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大乗仏教の原像

大乗仏教の原像

ガンダーラ菩薩像(國學院大學所蔵)
紀元1~2世紀、シルクロードの要衝の地、現在のアフガニスタンとパキスタンに跨る地方で、ヘレニズム文化の影響を受け、菩薩の姿を彫刻することが始まり、仏教史上類のない石造彫刻群が生まれた。

大乗仏教の勃興が在家の仏教徒によって為されたという説を裏付けるかのように、この菩薩像は坐禅中の姿ながら、頭上に宝冠を着け、装身具で身を飾り、左手に宝瓶を下げて立ち、両手で説法印を組む。

勃興

初期の経典に「仏滅後五百年」という言葉があるが、およそ紀元前後の頃、ブッダダルマの衰退に危機感を抱いた少数の異端者たちによって興された「革新ー原点回帰」の運動が、大乗仏教であった。

ゴータマ・ブッダの入滅から100年くらいたった紀元前3世紀頃に行われた仏典結集の会議で、ヴァイシャリーの出家者たちが、戒律に関する10項目について、緩やかにすべきであると主張して対立、保守的な上座部と進歩的な大衆部に分裂した。(これを「根本分裂」と呼ぶ。)

それ以降も、教団は分裂を繰り返し、部派仏教(いわゆる小乗仏教)の時代に入る。
伝統的・保守的な部派では、教義の緻密な体系化という瑣末主義に陥り、しかも、男性の出家者を中心とした厳格な出家主義のもと、隠遁的な僧院仏教という傾向を強め、煩瑣な教理の研究と修行に明け暮れ、遂には民衆と遊離し、ほんらいの生命力を失うに至る。

部派仏教の中でも、カシュミールを中心とした西北インドで勢力を振るっていたのが説一切有部であったが、そこでは保守的・権威主義的な傾向をいっそう強め、在家や女性に対する差別が始まり、説一切有部の論書では、釈尊の言葉に仮託して、「私は人間ではない・・・ブッダである」「私をゴータマと呼ぶものは、激しい苦しみを受けるであろう」とまで語られるようになった。

現代でも同じであるが、組織の力学は教団維持のために働く。ほんらい、出家や在家、男女の別なく仏弟子を意味する「声聞」から在家や女性は排除され、小乗仏教の出家者のみをさす言葉に限定された。ここには、在家に対する出家の優位を図ろうとする意図が、明らかに見え隠れする。

同時に、彼らはブッダを人間からほど遠いものとするとともに、出家者の修行の困難さを強調する。家族を持ち、生業に従事する在家の者には、真の自己に目覚め「ブッダ」になることなど、とうてい及びもつかないものだと。

「歴劫修行」、つまり途方も無いほどのはるかな時間にわたって何度も生まれ変わり、大変な修行を重ね、はじめてブッダに近づくことが可能となる。しかし、近づくことができるだけで「ブッダ」になることはできず、ようやく阿羅漢果に達するのみだと。ましてや在家は、阿羅漢にすらなれないとされた。

紀元前後に興起した大乗仏教は、仏の教えを仏弟子として学ぶだけの小乗仏教の自利の修行に飽き足らず、ブッダと同じく菩薩行を修してブッダの覚りを得ること、人々に対して利他行を貫くことを理想とする、民衆の間から興起した運動であった。

その運動は、当時の形骸化した独善的な仏教のあり方に疑問をもち、ゴータマ・ブッダの教え帰ろうとした人々が、自らもゴータマ・ブッダの覚りを追体験することを目指し、みずから得られた「さとり」をゴータマ・ブッダに託して、大乗仏教経典を製作するところから始まった。おそらく、自ら「ブッダ」になったという自覚と使命感をもった人々が、当時の民衆の中にいたはずだ。そのような真摯な無名のブッダたちが経典を書き、内容的にも洗練深化し、弘めていったのだろう。

彼らは、ゴータマ・ブッダ強く慕い、禅定修行に励んだであろう。そして、同じ悟りの体験を得たはずである。そうすると、時空を超えた普遍のものである「悟り」の智慧は。ゴータマ・ブッダの修行時代から、ゴータマ・ブッダの心の深奥に内在していたことが、明確に知られたはずだ。

仏滅後間もなく、すでに過去七仏が説かれているという。つまり、ゴータマ・ブッダが悟った真理が普遍的なものであるならば、すでに過去にもゴータマ・ブッダと同じ悟りを得て、ブッダになった人があったに相違ないと考え、過去仏が説かれたのだ。

同時にそれはゴータマ・ブッダのみならず、すべての人びとに心の奥にも同様に、悟りの智慧が存在していることが体得される。その智慧は、ゴータマ・ブッダが成就した「悟り」そのものと寸分の違いもないもの。初期大乗仏教の担い手たちは、このことを確証するとともに、あらゆる人びとに伝えようとして、大乗仏典を編み出した。

ただ、ここで注意しなければならないことは、大乗の菩薩たちは、それまでの仏教をすべて否定したのではない。彼らは、自分たちこそがゴータマ・ブッダの真意を体現しているという深い自覚のもと、それまでの教理のことばを換骨奪胎し、新しい経典を創作したということだ。

最初期に成立した大乗経典が、なぜ般若経典群でるのかは、以上のようなことから明らかである。「般若」(はんにゃ,prajñā,プラジュニャー)とは、ゴータマ・ブッダが菩提樹下で悟られた智慧のこと。ことに、大乗仏教が起こってからは、般若は大乗仏教の特質を示す意味で用いられ、分別的な「智」に対し、諸法の実相である空と相応する無分別の「慧」とされる。

「釈尊の悟りの真実である般若の意味を世間に広めようとしたからです。その理由は、大乗仏教に先立つアビダルマ仏教で般若の真の意味が失われたと考えたからであろうと思います。」

平川 彰「仏教入門」p7

 

そもそも、大乗(Mahā(偉大な) yāna(乗り物))という語は、「般若経」の中にで初めて表れ、摩訶衍(まかえん)と音写される。一般的に大乗仏教の運動は、『般若経』を編纂し、護持した教団が中心となって興起したものと考えられている。

大乗仏教の興起を担ったものがどのような人たちなのか、いまだ定説はないが、わたくしは在家者が中心なり、それに真摯に法を求める少数の出家者が連帯したのではないかと考えている。学者は文献がなければ何も言えないが、例えば、大乗仏教の時代になり作られるようになった仏教彫刻を見れば、それは明らかだ。

今日、菩薩像して伝わっているガンダーラやマートゥーラの菩薩像は、そのほとんど有髪であり、足や腕、耳には装身具をまとっている。当時の有力な在家者をモデルとしたものに違いない。出家の姿をしているのは、わたくしの勉強不足かもしれないが、地蔵菩薩のみだ。今なお、禅堂では智慧を象徴する「文殊菩薩」をお祀りすることになっているが、「僧形文殊菩薩像」というのは、いかにも苦しい。

比較的初期の代表的な大乗経典である華厳経に登場する善財童子は、五十三人の善知識を訪ねて求法の旅を続ける。そこには、さまざまな階級の老若男女が登場する。

 

「一口でいえば、その時代すでに、仏教があらゆる階層の人たちの間に弘まっていたということでしょう。それからもうひとつは、大乗経典が専門の出家者だけでなしに、在家の人たちの中にも修行して深い悟りを得ていた人たちがいたことを示していると思いますね。そうした人たちの中には女性もあれば、階級の低い人もあったんだということでしょう。」
平川彰「大乗仏教」p119-20

 

また、法華経の中に登場する「常不軽菩薩」は、大乗仏教の勃興期に彼らが置かれた状況を現している。初期の菩薩たちは、多くの社会的な迫害や非難を受けたであろうことが想像される。六波羅蜜の中で「忍辱」(耐え忍ぶ)ことが修行の徳目として強調されるのも、そのような背景を抜きにしては考えられない。

 

*大乗仏教における在家の復権

初期仏教において、在家の地位は決して低く見られることはなく、男女はもちろん、出家在家の間にも差別はなかった。大乗仏教は、小乗仏教の時代に低められた在家の地位を復権させるものでもあった。


