく交代で順番に鐘を打ってもらいます。

坐っている時は、自分の坐禪の変化、深まりというものは、案外あまり分からないものですが、定が深まってくると、鐘を打った時に、安定して、澄んだ音が出るようになります。そうした変化に気づくことも、とても重要です。聞こえ方も変わってきます。

摂心のおよそ三日目までは、前述したとおり、体の痛みなどで、楽なものであるとは言い難いものです。そういった痛みも、坐禅を継続していく内に、だいぶ慣れてしまうものなのですが、初めの内は特に厳しいものに感じられると思います。
不思議なことなのですが、既に定力がついて、非常に深く、静かに、落ち着いて坐っている人が、一緒に坐っていると、その人の定に同調する、引き寄せられるという感じでしょうか、それほど坐禪の経験のない方でも、三日もかからずに深く坐ることが出来るようになります。

こうしたことは一人で坐っている時には起こりえないものです。
もちろん、新しく見えられた参禪者の方々が、深い問題意識を持って坐禅に向かわれているからこそであることは、言うまでもありません。

新しく参禪者の方が来られれば、坐っていても禪堂内に多少ざわつきがあるものですが、その日から禪堂内は非常に静かでした。
とても不思議に感じられる程の静けさでした。

一日目、二日目は朝晩の冷え込みが厳しく、セーターを着て、毛布を羽織って坐りました。三日目以降は朝晩の冷え込みも、ずいぶん少なくなりました。昼はセーターや毛布があるとかえって暑すぎるので、外さなければならず、そうするとまた徐々に体が冷えてきたりして、こうした季節の方がかえって風邪を引きやすいので、注意が必要でした。

摂心中、5月5日に雨が降った以外は、良い天気が続きました。禪堂の中で坐っていても、少しだけ冷たい、気持ちのいい春の風が、無双窓から禅堂の中にも入ってきて、頬を撫でていくのを感じました。

日本の伝統的な造りをしている茅葺の禅堂は、多くの光は入らないようになっており、無双窓から差し込む春の光は、とても静謐で、坐禅を助けるものであるように思いました。

そのように禪堂内の空気も、冬の禪堂の空気とは全く違ったものでした。
その空間の中に、衝立を前にして、参禪者がほとんど何の音も立てずに、坐っていました。
人が集まることで、かえって静寂は更に深まり、密度を増しているように感じました。

摂心中、参禪者同士は話をすることも、目を合わすことさえありませんが、その深まりゆく静寂の中で、何か本当に深く共有しているものが、あるような気がしてなりませんでした。


四日目

摂心の四日目、5月3日には、一月に亡くなられた御父様の供養にと、今回初めて坐禪を経験されるSさんという女性の方が、富山県からお見えになり、今回の摂心に参加される全ての人が揃いました。今回の摂心は大型連休に行われるということで、遠方から来られている方がほとんどでした。

実は今回の摂心の数日前、老師の御父様も亡くなられ、老師は摂心の直前まで千葉の御実家に戻られていました。


提唱

Sさんがお見えになったので、提唱の際には、老師の御父様が95歳の大往生だったこと、非常に美しい、穏やかな死顔をしていて、葬儀もとても感動的なものであったことも、老師は話されました。
Sさんが涙を啜られているのが聞こえました。

そうした経緯があり、今回の提唱では、「無門関第四十七則 兜率の三関」と、「正法眼蔵 生死の巻」を同時に用い、死の問題を正面から取り上げている祖録から提唱をされました。また、老師が長年研究されてきた宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも触れ、亡くなった人は生きている人にとってどのような存在であるのか、どこにある(いる)と言えるのか、といったことにも言及されました。

坐禪、独参と共に摂心の三本柱の一つである提唱とは、もともと禪から生まれた言葉で、法を引っ提げて唱えるという意味があり、祖録を元に老師が法そのものを提示するものです。ですので、論理的に、説明的に捉えられるようなものではなく、また、そのように提唱を解釈しようとすべきでもありません。
風の音を聞くように、ただ聞いていてください、と老師は提唱の際に言われていました。

随息観で重要な点は、無理のない正しい姿勢で足を組み、ただ呼吸に留意する、呼吸を見つめ続けることです。
そして、思いを放つ。さまざまな思いに引き回されない。
目に映るものにも、耳に聞こえる音にも、鼻に匂う香りにも、心に浮かぶ思念にも、なるがままに、それらの一切のことを、相手にせず、邪魔にせずに坐ることです。


