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大乗仏教の原像

大乗仏教の原像

ガンダーラ菩薩像(國學院大學所蔵)
紀元1~2世紀、シルクロードの要衝の地、現在のアフガニスタンとパキスタンに跨る地方で、ヘレニズム文化の影響を受け、菩薩の姿を彫刻することが始まり、仏教史上類のない石造彫刻群が生まれた。

大乗仏教の勃興が在家の仏教徒によって為されたという説を裏付けるかのように、この菩薩像は坐禅中の姿ながら、頭上に宝冠を着け、装身具で身を飾り、左手に宝瓶を下げて立ち、両手で説法印を組む。

勃興

初期の経典に「仏滅後五百年」という言葉があるが、およそ紀元前後の頃、ブッダダルマの衰退に危機感を抱いた少数の異端者たちによって興された「革新ー原点回帰」の運動が、大乗仏教であった。

ゴータマ・ブッダの入滅から100年くらいたった紀元前3世紀頃に行われた仏典結集の会議で、ヴァイシャリーの出家者たちが、戒律に関する10項目について、緩やかにすべきであると主張して対立、保守的な上座部と進歩的な大衆部に分裂した。(これを「根本分裂」と呼ぶ。)

それ以降も、教団は分裂を繰り返し、部派仏教(いわゆる小乗仏教)の時代に入る。
伝統的・保守的な部派では、教義の緻密な体系化という瑣末主義に陥り、しかも、男性の出家者を中心とした厳格な出家主義のもと、隠遁的な僧院仏教という傾向を強め、煩瑣な教理の研究と修行に明け暮れ、遂には民衆と遊離し、ほんらいの生命力を失うに至る。

部派仏教の中でも、カシュミールを中心とした西北インドで勢力を振るっていたのが説一切有部であったが、そこでは保守的・権威主義的な傾向をいっそう強め、在家や女性に対する差別が始まり、説一切有部の論書では、釈尊の言葉に仮託して、「私は人間ではない・・・ブッダである」「私をゴータマと呼ぶものは、激しい苦しみを受けるであろう」とまで語られるようになった。

現代でも同じであるが、組織の力学は教団維持のために働く。ほんらい、出家や在家、男女の別なく仏弟子を意味する「声聞」から在家や女性は排除され、小乗仏教の出家者のみをさす言葉に限定された。ここには、在家に対する出家の優位を図ろうとする意図が、明らかに見え隠れする。

同時に、彼らはブッダを人間からほど遠いものとするとともに、出家者の修行の困難さを強調する。家族を持ち、生業に従事する在家の者には、真の自己に目覚め「ブッダ」になることなど、とうてい及びもつかないものだと。

「歴劫修行」、つまり途方も無いほどのはるかな時間にわたって何度も生まれ変わり、大変な修行を重ね、はじめてブッダに近づくことが可能となる。しかし、近づくことができるだけで「ブッダ」になることはできず、ようやく阿羅漢果に達するのみだと。ましてや在家は、阿羅漢にすらなれないとされた。

紀元前後に興起した大乗仏教は、仏の教えを仏弟子として学ぶだけの小乗仏教の自利の修行に飽き足らず、ブッダと同じく菩薩行を修してブッダの覚りを得ること、人々に対して利他行を貫くことを理想とする、民衆の間から興起した運動であった。

その運動は、当時の形骸化した独善的な仏教のあり方に疑問をもち、ゴータマ・ブッダの教え帰ろうとした人々が、自らもゴータマ・ブッダの覚りを追体験することを目指し、みずから得られた「さとり」をゴータマ・ブッダに託して、大乗仏教経典を製作するところから始まった。おそらく、自ら「ブッダ」になったという自覚と使命感をもった人々が、当時の民衆の中にいたはずだ。そのような真摯な無名のブッダたちが経典を書き、内容的にも洗練深化し、弘めていったのだろう。

彼らは、ゴータマ・ブッダ強く慕い、禅定修行に励んだであろう。そして、同じ悟りの体験を得たはずである。そうすると、時空を超えた普遍のものである「悟り」の智慧は。ゴータマ・ブッダの修行時代から、ゴータマ・ブッダの心の深奥に内在していたことが、明確に知られたはずだ。