植木雅俊氏は、このことを最古の経典「スッタニパータ」に遡って検証している。以下、氏の見解を見てみたい。

「最古の経典と言われる「スッタニパータ」の偈(詩)の部分はアショーカ王以前、つまり部派分裂以前にまとめられたものである。そこには、在家を出家と同等に扱った表現がある一方で、在家を低く見る出家優位の考えの萌芽も見られる。

その変化のあらましをたどってみると、詩の中でも古いとされる134偈には、

「目覚めた人(ブッダ)を謗り、あるいはその仏陀の遍歴行者(paribbajam)や在家(gahattham)の弟子(savakam,仏弟子)を謗る人、その人を賤しい人であると知りなさい」

といった釈尊の言葉が見られる。

ここでは、遍歴行者という言葉で示された出家者と、在家者が、ともに等しく「ブッダの教えを聞く人」、すなわち仏弟子と見なされている。仏弟子とは「仏の教えを聞く人」のことで、「声聞」と漢訳された。それは、本来は在家と出家をともに含んでいたのである。

在家者(grhastha)という語は、第90偈にも見られる。その直前の第89偈において、釈尊はます、「ずうずうしくて、傲慢で、しかも偽りをたくらみ、自制心がなく、おしゃべりでありながら、いかにも誓戒を守っているかのごとく、真面目そうに振る舞う出家修行者」のことを「道を汚す者」と述べた上で、第90偈において、

 

「智慧を具えた聖なる弟子である在家者は、彼ら(道を汚す出家者)のことを洞察していて、「彼らは、すべてそのようなものだ」と知っているので、以上のように見ても、その人の信仰がなくなることはないのだ」

 

「道を汚す出家者の言動を見ても少しも紛動されることもなく、自らの信仰を見失うこともない在家者のことを、「智慧を具えた聖なる弟子」と言っていることは注目すべきである。

植木「維摩経」解説 p637

 

では、大乗仏教では「出家」を、どのように考えていたのだろうか。

初期の大乗経典を代表する「維摩経」に、出家のあるべき姿が説かれている。

 

「出家することは無為であり、無為には功徳もなければ称賛もないのだ・・・出家ということは・・・他人を害することがなく、悪い法と混じり合うことのないものであり、外道を打ち破るものであり、言葉によって概念を設定すること(仮名)を超越するものであり、泥沼における橋であり、世間的な執着がなく、我がものという執着を離れていて、受納することがなく、執着を離れていて・・・自分の心を凝視し、他者の心を守っていて、(禅定による)心の静止に随順しており、あらゆる面において非難されるべきではないものである。これが、出家と云われるのだ。このように出家するところの人たち、それらの人たちが立派に出家した人たちなのである。」

 

また、出家することを両親が許してくれないという者に対しては、

「この上ない正しい覚り(阿耨多羅三藐三菩提)に向けて心を発し、修行によって完成するがよい。あなたたちにとって、それこそが出家することであり、それが具足戒を受けることであろう」

これは、それまでの小乗の出家の在り方を根本から覆すものである。それによると、受戒の儀式や、頭を丸め、袈裟を着るという形式よりも、「この上なく正しい完全な覚りに向けて心を発す」ことこそが問われるというのだ。
さらに、維摩居士とゴータマ・ブッダの息子であるラーフラの問答には、

「そうです。きみたちが無上の悟りを求める心を発したなら、それがすなわち出家なのです。それがすなわち戒律を身に受けることなのです。」とある。つまり、出家とは家族や家庭を捨てる、とっいった形式のことではなく、何より菩提心を発することであり、在家であっても出家たり得ることが主張される。

「覚り(bodhi)を得ることが確定しているもの(sattva) という意味で、小乗仏教徒が使っていた「菩薩」(bodhi-sattva)という言葉を換骨奪胎し、「覚りを求める人」と読み替え、出家や在家の区別も性別や階級も関係なく、覚りを求めるものはだれでも菩薩であり、六波羅蜜の修行によれば、すべての菩薩がブッダの智慧を得ることができるとした。

「ブッダ」ほんらいの教えが、少数の特別な集団の独占物から、普遍的なほんらいの「ブッダダルマ」の道へと解放されたのだといっても良いであろう。つまりそれは、ブッダの悟った自由と平和の教えを、自らのみのこととせず、より多くの人々に伝え、共に道を歩もうと決意することに他ならない。

大乗仏教におけるサンガー現前サンガと四方サンガ

大乗仏教では現前サンガは結ばなかった。菩薩ガナは、きわめて枠組みのゆるい開放された集団であった。
組織論として、なぜそのような有りようを撰んだかといえば、それまで小乗のサンガが分裂を繰り返し形骸化していく弊害を見ていたからに違いない。

大乗仏教の菩薩たちは、この根源的宗教共同体の一員として生きることを目指したがゆえに、却って現前サンガを否定したのではないだろうか。

 



仏立像(ガンダーラ、1-2世紀)。東京国立博物館蔵。

錯覚なのかも知れないが、この仏像の右足が少し前に出ているように見える。

立像であることの意味ー大乗仏教。

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仏教の原像

仏教の原像ー「仏法ーブッダ ダルマ」

ブッダガヤの大塔

ブッダガヤの大



「仏教」とは、そもそもいかなるものであるのか。その原像を探ることは、この道を歩もうとするものとっては、避けて通ることのできない問題だ。

日本全国に各宗派の寺院が存在し、書店に行けば仏教書が氾濫している日本社会。
あまりに身近で、情報が有り過ぎることが、かえって「仏教のほんらいとは何か」が分からなくなっているのではないだろうか。

自ら生命を断つ人が年間3万人を超え、鬱病患者は100万人とも200万とも云われる現代の日本社会で、葬式や法事、観光仏教ではない、真に人間の自由や解放を希求する人々にとって、ほんらいの「仏教」を問うことは、何よりも最初になさねば成らないことであろう。

ブッダガヤの金剛座

ブッダガヤの金剛法座



そもそも、われわれが日常的に使う「仏教」という言い方そのものが、正確な表現ではない。言うまでもなく、「仏教」とは、仏の説いた教え」を意味する言葉であり、ほんらいは buddha と dharma の複合語である「仏法」という言葉を用いた。
(その後の中国仏教の歴史的な展開のなかで、後に「仏道」という表現が産まれたのであろう。)

何か「仏教」という表現は新しく、「仏法」は古臭いような印象を受けるせいなのか、今日では「仏法」という言葉は、日常的にほとんど使われない。しかし、本来の「仏教」がいかなるものかを探求する際、このことに自覚的であることは、とても大切なことだ。
そのために、ダルマサンガではサンスクリット読みそのまま「ブッダ ダルマ」という呼称を提唱したい。

 

ブッダダルマ

まず、どんなに強調してもし過ぎることはないであろうことは、仏教のすべての根源が、菩提樹の元でのブッダの悟りの体験にあるということである。「ブッダ」とは「悟った者」(覚者)ということ。ブッダの教えは、すべて彼の悟りに基づくものであって、その目的は、各人をしてこの悟りを成就せしめることに他ならない。自分の外にあって、自己に関係しないようなものは、本来の仏教ではない。

なによりも、ほんらいの仏教はダルマ(法)と、真の自己に目覚めることを重視したのだ。

人間は、自らが生まれてきたときを知ることができない。いわゆる物心がつき、「私はいつの間にかここに生まれていた」という自覚(実は思い込み)を持つにすぎない。「私が」、「いま」、「ここ」にいるとは、如何なることであるのか。それを知らなければ、真の安らぎも生きがいも有り得ないはずである。仏教とは、ひたすら「真の自己」に目覚めることを説いていたのである。

普遍的な真理としての「ダルマ(法)」「あるがままの存在の真実」。その「ダルマ」を自らに体現し、「真の自己」に目覚めることこそが、ブッダダルマの目指したことであった。ほんらいの仏教とは自覚の宗教、つまり「真の自己」の覚知による「無明(一切の迷妄)」と苦しみからの解放であったと云える。

