摂心の日課と諸注意

摂心(接心)の日課

夏時間(春分の日から、秋分の日まで。それ以降は5時振鈴)
(独参は夜、最終日は午前中にあります)
午前
04:00 振鈴(起床)  ※個人的に振鈴前のアラームはかけないこと。歯磨き等は粥座後に。
04:20 坐禅 (4時起床でゆっくり間に合います)
05:00 抽解(経行はありません)
05:20 坐禅
06:00 随座
06:15 粥座(朝食)

08:20 坐禅
09:00 経行(きんひん)・抽解
09:20 坐禅
10:00 経行・抽解
10:20 坐禅、提唱
11:00 随座
11:30 斎座(昼食)

午後
13:20 坐禅
14:00 経行・抽解
14:20 坐禅
15:00 経行・抽解
15:20 坐禅
16:00 随座
16:30 薬石(夕食)

18:20 坐禅
19:00 経行・抽解
19:20 坐禅
20:00 経行・抽解
20:20 坐禅、独参(初日・中日・最終日(午前中)は総参)
20:50 四弘誓願文(独参のためかなりずれ込みます)
21:00 随座(独参が長引くと時間がずれ込みます)
22:00 開枕(就寝)
これより以降は夜座自由にできます

7日間接心・坐禅体験記こちら

以下、學道舎ダルマサンガから

相見香(しょうけんこう)について

独参者は参禅を始める前の、面談時に相見香を用意する必要があります。相見(しょうけん)とは相(あい)見(まみ)えるつまり師匠と弟子が対面するということです。

お稽古事でも入門時に師匠に対して入門料である束脩(修)そくしゅう を渡します。

師の門に入って弟子となることを入門といい、おけいこごと、道場に入るときには入門料を支払うのが一般的です。束脩(そくしゅう)・御膝付もこの入門料と同じ意味で使われています。束脩とは、束ねた脩、即ち乾肉を中国の古代、初めて入門するとき手軽なおくりものとして持参したことによります。

同様に生死の大問題を指導していただく師家に対して相見香を供えます。昔は白扇と共に差し出しましたが、今は白扇はともかく相見香料として金一封を包みます。

金額の目安は、通常友人などの家を訪ねるときのお土産の額と同じではないだろうということからご判断ください。師弟の間のご挨拶・入門である気持ちを込めればよいと思います。収入・志しに合わせた金額でよいです。しょうけんこうは、その師家に対してはじめて相見するときの1回のみでよろしいです。

相見香は面談時に直接差し出すので差し出す方向について間違いはないでしょうが、ついでにいえば、寺院などにお布施をお供えするときは、字を自分から読めるように置くのではなくて、ご本尊様やご開山から見える方向に置きます。名刺を相手に渡す場合と同じです。

接心中・道場での食事中の作法

 お椀を扱う音、食べる音を一切立てず、また言葉も使いません。お椀を扱う音というのは、展鉢の時にお椀とお椀とが触れ合ってカチャカチャと音を立てないとこともですが、食事の最中にお椀をテープル、框に置く音を立てないということでもあります。
 ご飯やおかずをムシャムシャと食べる音、汁をすする音、香の物(タクワンが出ます)をかむ音もたてません。ただし、麺類が出た時は思いっきり音を立てて良いと言う面白い風習があります。
 お代わりがほしい場合、
曹洞宗では、箸を汁椀の上に斜めにして置く(飯がほしい場合)、菜椀の上に斜めにして置き(汁がほしい場合)、合掌して待ちます。
臨済宗では、食事でお代わりがほしい場合は、飯台看が回ってくる前から合掌して待ちます。当然飯櫃を持ってやってきた場合は、飯を盛ってくれますので、状況を見て判断します。
 飯や汁の量を示す方法:
臨済宗の飯台看や曹洞宗の浄人がまわってきて、飯椀や汁椀を手渡してから、
最初から両手の平をすると「少しだけ盛ってください」ということになります。
急速に手の平をすると「ほんの少しだけでよいです」の意味になります。

 浄人や飯台看が1回ついでくれて次によそおうとする前に、手をすると「あとは少しだけ」という意味になりますが、何もしなければ、平均的な量となります。ちょうどそれでよいという量が盛られたら、両手のひらを「シュッ」と切るような音ですり合わせると、「それでよいです」という意味です。

 最後にお湯が回りますが、これは椀をすべてお漬物で洗うためのものです。ですので当然香の物を一切れ残しておきます。両手で飯椀を持って、そこに浄人からお湯をもらいますが、ちょうどほしい分量だけ入ったら、右手の平を返してひょいと数センチ上に上げます。「その量でよいです」という意味です。

 その合図をしなかったら、どんどんお湯が入れられ、お椀からあふれても注ぎ続けられたという嘘のような実話があります。
道場では、先輩の修行僧が新米の修行僧によくやるそうです。ちなみに、鉢を全部きれいに香の物で洗いますが、臨済宗では、小椀から洗い、曹洞宗では飯椀から洗います。曹洞宗では僧侶は、

 洗う前に、はけのような道具で、食べ物が椀についたものをきれいにぬぐってあります。特におかゆはそのようにしています。洗ったお湯は、全部飲んでしまいません。少し残します。

 
臨済宗では飯椀、曹洞宗では菜椀に残しておき、最後に回ってくる折水器(せっすいき)という取っ手のついた風呂の湯汲のような木の器に入れて捨てます。これはあとで典座(てんぞ。台所係)さんが、餓鬼にやります。

>