参玄記

*参禅者の参考に期するために、これから自らの参禅記を書く予定ですが、以下の文章の内容がその前半にあたります。以下、参考までに。

「名前のない新聞」というミニコミに掲載されたインタビュー

今年の山水人の祭りで「コミューン座談会」や「ナナオをしのぶ座談会」に出て頂いた飯高さんは、山水人の隣の谷に30年ほど前から住んでいる方で、山や自然に詳しく、山水人でも原生林をトレッキングする案内役にもなっていた。

また一方、若いころからの人間とは何かという問いを究めるため長年禅の修行をし、師から印可を受け、今は無宗派で出家在家に拘わらない自分の禅堂を主宰している人だ。

座談会での話がとてもおもしろかったので、もっと話を聞いてみたいと思い、10月半ばに朽木村小入谷の朽木學道舎を訪ねてお話をきかせてもらった。

探求の旅

高校を一度中退して旅をしたり、何かを求めていたという飯高さん。でもそれがいったい何なのか、自分でもわからなかったという。だから本を読むことと旅をすること、そしてアルバイトでいろんな人間に出会うこと。そんなことを繰り返しながらひたすら何かを模索していたという。

私の大学時代というのは、学生運動が激しかった後ですが、早稲田では学内で学生が同じ大学の学生によって殺されるという事件がありました。ですから政治的イデオロギーに対する不信が渦巻いてましたね。大学の外でも革マル派と中核派が鉄パイプで殴りあい、殺し合うという状況がありました。

そうした宗教的なドグマとか政治的なイデオロギーで人が対立し、最後には殺し合うような状況を見ながら、それでは人間には、いったいよりどころとなるような確固たるものは存在しないんだろうか、犬や猫のように生きるのが一番いいんだろうかという、そうした疑問がありましたね。いまでは犬や猫のように生きるのがいちばんいいことだと、良く分かってますが。(笑)

また環境の問題に関わり合うようになった底流には、子供のころから水俣の問題がありましたね。千葉に住んでいたんですが、隣の市にもチッソの工場があり、TVから伝わってくる「怨」と書かれたムシロ旗を持って座り込んでいる人達の光景は、いまだに目に焼き付いていて、忘れることはできません。

人間が豊かさを求めて作り上げたはずの近代社会が、その人間に対して刃を向けるというのはいったいどうしてなのか、という問題意識がずっとありました。もうひとつは成田ですね。光景として忘れられない象徴的なものは、自分の農地を守るために、百姓のお母さんが、自分の体に糞尿をかぶって鉄塔に体を鎖でしばりつけて抵抗したり。

そうしたニュースを見ながら思春期を過ごしましたから、反体制・反権力的なものが抜けきれないというのは、たぶんそういうところにあると思います。
そもそも人間とはいかなる存在なのか、その人間が構成する社会、国家とかを、書物や大学から与えられる知識ではなく、自分の頭で考え直してみたいと思い、大学を休学して当時は日本の社会から一番遠いように思えたインドに行きました。

いまから33年ほど前のことです。
大学を卒業する時にもまだ確たるものがなかったんですが、卒論では宮沢賢治の研究をしました。当時はまだ変わり種の詩人・童話作家ということで、日本の文学史、思想史の中でどう位置づけたらわからないような存在でしたね。私の研究は、特に仏教との関係で思想家としての宮沢賢治について書きました。

それがものすごくおもしろくなったことと、指導教官からも絶賛されましたので、大学を出たら何年間か山の中に入って勉強を続けたいと考えたんです。それがこの土地にやってきた理由です。とりあえず3年いて、それでまた東京にもどろうと思っていましたが、それから30年です。(笑い)

そして大学を卒業すると、学生時代に京都から日本海まで歩いた際に来たことがある朽木村に家を借りて入った。ここは冬には2mも雪が降り、ブナ帯の小宇宙でもあり、小さな東北とも言える土地。クマやシカ、夜鷹など、賢治の童話に出てくるような動物たちもほとんどいるという。

禅の予感

宮沢賢治がやろうとしたこと、表現しようとしたことは、近代の世界観、人間観を超えたものを表現しようとしていたんです。必ずそれは限界が来るということを、彼はわかっていたと思うんです。
賢治は一時はラジカルに法華経信仰に打ち込んでいた時期がありますが、十代の頃から5年くらい本格的に禅の修行をしているんです。