 

坐禅するゴータマ・ブッダ

坐禅するゴータマ・ブッダ



 

言うまでもなく、ゴータマ・ブッダは仏教という特定の宗教を興そうとしたのではないし、ましてや開祖になりたかった訳でもない。ただ、人間で在る限り、避けることのできない根源的な苦しみ(生老病死)から解放される道を指し示し、わたしたち一人ひとりが彼と同じ道を歩んで目覚め、ブッダになることを願っただけなのだ。後世の人々によって、宗教としての仏教はつくりあげられ、その後、現代にいたるまで壮大な歴史が展開されてきたが、「ブッダダルマ」は、われわれ自身が、われわれ自身の内に見出し、歩んで行くもの。

わたくしたちと同じ、独りの迷える人間であったゴータマ・シッダールタ。彼が禅定によって悟りを開き、目覚めた人となり、そのブッダによって説かれた真理としてのその「ダルマ」は、人種や年齢、社会的な地位や男女を問わず、全ての人に開かれたものであり、それを覚れば、誰でもブッダ、すなわち「目覚めた人」(覚者)となることができるものである。

であればこそ、ゴータマ・ブッダの伝道の革新性も理解できるというものである。彼の45年に及ぶそれは、ダルマを説く相手を限定せず、教えを説くにあたり、その対象をすべての人びと、あまねく人びとに拡げた。それは、当時のバラモン教を中心とする社会の中にあって、従来の修行者や聖人には有り得ないことである。このカーストの否定に繋がる彼の教えは、当時の一般の人びとにとってはまさに革命的なことであったに違いない。

もちろん、ゴータマ・ブッダの革新性は、その伝道だけにあるのではない。当時のインドにおける修行者の多くが、自らの身体を痛めつける極端な苦行よって悟りを開こうとしたのに対し、苦行からも、また反対の快楽原理にもとづく世俗生活からも離れたところにこそ、輪廻から解脱にいたる道があることを見出したことである。断食をやめ、少女の差し出す乳粥を食するということは、探求者の仲間からは堕落の謗りを免れない象徴的な行為であり、これは「苦行」によってのみ「叡智」が開かれるのだという、従来の考え方への挑戦である。

ゴータマ・ブッダが、その生涯の最後に鍛冶工チェンダの招きに応じて法を説くという、「大パリニッバーナ経」(ブッダ最後の旅)の逸話と、悟りを開く機縁となった村の娘スジャータの乳粥の供養が、そのことを象徴的には表している。

何に目覚めるかと云えば、ダルマである。ダルマはとは、語源的には「支える」という意味の動詞、ドゥフリの名詞形で、「支えるもの」という意味だそうである。この宇宙のすべての存在を、その存在たらしめるもの。つまり、人間としての真理(法)、真の自己に目覚めるという意味である。であるからダルマに目覚めた人は、真の自己に目覚めた人、ブッダなのである。
それが原始仏教において、歴史的実在の人物としてのゴータマ・ブッダが説いた基本的な内容だった。

 

「真理はただ一つである。第二のものはない。それを感得したものは、争うことはない。」

                        ー「スッタニ・パータ」ー

つまり、ゴータマ・ブッダの仏教とは、宗教的絶対者であるブッダに帰依し、礼拝するという教えではなく、すべての人がブッダになるための教えなのである。

初期仏教の経典である「サンユッタ・ニカーヤ(神々との対話)」には、次のような定型句がよく出てくる。ゴータマ・ブッダの教えを聞き、自らブッダダルマの道を歩んだ弟子たちが目覚める場面には、必ず出てくる文言である。

「素晴らしい。君、ゴータマさんよ。あたかも、君、ゴータマさんよ、倒れたものを起こすように、あるいは覆われたものを開いてやるように、あるいは[道に]迷ったものに道を示すように、あるいは暗闇に油の燈し火をかかげて眼ある人が色やかたちを見るように、そのように君、ゴータマさんはいろいろな手立てによってダルマ(真理)を明らかにされました。」

 

つまり、仏教は「道を求める者に」に正しい方角を指し示すものであり、その道を歩むのは本人である、という大前提があるということだ。また、仏教は暗闇の中で燈火を掲げるようなものだと言っているが、後の漢訳仏典における「自灯明 法灯明」という表現に引き継がれる重要な文言だ。

近年の仏教学者の研究によれば、ジャイナ教の古い聖典の中には、仏教教団には多数の「目覚めた人」(ブッダ、仏)がいたことが記されていると云う。。つまり、ゴータマ・ブッダが入滅されるまでにも、彼の指し示した道に従ったものたちが悟りを開き、ゴータマ・ブッダと同じ境地に達した多くの人々がいたのだ。後にゴータマ・ブッダだけを指す一種の固有名詞になる「ブッダ」という語は、もともと普通名詞だったという。

また、ここで注意すべきは、弟子たちが「人間であるところの完全に目覚めた人(仏陀)」である釈尊に「君」、「ゴータマさんよ」と気軽に呼びかけていたことである。原始仏典では、釈尊自身もまた自らを人々のための「善き友人」(善知識)であると自認していたし、権威主義的なところは、微塵もなかった。

 

「アーナンダよ、修行僧の集団は、このうえ何をわたしに期待するのか。わたしは裏表なく教え(ダンマ)を説いた。如来(ゴータマ・ブッダ)の教えには、(出し惜しみしたり隠したりするような)教師の握り拳はない。・・・そのようであるから、如来は、わたしは修行僧の集団を統率しているとか、修行僧の集団はわたしの指示に頼ることがない。」

ー「ディーガ・ニカーヤ」ー

ところが、ゴータマ・ブッダの入滅後の歴史的な展開の中で、阿羅漢にはなれるが仏にはなれないという考え方が定着し、次第に釈尊の言葉は「私は人間ではない。仏陀である」と書き換えられて行く。自分たちを権威づけるための、ゴータマ・ブッダの神格化であり、ほんらいの仏教の容認し難いの変質の第一歩である。

 

自帰依と法帰依

すでに述べたように、ブッダダルマとは、「真の自己」と「法」を根本とする生き方である。後に漢訳仏典の中で「自燈明 法灯明」として知られる「仏法ーブッダダルマ」の原点は、原始仏教の教典には次のように記されている。

 

「それ故にアーナンダよ、」この世において自己という島に住せよ。自己という帰依処は真の帰依処である。法という島に[住せよ]、法という帰依処は真の帰依処である。

ー「マハー・パリニッバーナ・スッタンタ」ー

ゴータマ・ブッダの入滅間近、ブッダ亡き後、だれ(何)を頼りとすればよいのかと不安をいだくアーナンダに対し、遺言として説かれたもの。これは教えや他者の人格に依存しようとすることを戒めたものであり、自立した一人の人間として、他者に迎合したり、隷属することなく、自由と平和のうちに生きることを教えたものだ。

自らのダルマ(法)に目覚め、それを拠り所とするところに、一人の人間としての自立と尊厳が自覚される。それが「仏法ーブッダダルマ」の目指したものであり、「ブッダ」という言葉が「目覚めた(人)」という意味であることも、このことを示している。すなわち「ダルマ(真理)に目覚めた人」は、同時に「真の自己に目覚めた人」のことである。

後の中国仏教の歴史的な展開の中で、宋代に編まれた実践的な禅の公案集「無門関」のなかに、このアーナンダとマハー・カッシャパが登場する「迦葉刹竿」(第22則)があるが、この「一大事」は、禅の伝統の中に真っ直ぐに継承されている。

 

無我と非我

仏教は、パーリ語ではアナッタン、サンスクリット語のアナートマンを説いたと云われる。これが漢訳仏典では「無我」、すなわち「我が無い」と訳された。ここから仏教は、自己を否定するものという誤解が産まれた。原始仏典では、「自己に目覚めよ」という言葉が多く使わえるが、「我」も「自己」も、アートマンの訳語であるという。これに否定を意味する接頭辞anを付けたのがアナートマンであり、否定の接頭辞を「無」と捉え「無我」と訳されたところから誤解が生じた。これは、ほんらい「非我」と(何かが我なのではない)と訳されるべきものであるり、何か実体的なものを自己として想定し、それに執着することを戒めたものである。

