摂心の実際

七日間摂心体験記

2008年朽木學道舎 灌仏会大摂心会(大接心)に参加して はじめに 禅はむやみに厳しいものではない 前 夜 第一日 坐禅を組みっぱなしではない 二日目 三日目 四日目 提唱 坐禅による意識の深化 坐禅の妨げ 独参とは 食事 夜 坐 摂心で修行する意義 五日目、六日目 最終日 摂心終了後 その後 八日目 正 師 はじめて摂心する人へ 現代における禅 はじめに まず、前置きになりますが、この灌仏会大接心の感想は、接心の個人的な体験記であると共に、接心に参加されたことのない方、また坐禪に関心がありながら、禪の敷居の高さに実際に参禅することをためらわれているような方の為に、接心というものが実際にどのよ […]

ある女性の初関透過

*以下の文章は、2010年度「秋分大摂心」に参禅されました40代の女性からのお便りです。 文中にもありますように、都合で摂心4日目に下山されました。それでも、御本人は帰宅されてからも摂心を相続されていたようです。  こうした体験を公表することは、間違えますと他の参禅者の邪魔をすることになりかねないことは、充分に承知しておりますが、既成宗門を中心とした禅が形骸化し、現代の混迷した社会に生きる人たちの自由と解放に繋がっていない状況の中で、ほんらいの禅がもっている素晴らしい可能性について理解して頂くために、御本人の了解のもとに、敢えて公表することにしました。  「初関」を透過しただけでも、長い間抱え […]

ある青年僧の大悟、そしてその後の身心脱落

(※2016.11.6 「Ⅱ.その後」を追記) 私の参禅記 目次 Ⅰ. 学生時代 音楽 僧堂 独りで 飯高転石老師 朽木學道舎 提唱 独参 大多喜學道舎の接心から、その後 最後に この道を歩まれる方へ Ⅱ.その後 転た悟れば転た忘れよ この縁を生きる 夜坐の祈り 身心脱落 帰りつくところ おわりに Ⅰ. 学生時代 「一体なぜ、何のために人は生きるのか」 中学生ぐらいからだろうか、このことが疑問であった。幼少期や青年期に、誰しも一度は感じるような素朴な疑問だろう。大抵の人は、日常に埋没して、この疑問を忘れる。 身近な人が心の闇の中で苦しんでいるのを見ていたためか、いつもどこかに、この不思議な疑問 […]
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