坐禅による意識の深化

摂心も三日目以降、半ばに入り定力がついてくると、あまり坐を立つ必要がなくなるので、外に出ることもほとんどなくなりました。
その頃になってくると、日常でも、疲れている時など顕在意識の活動が抑えられているときには、誰にでもままあるものですが、様々なイメージが鮮明に見えたり、物音が何か人の声のように感じられたりといったことが起こりやすくなります。坐禪に習熟してくる程、よりはっきりとした形で出てくるようになります。

そうしたものが出てくることは探求の過程において必ず通過するものであり、必要なことなのですが、それにとらわれると探求の妨げになり、魔境と呼ばれます。
そういったものが坐禪の中で意識化されること自体が、自分というものを構成している、様々な想念を手放している過程であると言えると思います。

ですので、何が見えても、何が聞こえても、何が起こっても、相手にせず、邪魔にせず、ただ呼吸を意識して坐るのみです。
そうしたものは夢と同じようなものです。夢から覚めてしまえば、座布団から立ってしまえば、それまでのものです。
そして、その日坐禪の中で感じたことを独参の際に老師に話します。
そうすると、不思議な程次の日の坐禅では同じものを感じたりはしなくなります。意識の中に深くしまいこんだものを、自分という括りから手放してしまう、そういったことが起きるのだと思います。
ですので、独参の場でそうしたことを話すことは、大変重要なことです。探求が、正しく滞ることなく進んでいくかは、そこにかかっているように思います。

摂心も佳境にはいると、定力がついているので呼吸はより静かになり、体も安定して坐れるようになるので、非常に静けさを意識するのですが、一方で前述したような日常では意識されることのない、内面の激しさというものも、前面に押し出されてくるように思います。


坐禅の妨げ

ただ、注意して頂きたいのは、坐禪の中で感じられることは本当に人それぞれで、その人特有のものです。こういった記述を読んだが為に、前もって先入観を持って坐ると、妨げにしかなりません。
坐る時は、この感想全てを忘れ去って、全てを投げ捨て手を打ち払って、坐ってください。

自分がかつて坐禪で経験したものであっても、それに沿わせようとしながら坐ることは、やはり妨げにしかなりません。坐禪に自分というものを持ち込んでしまうことが、何よりの障害です。

妨げているのは自分しかありません。
その自分を構築している様々な想念を、坐禪の中で捨てていく、そしてただ普通を本当に普通に生きられるようになる、それが坐禪であるように思います。
それこそがどんな奇跡や超常的な力よりも本質であり、尊いものであるように思います。
そうしたことが坐禪を続けていくと、分かろうとしなくても、体にしみ込んでくるように分かってくるように思います。


独参とは

独参は、坐禪の中で感じたこと、疑問に思った事等を老師に尋ね、正しい工夫が出来ているかどうかを、確認する場所です。分からないことや、疑問を持っていたりすると、坐禅の妨げになります。

今回、肉親の死という、人間の避けがたい悲しみを抱えて、参禪に来られた方がいたからでしょうか、悩みを抱えていても、坐る時の妨げになりますので、そうした荷物を下ろす意味で、悩みを持たれている方は、独参の場でその荷物を下ろしていってください、と老師は独参の前に話されました。

独参は、今回新しく建てられた独参用の建物で行われました。この独参の建物も、老師と参禪者の手によって基礎の段階から建築したものです。
老師がその独参の建物から鈴を鳴らすと、参禪者が一人ずつ、禅堂の土間においてある鐘を二回叩いて、独参へ向かいます。
独参から戻られた女性の参禪者の方が涙を啜られていました。
参禪者の方も様々な思いを抱えて、参禪されているものと思います。

独参の作法は、入り口で一拝、老師の前で一拝、終わりに一拝、五体倒地で額を床に付けて礼拝します。本来は三拝ずつですが、時間がかかる為一拝ずつということになっています。

独参の室内でのことは、人に話しても、聞いてもいけません。
独参は、摂心の中でも非常に重要なものです。

独参の場でのやりとりは、参禪者一人一人に即したものであり、人によって全く違った指導の方法を取り得るために、独参の室内での話は、自分と他人の独参を比較して坐禪の邪魔にならないように、決して人に話しても、聞いてもいけないことになっていますが、独参の雰囲気については、紹介しても構わないとのことでしたので、ここで少し述べさせていただきます。
老師の前で礼拝を済ませた後、姿勢と呼吸を整え、自分の坐禅の方法、随息観であれば、随息観(数息観に参じていれば、数息観)に参じております、といいます。

