仏教の原像ー「仏法ーブッダ ダルマ」
「仏教」とは、そもそもいかなるものであるのか。その原像を探ることは、この道を歩もうとするものとっては、避けて通ることのできない問題だ。
日本全国に各宗派の寺院が存在し、書店に行けば仏教書が氾濫している日本社会。
あまりに身近で、情報が有り過ぎることが、かえって「仏教のほんらいとは何か」が分からなくなっているのではないだろうか。
自ら生命を断つ人が年間3万人を超え、鬱病患者は100万人とも200万とも云われる現代の日本社会で、葬式や法事、観光仏教ではない、真に人間の自由や解放を希求する人々にとって、ほんらいの「仏教」を問うことは、何よりも最初になさねば成らないことであろう。
そもそも、われわれが日常的に使う「仏教」という言い方そのものが、正確な表現ではない。言うまでもなく、「仏教」とは、仏の説いた教え」を意味する言葉であり、ほんらいは buddha と dharma の複合語である「仏法」という言葉を用いた。
(その後の中国仏教の歴史的な展開のなかで、後に「仏道」という表現が産まれたのであろう。)
何か「仏教」という表現は新しく、「仏法」は古臭いような印象を受けるせいなのか、今日では「仏法」という言葉は、日常的にほとんど使われない。しかし、本来の「仏教」がいかなるものかを探求する際、このことに自覚的であることは、とても大切なことだ。
そのために、ダルマサンガではサンスクリット読みそのまま「ブッダ ダルマ」という呼称を提唱したい。
ブッダダルマ
まず、どんなに強調してもし過ぎることはないであろうことは、仏教のすべての根源が、菩提樹の元でのブッダの悟りの体験にあるということである。「ブッダ」とは「悟った者」(覚者)ということ。ブッダの教えは、すべて彼の悟りに基づくものであって、その目的は、各人をしてこの悟りを成就せしめることに他ならない。自分の外にあって、自己に関係しないようなものは、本来の仏教ではない。
なによりも、ほんらいの仏教はダルマ(法)と、真の自己に目覚めることを重視したのだ。
人間は、自らが生まれてきたときを知ることができない。いわゆる物心がつき、「私はいつの間にかここに生まれていた」という自覚(実は思い込み)を持つにすぎない。「私が」、「いま」、「ここ」にいるとは、如何なることであるのか。それを知らなければ、真の安らぎも生きがいも有り得ないはずである。仏教とは、ひたすら「真の自己」に目覚めることを説いていたのである。
普遍的な真理としての「ダルマ(法)」「あるがままの存在の真実」。その「ダルマ」を自らに体現し、「真の自己」に目覚めることこそが、ブッダダルマの目指したことであった。ほんらいの仏教とは自覚の宗教、つまり「真の自己」の覚知による「無明(一切の迷妄)」と苦しみからの解放であったと云える。
言うまでもなく、ゴータマ・ブッダは仏教という特定の宗教を興そうとしたのではないし、ましてや開祖になりたかった訳でもない。ただ、人間で在る限り、避けることのできない根源的な苦しみ(生老病死)から解放される道を指し示し、わたしたち一人ひとりが彼と同じ道を歩んで目覚め、ブッダになることを願っただけなのだ。後世の人々によって、宗教としての仏教はつくりあげられ、その後、現代にいたるまで壮大な歴史が展開されてきたが、「ブッダダルマ」は、われわれ自身が、われわれ自身の内に見出し、歩んで行くもの。
わたくしたちと同じ、独りの迷える人間であったゴータマ・シッダールタ。彼が禅定によって悟りを開き、目覚めた人となり、そのブッダによって説かれた真理としてのその「ダルマ」は、人種や年齢、社会的な地位や男女を問わず、全ての人に開かれたものであり、それを覚れば、誰でもブッダ、すなわち「目覚めた人」(覚者)となることができるものである。
