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大多喜學道舎について

大多喜學道舎について

大多喜學道舎は、2013年4月8日の花祭の日に、ダルマサンガの第二禅堂として開単された。

目的の一つは、増えてきた東日本からの参禅者の便宜を図るためだが、いつも同じ環境の禅堂ではなく、時にはまったく違う「場」で摂心に参禅してみることも必要なことだ。誰しも、参禅の過程で無意識に自分の中に「枠」をつくってしまう。

そうした自意識が作り上げる巧妙な「枠」が、目覚めを妨げることになりがちだ。ただ単に、交通の便が良いから、近いからというだけでなく、時には朽木で、またある時には大多喜で参禅してみることが望ましいからである。

大多喜學道舎全景
弓の形をした日本列島の、矢をつがえる場所に当たる房総半島の中央部、太平洋岸よりの山中。現在の行政区分では夷隅郡大多喜町。太平洋に注ぐ夷隅川と東京湾に注ぐ養老川の分水嶺の源流域に位置する。

日本海型気候の冷温帯(ブナ帯)下部に在る朽木學道舎に対し、こちらはシイやカシからなる暖温帯の山の中。朽木が「陰」であるとすれば、太平洋に突き出た半島のこちらは「陽」。

古代の大国であった上総の国、そのほぼ中心部に位置する大多喜は、徳川四天王の一人本多忠勝が開いた城下町。周辺には「粟又の滝」で名高い養老渓谷や東大演習林、日蓮上人ゆかりの清澄寺など、自然環境のみならず、歴史的にも由緒ある素晴らしい土地である。

東京からの所要時間は2時間と少し。JR外房線の大原駅で「いすみ鉄道」に乗り換えた参禅者は、黄色いメルヘンチックな列車に揺られ、夷隅川沿いの鉄路を源流へと遡行する。あるいは、JR内房線の五井駅で小湊鐵道に乗り換え、養老川沿いを内陸に向かって延びるローカル列車に揺られながら、源流地帯を目指す。

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都会の喧騒や、日常生活の慌ただしさを離れ、ノンビリと列車に揺られて参禅に向かう時間そのものが得難い時間となり、充実した坐禅・摂心へといざなってくれる貴重な時間だ。

二つの鉄路の終点である上総中野駅で下車。駅から歩いて10分もかからない場所にもかかわらず、辺りは静かな田園地帯、朽木學道舎と同じく山に囲まれ、背後に川が流れ、日当たりの良い高台にある。文字どおりの「山環抱水」の地。

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周囲は様々な樹木に囲まれ、沢山の果樹も植えられ、一年中、花が絶えることはない。特に春には、山桜、オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ボタンザクラと、桜に囲まれる。

 

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近くには、良く耕された田んぼ。そして學道舎の眼前には、放棄され荒れ果て、野生に帰った耕作放棄地。私見によれば、禅堂の位置する「場」は、こうした野生と文化の接点に在ることがこそが望ましい。

到着した参禅者を迎えるように、玄関先には大きく枝葉を広げたスダジイの大木が屹立する。房総半島では、榊と同じようにご神木として扱うのだとか。土地面積は750坪ほどあり、朽木學道舎の1,5倍ほど。数寄屋建築の母屋は85坪。最大15人ほどの人が、宿泊し坐禅ができる。

大多喜學道舎の建物は、そう古くないこともあり窓が大きく明るい。そのため禅堂は薄暗い洞窟に入って行くようなイメージして改築工事を進めた。菩提達磨が面壁九年した洞窟。

大多喜學道舎 禅堂内部
過疎や少子化・高齢化によって、全国各地に空き家が増えているが、朽木も大多喜もそうした民家を禅堂に活用するための一つの提案でもある。全国各地の参禅者が、小さなサンガを作り、空き家を改築して、そこら中に禅堂があるようになれば、さぞかし素敵なことだろう。

もちろん、大多喜學道舎も何らの伝統や権威、格式にも無縁だ。朽木と同じく、都会からの距離は、必然的にやってくる参禅者を選別する。気軽に門を叩くような人はいない。参禅者は、みな深い問題意識と求道心を持つ方ばかりだ。