何か特定の宗教的なドグマや人格に執着した「自己」ではなく、「ダルマに則って生きる自己」に目覚めるのが、ほんらいの仏教であつた。その自己は、ダルマに則っているが故に「真の自己」なのである。

 

「ヴァッカリよ、実に法を見るものは私を見る。私を見るものは法を見る。ヴァッカリよ、実に法を見ながら私を見るのであって、私を見ながら法を見るのである。
                       ー「サンユッタ・二カーヤ」ー

 

ブッダを見るとはいうことは、特別な人格としてのブッダではなく、ダルマそのものとしてのブッダを見ることであり、そのダルマも観念的・抽象的なものではなく、生きたブッダの人格として具現されているのである。
しかも、ダルマはブッダ一人だけに開かれているのではなく、すべての人に平等に開かれている。ダルマに目覚め、自ら体現すれば、だれでもブッダ、すなわち目覚めた人であるということだ。

後の代表的な大乗仏教のお経である涅槃経と維摩経には、「依法不依人」すなわち、「法に依って人に依らざれ」と、このことが表現されている。つまり「自らのダルマに目覚める」ということは、「真の自己」に目覚めることだといっても同じことである。単なる「自己」ではなく、普遍的真理であるダルマとしての「自己」という意味で、「真の自己」なのだ。

 

 

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ダルマサンガの基本経典

初期仏教から

一夜賢者経

過ぎ去れるを 追うことなかれ。
いまだ来たらざるを 念うことなかれ。
過去、そはすでに 捨てられたり。
未来、そはいまだ 到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいて よく観察すべし。
揺ぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日 まさに作すべきことを熱心になせ。
たれか明日 死のあることを知らんや。
まことに、かの死の大軍と、
逢わずというは、あることなし。
よく、かくのごとく見きわめたるものは、
心をこめ、昼夜おこたることなく 実践せん
かくのごときを、一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり。

(増谷文雄訳『阿含経典第五巻』)

大乗仏教から

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行。深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄不増不減。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多。故得阿耨多羅三藐三菩提。

故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚。故説般若波羅蜜多呪。

即説呪曰。
羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。
( ガテー  ガテー  パーラ・ガテー  パーラ・サンガテー ボーディ スヴァーハー )
般若心経

中国の禅から

石頭希遷大師「参同契」

竺土大仙の心。東西密に相附す。
人根に利鈍あり。道に南北の祖なし。
霊源明に皓潔たり。支派暗に流注す。
事を執するも元これ迷い。理に契うも亦悟にあらず。
門門一切の境。回互と不回互と。回してさらに相渉る。
しからざれば位によって住す。
色もと質像を殊にし。声もと楽苦を異にす。
暗は上中の言に合い。明は清濁の句を分つ。
四大の性おのずから復す。子の其の母を得るがごとし。
火は熱し風は動揺。水は湿い地は堅固。
眼は色耳は音声。鼻は香舌は鹹酢。
しかも一一の法において。根によって葉分布す。
本末すべからく宗に帰すべし。
尊卑其の語を用ゆ。
明中に当って暗あり。暗相をもって遇うことなかれ。
暗中に当って明あり。明相をもって覩ることなかれ。
明暗おのおの相対して。比するに前後の歩みのごとし。
万物おのずから功あり。当に用と処とを言うべし。
事存すれば函蓋合し。理応ずれば箭鋒さそう。
言を承ては須く宗を会すべし。自ら規矩を立することなかれ。
触目道を会せずんば。足を運ぶもいずくんぞ路を知らん。
歩みをすすむれば近遠にあらず。
迷て山河の固をへだつ。
謹んで参玄の人にもうす。光陰虚しく度ることなかれ。

日本の禅から

永平高祖(道元禅師)発願文

願くは我と一切衆生と、今生より乃至生々を尽くして正法を聞くことあらん。聞くことあらんとき正法を疑著せじ。不信なるべからず。正に正法にあはん時。世法を棄てて仏法を受持せん。ついに大地有情と共に成道することを得ん。願くは我たとひ過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも。仏道によりて得道せりし諸仏諸祖。我を愍みて業累を解脱せしめ。學道障り無からしめ。その功徳法門あまねく無尽法界に充滿彌綸せらん哀れみを我に分付すべし。仏祖の往昔は吾等なり。吾等が当来は仏祖ならん。仏祖を仰観すれば一仏祖なり。発心を観想するにも一発心なるべし。憐れみを七通八達せんに得便宜なり落便宜なり。
この故に龍牙の曰く。昔生未だ了ぜずんば今須らく了ずべし。此の生に累生の身を度取せよ。古仏も未だ悟らざれば今者に同じく。悟り了れば今人も即ち古人。静かにこの因縁を參究すべし。これ諸仏の承当なり。かくのごとく懺悔すれば、必ず仏祖の冥助あるなり。心念身儀発露白仏すべし。発露の力罪根をして銷殞せしむるなり。これ一色の正修行なり、正信心なり、正信身なり。

宝治元年丁未孟冬(1247年10月) 比丘道道元 鎌倉において

興禅大燈国師 遺誡

汝等諸人此の山中に来たつて道の為に頭を聚む。
衣食の為にする事なかれ、
肩有つて着ずと云ふ事なく、口有つて食はずと云ふこと無し。
只須らく十二時中無理會の處に向つて、
究め来たり究め去るべし、
光陰矢の如し、謹んで雑用心すること莫れ、
看取せよ看取せよ。
老僧行脚の後、或は寺門繁興佛閣経巻、金銀を鏤め、
多衆閙熱或は誦経諷呪長座不臥一食卯斎六時行道
たとい恁麼にし去ると雖も、佛祖不傳の妙道を以て、胸間に掛在せずんば忽ち因果を撥無し、
眞風地に墜つ、皆是れ邪魔の種族なり。
老僧世を去る事久しくとも兒孫と称する事を許さじ。
あるいは一人あり野外に綿絶し、
一把茅底折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過すとも
専一に己事を究明する底は、老僧と日々相見報恩底の人なり、
誰か敢て軽忽せんや。
勉旃。勉旃。

 

白隠禅師坐禅和讃

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一坐の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし
況や自ら回向して  直に自性を証すれば
自性即ち無性にて  既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し
無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく  四智円明の月さえん
この時何をか求むべき  寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国  この身即ち仏なり

 

四弘誓願文(しぐせいがんもん)

ー(仏教徒として心に掲げ、精進すべき四つの弘大な誓願)

衆生無辺誓願度 [しゅじょうむへんせいがんど]

ー数限りない一切の衆生を救済しようと誓うこと

煩悩無尽誓願断 [ぼんのうむじんせいがんだん]

ー尽きることのない多くの煩悩を断とうと誓うこと

法門無量誓願学 [ほうもんむりょうせいがんがく]

ー広大無辺な法門をことごとく学ぼうと誓うこと

仏道無上誓願成 [ぶつどうむじょうせいがんじょう]

ーこの上ない仏道を修行し尽くして、かならず成仏しようと誓うこと


般若心経 The Heart Sutra

●延命十句観音経

観世音。南無仏。 (観世音菩薩に帰依します)

与仏有因。与仏有縁。 (我々にも仏と同じ因果の法則があり、また縁でつながっています)

仏法僧縁。常楽我浄。 (仏と法と僧の縁によって、私たちは常に心を清らかにし、楽しく過ごせます)

朝念観世音。暮念観世音。 (朝にも夕べにも観世音菩薩を念じます)

念念従心起。念念不離心。 (この念は仏心から起こり、また心を離れません)

五観の偈(ごかんのげ)