そのへんが彼の童話や詩やすべての源泉になっていると思います。
禅が探求するダルマというのは、そもそも宗派なんぞにはかかわりませんし、仏教だけに帰属するようなものでもありません。彼自身がダルマの実践をすることによって、とても深いところから物事を見たり考えたりすることが可能になり、それが彼の作品に普遍性をもたらしている。

賢治の生活圏は岩手県の花巻、盛岡周辺に限られた非常に狭い範囲でしたが、彼の世界が普遍性を獲得しているというのは、彼がダルマに目覚めていた人だからだと思います。特に法華経の信仰者に多いようですが、たいていの人は何か特定の信仰を持つと、その人の世界は閉じられた偏狭なものになってしまう。でも賢治の世界は、限りなく世界に対して開かれている。それは何故なのか。

高校や大学時代、いろんなことを考えてもわからないわけですが、その答えは禅にしかないだろうというのはあったんです。つまりほんとうに大切なことは外から与えられるものではなく、答えというのは必ず自分の中にある。それを見いだすためには禅の修行をするしかないだろうという、直感めいたものがありました。

教えとしてどれほど素晴らしい言葉があったとしても、それは自分のものではない。「門より入るものは、これ家珍にあらず」という言葉がありますが、それは外側から入ってくるものはあなたのほんとうの宝ではないということです。イデオロギーや宗教的ドグマ、あるいは他者が作り上げた哲学などではなく、自らの内側に答えを求めて禅の修行をはじめたんです。

ここへ来た頃は、日本の仏教の現状に失望しておりましたから、宮沢賢治の研究をしながら、土地のおじいさんに炭焼きや昔の暮らし、山の様子などいろんなことを教わったり、自分で周囲の植生や野生動物などを調べたり、山仕事をしながら暮らしていました。そして独りで坐禅をしていました。

そうこうしているうちに、3、4年して祖牛さん(本紙2008.11月号登場)が隣の谷に入ってきて出会い、友達になったんです。祖牛さんを通じてまずナナオと知り合うことができました。ナナオがここで詩の朗読会をやることになり、一緒に原生林を歩いたり酒を飲んだりするつきあいが始まりました。

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アレン・ギンズバーグ、サカキナナオと美浜原発の対岸で

それから88年にアレン・ギンズバーグに会わせてくれ、その後の92年でしたかゲイリー・スナイダーに会わせてくれました。彼は、若いころは山林労働をし、日本で12年も禅の修行をした人ですが、寒山や宮沢賢治の英訳をしたり、「骨輪禅堂」という禅堂を作ったり、それは非常に驚きでしたね。要するに私がやろうとしたことをもうみんなやっているんですから。

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鵜の瀬にて、ゲリー・スナイダーと

それまでは、それぞれ海の向こうのしかも雲の上の人だったんですが、人生っておもしろいもので、共に山を歩いたり、大阪で中之島から関電の本社まで反原発のデモ行進をしたりして。私が修行した小浜の禅道場にも案内しました。明通寺の中嶋哲演さんのところにはみんな連れてってますよ。そうした得難い出会いをもたらしてくれた祖牛さんやナナオには、ほんとに深く感謝しています。

仲間たちと、京大西部講堂や小浜の県立図書館でナナオと彼らの詩の朗読会を主催しましたが、両方とも大盛況でした。当時、わたしは若造でしたが、一人の人間としてとてもきちんと応対してくれたことに感動しました。今になって思えばそれは同じ道を歩むダルマ・フレンドに対する敬意だったと思います。

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月を指す指

祖牛さんとは、彼も比叡山や大徳寺で修行してきた人なので、話があったわけです。そして彼から、一山越えた若狭の小浜に世界中から参禅者が集まっているお寺があると教えられたので、フッと行ってみようという気になり、はじめて接心に参加しました。

当時も、今に劣らず貧乏暮らしでしたから、歩いて山を越え、小浜の禅道場まで摂心という一週間の集中坐禅、それが一年に6回あるんですが、他の人の2倍くらい仕事をして、お金と時間をやり繰りして通いました。ここには古代に大陸と奈良を結んだ古い道が通っていますが、その道がほとんど廃道になっていたのを再び開いて歩けるようにして通ったわけです。

