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朽木學道舎について

草堂

草堂朽木學道舎は、ダルマサンガの第一禅堂。



朽木學道舎は、ダルマサンガの第一禅堂。

2001年5月に開単した禅堂には、爾来、十数年の間、一年に10回ほど開かれる摂心を中心に、全国各地から年齢や性別、職業など、実に多様な人々が参集され、すでに延べ数百人の方が共に坐禅を行じている。

朽木學道舎を目指してやってくる参禅者は、琵琶湖へと注ぐ安曇川沿いの細い山道を来るしか道はなく、その道は源流沿いに山裾を縫うように続いている。そして安曇川の源流最奥の集落にある學道舎に到着する。

小さなバスに揺られ、源流へと遡行する時間こそが、これから始まる摂心のための大切な導入部なのだ。

確かに、交通の至便な東京や京都などの都会の中に在り、何の苦労もなく気軽に行ける禅堂も、とても有難い存在だ。しかし、遥か中国の唐代の昔から、禅の道場のほとんど全ては、山の奥深い場所にあった。現在にいたるも、京都や鎌倉の街の中にあるお寺が、山などないにも係わらず、寺号とともに山号を持つことからも明らかだ。

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それは、古の精神の探求者でたちが、道場の在るべき土地や空間の力を、熟知していたからに違いない。日本においても、弘法大師空海や伝教大師最澄の頃まではそうであった。

道元禅師もまた、京の都を離れ、理想的な道場の場を、雪深い北陸の山中に求めた。永平寺は、もともと現在の地よりさらに高い大仏山の頂上近くにあったようだが、道元禅師もまた、山や森、その土地の持つ力を感じ取る鋭敏な感覚の持ち主であったろう。

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現在の高野山や比叡山、永平寺は、残念ながらもはや門前の喧騒から自由ではない。
西日本の暖温帯に位置しながら、彼らが自らの修行の「場」として求めたのは、標高の高い山中であった。

そこは冷温帯の夏でも涼しい場所であり、修行のためにはオゾンや気圧の状態が、人間の意識に最も良い影響を及ぼすことを、経験的に把握していたに違いない。

現代社会の喧騒の中に生きる我々は、そうした「場」や空間、山や川、森の持つ力を感じ取る能力を失っている。そうした感覚や感性を取り戻すには、現代ような時代であればこそ、ほんらい在るべき「場」になければならない。

朽木學道舎の中心となる草堂は、背後の山に抱かれるように東を向いて建ち、前を川が流れるという理想的な環境の中に在る。學道舎の草堂を見て「まるで地面から生えたようだ」と言った参禅者人がいたが、茅葺屋根の禅堂は、厚い土壁ろ巨大な梁が舟の竜骨のように巡る高い天井と相まって、旧盆摂心が行われる盛夏でも、ヒンヤリとしてとて涼しい。また、雨が降ってもほとんど音がしない。

禅堂は草堂の山側半分を改築したものであり、定員はほぼ15名ほど。毎回、参加するメンバーが違う在家の禅堂では、一回一回、名前を覚え、独参で充分な時間が取れる限界の人数だ。大きな囲炉裏の回り、無垢の桧を張ったフラットな床の上に、面壁で坐る。

所謂、床より高い位置に坐る「単」はない。それは坐禅以外にも使うという実際的な利便性を考えてのこともあるが、何より坐禅が持つその「大地性」を大切にしたいからだ。

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禅の世界的な学者であった鈴木大拙は、禅の持つ大きな特徴の一つとして、その「大地性」に言及する。確かに、一切を受け入れ、一切を育むと大地は地蔵菩薩の徳に象徴されるように、禅の精神性そのものだ。

坐禅の「坐」という漢字は、土の上に二人の人。ゴータマ・シッダールタが大地にシッカリと根を張ったピッパラ樹の下、大地にドッシリと坐り禅定に入られたのも、インドの暑熱を避けるという実際的な問題はあったろうが、やはり、その大地の持つ力を感じていたに違いない。

直立二足歩行をし、手で自由に火や道具を使い、周囲の環境を改変して行くのが人間の属性だとすれば、足や手を組み、その方向を内側に向け、人間以前の生命存在そのもに帰る、坐禅とはそうした営為だ。

日本に禅が伝えられてから、すでに千年近い歳月が流れた。それにも係わらず、現代に至るまで、日本各地の禅堂のそのほとんどが、いまだ中国宋代の建築様式を踏襲したものだ。そしてその中で行われる提唱や参禅は、いまだ漢文脈を出ることはない。

確かに、唐や宋の禅の黄金時代に産み出された文化や祖録、語録が、それほど素晴らしく優れたものであることは云うまでもないが、そろそろ現代の日本に相応しいものにすべき時ではないだろうか。

朽木學道舎が、雪深い厳しい環境の不便な山奥に位置すること。そしてまた、何らの伝統も権威も格式ももたないことが、否応なくやってくる参禅者を選別する。安易な気持ちの人は来るはずもなく、學道舎に集う学人は押しなべて、深い問題意識と求道心を持つ人ばかりになる。