粥坐と斎坐の食事の際に、この「五観の偈」をお唱えしてから頂きます。特に禅の修行においては、食事も大切な修行の一環です。ブッダは修行中に断食などの苦行をしました。

 しかし、苦行によって目的を達することができないとして、苦行を放棄し、村の娘スジャータの供養した乳粥を食べて、体力を回復し、菩提樹の下で成道されたと伝えられています。
  • 一には功の多少を計り、彼の来処を量る。(ひとつには こうのたしょうをはかり、かのらいしょを はかる)

    「これからいただく食物が食事として料理され、お膳にのせられるまでに、どれ程の人の手を経ているかを思い、感謝することを教えてる。私たちの主食とする米一つを見ても、どれだけ手間隙をかけ、多くの人々によって、目の前の食べられる状態になったかに思いを致す。」

 
  • 二には己が徳行の全欠を忖って供に応ず。(ふたつには おのれがとくぎょうの ぜんけっとはかって くにおうず)

    「大事な食物を戴くだけの資格が自分にあるだろうかという反省をする。自分の行いがどれだけ人のお役に立っているか。」

 
  • 三には心を防ぎ過を離るることは貧等を宗とす。(みつには しんをふせぎ とがをはなるることは とんとうを しゅうとす)

    「貧瞋痴(とんじんち)の三毒をはじめとする心の過ちを離れて、心を正しく保つことが大切だということを示している。人は美味しいものはもっと食べたいと貪りを起し(貧)、味がないものには腹を立てていかり(瞋)、正しい食事の仕方を知らないので(痴)病気になったりするだろう。」

 
  • 四には正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。(よつには まさにりょうやくをこととするは ぎょうこをりょうぜんがためなり)

    「これからいただく食事は、正しい健康を保つための良薬、飢えや渇きをいやし、肉体が枯れるのを防ぐことを目的としている。」

 
  • 五には成道の為の故に今此の食を受く。(いつつには じょうどう の ためのゆえに いまこのじきをうく)
    「食事をいただく究極の目的は、悟りを開くためであるという。つまり、道を成し遂げるための食事であって、食事も大事な修行の一環だということ。」
 

生飯の偈

汝等鬼神衆(じてんきじんしゅう) 我今施汝供(ごきんすじきゅう)

此食偏十方(すじへんじほう)一切鬼神供(いしいきじんきゅう)

上分三宝 (じょうぶんさんぼう) 中分四恩 (ちゅうぶんしおん)。
下及六道 (げきゅ

うろくどう) 皆同供養 (かいどうくよう)

 

●三匙の偈  (食前の誓い)


  • 一口為断一切悪(いっくいだんいっさいあく)。

    「一口を頂くに当たり、一切の悪をしないことを誓う。」

 
  • 二口為一切善(にくいいっさいぜん)。

    「二口を頂くに当たり、すべての善行することを誓う。」

 
  • 三口為度衆生(さんくいどしゅじょう)。皆共成仏道(かいくじょうぶつどう)。

    「三口を頂くに当たり、全ての人々を救うことを誓う。」

 

●折水(せっすい)の偈(げ)  (感謝の辞)


  • 我此洗鉢水(がしせんぱっすい)。

    「私は水一滴まで粗末にすることなく感謝して全てをいただいた。」

 
  • 如天甘露味(にょてんかんろみ)。

    「美味しくて而もこの上ない満足だ。」

 
  • 施与鬼神衆(せよきじんしゅう)。

    「食べられない運命の者達に分け与えた。」

 
  • 悉令得飽満(しっりょうとくぼうまん)。

    「全ての者に満足してもらえた。」

    オンマクラサイソワカ

    「この世界はこの上ない素晴らしく尊いのだ。」

 

●後唄文 (後辞)


  • 処世界如虚空(ししかいじきくん)。如蓮華不着水(じれんかふじゃしい)。

    「住んでいるこの世界は無相なのだ。心は蓮華葉上の水玉の如く汚れず自在なのだ。」

 
  • 心清淨超於彼(しんしんじんちょういひ)。稽首礼無上尊(きしゅりんぶじょうそん)。

    「心は元もと清淨にして一切を超越している。これ以上尊いことはないではないか。」

 

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参玄記

*参禅者の参考に期するために、これから自らの参禅記を書く予定ですが、以下の文章の内容がその前半にあたります。以下、参考までに。

「名前のない新聞」というミニコミに掲載されたインタビュー

今年の山水人の祭りで「コミューン座談会」や「ナナオをしのぶ座談会」に出て頂いた飯高さんは、山水人の隣の谷に30年ほど前から住んでいる方で、山や自然に詳しく、山水人でも原生林をトレッキングする案内役にもなっていた。

また一方、若いころからの人間とは何かという問いを究めるため長年禅の修行をし、師から印可を受け、今は無宗派で出家在家に拘わらない自分の禅堂を主宰している人だ。

座談会での話がとてもおもしろかったので、もっと話を聞いてみたいと思い、10月半ばに朽木村小入谷の朽木學道舎を訪ねてお話をきかせてもらった。

探求の旅

高校を一度中退して旅をしたり、何かを求めていたという飯高さん。でもそれがいったい何なのか、自分でもわからなかったという。だから本を読むことと旅をすること、そしてアルバイトでいろんな人間に出会うこと。そんなことを繰り返しながらひたすら何かを模索していたという。

私の大学時代というのは、学生運動が激しかった後ですが、早稲田では学内で学生が同じ大学の学生によって殺されるという事件がありました。ですから政治的イデオロギーに対する不信が渦巻いてましたね。大学の外でも革マル派と中核派が鉄パイプで殴りあい、殺し合うという状況がありました。

そうした宗教的なドグマとか政治的なイデオロギーで人が対立し、最後には殺し合うような状況を見ながら、それでは人間には、いったいよりどころとなるような確固たるものは存在しないんだろうか、犬や猫のように生きるのが一番いいんだろうかという、そうした疑問がありましたね。いまでは犬や猫のように生きるのがいちばんいいことだと、良く分かってますが。(笑)

また環境の問題に関わり合うようになった底流には、子供のころから水俣の問題がありましたね。千葉に住んでいたんですが、隣の市にもチッソの工場があり、TVから伝わってくる「怨」と書かれたムシロ旗を持って座り込んでいる人達の光景は、いまだに目に焼き付いていて、忘れることはできません。

人間が豊かさを求めて作り上げたはずの近代社会が、その人間に対して刃を向けるというのはいったいどうしてなのか、という問題意識がずっとありました。もうひとつは成田ですね。光景として忘れられない象徴的なものは、自分の農地を守るために、百姓のお母さんが、自分の体に糞尿をかぶって鉄塔に体を鎖でしばりつけて抵抗したり。

そうしたニュースを見ながら思春期を過ごしましたから、反体制・反権力的なものが抜けきれないというのは、たぶんそういうところにあると思います。
そもそも人間とはいかなる存在なのか、その人間が構成する社会、国家とかを、書物や大学から与えられる知識ではなく、自分の頭で考え直してみたいと思い、大学を休学して当時は日本の社会から一番遠いように思えたインドに行きました。

いまから33年ほど前のことです。
大学を卒業する時にもまだ確たるものがなかったんですが、卒論では宮沢賢治の研究をしました。当時はまだ変わり種の詩人・童話作家ということで、日本の文学史、思想史の中でどう位置づけたらわからないような存在でしたね。私の研究は、特に仏教との関係で思想家としての宮沢賢治について書きました。

それがものすごくおもしろくなったことと、指導教官からも絶賛されましたので、大学を出たら何年間か山の中に入って勉強を続けたいと考えたんです。それがこの土地にやってきた理由です。とりあえず3年いて、それでまた東京にもどろうと思っていましたが、それから30年です。(笑い)

そして大学を卒業すると、学生時代に京都から日本海まで歩いた際に来たことがある朽木村に家を借りて入った。ここは冬には2mも雪が降り、ブナ帯の小宇宙でもあり、小さな東北とも言える土地。クマやシカ、夜鷹など、賢治の童話に出てくるような動物たちもほとんどいるという。