そうした人たちが参集する摂心は、朽木に劣らず真剣な充実したものとなる。摂心中の一切の私語を禁じることは、ダルマサンガの最も厳格な規矩の一つだ。挨拶も必要ない。大多喜は朽木と違い、線路や駅、国道に近く、日中は長閑な列車の汽笛の音などが聞こえるが、それでも朝晩は深い静寂に包まれる。ただ、風や川の音。そして朽木よりはるかに多様な鳥や虫達の鳴き声。

ダルマサンガには、少人数ながら僧侶も参禅されるが、あくまで在家中心の禅堂である。もちろん、男女は平等であり、入門の先輩後輩の別はあるにせよ、ゆるやかで民主的な関係を旨とする。

何よりも修行を中心とし、坐禅・摂心を大切にするために、最小限の規則があることは云うまでもない。男性と女性が共に同じ空間で坐るのはもちろん、振鈴や坐禅の開始や終了を告げる鐘も、初参禅の方は別として、男女の別なく順番に打って頂く。また、お経は初心の方でも戸惑うことのないよう、宗派に偏らない短く重要なものを最小限にしている。

警策(きょうさく)は、師家しか使うことを許されておらず、たまに策励のために打つことがあっても、罰策として使用することはない。全ては己の問題であり、誰に強制されるものでもないからだ。

足が痛む場合は静かに合掌し、速やかに組み替えることは許される。半跏趺坐も結跏趺坐も無理な場合は日本座、それでも無理な場合は、椅子を使うことも。

初参禅の方には最低6時間は睡眠を取るように指導しているが、大多喜學道舎でも夜坐が許されており、熱心な参禅者は、自発的に夜遅くまで坐禅を続ける。

当然のことで言うまでもないことであるが、ダルマサンガでは食事を何よりも大切にしている。大多喜でも同じく、摂心中は完全な精進料理。それを漆の応量器で頂く。調理はもちろん、その作法も含め、食事を頂くことが禅の修行そのものであるから。

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お米は、地元の知人が丹精込めて作って下さる、ほとんど農薬を使わないお米。ブナの森から流れ出る源流域の清冽な水で育まれた美味しいお米を、朽木から運び、五分搗きで炊く。厳選した調味料を使用い、野菜は側の畑の菜園で収穫したものを中心に、春には大多喜の名産であるタケノコや山菜、秋は沢山の種類のキノコなど。

ダルマサンガの坐禅は、身心の健康を目的とした「健康坐禅」とは程遠いが、却ってその食事や深い腹式呼吸、朝の真向法やチベット体操などにより、身心の健康と調和を回復するには良い時間となる。

摂心の最終日、最後の茶礼を済ませ、参禅者はそれぞれ下山の途につく。急ぎでない人は参禅者のクルマに同乗し、15分ほどのところにある七里川温泉へと向かう。千葉では珍しい硫黄泉だ。摂心で疲れた身体をほぐし、またノンビリとローカル線に揺られて帰途に着く。来る時は反対側の列車に乗れば、房総半島を横断したことになる。

大多喜學道舎開単の趣意と喜捨のお願い

 

大多喜學道舎の位置と環境

大多喜學道舎は、千葉県南部の房総丘陵に位置しています。
太平洋に注ぐ夷隅川と東京湾に流入する養老川の分水嶺が複雑に入り組んだ源流地帯、夷隅川の支流、板谷川上流にあります。
標高百メートル足らずとはいえ、深い森に覆われた急峻な山地地形や、渓流といった多様な環境があることから、陸上に限れば、房総丘陵は千葉県内でもっとも生物多様性が高い地域です。

古代は大国であった上総の国、現在の行政区域ですと夷隅郡大多喜町の西南部。大多喜町は房総半島のほぼ中央に位置し、東西約12km、南北約19km、総面積129.84k㎡と、千葉県の町村で最も広大な面積を有し、朽木と同じように、森林総面積の約70%を占める山郷です。

玄関先のシンボルツリー、スダジイの大木

玄関先のシンボルツリー、スダジイの大木



朽木學道舎が、日本海側気候のブナやミズナラ、アシュウスギなどからなる冷温帯の落葉広葉樹林帯に位置するのに対し、大多喜學道舎は、太平洋側のスダジイ、ヤブニッケイ、ウラジロガシ、アラカシなどからなる暖温帯の照葉樹林帯にあります。