独参の場は単なる言葉のやりとりの場ではありません。そこで伝わるのはむしろ言葉ではないものです。

礼拝を済ませ、姿勢と呼吸を整え、目を上げ老師の目を見た途端、空気の密度が変わっていくのを感じます。その空気の密度が、自分の意識に浸透していき、自分の中から言葉が閉め出されていくのを感じます。

独参に向かうにあたって、今日の坐禪で感じたこと、疑問に思ったことを考えていくのですが、坐禪によって定が深まっていると、口を開いてもその空気の密度の中に、言葉が音になる前に消えてしまうように感じます。頭に言葉があっても、なかなか言葉を出すことが出来ません。非常に時間がかかることがあります。
その空気の密度の前に、言葉、そして言葉を基にした言語認識、思考というものがあまりに表層であり、限界があるかを感じます。かなりの困難を感じながら、自分の坐禪についていくつかのことを述べます。

そのことについて、老師からいくつかの指摘と話があります。
独参は短く終わる時もあれば、長く何も話さないままの時もあります。坐禪が深まってくるほど、その沈黙がいかなるものであるか、伝わってくるものであるように思います。


食事

食事は作法によって、始まりから終わりまで、一言も話さなくても滞りなく、非常に合理的に行われます。参禪者は応量器と呼ばれる、大中小の三つの漆の器を、摂心中を通して使います。食事が終わると、お湯と沢庵できれいにして、重ねて袱紗に包んで片付けます。
朝食(粥座)と昼食(斎座)には食事の前に、五観之偈(ごかんのげ)、生飯之偈(さばのげ)、三匙之偈(さんしのげ)を読み、食事の後に折水之偈(せっすいのげ)を読みます。

その中でも最も広く読まれているものである、五観之偈を掲載します。
五観之偈
一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。

二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。

三には心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。

四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。

五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。

(意味)

一つ目には、この食事が調うまでの多くの人々の働きに思いをいたします。

二つ目には、この食事を頂くにあたって自分の行いが相応しいものであるかどうかを反省します。

三つ目には、心を正しく保ち過った行いを避けるために、貪りの心を持たないことを誓います。

四つ目には、この食事を、身体を養い力を得るための良薬として頂きます。

五つ目には、この食事を、仏様の教えを正しく成し遂げるために頂きます。

粥座はお粥、斎座は(米と麦の)御飯、薬石(夕食)はその残りで作った雑炊、又はうどんを頂きました。
食事は十分な量があり、品数も豊富で、お代わりをすることも出来ます。畑で取れた野菜や、周辺で取れた山菜、コシアブラ、ヨモギ等を使った天麩羅等の料理も出されました。

なるべく音を出さないようにして頂きます。そうすることで、自分の今、現在に、より注意深くなります。こうしたところで、坐禅による変化が非常によく分かります。

また、毎日当たり前のように行っている、食べる、食事を頂くということが、我々の生命にとってどういうことなのか、どんな言葉による説明よりも明白に気付かされます。

摂心の間、最初から最後まで、参禪者全ての食事を作って頂いた老師の奥様には、この場を借りて御礼の言葉を述べさせて頂きたいと思います。有難う御座いました。


夜 坐

定力がついてくると、短い睡眠時間でも坐れるようになるので、摂心の日が経つにつれ、五時間、四時間、三時間と、睡眠時間を短くして夜坐やざをしました。
以前全く眠らずに坐ってみたことがありましたが、次の日の朝の一炷目、二炷目と定力が抜けてしまっていて、姿勢を維持することもうまく出来ないような状態でしたので、私の場合最低二時間は寝ておかないと次の日に支障が出るようです。

初心の方が、無理して夜坐をする必要はありません。開枕かいちん(就寝)の時間になったら、ゆっくり休んでいただいてかまいません。

夜坐よりも、次の日の坐禅の方が重要ですので、無理をし過ぎればいいというものではありませんし、それぞれの方の健康の具合、体力、気力もありますので、ここでは夜座はしなければならないものではありません。体を壊して普段の仕事に差支えが出るといったこともあってはなりません。