であればこそ、ゴータマ・ブッダの伝道の革新性も理解できるというものである。彼の45年に及ぶそれは、ダルマを説く相手を限定せず、教えを説くにあたり、その対象をすべての人びと、あまねく人びとに拡げた。それは、当時のバラモン教を中心とする社会の中にあって、従来の修行者や聖人には有り得ないことである。このカーストの否定に繋がる彼の教えは、当時の一般の人びとにとってはまさに革命的なことであったに違いない。
もちろん、ゴータマ・ブッダの革新性は、その伝道だけにあるのではない。当時のインドにおける修行者の多くが、自らの身体を痛めつける極端な苦行よって悟りを開こうとしたのに対し、苦行からも、また反対の快楽原理にもとづく世俗生活からも離れたところにこそ、輪廻から解脱にいたる道があることを見出したことである。断食をやめ、少女の差し出す乳粥を食するということは、探求者の仲間からは堕落の謗りを免れない象徴的な行為であり、これは「苦行」によってのみ「叡智」が開かれるのだという、従来の考え方への挑戦である。
ゴータマ・ブッダが、その生涯の最後に鍛冶工チェンダの招きに応じて法を説くという、「大パリニッバーナ経」(ブッダ最後の旅)の逸話と、悟りを開く機縁となった村の娘スジャータの乳粥の供養が、そのことを象徴的には表している。
何に目覚めるかと云えば、ダルマである。ダルマはとは、語源的には「支える」という意味の動詞、ドゥフリの名詞形で、「支えるもの」という意味だそうである。この宇宙のすべての存在を、その存在たらしめるもの。つまり、人間としての真理(法)、真の自己に目覚めるという意味である。であるからダルマに目覚めた人は、真の自己に目覚めた人、ブッダなのである。
それが原始仏教において、歴史的実在の人物としてのゴータマ・ブッダが説いた基本的な内容だった。
「真理はただ一つである。第二のものはない。それを感得したものは、争うことはない。」
ー「スッタニ・パータ」ー
つまり、ゴータマ・ブッダの仏教とは、宗教的絶対者であるブッダに帰依し、礼拝するという教えではなく、すべての人がブッダになるための教えなのである。
初期仏教の経典である「サンユッタ・ニカーヤ(神々との対話)」には、次のような定型句がよく出てくる。ゴータマ・ブッダの教えを聞き、自らブッダダルマの道を歩んだ弟子たちが目覚める場面には、必ず出てくる文言である。
「素晴らしい。君、ゴータマさんよ。あたかも、君、ゴータマさんよ、倒れたものを起こすように、あるいは覆われたものを開いてやるように、あるいは[道に]迷ったものに道を示すように、あるいは暗闇に油の燈し火をかかげて眼ある人が色やかたちを見るように、そのように君、ゴータマさんはいろいろな手立てによってダルマ(真理)を明らかにされました。」
つまり、仏教は「道を求める者に」に正しい方角を指し示すものであり、その道を歩むのは本人である、という大前提があるということだ。また、仏教は暗闇の中で燈火を掲げるようなものだと言っているが、後の漢訳仏典における「自灯明 法灯明」という表現に引き継がれる重要な文言だ。
近年の仏教学者の研究によれば、ジャイナ教の古い聖典の中には、仏教教団には多数の「目覚めた人」(ブッダ、仏)がいたことが記されていると云う。。つまり、ゴータマ・ブッダが入滅されるまでにも、彼の指し示した道に従ったものたちが悟りを開き、ゴータマ・ブッダと同じ境地に達した多くの人々がいたのだ。後にゴータマ・ブッダだけを指す一種の固有名詞になる「ブッダ」という語は、もともと普通名詞だったという。
また、ここで注意すべきは、弟子たちが「人間であるところの完全に目覚めた人(仏陀)」である釈尊に「君」、「ゴータマさんよ」と気軽に呼びかけていたことである。原始仏典では、釈尊自身もまた自らを人々のための「善き友人」(善知識)であると自認していたし、権威主義的なところは、微塵もなかった。
「アーナンダよ、修行僧の集団は、このうえ何をわたしに期待するのか。わたしは裏表なく教え(ダンマ)を説いた。如来(ゴータマ・ブッダ)の教えには、(出し惜しみしたり隠したりするような)教師の握り拳はない。・・・そのようであるから、如来は、わたしは修行僧の集団を統率しているとか、修行僧の集団はわたしの指示に頼ることがない。」