そうした人たちが参集するダルマサンガの摂心は、真剣そのものであり、少人数とは云え、毎回、充実したものとなる。摂心中は一切の私語が禁じられ、挨拶なども全く必要ない。深い沈黙と静寂の中、ただ、風や川の音、そして鳥や獣、虫達の音が聞こえるだけだ。

また、ダルマサンガはいかなる権威主義とも無縁であり、僧侶も参禅されるが、あくまで在家中心の禅堂である。もちろん、男女は平等であり、入門の先輩後輩の別はあるにせよ、ゆるやかで民主的な関係を旨とする。何よりも修行を中心とし、坐禅・摂心を大切にすらために、最小限の規則があることは云うまでもない。

男性と女性が共に同じ空間で坐るのはもちろん、振鈴や坐禅の開始や終了を告げる鐘も、初参禅の方は別として、男女の別なく順番に打って頂くようにしている。また、お経は初心の方でも戸惑うことのないよう、宗派に偏らない短く重要なものを最小限にしている。

警策(きょうさく)は、師家しか使うことを許されておらず、たまに策励のために打つことがあっても、罰策として使用することはない。全ては、己の問題であり、誰に強制されものではないからだ。

足が痛む場合は静かに合掌し、速やかに組み替えたりすることは許される。半跏趺坐も結跏趺坐も無理な場合は日本座、それでも無理な場合は、椅子を使うことも許されている。

初参禅の方には最低6時間は睡眠を取るように指導しているが、夜坐も許されており、旧参の参禅者のほとんどは、自発的に夜遅くまで坐禅を続ける。

当然のことで言うまでもないことであるが、ダルマサンガでは食事を何よりも大切にしている。摂心中は完全な精進料理。それを漆の応量器で頂く。調理はもちろん、その作法も含め、食事を頂くことが禅の修行そのものであるから。

お米は、地元の知人が丹精込めて作って下さる、ほとんど農薬を使わなお米。ブナの森から流れ出る源流域の清冽な水で育まれた美味しいお米を、五分搗きでお出している。調味料も厳選したものを使用し、野菜は前の畑の菜園で収穫したものを中心に、春には山菜、秋は沢山の種類のキノコなど。

ダルマサンガの坐禅は、身心の健康を目的とした「健康坐禅」とは程遠いが、却ってその食事や深い腹式呼吸、朝の真向法やチベット体操などにより、身心の健康と調和を回復するには良い時間となる。

摂心は最終日の正午には終わり、最終日の斎座(昼食)は、いつもカレーが定番だ。肉の入らないピースカレー。このときばかりは私語も許され、その後の茶話会まで、参禅者同士の楽しい会話が花開く。

その後、最後の茶礼を済ませ、参禅者はそれぞれ下山の途につく。急ぎでない人は、自家用車で来られた参禅者のクルマに同乗し、朽木温泉に向かう。ユッタリと湯船に浸かり、摂心の疲れを癒してから家路に着くのも、また格別だ。

 

位置と環境

山居buna

夜座更たけて眠り未だ熟せず

まことに知る弁道は山林に可なることを

渓声耳に入り月眼に到る

この外更に何の用心をかもちいん

ー道元禅師ー

琵琶湖に流入する安曇川の支流、針畑川の源流に位置し、日本海と太平洋の分水嶺にそびえる百里ヶ岳の南西の小さな谷間にあります。(滋賀、福井、京都の三府県の境に近い滋賀県西北部)


標高500メートル近い山間部のため、冬季には2メートルもの積雪があり、典型的な雪国です。気候は暖温帯から冷温帯への移行帯に 属し、そのため付近はブナやミズナラ、トチノキ、アシュウスギなどからなる豊かな森林地帯です。

ツキノワグマ、カモシカ、ニホンジカ、キツネ、テンなどの大型ほ乳類。鳥類ではオシドリ、ヤマセミ、カワガラスなどの渓流の鳥アオ ゲラ、コゲラ、ヤマガラなどの森林の鳥が生息し、夏にはカッコー、ホトトギス、ヨタカなどが渡ってきます。さらには、百里ヶ岳の周 辺にはイヌワシ、クマタカなどの猛禽類が生息しております。



朽木學道舎は背後に山を抱えて東に面して建ち、前には針畑川が南流するという優れた地理的環境に恵まれ、また古代より大陸や朝鮮半 島から若狭へと海を渡って来た人々が、奈良や京都の都へと歩いた古くからの街道のそばにあり、歴史的にも象徴的な場所に位置してお ります。

木々の梢を渡る風や、裏の山裾を流れる水の音。ときおり聞こえる鳥やけものたちの鳴き声。漆黒の闇に煌めく星座。雪の中の静寂。雪 解けとともに始まるめくるめくような春の息吹。夏空に浮かぶ白い雲。ホタルの乱舞。秋の紅葉のシンフォニー。 ここにはほんとうの光と闇、そして静寂があります.
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