禅の予感

宮沢賢治がやろうとしたこと、表現しようとしたことは、近代の世界観、人間観を超えたものを表現しようとしていたんです。必ずそれは限界が来るということを、彼はわかっていたと思うんです。
賢治は一時はラジカルに法華経信仰に打ち込んでいた時期がありますが、十代の頃から5年くらい本格的に禅の修行をしているんです。

そのへんが彼の童話や詩やすべての源泉になっていると思います。
禅が探求するダルマというのは、そもそも宗派なんぞにはかかわりませんし、仏教だけに帰属するようなものでもありません。彼自身がダルマの実践をすることによって、とても深いところから物事を見たり考えたりすることが可能になり、それが彼の作品に普遍性をもたらしている。

賢治の生活圏は岩手県の花巻、盛岡周辺に限られた非常に狭い範囲でしたが、彼の世界が普遍性を獲得しているというのは、彼がダルマに目覚めていた人だからだと思います。特に法華経の信仰者に多いようですが、たいていの人は何か特定の信仰を持つと、その人の世界は閉じられた偏狭なものになってしまう。でも賢治の世界は、限りなく世界に対して開かれている。それは何故なのか。

高校や大学時代、いろんなことを考えてもわからないわけですが、その答えは禅にしかないだろうというのはあったんです。つまりほんとうに大切なことは外から与えられるものではなく、答えというのは必ず自分の中にある。それを見いだすためには禅の修行をするしかないだろうという、直感めいたものがありました。

教えとしてどれほど素晴らしい言葉があったとしても、それは自分のものではない。「門より入るものは、これ家珍にあらず」という言葉がありますが、それは外側から入ってくるものはあなたのほんとうの宝ではないということです。イデオロギーや宗教的ドグマ、あるいは他者が作り上げた哲学などではなく、自らの内側に答えを求めて禅の修行をはじめたんです。

ここへ来た頃は、日本の仏教の現状に失望しておりましたから、宮沢賢治の研究をしながら、土地のおじいさんに炭焼きや昔の暮らし、山の様子などいろんなことを教わったり、自分で周囲の植生や野生動物などを調べたり、山仕事をしながら暮らしていました。そして独りで坐禅をしていました。

そうこうしているうちに、3、4年して祖牛さん(本紙2008.11月号登場)が隣の谷に入ってきて出会い、友達になったんです。祖牛さんを通じてまずナナオと知り合うことができました。ナナオがここで詩の朗読会をやることになり、一緒に原生林を歩いたり酒を飲んだりするつきあいが始まりました。

IMG.ギンズバーグ2

アレン・ギンズバーグ、サカキナナオと美浜原発の対岸で



それから88年にアレン・ギンズバーグに会わせてくれ、その後の92年でしたかゲイリー・スナイダーに会わせてくれました。彼は、若いころは山林労働をし、日本で12年も禅の修行をした人ですが、寒山や宮沢賢治の英訳をしたり、「骨輪禅堂」という禅堂を作ったり、それは非常に驚きでしたね。要するに私がやろうとしたことをもうみんなやっているんですから。

IMG.スナイダー2

鵜の瀬にて、ゲリー・スナイダーと



それまでは、それぞれ海の向こうのしかも雲の上の人だったんですが、人生っておもしろいもので、共に山を歩いたり、大阪で中之島から関電の本社まで反原発のデモ行進をしたりして。私が修行した小浜の禅道場にも案内しました。明通寺の中嶋哲演さんのところにはみんな連れてってますよ。そうした得難い出会いをもたらしてくれた祖牛さんやナナオには、ほんとに深く感謝しています。

仲間たちと、京大西部講堂や小浜の県立図書館でナナオと彼らの詩の朗読会を主催しましたが、両方とも大盛況でした。当時、わたしは若造でしたが、一人の人間としてとてもきちんと応対してくれたことに感動しました。今になって思えばそれは同じ道を歩むダルマ・フレンドに対する敬意だったと思います。

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月を指す指

祖牛さんとは、彼も比叡山や大徳寺で修行してきた人なので、話があったわけです。そして彼から、一山越えた若狭の小浜に世界中から参禅者が集まっているお寺があると教えられたので、フッと行ってみようという気になり、はじめて接心に参加しました。

当時も、今に劣らず貧乏暮らしでしたから、歩いて山を越え、小浜の禅道場まで摂心という一週間の集中坐禅、それが一年に6回あるんですが、他の人の2倍くらい仕事をして、お金と時間をやり繰りして通いました。ここには古代に大陸と奈良を結んだ古い道が通っていますが、その道がほとんど廃道になっていたのを再び開いて歩けるようにして通ったわけです。

はじめての接心は素晴らしい経験でした。完璧につくられたシステムなんです。1週間、無言で朝4時から夜9時まで、40分坐禅して、20分の歩行禅と休息の時間がありますが、それを繰り返していくんです。もう脱帽したという感じでした。それまで何年も一人で坐っていたのは、遊びにしか過ぎなかったとさえ思いました。独参といって老師と1対1で問答をしたり。

何よりも世界中から集まったダルマを探求する仲間たちといっしょに坐る、ものすごく凝縮した時間でしたね。ほんとうに学ぶということは、自らの全存在を賭けて行うものであるという当たり前のことを思い知らされました。

その頃から、宗派であるとか出家や在家ということではなく、ダルマを中心にした仏教の再生ということを考えていました。何よりも大事なことは一人でも多くの人が実際に坐禅するということです。仏教の原点というのは釈尊が菩提樹のもとで坐禅をして悟りを開かれたというところにあって、組織とか教義というのは二の次、三の次なんです。

国が違えば違う、規則や習慣などは決して普遍的なものではありません。ですから、最初からお坊さんになるつもりはまったくありませんでした。いつも一環してあったのは、仏教とか禅というのは月を指す指だということです。つまり問題にすべきはダルマそのものであると。
そうやってダルマを探求している過程で、オーム真理教の事件が起きたときには、禅の修行をしている人間としてほんとうにショックでした。

伝統に向き合い、継承することの大切さを改めて再認識させられました。仏教には、中心などというものはありません。言ってみれば全ての存在、その中の人間もすべての人が宇宙の中心なんです。ですからいわゆるグルイズムとかいうものは、全く仏教でもなんでもない。

お釈迦様がどういうことを言われたかというと、漢訳仏典には「自灯明、法灯明」とあります。つまり自己を灯としなさい、そしてダルマ=法を灯火としなさいと言っておられる。ダルマ=法というのは人の介在を許さない存在の事実そのものです。漢民族はダルマというサンスクリット語に「法」という字を当てました。

サンズイに去るですね。つまり、水が高いところから低いところに流れるというのは、仏教徒だけの真理ではなくて、地球上どこに行っても同じです。ですからイスラム教徒であろうとキリスト教徒であろうと、ダルマ(法)そのものとして在るのです。それを人が否定しようが攻撃しようが関係ない。人間の介在を許さない存在の事実そのものです。

その存在の事実、一人一人が宇宙の中心なんだということに即して人が共同性をつくる。当然、指導者はいても教祖なんていう存在はない。禅の師家とは、自らが必要とされることがなくなることを目的として仕事をしているのです。ですからほんらいの禅の道場というのはいつも外に開かれていて、閉じられた世界ではあってはいけないのです。

全てのものがサンガの一員

私にとってはコミューンや共同体という言葉よりサンガという言葉のほうが親しいですね。ここに来て30年になりますけど、こうした狭い地域社会で、人間だけを相手にしていると辛い時があるものです。ここは平安時代くらいから人が住み続けてきた土地ですが、地元の人達は共同性がなければ生きられないんです。こういう雪の深い山の中では。

現代においてはサンガ、共同性というのは人間だけを考えるんじゃなく、森の木々や野生の生き物、太陽や月、川、この土地、こうした全てのものと共に自分はいるんだと認識しながら生きていると楽しいし、豊かなんです。春になると里に下りていた山鳩が帰ってきたり、キツツキが繁殖のためにドラミングをはじめるんです。春一番、雪が解けて、その音が森に木霊する。

