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開単のご挨拶

syotenhourin謹啓
學道舎を取りまく山々の残雪もいつのまにか消え、宮沢賢治がその童話の中で仏性の象徴とした辛夷(マグノリア)の清冽な白い花も散り、この朽木學道舎の周辺では山桜が満開となり、梨やスモモの花が一斉に咲きだしました。
付近にはすでにオオルリやツツドリ、サシバなどの夏鳥が渡って来ており、ブナの新緑が目にも鮮やかな季節となりました。

さて、みなさまからの過分のご支援、ご協力を頂きながら、ここ5年ほどの歳月をかけて進めて参りました朽木學道舎が、ようやく開単にまでこぎ着けることができましたので、ここに謹んでご報告申し上げます。

道元禅師の「正法眼蔵」と母の手縫いの座蒲、それに一揃いの宮沢賢治全集を携えて、東京からこの雪深い山奥の過疎地に移り住んで、はや20年(現在で約30年)の歳月が過ぎ去ろうとしております。いまさらながらに光陰の移り変わりの早さに驚くばかりです。

この間、いくたびの愚行を繰り返してまいりましたが、幸いにも素晴らしい法縁に恵まれ、青年時代からの多年にわたる疑念を解決することができました。かつて大陸や朝鮮半島と奈良や京都を結んだ古い道を切り開き、根来坂の峠を越えて若狭の禪道場の摂心に通ったのも、はるか遠い昔のことのような気がします。

このわたくしの20年(現在で約30年)にも満たない短い参禅の間にも、日本も世界もかつてなかったほど大きく変化しました。もう何年も前になりますが、チェコの精神科医の方と摂心で共に坐禅したことがあります。亡命を恐れている政府は家族での出国を許さず、その方は単身で日本海に面した小さな古い港町である小浜に、ダルマを求めてやって来たのでした。

ほかにもポーランドの方やもちろん西側諸国からの多くの外国人も一緒でした。そしてその何年かのちにベルリンの壁は崩壊し、東ヨーロッパの民主革命、ソビエト連邦の解体へと歴史は激動しました。

また別の摂心でイスラエルから来られた若い留学生の方が隣に坐り、その初めての禪体験に深く感動した彼は、摂心の終了後に美しいユダヤ教のカードに「With a Breath」と記し,わたくしに手渡してくれました。

イデオロギーや体制、民族の違いを越えて、多くの人たちと共に禅を行じてきたわけですが、こうしたことが可能であるのもダルマはほんらい普遍的なものであり、禪はそのすべての存在の根源であるダルマ=真の自己を探求するものであるからです。

文字通り戦争と革命の世紀であった20世紀は,同に科学の世紀であり、その外部世界を支配しようとするあくなき欲望の時代であり,その一方で人間の内面世界をかえり見ることを忘却した世紀だったように思います。

もちろんこの日本とて例外では無く、西欧近代の世界観と人間観のもとに、世界の人々が羨むほどの物質的な豊かさを手に入れましたが、わたしたちの生命の基盤である環境は破壊され、精神にまつわるすべての価値が崩壊してしまったかのような観を呈し、社会的な混迷は深まるばかりだと思うのはわたくしだけでありましょうか。

自らの参禅体験を通じて、すべての人に内在する叡知に目覚めることなしに、真の自由と平和が実現されることは在りえず、この世界や人間存在を根底から問い直すことなしに、今日のさまざまな問題を解決することは不可能であると考えます。

こうしたなかにあって仏教、なかんずく禪が果たさなければならない役割の大きさを痛感しております。この決して誰も教えることも、誰に教えてもらうこともできないその叡知を、自ら探求し真の自己に目覚めるための場として、このささやかな朽木學道舎は設立されました。

発心寺専門僧堂師家、原田雪渓老師より「出家するも良し、そのままでも良し、これからは時代に即応して法を伝えていくように」というお言葉を頂いてから學道舎の設立に取り掛かったわけですが、この間は山仕事に従事しながらの、肉体的にも経済的にもたいへん苦しい日々でした。

なんとか開単を迎えることができましたのも、おおくの友人、道友のみなさまのお陰であることは申し上げるまでもありません。ここに改めて、みなさまから寄せられましたご支援、ご厚情に対して深く感謝するとともに、心から御礼申し上げます。