仏滅後間もなく、すでに過去七仏が説かれているという。つまり、ゴータマ・ブッダが悟った真理が普遍的なものであるならば、すでに過去にもゴータマ・ブッダと同じ悟りを得て、ブッダになった人があったに相違ないと考え、過去仏が説かれたのだ。

同時にそれはゴータマ・ブッダのみならず、すべての人びとに心の奥にも同様に、悟りの智慧が存在していることが体得される。その智慧は、ゴータマ・ブッダが成就した「悟り」そのものと寸分の違いもないもの。初期大乗仏教の担い手たちは、このことを確証するとともに、あらゆる人びとに伝えようとして、大乗仏典を編み出した。

ただ、ここで注意しなければならないことは、大乗の菩薩たちは、それまでの仏教をすべて否定したのではない。彼らは、自分たちこそがゴータマ・ブッダの真意を体現しているという深い自覚のもと、それまでの教理のことばを換骨奪胎し、新しい経典を創作したということだ。

最初期に成立した大乗経典が、なぜ般若経典群でるのかは、以上のようなことから明らかである。「般若」(はんにゃ,prajñā,プラジュニャー)とは、ゴータマ・ブッダが菩提樹下で悟られた智慧のこと。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、分別的な「智」に対し、諸法の実相である空と相応する無分別の「慧」とされる。

「釈尊の悟りの真実である般若の意味を世間に広めようとしたからです。その理由は、大乗仏教に先立つアビダルマ仏教で般若の真の意味が失われたと考えたからであろうと思います。」

平川 彰「仏教入門」p7

 

そもそも、大乗(Mahā(偉大な) yāna(乗り物))という語は、「般若経」の中にで初めて表れ、摩訶衍(まかえん)と音写される。一般的に大乗仏教の運動は、『般若経』を編纂し、護持した教団が中心となって興起したものと考えられている。

大乗仏教の興起を担ったものがどのような人たちなのか、いまだ定説はないが、わたくしは在家者が中心なり、それに真摯に法を求める少数の出家者が連帯したのではないかと考えている。学者は文献がなければ何も言えないが、例えば、大乗仏教の時代になり作られるようになった仏教彫刻を見れば、それは明らかだ。

今日、菩薩像して伝わっているガンダーラやマートゥーラの菩薩像は、そのほとんど有髪であり、足や腕、耳には装身具をまとっている。当時の有力な在家者をモデルとしたものに違いない。出家の姿をしているのは、わたくしの勉強不足かもしれないが、地蔵菩薩のみだ。今なお、禅堂では智慧を象徴する「文殊菩薩」をお祀りすることになっているが、「僧形文殊菩薩像」というのは、いかにも苦しい。

比較的初期の代表的な大乗経典である華厳経に登場する善財童子は、五十三人の善知識を訪ねて求法の旅を続ける。そこには、さまざまな階級の老若男女が登場する。

 

「一口でいえば、その時代すでに、仏教があらゆる階層の人たちの間に弘まっていたということでしょう。それからもうひとつは、大乗経典が専門の出家者だけでなしに、在家の人たちの中にも修行して深い悟りを得ていた人たちがいたことを示していると思いますね。そうした人たちの中には女性もあれば、階級の低い人もあったんだということでしょう。」
平川彰「大乗仏教」p119-20

 

また、法華経の中に登場する「常不軽菩薩」は、大乗仏教の勃興期に彼らが置かれた状況を現している。初期の菩薩たちは、多くの社会的な迫害や非難を受けたであろうことが想像される。六波羅蜜の中で「忍辱」(耐え忍ぶ)ことが修行の徳目として強調されるのも、そのような背景を抜きにしては考えられない。

 

*大乗仏教における在家の復権

初期仏教において、在家の地位は決して低く見られることはなく、男女はもちろん、出家在家の間にも差別はなかった。大乗仏教は、小乗仏教の時代に低められた在家の地位を復権させるものでもあった。


植木雅俊氏は、このことを最古の経典「スッタニパータ」に遡って検証している。以下、氏の見解を見てみたい。

「最古の経典と言われる「スッタニパータ」の偈(詩)の部分はアショーカ王以前、つまり部派分裂以前にまとめられたものである。そこには、在家を出家と同等に扱った表現がある一方で、在家を低く見る出家優位の考えの萌芽も見られる。