しばらくするとオオルリやサシバが渡ってくる。いつもそういう生き物たちとの生活がある。それは一つの場所に生き続けること、住み続けることのすばらしい喜びですね。そういうサンガ。人間は自然を収奪しなければ生きられませんし、今は鹿の害でほんとに畑もできないくらいの酷い状況ですが、それでもやっぱり全てのものをコミューンの一員として考える必要がある。共同性の構成員としてきちっと考えてこなかったから現在の結果になっているんだと思います。

私は昔から山が好きでしたから、あちこち旅したり山を歩いてる中で、日本の国土のすばらしい場所が公共事業の名のもとに破壊されていく現場を見てきました。この土地でも奥山の峰越林道に反対したり、イヌワシを守るための運動などもしてきましたが、結局それは、人間が自然から疎外されてしまってるために、そういうことが平気でできるわけです。

現代の環境問題の根源には、「心の汚染」といいますか、近代の誤った世界観、自然観、人間観がもたらしている問題があることに気がついた訳です。

禅では尽十方(じんじっぽう)世界真実身体というんですが、つまり宇宙がほんとうの身体なんだということです。本来、自分と分離したものは何もないということですが、それは悟りを開かないかぎりわからない。それなら「悟り」というのは何なんだろうということですが、漢字で書くとりっしんべんに吾(われ)ですよね。つまり吾の心。

では心とは何かが問題になるわけです。21世紀は「心の時代」だなんてコピーがありますが、みんな自分の心がわからないわけです。禅の修行で何を明らかにするかというと、簡単に言うと「心」を明らかにするんです。「則心是仏」心そのものが仏であると。道元禅師の書かれたものの中に「明らかに知りぬ 心とは山河大地なり 日月星辰なり」とありますが、われわれの心のなかに、この大地、山や川、太陽も月も星々もスッポリと入っているのです。

我々は通常すべてが分離され、境界のある世界しか知りません。それは仏教では差別の世界といいます。しかし私とあなたと宇宙をつらぬいている平等の世界があります。「空」ともいいますし「無」ともいいます。これまで宗教の世界では、それは特別な聖なる宗教的な世界として表現されてきました。しかし現代においては、そうあってはいけないのではないか。誰でもすべての人が当たり前のようにそのことを生きるというか、普通に認識することが必要なのです。

アメリカで環境運動に関わっている人達はおしなべて禅、特に道元禅師の著作を読んでいるということを知り驚きました。でも日本では分裂しているわけです。いわゆる精神世界を追及しているような人は現実的な環境問題にはあまり関心がなく、いつも自分の内面にしか関心がないし、逆に環境問題に関心を持っているような人は自分の内面とか意識にほとんど関心をもたないように。

それは非常に不幸だと思いますね。ほんらい、内側も外側もなく一つのものですから、両方とも必要なことだと思います。

ここでやるべきこと

ここでずっとやってきて、ようやく自分の生き方が見えてきたんです。為すべきことが。まず飯の種として山の仕事をしている際に、「拡大造林」という言葉に象徴されるような林業のありかたにこれは完全におかしい、こんなことをやっていたらとんでもないことになると、自分の体を通してわかったわけです。

これだけ雪が深い、しかも標高1000m近いところにまで杉や桧だけを植えることが、どれほど無理があるか。ここは生杉という地名もあるくらいでもともと天然杉があるところなんです。ところがその天然杉を全部伐ってしまって、よそから持ってきた杉の苗を植えるような愚かなことを平気でやっていたわけです。

それで行政に対して意見書を書いたり、滋賀県主催のフォーラムに出席したりして、当時の知事にも直接言いました。まあ、かなり変わってきましたけどね。奥山の成績不良地は、環境林として広葉樹と針葉樹が混じっている本来のこのあたりの森林の状態にもどしていこうということになりました。

今までのように林業というものを経済効率だけで考えるのではなく、ようやく環境の視点から見るようになった。というのは時代がそうなっていますし、莫大な税金を投入しても、それに見合うだけの結果が得られてないという状況があるので変わってきたんです。

その他にも禅堂を始めるまでは、いろいろなことをやりました。例えば、数年前から滋賀県には「やまの子」という森林環境教育の授業があります。それまでの滋賀県はすべての視点が琵琶湖に集中していて、琵琶湖を中心とした環境教育は20年以上前からありました。小学校5年生になると琵琶湖の船上で「うみの子」という1泊2日の環境教育授業を受けるんです。

でも琵琶湖の水はいったいどこから来るのか。その水源の森林について学ばなければ、琵琶湖にや水について半分しか学んだことにならない。片手落ちじゃないかという意見書を出したんです。そしていま「うみの子」に対になる「やまの子」授業というのが完全に制度化されました。

その他にもいくつものことに関わりましたが、私個人としては自分の人生の中でひとつやるべきことをやれたなと思うんです。自分の人生の時間も限られてますから、50歳を境にこうしたことからは手を引きました。この地域のことも問題ですが、もっと大きくダルマを中心に民族とか宗教とかすべてをこえて人間がほんらいどうあるのかということを共に探求できるような、そんな場所を作りたいと思っていたんです。

ずっとそのためにやってきたわけですから、その仕事に立ち返りました。ディープ・エコロジーについていえば、この思想は現代における仏教の創造的な展開、日本においては仏教、禅の再生を考えるときに大きな力になると考えているわけです。その提唱者であるノルウェーのアルネ・ネスという哲学者にも、来日した際に会うことができて、小浜の友人の寺や原発を案内できたことは、ほんとうに幸運でした。

ディープ・エコロジーによれば、現在の地球環境問題の原因は、近代以降、人間が自然に対してとってきた誤った態度にあると考えます。自然とは開発や征服の対象ではなく、人間と自然とはほんらい一体であり、自然のなかで自然にささえられて生きるのが人間という存在なのだと。

そうした正しい世界観を再発見することなしには、環境問題はけっして解決しない。つまり、現在の文明や社会のあり方を前提としたうえでの、いわゆる環境保護運動というものを否定せざるを得ない。地球規模の環境問題というのは、現代社会のシステムと文明 が生みだしたものですから、それを根本的に解決するためには、現在の社会システムと文明それ自体を変革することがどうしても必要となるはずです。

そのためには、現代社会に住むわれわれ一人一人が、まず自己の探求や暝想などによって誤った近代的世界観を捨て、ほんらいの有機的な生命世界のなかに織り込まれて存立している真の自己のあり方に目覚めること、そして生活をエコロジカルなものに改め、調和のとれた世界を実現していくための直接行動に立ち上がろうというのがディープ・エコロジーの基本的な考え方なんです。

ガンジーの思想やスピノザ、禅などをベースにした思想なのですから当然ですが、人間の内面に向き合い、その根源を探求してきた仏教が社会に向けてどう展開して行くのかという問題を考えるときに、ディープ・エコロジーの思想はとても参考になるのです。

ブナ帯の小宇宙

琵琶湖淀川水系の源流に位置するこの土地は、ブナ帯の小宇宙です。標高が460mから900mくらい、ここからちょっとあがるとブナがわーっと出てきます。ブナ帯の本場は東北ですが、西日本ではブナ帯の中に生活圏がある地域というのは、ほとんどないと思います。ここに暮らしてきた人達は、長い歴史の中で、当然、植生とか気候の影響を受けながら文化をつくっていくわけです。

先人は素晴らしい山村の文化を産み出しているんです。人間がある特定の環境の中でどんな生活文化を育んだのか。人間と自然、環境を考えるには最高の地域ですね。残念ながら、そうした知恵が、過疎と高齢化によってどんどん失われていきました。過疎によって、精神文化も含めた日本の文化の多様性が失われているんだ、という視点がほとんどないですね。

ほとんど経済的な視点からしか語られない。我々日本人は、海辺で生きたり、平野で生きたり、都市で生活したり多様ですが、不便で厳しい山村の文化にこそすばらしいものがある。特に人間と自然との関係をどういうふうに作ってきたのか。次の世代に伝えなければならない膨大な知恵があるんです。