はじめての接心は素晴らしい経験でした。完璧につくられたシステムなんです。1週間、無言で朝4時から夜9時まで、40分坐禅して、20分の歩行禅と休息の時間がありますが、それを繰り返していくんです。もう脱帽したという感じでした。それまで何年も一人で坐っていたのは、遊びにしか過ぎなかったとさえ思いました。独参といって老師と1対1で問答をしたり。

何よりも世界中から集まったダルマを探求する仲間たちといっしょに坐る、ものすごく凝縮した時間でしたね。ほんとうに学ぶということは、自らの全存在を賭けて行うものであるという当たり前のことを思い知らされました。

その頃から、宗派であるとか出家や在家ということではなく、ダルマを中心にした仏教の再生ということを考えていました。何よりも大事なことは一人でも多くの人が実際に坐禅するということです。仏教の原点というのは釈尊が菩提樹のもとで坐禅をして悟りを開かれたというところにあって、組織とか教義というのは二の次、三の次なんです。

国が違えば違う、規則や習慣などは決して普遍的なものではありません。ですから、最初からお坊さんになるつもりはまったくありませんでした。いつも一環してあったのは、仏教とか禅というのは月を指す指だということです。つまり問題にすべきはダルマそのものであると。
そうやってダルマを探求している過程で、オーム真理教の事件が起きたときには、禅の修行をしている人間としてほんとうにショックでした。

伝統に向き合い、継承することの大切さを改めて再認識させられました。仏教には、中心などというものはありません。言ってみれば全ての存在、その中の人間もすべての人が宇宙の中心なんです。ですからいわゆるグルイズムとかいうものは、全く仏教でもなんでもない。

お釈迦様がどういうことを言われたかというと、漢訳仏典には「自灯明、法灯明」とあります。つまり自己を灯としなさい、そしてダルマ=法を灯火としなさいと言っておられる。ダルマ=法というのは人の介在を許さない存在の事実そのものです。漢民族はダルマというサンスクリット語に「法」という字を当てました。

サンズイに去るですね。つまり、水が高いところから低いところに流れるというのは、仏教徒だけの真理ではなくて、地球上どこに行っても同じです。ですからイスラム教徒であろうとキリスト教徒であろうと、ダルマ(法)そのものとして在るのです。それを人が否定しようが攻撃しようが関係ない。人間の介在を許さない存在の事実そのものです。

その存在の事実、一人一人が宇宙の中心なんだということに即して人が共同性をつくる。当然、指導者はいても教祖なんていう存在はない。禅の師家とは、自らが必要とされることがなくなることを目的として仕事をしているのです。ですからほんらいの禅の道場というのはいつも外に開かれていて、閉じられた世界ではあってはいけないのです。

全てのものがサンガの一員

私にとってはコミューンや共同体という言葉よりサンガという言葉のほうが親しいですね。ここに来て30年になりますけど、こうした狭い地域社会で、人間だけを相手にしていると辛い時があるものです。ここは平安時代くらいから人が住み続けてきた土地ですが、地元の人達は共同性がなければ生きられないんです。こういう雪の深い山の中では。

現代においてはサンガ、共同性というのは人間だけを考えるんじゃなく、森の木々や野生の生き物、太陽や月、川、この土地、こうした全てのものと共に自分はいるんだと認識しながら生きていると楽しいし、豊かなんです。春になると里に下りていた山鳩が帰ってきたり、キツツキが繁殖のためにドラミングをはじめるんです。春一番、雪が解けて、その音が森に木霊する。

しばらくするとオオルリやサシバが渡ってくる。いつもそういう生き物たちとの生活がある。それは一つの場所に生き続けること、住み続けることのすばらしい喜びですね。そういうサンガ。人間は自然を収奪しなければ生きられませんし、今は鹿の害でほんとに畑もできないくらいの酷い状況ですが、それでもやっぱり全てのものをコミューンの一員として考える必要がある。共同性の構成員としてきちっと考えてこなかったから現在の結果になっているんだと思います。