コナラ、アカメガシワ、カラスザンショウ、ヤマザクラなどの落葉樹も点在していますが、日本文化の基層の一つである常緑広葉樹(照葉樹)が優占しています。

千葉県内に棲息するほ乳類の、ほとんどが確認されています。大型種としてはホンシュウジカ、イノシシ、ニホンザル、ホンドタヌキ、アナグマなど。

深い森林には多様な植物が生育し、そのため昆虫類も多く、さまざまな野鳥の棲息を可能にし、繋殖しています。年間を通して見られる種としては、キジ、コジュケイ、ホオジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロ、カワラヒワなど、30種にも及び、夏鳥はサシバ、アオバズク、オオルリ、サンコウチョウ、ホトトギス、ツツドリなどが確認されています。

晩秋から日本列島を南下してくる冬鳥の仲間ではオシドリ、マガモ、チョウゲンボウ、アカハラ、ジョウビタキ、ウソなど20種近くになります。


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交通・アクセス

大多喜學道舎

住所 298-0272 千葉県夷隅郡大多喜町市川109−1

TEL/FAX 0470-64-6543

(いすみ鉄道、小湊鉄道終点 上総中野駅下車 徒歩7分)
 

電車をご利用の場合(東京から大多喜まで)
*東京駅(地下京葉線ホーム)から、特急わかしお号で大原駅まで約70分、JR外房線快速で約120分。大原駅で「いすみ鉄道」に乗り換え、終点の上総中野まで50分。駅から徒歩7分。またJR等の乗り換えは、便利な駅探を使ってください。

いすみ鉄道時刻表

*東京駅からJR内房線快速約60分、五井駅下車。小湊鉄道に乗り換え約70分、終点の上総中野駅下車、徒歩7分。

小湊鉄道時刻表


高速バスをご利用の場合
*東京駅(八重洲口前)からアクアライン経由で70分、上総牛久下車。小湊鉄道に乗り換え40分、終点「上総中野駅」下車、徒歩7分。
または、東京駅からアクアライン経由で約100分、「大多喜オリブ前」下車。いすみ鉄道(城見ケ丘駅、徒歩3分)に乗り換え、終点「上総中野駅」まで25分。

お問合せ先
・京成バス TEL03-3691-0935

・鴨川日東バス TEL0470-92-1234

京成バス・鴨川日東バス時刻表

*横浜駅から羽田空港アクアライン経由で約90分、上総牛久下車。小湊鉄道に乗換え40分、終点上総中野駅下車、徒歩7分。

お問合せ先
・小湊バス長南営業所 TEL0475-46-3581
・小湊バス大多喜車庫 TEL0470-82-2821

小湊バス時刻表

*駅からの経路

上総中野駅

上総中野駅



改札口を出て駅前広場を直進し、国道を左折します。商店街を西に向かって400メートルほど進みますと、右手に神社があります。

神社前を左折する

神社前を左折する



神社の前のT字路を左折し、養老渓谷方面に向かいます。90メートルほどで小湊鉄道の踏切を渡り、さらに50メートルほど歩きますと左側に一軒目の民家(野口染物店)があります。

その前の路地を左に入り、50メートルほど進んだ左側の高台にあります。

 

国道からの入り口

国道からの入り口




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朽木學道舎
住所    〒520-1443 滋賀県高島市朽木小入谷263
TEL/FAX   0740-38-5173

≪京都から約2時間半の深山の禅堂です JR湖西線・安曇川(あどがわ)駅から、バスを1回乗り継ぎ、小入谷(おにゅうだに)バス停下車で徒歩2分≫

朽木學道舎への交通

バスでの行き方その1:JR安曇川駅から、江若バスと高島市営バスを乗り継ぐ方法
JR湖西線安曇川(あどがわ)駅下車。江若バス「朽木学校前行き」に乗車し、「朽木学校前」下車。(バス停は屋根トイレつき。ここのすぐ横にローソンあり)

学校前で、高島市営バス「針畑線 生杉(おいすぎ)行き」に乗り換え、「小入谷(おにゅうだに)」下車。時刻表は下に書きました。またJR等の乗り換えは、便利な駅探を使ってください。