無理をし過ぎること、真面目過ぎることもまた、自分の枠を強め、妨げになります。
しかしながら、摂心においては、法を求めるならば多少の無理を試みることもまた必要です。


摂心で修行する意義

私自身は、悟りを求めて遮二無二坐るような人のみが、摂心に参加すべきであるとは思っていません。
たとえ年に一度であっても、世の中で普通に仕事をしている人が坐りに来る、そういったことであってもいいと思っています。我々が生きる日常、社会もまた、厳しい状況にあるように思います。

そうした日常を離れ、無言の内に、溢れるほどの様々な情報の刺激や、社会の中での自分の位置によって忘れている、或いは忘れようとしている、本当の自分の本心、深く隠された自分の感情と直面する。
それは必ずしも楽なことではありませんが、それによって本来自由そのものだった自分に、生きていく上でまとわりついた、余計な夾雑物を捨てていくことになります。
摂心という言葉には、本来の自己に親しむ、という意味があります。
摂心において、悟りや見性といった明確な体験がなくても、それだけ本来の自己に親しんだことになります。

実際のところ、自分の限界まで摂心を坐り抜き、どれほど深い安らぎ、落ち着きを感じたとしても、自意識の根が切れない内は、日常に戻ってしまえば、三日も経てばいつもの日常の自分に戻ってしまいます。
例えるなら、泥水が静かな状況で上澄みと沈殿物に分かれていたものが、また揺さぶられて泥水に戻ってしまうようなものです。

それでも参禅を継続していく中で、悟りや見性といった体験がなくても、あらゆるものが変わっていっていることに、何かの機会に気がつくことでしょう。
その違いはやはり決定的なものであると言わざるを得ません。
私は日本に生まれてきたことに殆ど何の感情も持ってはいませんでしたが、禅が日本に今もなお法を伝えるものであることに、深い敬意と感謝の念を抱かざるを得ません。


五日目、六日目

最終日に近づくと、坐っていると鐘を叩く音は、自分の頭が叩かれているかのように感じ、外で鳥の声が聞こえただけでその音が頭をカツーンとやるように感じ、床が軋む音がすると、自分が割れるかのように自分の中に響き、その度ごとに思わず頭と体が大きく仰け反りました。

一日の終わりにお経を読むと、グッと掴まれたように自分の意識全てが読んでいる文字そのものになってしまい、お経がお経を読んでいるといった感じで、自分がお経を読んでいるといった感じではなくなります。

坐禪によって、自我が作り出している自分と世界の境界が薄れてきているからです、と老師は言います。その他様々なことがあります。

定力によって坐ることは可能ですが、疲労もまたかなり蓄積しているので、食事の後は横になって休みました。食事の後は胃に血液が行っているので、食事の直後に坐ることはここでは勧められていません。


最終日

摂心も七日目、最終日になりました。正午に開静(終了)となります。
摂心の終わりに茶礼がありました。参禪者は、衝立を挟んで向かい合うように坐っていましたが、外側に向かって坐り、御茶を注いでもらい、御菓子を頂きます。茶道はこの茶礼から発展したものです。
静かに御茶と御菓子を頂くと、摂心が終わったことを感じました。

それから全員、単(それぞれの坐る場所)を立って、御聖僧様の方を向き、般若心経を読みました。その後、灌仏会ということで、四弘誓願文と普回向を読みながら、順番に聖僧壇の誕生仏に甘茶をかけていきました。

灌仏会(かんぶつえ)は、御釈迦様の誕生を祝う行事です。様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たします。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝います。

全ての参禪者が甘茶をかけ終わると、自分の単に坐り、御聖僧様の方に向かって、老師の鐘の合図に従って深く三拝し、単を立って礼拝し、灌仏会大摂心は開静しました。


摂心終了後

その後、摂心終了後の食事会がありました。摂心は終わったので、参禪者は互いに話をしてもかまいません。
料理は、周辺で採れたコシアブラ、ヨモギ等の山菜と學道舎で栽培している椎茸の天麩羅が美しく盛り付けられ、老師の奥様が酢に漬ける段階から作られた鯖寿司等もあり、ご馳走でした。

よく晴れた日で、縁側のガラス戸を開け放ち、外からの空気が気持ちよく、部屋から眺める景色が非常に綺麗でした。参禪者の方の互いの近況を聞いたりしながら、ゆっくりと料理を楽しみました。