その変化のあらましをたどってみると、詩の中でも古いとされる134偈には、

「目覚めた人(ブッダ)を謗り、あるいはその仏陀の遍歴行者(paribbajam)や在家(gahattham)の弟子(savakam,仏弟子)を謗る人、その人を賤しい人であると知りなさい」

といった釈尊の言葉が見られる。

ここでは、遍歴行者という言葉で示された出家者と、在家者が、ともに等しく「ブッダの教えを聞く人」、すなわち仏弟子と見なされている。仏弟子とは「仏の教えを聞く人」のことで、「声聞」と漢訳された。それは、本来は在家と出家をともに含んでいたのである。

在家者(grhastha)という語は、第90偈にも見られる。その直前の第89偈において、釈尊はます、「ずうずうしくて、傲慢で、しかも偽りをたくらみ、自制心がなく、おしゃべりでありながら、いかにも誓戒を守っているかのごとく、真面目そうに振る舞う出家修行者」のことを「道を汚す者」と述べた上で、第90偈において、

 

「智慧を具えた聖なる弟子である在家者は、彼ら(道を汚す出家者)のことを洞察していて、「彼らは、すべてそのようなものだ」と知っているので、以上のように見ても、その人の信仰がなくなることはないのだ」

 

「道を汚す出家者の言動を見ても少しも紛動されることもなく、自らの信仰を見失うこともない在家者のことを、「智慧を具えた聖なる弟子」と言っていることは注目すべきである。

植木「維摩経」解説 p637

 

では、大乗仏教では「出家」を、どのように考えていたのだろうか。

初期の大乗経典を代表する「維摩経」に、出家のあるべき姿が説かれている。

 

「出家することは無為であり、無為には功徳もなければ称賛もないのだ・・・出家ということは・・・他人を害することがなく、悪い法と混じり合うことのないものであり、外道を打ち破るものであり、言葉によって概念を設定すること(仮名)を超越するものであり、泥沼における橋であり、世間的な執着がなく、我がものという執着を離れていて、受納することがなく、執着を離れていて・・・自分の心を凝視し、他者の心を守っていて、(禅定による)心の静止に随順しており、あらゆる面において非難されるべきではないものである。これが、出家と云われるのだ。このように出家するところの人たち、それらの人たちが立派に出家した人たちなのである。」

 

また、出家することを両親が許してくれないという者に対しては、

「この上ない正しい覚り(阿耨多羅三藐三菩提)に向けて心を発し、修行によって完成するがよい。あなたたちにとって、それこそが出家することであり、それが具足戒を受けることであろう」

これは、それまでの小乗の出家の在り方を根本から覆すものである。それによると、受戒の儀式や、頭を丸め、袈裟を着るという形式よりも、「この上なく正しい完全な覚りに向けて心を発す」ことこそが問われるというのだ。
さらに、維摩居士とゴータマ・ブッダの息子であるラーフラの問答には、

「そうです。きみたちが無上の悟りを求める心を発したなら、それがすなわち出家なのです。それがすなわち戒律を身に受けることなのです。」とある。つまり、出家とは家族や家庭を捨てる、とっいった形式のことではなく、何より菩提心を発することであり、在家であっても出家たり得ることが主張される。

「覚り(bodhi)を得ることが確定しているもの(sattva) という意味で、小乗仏教徒が使っていた「菩薩」(bodhi-sattva)という言葉を換骨奪胎し、「覚りを求める人」と読み替え、出家や在家の区別も性別や階級も関係なく、覚りを求めるものはだれでも菩薩であり、六波羅蜜の修行によれば、すべての菩薩がブッダの智慧を得ることができるとした。

「ブッダ」ほんらいの教えが、少数の特別な集団の独占物から、普遍的なほんらいの「ブッダダルマ」の道へと解放されたのだといっても良いであろう。つまりそれは、ブッダの悟った自由と平和の教えを、自らのみのこととせず、より多くの人々に伝え、共に道を歩もうと決意することに他ならない。

大乗仏教におけるサンガー現前サンガと四方サンガ

大乗仏教では現前サンガは結ばなかった。菩薩ガナは、きわめて枠組みのゆるい開放された集団であった。
組織論として、なぜそのような有りようを撰んだかといえば、それまで小乗のサンガが分裂を繰り返し形骸化していく弊害を見ていたからに違いない。