私は昔から山が好きでしたから、あちこち旅したり山を歩いてる中で、日本の国土のすばらしい場所が公共事業の名のもとに破壊されていく現場を見てきました。この土地でも奥山の峰越林道に反対したり、イヌワシを守るための運動などもしてきましたが、結局それは、人間が自然から疎外されてしまってるために、そういうことが平気でできるわけです。

現代の環境問題の根源には、「心の汚染」といいますか、近代の誤った世界観、自然観、人間観がもたらしている問題があることに気がついた訳です。

禅では尽十方(じんじっぽう)世界真実身体というんですが、つまり宇宙がほんとうの身体なんだということです。本来、自分と分離したものは何もないということですが、それは悟りを開かないかぎりわからない。それなら「悟り」というのは何なんだろうということですが、漢字で書くとりっしんべんに吾(われ)ですよね。つまり吾の心。

では心とは何かが問題になるわけです。21世紀は「心の時代」だなんてコピーがありますが、みんな自分の心がわからないわけです。禅の修行で何を明らかにするかというと、簡単に言うと「心」を明らかにするんです。「則心是仏」心そのものが仏であると。道元禅師の書かれたものの中に「明らかに知りぬ 心とは山河大地なり 日月星辰なり」とありますが、われわれの心のなかに、この大地、山や川、太陽も月も星々もスッポリと入っているのです。

我々は通常すべてが分離され、境界のある世界しか知りません。それは仏教では差別の世界といいます。しかし私とあなたと宇宙をつらぬいている平等の世界があります。「空」ともいいますし「無」ともいいます。これまで宗教の世界では、それは特別な聖なる宗教的な世界として表現されてきました。しかし現代においては、そうあってはいけないのではないか。誰でもすべての人が当たり前のようにそのことを生きるというか、普通に認識することが必要なのです。

アメリカで環境運動に関わっている人達はおしなべて禅、特に道元禅師の著作を読んでいるということを知り驚きました。でも日本では分裂しているわけです。いわゆる精神世界を追及しているような人は現実的な環境問題にはあまり関心がなく、いつも自分の内面にしか関心がないし、逆に環境問題に関心を持っているような人は自分の内面とか意識にほとんど関心をもたないように。

それは非常に不幸だと思いますね。ほんらい、内側も外側もなく一つのものですから、両方とも必要なことだと思います。

ここでやるべきこと

ここでずっとやってきて、ようやく自分の生き方が見えてきたんです。為すべきことが。まず飯の種として山の仕事をしている際に、「拡大造林」という言葉に象徴されるような林業のありかたにこれは完全におかしい、こんなことをやっていたらとんでもないことになると、自分の体を通してわかったわけです。

これだけ雪が深い、しかも標高1000m近いところにまで杉や桧だけを植えることが、どれほど無理があるか。ここは生杉という地名もあるくらいでもともと天然杉があるところなんです。ところがその天然杉を全部伐ってしまって、よそから持ってきた杉の苗を植えるような愚かなことを平気でやっていたわけです。

それで行政に対して意見書を書いたり、滋賀県主催のフォーラムに出席したりして、当時の知事にも直接言いました。まあ、かなり変わってきましたけどね。奥山の成績不良地は、環境林として広葉樹と針葉樹が混じっている本来のこのあたりの森林の状態にもどしていこうということになりました。

今までのように林業というものを経済効率だけで考えるのではなく、ようやく環境の視点から見るようになった。というのは時代がそうなっていますし、莫大な税金を投入しても、それに見合うだけの結果が得られてないという状況があるので変わってきたんです。

その他にも禅堂を始めるまでは、いろいろなことをやりました。例えば、数年前から滋賀県には「やまの子」という森林環境教育の授業があります。それまでの滋賀県はすべての視点が琵琶湖に集中していて、琵琶湖を中心とした環境教育は20年以上前からありました。小学校5年生になると琵琶湖の船上で「うみの子」という1泊2日の環境教育授業を受けるんです。

でも琵琶湖の水はいったいどこから来るのか。その水源の森林について学ばなければ、琵琶湖にや水について半分しか学んだことにならない。片手落ちじゃないかという意見書を出したんです。そしていま「うみの子」に対になる「やまの子」授業というのが完全に制度化されました。