ー「ディーガ・ニカーヤ」ー
ところが、ゴータマ・ブッダの入滅後の歴史的な展開の中で、阿羅漢にはなれるが仏にはなれないという考え方が定着し、次第に釈尊の言葉は「私は人間ではない。仏陀である」と書き換えられて行く。自分たちを権威づけるための、ゴータマ・ブッダの神格化であり、ほんらいの仏教の容認し難いの変質の第一歩である。
自帰依と法帰依
すでに述べたように、ブッダダルマとは、「真の自己」と「法」を根本とする生き方である。後に漢訳仏典の中で「自燈明 法灯明」として知られる「仏法ーブッダダルマ」の原点は、原始仏教の教典には次のように記されている。
「それ故にアーナンダよ、」この世において自己という島に住せよ。自己という帰依処は真の帰依処である。法という島に[住せよ]、法という帰依処は真の帰依処である。
ー「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ」ー
ゴータマ・ブッダの入滅間近、ブッダ亡き後、だれ(何)を頼りとすればよいのかと不安をいだくアーナンダに対し、遺言として説かれたもの。これは教えや他者の人格に依存しようとすることを戒めたものであり、自立した一人の人間として、他者に迎合したり、隷属することなく、自由と平和のうちに生きることを教えたものだ。
自らのダルマ(法)に目覚め、それを拠り所とするところに、一人の人間としての自立と尊厳が自覚される。それが「仏法ーブッダダルマ」の目指したものであり、「ブッダ」という言葉が「目覚めた(人)」という意味であることも、このことを示している。すなわち「ダルマ(真理)に目覚めた人」は、同時に「真の自己に目覚めた人」のことである。
後の中国仏教の歴史的な展開の中で、宋代に編まれた実践的な禅の公案集「無門関」のなかに、このアーナンダとマハー・カッシャパが登場する「迦葉刹竿」(第22則)があるが、この「一大事」は、禅の伝統の中に真っ直ぐに継承されている。
無我と非我
仏教は、パーリ語ではアナッタン、サンスクリット語のアナートマンを説いたと云われる。これが漢訳仏典では「無我」、すなわち「我が無い」と訳された。ここから仏教は、自己を否定するものという誤解が産まれた。原始仏典では、「自己に目覚めよ」という言葉が多く使わえるが、「我」も「自己」も、アートマンの訳語であるという。これに否定を意味する接頭辞anを付けたのがアナートマンであり、否定の接頭辞を「無」と捉え「無我」と訳されたところから誤解が生じた。これは、ほんらい「非我」と(何かが我なのではない)と訳されるべきものであるり、何か実体的なものを自己として想定し、それに執着することを戒めたものである。
何か特定の宗教的なドグマや人格に執着した「自己」ではなく、「ダルマに則って生きる自己」に目覚めるのが、ほんらいの仏教であつた。その自己は、ダルマに則っているが故に「真の自己」なのである。
「ヴァッカリよ、実に法を見るものは私を見る。私を見るものは法を見る。ヴァッカリよ、実に法を見ながら私を見るのであって、私を見ながら法を見るのである。
ー「サンユッタ・二カーヤ」ー
ブッダを見るとはいうことは、特別な人格としてのブッダではなく、ダルマそのものとしてのブッダを見ることであり、そのダルマも観念的・抽象的なものではなく、生きたブッダの人格として具現されているのである。
しかも、ダルマはブッダ一人だけに開かれているのではなく、すべての人に平等に開かれている。ダルマに目覚め、自ら体現すれば、だれでもブッダ、すなわち目覚めた人であるということだ。
後の代表的な大乗仏教のお経である涅槃経と維摩経には、「依法不依人」すなわち、「法に依って人に依らざれ」と、このことが表現されている。つまり「自らのダルマに目覚める」ということは、「真の自己」に目覚めることだといっても同じことである。単なる「自己」ではなく、普遍的真理であるダルマとしての「自己」という意味で、「真の自己」なのだ。