大乗仏教の菩薩たちは、この根源的宗教共同体の一員として生きることを目指したがゆえに、却って現前サンガを否定したのではないだろうか。

 



仏立像(ガンダーラ、1-2世紀)。東京国立博物館蔵。

錯覚なのかも知れないが、この仏像の右足が少し前に出ているように見える。

立像であることの意味ー大乗仏教。

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仏教の原像

仏教の原像ー「仏法ーブッダ ダルマ」

ブッダガヤの大塔

ブッダガヤの大



「仏教」とは、そもそもいかなるものであるのか。その原像を探ることは、この道を歩もうとするものとっては、避けて通ることのできない問題だ。

日本全国に各宗派の寺院が存在し、書店に行けば仏教書が氾濫している日本社会。
あまりに身近で、情報が有り過ぎることが、かえって「仏教のほんらいとは何か」が分からなくなっているのではないだろうか。

自ら生命を断つ人が年間3万人を超え、鬱病患者は100万人とも200万とも云われる現代の日本社会で、葬式や法事、観光仏教ではない、真に人間の自由や解放を希求する人々にとって、ほんらいの「仏教」を問うことは、何よりも最初になさねば成らないことであろう。

ブッダガヤの金剛座

ブッダガヤの金剛法座



そもそも、われわれが日常的に使う「仏教」という言い方そのものが、正確な表現ではない。言うまでもなく、「仏教」とは、仏の説いた教え」を意味する言葉であり、ほんらいは buddha と dharma の複合語である「仏法」という言葉を用いた。
(その後の中国仏教の歴史的な展開のなかで、後に「仏道」という表現が産まれたのであろう。)

何か「仏教」という表現は新しく、「仏法」は古臭いような印象を受けるせいなのか、今日では「仏法」という言葉は、日常的にほとんど使われない。しかし、本来の「仏教」がいかなるものかを探求する際、このことに自覚的であることは、とても大切なことだ。
そのために、ダルマサンガではサンスクリット読みそのまま「ブッダ ダルマ」という呼称を提唱したい。

 

ブッダダルマ

まず、どんなに強調してもし過ぎることはないであろうことは、仏教のすべての根源が、菩提樹の元でのブッダの悟りの体験にあるということである。「ブッダ」とは「悟った者」(覚者)ということ。ブッダの教えは、すべて彼の悟りに基づくものであって、その目的は、各人をしてこの悟りを成就せしめることに他ならない。自分の外にあって、自己に関係しないようなものは、本来の仏教ではない。

なによりも、ほんらいの仏教はダルマ(法)と、真の自己に目覚めることを重視したのだ。

人間は、自らが生まれてきたときを知ることができない。いわゆる物心がつき、「私はいつの間にかここに生まれていた」という自覚(実は思い込み)を持つにすぎない。「私が」、「いま」、「ここ」にいるとは、如何なることであるのか。それを知らなければ、真の安らぎも生きがいも有り得ないはずである。仏教とは、ひたすら「真の自己」に目覚めることを説いていたのである。

普遍的な真理としての「ダルマ(法)」「あるがままの存在の真実」。その「ダルマ」を自らに体現し、「真の自己」に目覚めることこそが、ブッダダルマの目指したことであった。ほんらいの仏教とは自覚の宗教、つまり「真の自己」の覚知による「無明(一切の迷妄)」と苦しみからの解放であったと云える。

 

坐禅するゴータマ・ブッダ

坐禅するゴータマ・ブッダ



 

言うまでもなく、ゴータマ・ブッダは仏教という特定の宗教を興そうとしたのではないし、ましてや開祖になりたかった訳でもない。ただ、人間で在る限り、避けることのできない根源的な苦しみ(生老病死)から解放される道を指し示し、わたしたち一人ひとりが彼と同じ道を歩んで目覚め、ブッダになることを願っただけなのだ。後世の人々によって、宗教としての仏教はつくりあげられ、その後、現代にいたるまで壮大な歴史が展開されてきたが、「ブッダダルマ」は、われわれ自身が、われわれ自身の内に見出し、歩んで行くもの。

わたくしたちと同じ、独りの迷える人間であったゴータマ・シッダールタ。彼が禅定によって悟りを開き、目覚めた人となり、そのブッダによって説かれた真理としてのその「ダルマ」は、人種や年齢、社会的な地位や男女を問わず、全ての人に開かれたものであり、それを覚れば、誰でもブッダ、すなわち「目覚めた人」(覚者)となることができるものである。