現代の日本の社会にあって、組織や団体の後ろ盾の何もない浅学不徳のわたくしのようなものの試みに、おおくのみなさまからの援助を頂いたことを考える時、釈尊を始めとして国境を越え、時代や社会体制を超えて、この自由と平和の道を伝えてくださった、膨大な数知れぬ人々と、ご指導頂いた幾人かの師や敬愛するアメリカの詩人たち、共に坐ってきた幾多の法友のすべての縁を頂いて、いまこうしてここに坐っていることに、合掌礼拝せずにはいられません。

朽木學道舎は何とか最低限の準備を整え、開単の日を迎えることができましたが、これからは今までにもまして大変だろう覚悟しております。この身体の動く限り法のために働くことで、みなさまのご恩に報いるつもりでおりますが、これからも忌憚の無いご批判、ご指導、ご鞭撻を頂けましたなら幸いです。

最後になりましたが、開単に際しまして、おおくのみなさまよりお祝いを頂きました。拝眉の上でお礼を申し上げねばならないところですが、いまだ山積する仕事に忙殺されております。何とぞご理解のうえ、ご寛恕下さいますよう伏してお願い申し上げます。

2001年5月8日(当地では月遅れの花祭りの日) 朽木學道舎師家  飯高転石 九拝

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摂心と独参について

ekadanpizu独参とは
 

 独参は、坐禪の中で感じたこと、疑問に思った事等を老師に尋ね、正しい工夫が出来ているかどうかを、確認する場所です。分からないことや、疑問を持っていたりすると、坐禅の妨げになります。

  今回、肉親の死という、人間の避けがたい悲しみを抱えて、参禪に来られた方がいたからでしょうか、悩みを抱えていても、坐る時の妨げになりますので、そうした荷物を下ろす意味で、悩みを持たれている方は、独参の場でその荷物を下ろしていってください、と老師は独参の前に話されました。

独参は、今回新しく建てられた独参用の建物で行われました。この独参の建物も、老師と参禪者の手によって基礎の段階から建築したものです。 老師がその独参の建物から鈴を鳴らすと、参禪者が一人ずつ、禅堂の土間においてある鐘を二回叩いて、独参へ向かいます。 独参から戻られた女性の参禪者の方が涙を啜られていました。 参禪者の方も様々な思いを抱えて、参禪されているものと思います。

独参の作法は、入り口で一拝、老師の前で一拝、終わりに一拝、五体倒地で額を床に付けて礼拝します。本来は三拝ずつですが、時間がかかる為一拝ずつということになっています。

独参の室内でのことは、人に話しても、聞いてもいけません。

独参は、摂心の中でも非常に重要なものです。

独参の場でのやりとりは、参禪者一人一人に即したものであり、人によって全く違った指導の方法を取り得るために、独参の室内での話は、自分と他人の独参を比較して坐禪の邪魔にならないように、決して人に話しても、聞いてもいけないことになっていますが、独参の雰囲気については、紹介しても構わないとのことでしたので、ここで少し述べさせていただきます。

老師の前で礼拝を済ませた後、姿勢と呼吸を整え、自分の坐禅の方法、随息観であれば、随息観(数息観に参じていれば、数息観)に参じております、といいます。  独参の場は単なる言葉のやりとりの場ではありません。そこで伝わるのはむしろ言葉ではないものです。

礼拝を済ませ、姿勢と呼吸を整え、目を上げ老師の目を見た途端、空気の密度が変わっていくのを感じます。その空気の密度が、自分の意識に浸透していき、自分の中から言葉が閉め出されていくのを感じます。

独参に向かうにあたって、今日の坐禪で感じたこと、疑問に思ったことを考えていくのですが、坐禪によって定が深まっていると、口を開いてもその空気の密度の中に、言葉が音になる前に消えてしまうように感じます。

頭に言葉があっても、なかなか言葉を出すことが出来ません。非常に時間がかかることがあります。 その空気の密度の前に、言葉、そして言葉を基にした言語認識、思考というものがあまりに表層であり、限界があるかを感じます。かなりの困難を感じながら、自分の坐禪についていくつかのことを述べます。

そのことについて、老師からいくつかの指摘と話があります。 独参は短く終わる時もあれば、長く何も話さないままの時もあります。坐禪が深まってくるほど、その沈黙がいかなるものであるか、伝わってくるものであるように思います。

以上は朽木学道舎摂心会7日間坐禅体験記より

 

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禅の実践

坐禅とは何か?
何故、坐禅しなければならないのか?