那智勝浦の色川というところに、ここに参禅しにきた若い女性が移住しているんですが、その彼女がここの藁の使い方にしても民具にしてもものすごい繊細だと。それは冬3ヶ月雪があるからだろうと云ってましたが、それだけが理由ではないですね。和歌山県は林業先進県ですから、周りを見廻したらほとんど杉・檜なんです。そうしますと、多様な植生の中で、この木は何に使ったら一番人間の暮らしにとって役立にたつのかとか。

そうした自然環境との対話の中で、手仕事とか民具を産み出してきた伝統が、もうとうに切れている。一世代、二世代たつとそうした知恵は伝わらない。ところがここは山奥で、ブナ帯の小宇宙という特別な場所です。そういう中でついこの間までそうした知恵が、連綿と伝えられてきた。

一つの場所に住み続けるということには、地域の自然環境もそうですし、歴史や人の暮らしと対話しながら生きる、深い喜びというもがあります。定着をしなければわからない喜びというのもあるんですね。ぜひ、若い人たちもそうした知恵を大切にして欲しいと思い、なんとか次の世代に伝えていきたいという思いでいろんなことをやっています。

広大な旅・禅

飯高さんのつくった禅堂はお寺とはちがい、在家の人=飯高さんが指導して禅の修行をする場ということのようだ。HPに詳しい案内が出ており、修行したい人に開かれている。

禅の世界には印可証明というのがありまして、老師が参禅者に「あなたはもう私と同じになったから、もう参禅しなくて良ろしい。これからは自分で法を伝えていきなさい」というのを印可というんですけど、それを受けたからこそ私はこういうことをしているんです。自分免許ということは、禅の世界では許されません。

禅の伝統では、老師のもとに参禅して意識の根源に帰り着いた人が印可され、自分でまた別のところに道場を開いたわけです。たいていは山の中ですが。その人に力があれば人が集まってくるし、なければ来ない。それは縁ですから、来なければ来ないで悠然として生きるだけです。来たかったら来なさいと。

禅には長い伝統の中で、人間性のついての、あるいは人間と宇宙の関係についての深い対話があるわけです。国境や民族、2500年以上もの時間を超えて培われた非常に確かなものがあります。現代人は、そうした伝統に対してもっと謙虚であっていいと思いますね。

仏教の中でも禅はもっとも素晴らしい精神の伝統として、いまや世界中に広まっておりますが、その淵源の地である日本に生まれて、新興宗教や外国の仏教の修行をするというのは、何かとてももったいないような気がします。

わたくしがもっとも敬愛しているアメリカの詩人ゲイリー・スナイダーさんも、アメリカ先住民の知恵は先住民に生まれなければわからないが、日本の禅は必ず自分を受け入れてくれるだろうと最初から思っていたと。

彼にとっても問題はダルマそのものだったのですね。そこに至るために、先住民の文化を通して行くのか、でもそれは非常に難しいだろうと。その民族固有の方法論とかしきたりとか文化を通してできあがってるわけです。でも禅は普遍的なものですから。それで彼は日本に来て修行したわけです。

問題は何かということを、今の若い人もけっこう感づいているんじゃないでしょうかね。
最近、南米まで行きアヤワスカとか幻覚植物を求めて旅する若い人が多いようですね。それはきっと、当たり前だと思っている日常的な意識が、本来のものじゃないということを分かってるんでしょうね。

無意識のうちにだけど感じているんですよ。だからそういう意識を変えるようなドラッグとか、そういうものに惹かれるでしょうね。私の学生時代だとカルロス・カスタネダの「ドンファンの教え」なんていうのが流行ったんですが、文化人類学が明らかにしたように、人間の意識の根源は普遍的なものなんです。

それはダルマの探求によって悟りを開いたときに見えてくるものと、おそらく全く同じものだと思います。禅というのは多少の時間はかかりますけど、自分の根源的な意識に還る広大な旅でしたね。非常におもしろかったですよ。

───面白かった、ということは探求がずっと続いていくんじゃなくて、もう終わったということですか?

ハッキリと決着がつくものです。終わっていなかったら、禅堂なんて、こんなことをしていません。帰り着くことなしに印可ということは有り得ません。わたしは、現代におけるもっとも優れた禅の指導者である原田雪渓老師に出会い参禅できたことが、これまでの人生最高の幸運だったと思っています。

雪渓老師は出家しても、そのまま(在家)でもどちらでもいい「これからは新しい時代に即応した形で法を伝えるように」というのが老師の言葉です。
禅堂をやっていくには、お坊さんになった方がはるかに楽ですよ。お金とか社会的信用とか。

でも今問題なのは、人間が本来どういう存在なのか、宇宙と人間との関係、人間と人間との関係、真の自己の在りよう、いつの時代でも問題だったかもしれませんが、今の時代ほどこの根源的な問いを問題にしなければならない時代はないと思ってるんです。

その意味でここに来る人にはダルマそのものに向き合ってもらいたい。真の自己、宇宙そのものと向き合ってもらいたい。

そのために、ここには何宗であるとか出家であるとか在家とか、そうしたことは問題にしません。ダルマにとって本質的でないものはできるだけ簡略化して、しっかりした無理のない坐禅を相続し、作務をしたり、山を歩いてほしいのです。

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ダルマサンガとは

※ 朽木學道舎は、平成25年春の大多喜學道舎開単にともない、全体の名称を「ダルマサンガ」に変更し、滋賀県朽木、千葉県大多喜の2ヶ所の學道舎の体制に移行します。zendo

ダルマサンガとは、自己と宇宙の探求の場ーほんらいすべての人の心に内在している叡知に目覚め、根源的な自由と平和を生きようとする、あらゆる人びとのために開かれた小さな学校です。

音が音楽から離れることができないように、個人も宇宙もほんらいダルマそのものであり、その本質は同一です。つまり、この宇宙のなかのすべてのものは、それぞれミクロコスモスであり、マクロコスモスとしての宇宙を完全に反映しているのです。その意味で人間のみならず、あらゆるものはそれぞれ宇宙の中心なのです。

これはなにか非日常的な世界の中に逃避するような特殊な経験ではなく、あるがままの自己を経験すること。自我とは別の意味で、宇宙の中心としての自己を生きることにほかなりません。

ゴータマ・ブッダは、その最後の説法に「自らの力で救いの道を切り開きなさい。他人に頼ってはいけません」という言葉を残されたと伝えられております。ダルマに目覚めるということは、特定の宗教指導者や教えに盲目的に隷属するようなことからは、もっとも遠いものです。

ダルマサンガは、東洋の優れた精神の伝統である禪に深く根ざしており、多大な恩恵を蒙ってはおりますが、いかなる特定の宗派や教団に所属するものではありません。またいかなる団体や組織を構成するものでもありません。なぜならダルマは、なにか特定の宗派や哲学ではありませんし、また一つの文化や時代、地域、民族などに依存するものでもないからです。

共に道を學ぶ仲間の友愛によって「サンガ」が形成されるのはもちろんですが、精神の自由を希求する人々が集い、真の自己に目覚めるために坐禪や作務、山歩きなどの実践を共にし、行事が終ればそれぞれの場に帰って行く、そうした開かれた空間です。

洪水のような情報の氾濫と物質主義のなか、精神の貧困化と奴隷化による人間の自己喪失は進行し、大地や、水、空気といった自らの生命の基盤さえわれわれは破壊するに至っております。いま最も必要とされることは、一人でも多くの方が自己自身の存在の事実、この宇宙のなかのすべてのものは本来一体であり、相互に依存し合って存在しているという真理に目覚めることです。

社会がひとりひとりの個人から構成されている以上、個人の内面的な成長をとうしてしか、より良い社会が生まれることは有り得ません。世界をほんとうに変えるための、ただ一つの現実的な場所は個人であり、すべてそこから出発する必要があります。このささやかなサンガに集うすべての人が、内なる叡知に目覚め、真の自由と平和を生きられますように、どんなに願うかわかりません。合 掌

ダルマサンガ 師家    飯高転石  九拝

 

 

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