であればこそ、ゴータマ・ブッダの伝道の革新性も理解できるというものである。彼の45年に及ぶそれは、ダルマを説く相手を限定せず、教えを説くにあたり、その対象をすべての人びと、あまねく人びとに拡げた。それは、当時のバラモン教を中心とする社会の中にあって、従来の修行者や聖人には有り得ないことである。このカーストの否定に繋がる彼の教えは、当時の一般の人びとにとってはまさに革命的なことであったに違いない。

もちろん、ゴータマ・ブッダの革新性は、その伝道だけにあるのではない。当時のインドにおける修行者の多くが、自らの身体を痛めつける極端な苦行よって悟りを開こうとしたのに対し、苦行からも、また反対の快楽原理にもとづく世俗生活からも離れたところにこそ、輪廻から解脱にいたる道があることを見出したことである。断食をやめ、少女の差し出す乳粥を食するということは、探求者の仲間からは堕落の謗りを免れない象徴的な行為であり、これは「苦行」によってのみ「叡智」が開かれるのだという、従来の考え方への挑戦である。

ゴータマ・ブッダが、その生涯の最後に鍛冶工チェンダの招きに応じて法を説くという、「大パリニッバーナ経」(ブッダ最後の旅)の逸話と、悟りを開く機縁となった村の娘スジャータの乳粥の供養が、そのことを象徴的には表している。

何に目覚めるかと云えば、ダルマである。ダルマはとは、語源的には「支える」という意味の動詞、ドゥフリの名詞形で、「支えるもの」という意味だそうである。この宇宙のすべての存在を、その存在たらしめるもの。つまり、人間としての真理(法)、真の自己に目覚めるという意味である。であるからダルマに目覚めた人は、真の自己に目覚めた人、ブッダなのである。
それが原始仏教において、歴史的実在の人物としてのゴータマ・ブッダが説いた基本的な内容だった。

 

「真理はただ一つである。第二のものはない。それを感得したものは、争うことはない。」

                        ー「スッタニ・パータ」ー

つまり、ゴータマ・ブッダの仏教とは、宗教的絶対者であるブッダに帰依し、礼拝するという教えではなく、すべての人がブッダになるための教えなのである。

初期仏教の経典である「サンユッタ・ニカーヤ(神々との対話)」には、次のような定型句がよく出てくる。ゴータマ・ブッダの教えを聞き、自らブッダダルマの道を歩んだ弟子たちが目覚める場面には、必ず出てくる文言である。

「素晴らしい。君、ゴータマさんよ。あたかも、君、ゴータマさんよ、倒れたものを起こすように、あるいは覆われたものを開いてやるように、あるいは[道に]迷ったものに道を示すように、あるいは暗闇に油の燈し火をかかげて眼ある人が色やかたちを見るように、そのように君、ゴータマさんはいろいろな手立てによってダルマ(真理)を明らかにされました。」

 

つまり、仏教は「道を求める者に」に正しい方角を指し示すものであり、その道を歩むのは本人である、という大前提があるということだ。また、仏教は暗闇の中で燈火を掲げるようなものだと言っているが、後の漢訳仏典における「自灯明 法灯明」という表現に引き継がれる重要な文言だ。

近年の仏教学者の研究によれば、ジャイナ教の古い聖典の中には、仏教教団には多数の「目覚めた人」(ブッダ、仏)がいたことが記されていると云う。。つまり、ゴータマ・ブッダが入滅されるまでにも、彼の指し示した道に従ったものたちが悟りを開き、ゴータマ・ブッダと同じ境地に達した多くの人々がいたのだ。後にゴータマ・ブッダだけを指す一種の固有名詞になる「ブッダ」という語は、もともと普通名詞だったという。

また、ここで注意すべきは、弟子たちが「人間であるところの完全に目覚めた人(仏陀)」である釈尊に「君」、「ゴータマさんよ」と気軽に呼びかけていたことである。原始仏典では、釈尊自身もまた自らを人々のための「善き友人」(善知識)であると自認していたし、権威主義的なところは、微塵もなかった。

 