*真の自己に目覚める


「この法は人々の分上ゆたかにそなはれりといへども、いまだ修せざるはあらはれず、証せざるにはうことなし。」
「しるべし、たとひ十方無量恒河沙数の諸仏、ともにちからをはげまして、仏智慧をもて、一人坐禅の功徳をはかり、しりきはめんとすといふとも、あへてほとりをうることあらじ。」
ー弁道話ー

日本の禅の現状とその問題点

ほんらい出家して僧侶として生きるとは、職業ではありません。修行して悟りを開くためであったはずです。ですけれども、現代では僧侶であっても、ダルマに何らの関心を抱くことのない方がほとんどです。

その代わりに、社会に普通に暮らしている人たちの中に、深い問題意識を持っている人が大勢いる。つまりは、出家も在家もない、あるのはダルマの探求者、つまり求道者であるか否かということだけです。ここに在家仏教の可能性がありますし、ほんらいの大乗仏教の精神に立ち返る必要があるのです。

ダルマサンガの禅が、無宗派を標榜しながらも道元禅師の教えを中心としているのは、それがきわめて優れた普遍性と世界性、未来を切り開く力になり得る可能性をもっているからに他なりません。

葬式や法事、観光をその活動の中心としている組織仏教としての既製宗門とは、何らの関係はありません。

 

潮音道海禅師(黄檗宗1628 – 1695)の言葉

「二百年この方、日本では祖師方の公案に著語などしたものを集めて、これらの則を数え終わることを破参大悟と称して、これを箱などに収め、一大事因縁として後生大事にしているが、火事などに出くわせば、そんな一大事因縁は直ちに灰と成ってしまう。

この数え参を教える長老の中には、多聞博学の人はいるものの、名利高慢の心に妨げられて、こうした行き方が誤りであると看破するほどの人も無い。その有様はちょうど鳶(とび)や烏が死んだ鼠を取って秘蔵している様なものである。

これは私が悪口で言っているのでは毛頭ない。仏経祖録の中に先徳の戒められるところである。著語などの意味をも一向に了解出来ずに、仮初めに師家にこれはこうと教えられて言い当てておくだけである。

子供がなぞなぞを説く様に覚えるので、自己の本心ははっきりしないままで、公案の数え参が終わった長老の言動も俗人に何ら変わることはない。その上、法慢の為に諸宗を侮り、正法を誹謗する。この故に、二百年以来、禅の燈(ひ)は消えて、正眼の人は一箇半箇もない。

(中略)今どきの数え参を教える智識や長老も、こういう公案の数え参がいつの頃に誰がやり出したかということすら知らず、これを済ますこと無しには修行が済んで出世して長老になることが難しいとばかり思って、そんな修行が一体何の意義があるのかということすら知らない有様である。

私は若年の頃、こうした外道の教えに出会ったが、後になって真正の老師にお逢いして、その非を知ったのである。この様に申すのは、後進の修行者達が同じ様な惑乱を蒙ることを危惧してのことである。道場の看板を掲げて大勢の修行者達を集め、こういう公案の数を数えることを教えて光陰を空しく費やせている人を、果たして智識(立派な老師)と呼ぶべきか、それとも外道と呼ぶべきか」

(「霧海の南針」:『禅門法語集』至言社 下巻所収)。

 

加藤耕山老師の坐禅についての述懐

「もう公案を使うのをやめたらどうか。公案ではどうしても頭で考えることになる。あんたは禅の学者だから言うておくのだ。これからの禅は本当にどうすればよいか研究してもらいたい。」「わしは曹洞宗から出たからか ”只管打坐” が親しい。だが今日の曹洞宗のやり方には反対だ」
「古仏耕山」p16

22歳頃の若き日、耕山老師は、その当時、アメリカ帰りの新進気鋭の鎌倉円覚寺の釈宗演老師に参禅されたことがあるという。その時、宗演老師は新式で、テーブルに椅子で独参を受けられたというが、耕山老師は1週間で見性(最初の公案が透ること)を許されという。

「これがわしの禅の修行を狂わせた。ほかにも拶処(師が弟子の公案の透過を確かめるために出す付随的問題)みたいなものも二つ三つやってみたが、みな自分の考えてできたからな。その自分に、もう疑問を持ったです。入室すれば、公案はどんどん透る。それはゆるいもので、坐禅など短いほうがいいと言って、3年ぐらいでどんどん上げてしまって、後は学問をやれ学問をやれというふうで、学問のできんものは目もかけんというようじゃった。」