その後

食事が終わった後も、参禪者同士で長く会話を楽しんでいましたが、今回の摂心に参加された参禪者の方も、一人、一人と、席を立たれ、帰っていかれました。

私は、後二日間仕事の休みをもらっていたので、残り二日間も學道舎に滞在し、摂心によって溜まっている作務を手伝うことになりました。富山県から摂心の四日目にお見えになったSさんも、三日後の5月9日朝まで滞在して坐っていかれるということでした。私も朝と夜は一緒に坐ることになりました。
他の参禪者の方は夕方までにお帰りになり、それ以降は、また会話をせず坐りました。

その夜の坐禅で、非常に定の深まりを感じ、こうした休みを取れる機会は一年の中で他にありませんので、私は明日もう一日坐らせてもらえるようにお願いしました。


八日目

翌朝、二炷を坐って粥座が終わり、私は体を休める為に書院の縁側に楽に座って、外の景色をただ眺めていました。

外には朝の光が差し、庭の大葉菩提樹の葉は、その朝の光を透かして輝いていました。本当にいつもの光景であり、毎日大葉菩提樹はいつもこうしてあるはずですが、それは尋常ではない輝きでした。

その大葉菩提樹の姿は、本当に静かで、ゆるぎなく、どこにも行こうとせず、生命を湛え、生を讃えていました。その姿は時間性というものを持ちませんでした。

それから私は外に出て、木の橋を渡って川の堤防沿いを歩きました。
冬の間は殆ど姿を見ることのなかった鳥が、電線に止まって私のすぐ上で、機敏に頭と体を動かしながら、賑やかに長く囀っていました。その姿にはどこにも人間のような緊張も、苦悩の兆しもありませんでした。
ただ命を生き、寛ぎきって、春を謳っていました。

本当に静かで美しい、春の日でした。
なんということだろう、と思いました。

この世界の中で、自分だけが世界を逆さまに見、錯覚し、いいものを悪いと言い、ないところに邪悪なものを見、激しい感情を隠し、後ろ手にナイフを隠すかのように自分を抑えて生きている、自分の愚かさ。

我々もまた存在そのものから離れたことは一度として無いにもかかわらず、自己というものが生み出す境界の中で、その限られた領域を永続的に保持しようとして苦しむ。

いつも、世界はこのようにして在った。
春の静かな美しさの中を歩きながら、私は自分の愚かさを深く恥じていました。

次の一炷目が始まる前に禪堂に戻り、そしてまた坐りました。老師は摂心中に溜まった別の仕事をされていて、禪堂にはSさんと私が衝立を挟んで坐っていました。

前日の食事会が終わった後、Sさんがいろんな考えが出てきてしまって、うまく坐れないと話されていました。
そうしたものが出てくること自体が、それを手放している過程そのものですので、どんなに下らない事が出てきても、又どれほど悲しい事が思い出されたとしてもそのままに眺め続け、それを抑えつけたりせず、悲しい事が思い出されたならば、そのまま涙を流して泣いて下さい、と話したのですが、そんなことを人に話したことが、結果的に自分自身に向かって話したことになったのでしょうか。

坐っていると、今回の摂心のことが思い出すともなく、頭の中を巡っていました。
共に坐った参禪者の方々の姿、今朝の大葉菩提樹の輝き、春の訪れを告げる鳥の囀り声、満ちている春の空気、溢れる光、新緑の山々・・・。

世界は美しい、ふとそんなことを思ったような気がした途端、涙が流れてきました。
かつて自分を割った悲しみ、それ以来自分の半分以上が死んだように感じ、どれほど何かに感動しても、どんなことをやっても、決してもはや動かず、熱を持たない部分といったものを常に感じてきましたが、その悲しみをもう一度悲しみ、その痛みをもう一度感じました。

涙は止まることなく、片手を着いて身をかがめ、タオルに顔を埋めて声を出さず、声なき声を震わせて、長い間涙は流れました。
こうしたことはかつてなかったように思います。

流れる涙の中で、自分の中にも温かい血が流れていることを感じました。
かつて、この世界を疑うこともなく、もっと自由に、屈託なく生きていた自分を思い出しました。

摂心は前日に終わったので、その日の午後からは川を遡ったところにある子母婆(コモンバ)の滝へ行きました。
途中まで車で行き、そこからは歩いて向かいました。
軽トラの荷台に乗って風を受けながら、木漏れ陽の林の中を抜けて行き、それから新緑に包まれた道の上をゆっくりと歩いて、景色を楽しみながら滝へ向かいました。
シャクナゲが満開を迎えていました。