「アーナンダよ、修行僧の集団は、このうえ何をわたしに期待するのか。わたしは裏表なく教え(ダンマ)を説いた。如来(ゴータマ・ブッダ)の教えには、(出し惜しみしたり隠したりするような)教師の握り拳はない。・・・そのようであるから、如来は、わたしは修行僧の集団を統率しているとか、修行僧の集団はわたしの指示に頼ることがない。」

ー「ディーガ・ニカーヤ」ー

ところが、ゴータマ・ブッダの入滅後の歴史的な展開の中で、阿羅漢にはなれるが仏にはなれないという考え方が定着し、次第に釈尊の言葉は「私は人間ではない。仏陀である」と書き換えられて行く。自分たちを権威づけるための、ゴータマ・ブッダの神格化であり、ほんらいの仏教の容認し難いの変質の第一歩である。

 

自帰依と法帰依

すでに述べたように、ブッダダルマとは、「真の自己」と「法」を根本とする生き方である。後に漢訳仏典の中で「自燈明 法灯明」として知られる「仏法ーブッダダルマ」の原点は、原始仏教の教典には次のように記されている。

 

「それ故にアーナンダよ、」この世において自己という島に住せよ。自己という帰依処は真の帰依処である。法という島に[住せよ]、法という帰依処は真の帰依処である。

ー「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ」ー

ゴータマ・ブッダの入滅間近、ブッダ亡き後、だれ(何)を頼りとすればよいのかと不安をいだくアーナンダに対し、遺言として説かれたもの。これは教えや他者の人格に依存しようとすることを戒めたものであり、自立した一人の人間として、他者に迎合したり、隷属することなく、自由と平和のうちに生きることを教えたものだ。

自らのダルマ(法)に目覚め、それを拠り所とするところに、一人の人間としての自立と尊厳が自覚される。それが「仏法ーブッダダルマ」の目指したものであり、「ブッダ」という言葉が「目覚めた(人)」という意味であることも、このことを示している。すなわち「ダルマ(真理)に目覚めた人」は、同時に「真の自己に目覚めた人」のことである。

後の中国仏教の歴史的な展開の中で、宋代に編まれた実践的な禅の公案集「無門関」のなかに、このアーナンダとマハー・カッシャパが登場する「迦葉刹竿」(第22則)があるが、この「一大事」は、禅の伝統の中に真っ直ぐに継承されている。

 

無我と非我

仏教は、パーリ語ではアナッタン、サンスクリット語のアナートマンを説いたと云われる。これが漢訳仏典では「無我」、すなわち「我が無い」と訳された。ここから仏教は、自己を否定するものという誤解が産まれた。原始仏典では、「自己に目覚めよ」という言葉が多く使わえるが、「我」も「自己」も、アートマンの訳語であるという。これに否定を意味する接頭辞anを付けたのがアナートマンであり、否定の接頭辞を「無」と捉え「無我」と訳されたところから誤解が生じた。これは、ほんらい「非我」と(何かが我なのではない)と訳されるべきものであるり、何か実体的なものを自己として想定し、それに執着することを戒めたものである。

何か特定の宗教的なドグマや人格に執着した「自己」ではなく、「ダルマに則って生きる自己」に目覚めるのが、ほんらいの仏教であつた。その自己は、ダルマに則っているが故に「真の自己」なのである。

 

「ヴァッカリよ、実に法を見るものは私を見る。私を見るものは法を見る。ヴァッカリよ、実に法を見ながら私を見るのであって、私を見ながら法を見るのである。
                       ー「サンユッタ・二カーヤ」ー

 

ブッダを見るとはいうことは、特別な人格としてのブッダではなく、ダルマそのものとしてのブッダを見ることであり、そのダルマも観念的・抽象的なものではなく、生きたブッダの人格として具現されているのである。
しかも、ダルマはブッダ一人だけに開かれているのではなく、すべての人に平等に開かれている。ダルマに目覚め、自ら体現すれば、だれでもブッダ、すなわち目覚めた人であるということだ。

後の代表的な大乗仏教のお経である涅槃経と維摩経には、「依法不依人」すなわち、「法に依って人に依らざれ」と、このことが表現されている。つまり「自らのダルマに目覚める」ということは、「真の自己」に目覚めることだといっても同じことである。単なる「自己」ではなく、普遍的真理であるダルマとしての「自己」という意味で、「真の自己」なのだ。

 

 

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