 

窪田慈雲老師述懐

2007年8月ドイツミュンヘンの郊外にあるヴァイアン禅堂での接心で、たまたま私の一人の弟子より「伝光録」のある一則についての独参を受けている最中、突然、「不生」の一字が私の脳裏を貫いた。

その瞬間以後、私がこの世に生まれ17歳で参禅を初め、安谷白雲老師の室内を二度踏破し、山田耕雲老師の独自の公案でしぼられたすべての禅体験から脱却して、生まれたことのない(不生)人生を送っているのが常識である仏祖方の国土に一歩足を踏み入れることができた。

爾来「正法眼蔵」は人間界にいる人にとっては歯が立たないが、道元禅師にとってはごく当たり前の常識の世界を説いたものであることがわかるようになった。

「坐禅に活かす「正法眼蔵」」 あとがき

 

 

現代の臨済宗師家の公案禅に対する意見

公案を用いて「無我の自己」を徹見しようとする臨済禅も、ほとんど公案を数えるだけの形骸化したものに堕しているのが現状である。公案禅をこの窮地から救うと共に、我々自身も真の法悦を得るためには、やはり「根本の一心を明らかにする」という原点に戻るべきである。

 
公案禅の問題点
ただ残念ながら、現在の公案禅では、透過すべき公案の数が多過ぎるため、師家が初関を比較的早く許してしまう傾向が見られるようである。中国宋代の名僧、無門慧開禅師や無学祖元禅師ですら、初関の透過に六年も要されたというのに、これは一体どうしたわけであろうか。
それは本来公案が自己の本心を明らかにする手段であるにもかかわらず、それを透過して公案の数を早く数えることが重要と見なされているからであろう。

しかし、それでは肝心のことが疎(おろそ)かになってしまうのではないか。その上、このような仕方で公案を透過したところで、心からの法悦の醍醐味が味わえるはずもなく、その結果、禅修行も充実感や面白味がなくなり、脇道にそれてしまうことになりかねまい。

自我を破産して無我の端的を体認すること無しに公案の数だけを数えていくことによってもたらされるのは、自我の増長に他ならない。こういう対処の仕方で修行者達を指導しようとする師家は、結局弟子に対して本当の親切心がないという意味で、菩提心の欠如を指摘されても止むを得ないであろう。

公案禅をこの窮地から救うと共に、我々自身も真の法悦を得るためには、やはり原点に戻るべきであろう。原点とは「根本の一心を明らかにする」ということである。

「楽道庵」ホームページから

 

 

只管打坐とは

*「仏心は霊明なものゆえ、従前のわがなし来たったほどの影は、写らぬというこおてゃござらぬわいの。そのうつる影にとんじゃくすれば、ついまた迷いをしでかしまするわいの。念は底にあって起こるものではござらぬ。従前見たり聞いたりしたこの縁によって、その見たり聞いたりしたるが、写るというものでござるわいの。

もとより念に実体はありませぬによって、写らばうつるまま、起こらばおこるままに、止めばやむままにて、そのうつる影にとんじゃくさえせねば、迷いはできはしませぬわいの。とんじゃくさえせねば、迷わぬゆえに、何ほど影がうつりても、写らぬと同じことでござるわいの。たとい念が百念千念きざし起こっても、おこらぬと同じことで、少しも妨げにならねば、払う念、断ずる念といいて、一つもありはしませぬわいの。」
ー 盤珪禅師「盤珪かな法語」ー

 

「ただ身をも心をも、はなち忘れて仏のいえに投げ入れて、仏のかたより行われて、これに従いもてゆくとき、ちからおもいれず、心をもついやさずして、生死をはなれ仏となるなり」
ー正法現蔵・生死ー

 

「只管とはタダじゃ。タダとは余物を交えざるの義じゃ。坐禅の時は只だ坐禅すればよい、余物・余念を交えず、只だ坐禅すれば坐禅ばかりとなる。何物もよりつく隙間はない。自己を求むるに 不可得なりとはここじゃ。(中略)活動の時は只だ活動するばかりじゃ。只管活動じゃ。満身活動の時、自己はない。自己なきとき自己ならざるはない。宇宙は活動者の全自己となって現成するを疑わぬ」