滝の周辺はひんやりとした空気が心地よく、足を水に浸してみると、痺れるように感じる程の水の冷たさでした。滝の流れを十分に堪能し、楽しんだ後、滝の傍で坐りました。

夕方以降は、また会話をせず坐りました。

夜坐っていると、禅堂の隅のほうで何かがゴソゴソと音を立てていました。ネズミか何かだろうかと思っていると、物陰からネズミにしてはかなり大柄なものがピョンピョンと飛び跳ねながら出てきました。目がとても大きく、尻尾がふさふさして太い動物。ニホンリスでした。
禪堂の中を行ったり来たりし、柱を器用に登ったり降りたりしながら、必死に外へ出られるような場所を探しているようでした。あまりに必死なので、無双窓を開いて逃がしてやりました。

翌日老師にそのことを話すと、ニホンリスはこの辺りでも滅多に見ないということでした。
かつてヤマネも禅堂の中に迷い込んできたことがあるそうです。ヤマネも禪堂の柱を器用にするすると登っていったそうです。

去年のお盆、その時は摂心はなく、夜一人で禪堂で坐っていて、何やら音がするなと思っていると、鮮やかな緑色をした、とても大きくて非常に美しい、スマートなフォルムをしたモリアオガエルが、ペタン、ペタンと禪堂の中へ何処からか入り込んで来たのでした。

以前から井守が水の中で尾を揺らして泳ぐ姿や、蛙の表情や佇まいは、本当に存在に寛いでいるかのようだと、感嘆する思いで眺めていたので、大きく美しいモリアオガエルが禪堂に入って来た時は、ここでは蛙もまた法を求めて坐りに来るのか、と愉快な気持ちがしたものでした。

翌日、5月8日が当地における月遅れの灌仏会の日ということで、早朝、二炷坐った後、竹竿の先に花束を付けて、庭先に天高く掲げました。

それから粥座を頂いた後は、冬の間使わなかった薪を移動させたり、布団を干したり、建築中だった小屋の骨組みを、これまでの予定より小さくする為に解体したり、摂心中に溜まった諸々の作務を夕方迄手伝いました。

翌日の朝帰られるSさんは、お昼からは坐るのも、辺りを散策するのも自由ということになり、夕刻前までは遠くまで素足で川沿いを歩いたりして、散策を楽しまれていたようでした。

その日の夕方、日が暮れる前に、私も帰路の途に着きました。

普段だと、摂心が終わったその日の内に車で帰ると、車の中では視野の隅々まで意識が行き渡るのを感じ、非常にゆっくりと景色は流れ、体は奇妙なまでに軽く、カーステレオをつけると音が体に沁み込んでいくように感じ、大きく開かれた感覚、坐禪による意識の変化を感じながら帰ったはずですが、今回9日間滞在して、今回の摂心は自分にとって、8日目にして摂心が終わったような、そんな感じがありました。

坐禅で体験したことや、気づきといったものは、日常に戻ると確かにあったはずなのに、夢のようにあったかどうかさえ分からない、掴めないものに感じられる時があります。たしかにそれは通常の認識の作用で掴まえられるようなものではなく、認識の作用が静まっている時に、理解できるものであるように思います。
そうした禪と日常の分離といったものもまた、坐禅を続けていく内に無くなっていくことでしょう。禪は特殊な体験をするためにあるものではなく、ただ当たり前のことが当たり前に理解できるようになる、そのようなものだと思います。

坐禪を続けていく程に、私は禪を知らず、法を知らないと感じます。法、ダルマ、存在の事実は、人間の自意識の一切の介在を許さない、と老師は言いますが、確かに自分というものが掴む事が出来るようなものではないことが分かります。

参禪する動機や理由というものは、言葉としてある程度整理されて自分の中にあったわけですが、最近は自分が何に向かって参じているのか、坐っているのか、それすら分からないような気がすることがあります。それはたしかに自分というものが掴んだり、介在出来るようなものではないからです。