その他にもいくつものことに関わりましたが、私個人としては自分の人生の中でひとつやるべきことをやれたなと思うんです。自分の人生の時間も限られてますから、50歳を境にこうしたことからは手を引きました。この地域のことも問題ですが、もっと大きくダルマを中心に民族とか宗教とかすべてをこえて人間がほんらいどうあるのかということを共に探求できるような、そんな場所を作りたいと思っていたんです。

ずっとそのためにやってきたわけですから、その仕事に立ち返りました。ディープ・エコロジーについていえば、この思想は現代における仏教の創造的な展開、日本においては仏教、禅の再生を考えるときに大きな力になると考えているわけです。その提唱者であるノルウェーのアルネ・ネスという哲学者にも、来日した際に会うことができて、小浜の友人の寺や原発を案内できたことは、ほんとうに幸運でした。

ディープ・エコロジーによれば、現在の地球環境問題の原因は、近代以降、人間が自然に対してとってきた誤った態度にあると考えます。自然とは開発や征服の対象ではなく、人間と自然とはほんらい一体であり、自然のなかで自然にささえられて生きるのが人間という存在なのだと。

そうした正しい世界観を再発見することなしには、環境問題はけっして解決しない。つまり、現在の文明や社会のあり方を前提としたうえでの、いわゆる環境保護運動というものを否定せざるを得ない。地球規模の環境問題というのは、現代社会のシステムと文明 が生みだしたものですから、それを根本的に解決するためには、現在の社会システムと文明それ自体を変革することがどうしても必要となるはずです。

そのためには、現代社会に住むわれわれ一人一人が、まず自己の探求や暝想などによって誤った近代的世界観を捨て、ほんらいの有機的な生命世界のなかに織り込まれて存立している真の自己のあり方に目覚めること、そして生活をエコロジカルなものに改め、調和のとれた世界を実現していくための直接行動に立ち上がろうというのがディープ・エコロジーの基本的な考え方なんです。

ガンジーの思想やスピノザ、禅などをベースにした思想なのですから当然ですが、人間の内面に向き合い、その根源を探求してきた仏教が社会に向けてどう展開して行くのかという問題を考えるときに、ディープ・エコロジーの思想はとても参考になるのです。

ブナ帯の小宇宙

琵琶湖淀川水系の源流に位置するこの土地は、ブナ帯の小宇宙です。標高が460mから900mくらい、ここからちょっとあがるとブナがわーっと出てきます。ブナ帯の本場は東北ですが、西日本ではブナ帯の中に生活圏がある地域というのは、ほとんどないと思います。ここに暮らしてきた人達は、長い歴史の中で、当然、植生とか気候の影響を受けながら文化をつくっていくわけです。

先人は素晴らしい山村の文化を産み出しているんです。人間がある特定の環境の中でどんな生活文化を育んだのか。人間と自然、環境を考えるには最高の地域ですね。残念ながら、そうした知恵が、過疎と高齢化によってどんどん失われていきました。過疎によって、精神文化も含めた日本の文化の多様性が失われているんだ、という視点がほとんどないですね。

ほとんど経済的な視点からしか語られない。我々日本人は、海辺で生きたり、平野で生きたり、都市で生活したり多様ですが、不便で厳しい山村の文化にこそすばらしいものがある。特に人間と自然との関係をどういうふうに作ってきたのか。次の世代に伝えなければならない膨大な知恵があるんです。

那智勝浦の色川というところに、ここに参禅しにきた若い女性が移住しているんですが、その彼女がここの藁の使い方にしても民具にしてもものすごい繊細だと。それは冬3ヶ月雪があるからだろうと云ってましたが、それだけが理由ではないですね。和歌山県は林業先進県ですから、周りを見廻したらほとんど杉・檜なんです。そうしますと、多様な植生の中で、この木は何に使ったら一番人間の暮らしにとって役立にたつのかとか。

そうした自然環境との対話の中で、手仕事とか民具を産み出してきた伝統が、もうとうに切れている。一世代、二世代たつとそうした知恵は伝わらない。ところがここは山奥で、ブナ帯の小宇宙という特別な場所です。そういう中でついこの間までそうした知恵が、連綿と伝えられてきた。

一つの場所に住み続けるということには、地域の自然環境もそうですし、歴史や人の暮らしと対話しながら生きる、深い喜びというもがあります。定着をしなければわからない喜びというのもあるんですね。ぜひ、若い人たちもそうした知恵を大切にして欲しいと思い、なんとか次の世代に伝えていきたいという思いでいろんなことをやっています。