ー飯田トウ隠老師ー

 

加藤耕山老師の坐禅についての述懐

96歳で遷化されるその朝まで、参禅者の独参を受けられていたという、生涯に渡って坐禅に生きた耕山老師は、秋月龍民氏に次のように述べられたという。

「公案禅を憂う」

唐の時代はまだ達磨からそう遠くないからな、「只管打坐」でやってきた。宋になると公案禅となって円悟の評とか雪チョウの頌とか、詩的な標語ができよって、あんなふうになってしまった。

それが伝統の型となって今に来ておるが、ますます哲学とか教相のものになっている。禅界で偉い有名な人はみな学者として偉いのじゃが、それでは禅は生きてこん。禅者というものは、そういうものじゃないです。「面壁九年」じゃ。

君とか僕とかいったことではいかん。自分が宇宙万物と一体になってしまわにゃいかん。それには、「只管打坐」の他にはない。わたくしも人に勧められて、ひととおり公案禅をやってきたから、習慣的に学人(修行者)に公案を与えておるが、そうせんと人がついてこんからな。公案はこれを学人に授けて連れてゆくための手段じゃ。」

同上 p101

 

「頓悟と漸悟」

六祖慧能という方は端的な方で、「本来無一物」で、そこへ突っ込んでいらっしゃった。けれども、神秀や何かは「身は是れ菩提樹・・・」とか言うて、それを自然とジリジリ磨きあげていくというふうであった。しかし、そのやりくちが間違っているとは、どうしても言えないね。油断なく進んで、だんだん内のものを出すようにするのがわたくしは自然だと思う。過ちがないだろうと思うな。

むしろ今の時代としては、何でも信仰に密着した方がいいようだね。わたしはだから「まずもって信じろ」とね。わたしどもは本来仏だなんて言ったって、まだ未知の世界ですからね。どういうものが仏である、ということが、ほんとにこれだと言ってみせるわけにいかんからな。

だから、やっぱり、わたしどもが内にそういう性質をもってる者である、尊い者である、ということを、古徳の歴史、先覚者の言葉を信じて、それを納得して、その上で踏み込んで修行するんじゃ。合点するまでやりません、なんて言うていたら、ものの深い所まで合点できる訳はないです。

ある所まではいけても。それは先覚者の言うことを信じて、「ここを掘ったら、必ずここには金が出まする」と専門家が言うたならば、それを強く信じなければ、掘り出すことはできゃせんものね。半信半疑ではいかん。学人には、禅というものに対して、禅をしていればこうなる、いうような、そういう「信」にまず深く立脚して、その上で坐り込ませねばいかん。
そうじゃねえ、臨済も曹洞も似たりよったりのものじゃな、見方がちょっと違うだけじゃ。下からいくか、上からくるか、という違いほどのことだから、どっちゃからいってもいいようなものだが、しかしながら、理解によっては、今の時代では道元禅師の説き方のほうがいいでしょうね。

同上 p132

 

 

 

*坐禅の独習

一日も早く、正師のもとで参禅し、親しく面受して指導を受けることが前提です。身心の健康のためや、体験坐禅はいざ知らず、ダルマを探求しようとする學人が独りで坐禅することは、それが熱心であればあるほど、危険もまた伴うことを自覚すべきです。海図もコンパスも持たずに太平洋に漕ぎ出すに等しいことです。

*正師家に参ずべき事 「参禅学道は正師を求むべき事」「正師にあらざれば参禅せざるにしかず」

「正法に逢う今日の吾等を願ふべし、見ずや佛の言はく、無上菩提を演説する師にあわんには種姓を観ずることなかれ、容顔を見ることなかれ、非を嫌うことなかれ、行いを考ふることなかれ、ただ般若を尊重するが故に、日々三時に礼拝し、恭敬して更に患脳の心を生ぜしむることなかれ云々」

「師との関係は、焚き火のようであれと。近すぎれば火傷をするし、遠すぎれば暖を取れない」

ーチベット仏教の譬えー

「仏法を伝授することは、かならず証契の人をその宗師とすべし。文字をかぞふる学者をもて、その導師とするにたらず、一盲の衆盲をひかんがごとし。いまこの仏祖正伝の門下には、みな得道の哲匠をうやまひて、仏法を住持せしむ。

ー弁道話ー

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