正 師

ですので、正しい指導者の元に参禅するということは、参禅するにあたってまず第一に、何よりも重要なことであると思います。指導者は印可を受けた師家であることが必須でしょう。そうでなければ、やらないほうが無難です。

師家は道案内です。実際に自分の足で道を歩むのは参禪者その人であり、禅を教えるものは何より坐禅そのものです。実際に坐ることの他にありません。
私も数多くの書物の中に真実の影を探しましたが、数千数万の真理に関する書物を読んでも、ただ一炷の坐禅の代わりになるものではないと感じます。


はじめて摂心する人へ

今回の摂心も、坐禅は全くの未経験の方が数名参加されましたが、全くの未経験でも七日間の摂心を坐り抜けないということはありません。本当の禪の味わいを知る為には、やはり最初の三日の峠を過ぎることが必要ですので、初めての方こそ五日間から七日間を坐られると、言葉ではない確かな実感として、禪の持つ意味を感じられると思います。

ここでは、紋切り型な禪のイメージにあるような、坐っていて少しうとうとしただけで警策を打ち据えたり、少しでも作法を間違えたら怒鳴りつけるといったようなことはありません。

私にとっても実際に朽木学道舎へ参禅に赴くまで、禅の敷居というものはとてつもなく高いものでしたが、禪にそうしたイメージが先行し過ぎていることは、残念なことのように思います。実際の参禅の中で感じられてくるものは、もっと全く違ったものです。

参禅される方の問題意識がどのようなものであれ、それこそがその方にとっての取りかえようの無い公案であり、実際に坐る時に、坐禅の中にそのことを持ち込む必要はありませんが、それが内発的な厳しさとなります。

もちろん足の痛みはありますし、普段は直視することのない、自己と直面する厳しさといったものはあります。坐禅は一見すると不合理な行為に見えます。それでもなお求める何かがあって、摂心(接心)に参禅されたなら、そこで得るものは決して少なくないと思います。


現代における禅

世界とは何か。
世界を認識している自分とは何か。
それは二つの異なったものであるのか。
それとも認識の機能が、自己と世界、自己と他者、自己と自然、そして生と死、あるがままのものとあるべきもの、そうした全ての二元性、分離を生み出すものであるのか。
それによって生まれる、個人の内外における対立、葛藤、争い、そして自らの生存を脅かすほどの環境への破壊、搾取の根源的な終息はありうるのか。

言葉による追求、解釈、答えは結局、私に根源的な理解と解決をもたらしませんでした。私は言葉による答えを求めません。

現代において、いまや全人類的に認識されるようになった地球規模の環境の危機といったものもまた、我々個人個人の意識のありようが反映されたものであることは、否定できないものであるように思います。
それは大袈裟過ぎると思われるかもしれません。

しかし、我々自身がそもそもどういった存在なのか、全ての世界に生きる個人個人がそのことを、切実なる感情と共に、根源的に問わざるを得なくなるほど、おそらく人間が引き起こした危機は、人間の意識と身体の内外にわたって、更に露呈していくことだろうと思われます。

その上で、禪が、さらに言えば仏教が本来示していた、この世界のありようの事実、存在の事実に人が目覚めるとは、この現代の世界を生きる我々にとって、どういった意味があるのか、どういった可能性があるのか、宗教の問題としてではなく、問われる時に来ているように思います。

そうした意味で、伝統の軽視はあってはなりませんが、禪もまた、現代に即した言葉で語られる必要があるように思います。

禪だけが、仏教だけが、存在の事実に目覚める唯一の道ということではないことでしょう。気づいていようがいまいが、人もまた存在の事実そのものであり、そこから離れている人というのもありません。
そのことをただ人自身が納得できない故に、坐ることになります。私自身はやはり、日本に生まれたことを感謝するものです。

禪について私のような人間がこのように語ることは、大いに愚かな事なことであり、無意味なことです。
禪や真理といったものに関する知識があるゆえに、それが坐禪の妨げになることもありえます。
実際に坐ることに比すれば、こうした記述は全く無意味です。坐る時はどうか、これまで見聞きしてきた全てを忘れ、開かれて坐ってください。

本来の自己にあなた自身が親しむことが、一番良いことでしょう。それがあなた自身と自身が生きる世界を変えていくことでしょう。こうしたことは、やはり実際に坐ってみないと分からないものです。
長くなりましたが、これで感想を終わりたいと思います。

<おわり> 2008.6.12 K.E

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