広大な旅・禅

飯高さんのつくった禅堂はお寺とはちがい、在家の人=飯高さんが指導して禅の修行をする場ということのようだ。HPに詳しい案内が出ており、修行したい人に開かれている。

禅の世界には印可証明というのがありまして、老師が参禅者に「あなたはもう私と同じになったから、もう参禅しなくて良ろしい。これからは自分で法を伝えていきなさい」というのを印可というんですけど、それを受けたからこそ私はこういうことをしているんです。自分免許ということは、禅の世界では許されません。

禅の伝統では、老師のもとに参禅して意識の根源に帰り着いた人が印可され、自分でまた別のところに道場を開いたわけです。たいていは山の中ですが。その人に力があれば人が集まってくるし、なければ来ない。それは縁ですから、来なければ来ないで悠然として生きるだけです。来たかったら来なさいと。

禅には長い伝統の中で、人間性のついての、あるいは人間と宇宙の関係についての深い対話があるわけです。国境や民族、2500年以上もの時間を超えて培われた非常に確かなものがあります。現代人は、そうした伝統に対してもっと謙虚であっていいと思いますね。

仏教の中でも禅はもっとも素晴らしい精神の伝統として、いまや世界中に広まっておりますが、その淵源の地である日本に生まれて、新興宗教や外国の仏教の修行をするというのは、何かとてももったいないような気がします。

わたくしがもっとも敬愛しているアメリカの詩人ゲイリー・スナイダーさんも、アメリカ先住民の知恵は先住民に生まれなければわからないが、日本の禅は必ず自分を受け入れてくれるだろうと最初から思っていたと。

彼にとっても問題はダルマそのものだったのですね。そこに至るために、先住民の文化を通して行くのか、でもそれは非常に難しいだろうと。その民族固有の方法論とかしきたりとか文化を通してできあがってるわけです。でも禅は普遍的なものですから。それで彼は日本に来て修行したわけです。

問題は何かということを、今の若い人もけっこう感づいているんじゃないでしょうかね。
最近、南米まで行きアヤワスカとか幻覚植物を求めて旅する若い人が多いようですね。それはきっと、当たり前だと思っている日常的な意識が、本来のものじゃないということを分かってるんでしょうね。

無意識のうちにだけど感じているんですよ。だからそういう意識を変えるようなドラッグとか、そういうものに惹かれるでしょうね。私の学生時代だとカルロス・カスタネダの「ドンファンの教え」なんていうのが流行ったんですが、文化人類学が明らかにしたように、人間の意識の根源は普遍的なものなんです。

それはダルマの探求によって悟りを開いたときに見えてくるものと、おそらく全く同じものだと思います。禅というのは多少の時間はかかりますけど、自分の根源的な意識に還る広大な旅でしたね。非常におもしろかったですよ。

───面白かった、ということは探求がずっと続いていくんじゃなくて、もう終わったということですか?

ハッキリと決着がつくものです。終わっていなかったら、禅堂なんて、こんなことをしていません。帰り着くことなしに印可ということは有り得ません。わたしは、現代におけるもっとも優れた禅の指導者である原田雪渓老師に出会い参禅できたことが、これまでの人生最高の幸運だったと思っています。

雪渓老師は出家しても、そのまま(在家)でもどちらでもいい「これからは新しい時代に即応した形で法を伝えるように」というのが老師の言葉です。
禅堂をやっていくには、お坊さんになった方がはるかに楽ですよ。お金とか社会的信用とか。

でも今問題なのは、人間が本来どういう存在なのか、宇宙と人間との関係、人間と人間との関係、真の自己の在りよう、いつの時代でも問題だったかもしれませんが、今の時代ほどこの根源的な問いを問題にしなければならない時代はないと思ってるんです。

その意味でここに来る人にはダルマそのものに向き合ってもらいたい。真の自己、宇宙そのものと向き合ってもらいたい。

そのために、ここには何宗であるとか出家であるとか在家とか、そうしたことは問題にしません。ダルマにとって本質的でないものはできるだけ簡略化して、しっかりした無理のない坐禅を相続し、作務をしたり、山を歩いてほしいのです。

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