高島市営バス針畑線のバスは大変小さいマイクロバスです。保育園児がたくさん乗っている場合は、園の送迎バスのように見えるので、それを見過ごしてしまわないようにご注意ください。

バス下車後は、そのまま上流に向かって徒歩2分。道路左側に茅葺屋根の朽木學道舎 があります。



もう一つの経路や車での行き方は下記のとおりですが、土日の運行のみですので、ご注意ください。

バスでの行き方その2:京都市の出町柳から京都バスと高島市営バスを乗り継ぐ方法

京都出町柳(京阪電車終点)から、京都バス10番「朽木学校前行き」に乗車し、「葛川(かつらがわ)梅ノ木」下車。60分。1050円。一日2本土日祝しかない。

京都バスホームページ ←ここで乗り場地図・時刻表・運賃表が確認できます。
7:45発と14:55発 の2本のみ(3月16日から12月15日の土曜・休日および 8月14・15・16日のみ運行) 葛川梅ノ木到着は60分ぐらい。

葛川梅ノ木で、8時52分発または16時40分発の「高島市営バス針畑線 生杉行き」に乗り換えます。市営バスのパス停標識はないので、京都バスの屋根つき停留所で待ちます。すぐ北側の理髪店に隣接してトイレつき無人木造の古い休憩所があります。バスは「小入谷おにゅうだに」下車。35分。220円。学道舎到着は9時27分または17時15分。

高島市営バス針畑線のバスは大変小さいマイクロバスです。保育園児がたくさん乗っている場合は、園の送迎バスのように見えるので、それを見過ごしてしまわないようにご注意ください。

車の場合
国道367号線を、梅の木、もしくは三石から入りどちらからも、いちばん奥の集落針畑地区「小入谷」へ。
京都からはR367大原、梅の木を経由して約1時間30分。安曇川からは朽木村市場、三石を経由して約1時間。

※京都から来られる場合、R367の梅ノ木(ここより先は携帯電話が圏外になります)を左折して西に向かい、渓流センターなどを越えて、途中久多の里オートキャンプ場を過ぎたところにある、『草の根農業小学校』の看板(道路わきの看板)の所で(上部の交通案内表示には、生杉方面と書いてあります)必ず右折してください。この辺で迷っても携帯電話はほぼ圏外ですので携帯から學道舎へは、電話できない可能性があります。

そのあとは一本道で、いちばん奥の集落「小入谷(おにゅうだに)」へ。バス停「小入谷おにゅうだに」の先100m左側の茅葺きの屋根の民家です。
道路際に、「朽木學道舎『寒山禅堂』」の小看板が出ています。


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JR湖西線、江若バス、高島市営バス時刻表(2012.04.30 最新の情報に書き改めました)

JR湖西線時刻表(2012/04/29確認済み)

バスでの行き方その1:JR安曇川駅から江若バスと高島市営バスを乗り継ぐ方法

JR安曇川駅から、江若バス 「朽木学校前」行か「細川」行かのどちらかに乗車して、28分で朽木学校前で下車します(2012/04/29確認済み)  そこで、高島市営バスの針畑線を待ちます。

(下記時刻表で下線を引いたものが、乗り換えの待ち時間が長くなくもっともスムーズに来れるバスです)

「安曇川駅」発    「朽木学校前」着  江若交通公式サイトバス時刻表  ①~⑤は高島市営バスとの連絡を示します
①7:47     8:15
8:35       9:03(平日のみ)
9:05       9:33(日曜、祭日のみ)
②10:40     11:08
③11:33     12:02
12:45      13:14
14:40      15:08
④15:31     15:59
16:35      17:04
⑤17:32     18:00
18:12      18:40
18:37      19:06
19:36      20:04

高島市営バス――針畑線 バス会社による針畑線時刻表
朽木学校前発 「生杉」行き (マイクロバスのような小さいバス)
「朽木学校前」発      「小入谷」着 (2012/04/29確認済み)
①8:37          9:32
②11:29         12:24
③12:27         13:22
④16:17         17:12
⑤18:47         19:42
①と③以外は八幡神社経由です。

(梅ノ木は学校前から約25分)

バスでの行き方その2:京都市の出町柳から京都バスと高島市営バスを乗り継ぐ方法

京都バス(3月16日から12月15日の土曜・休日および 8月14・15・16日のみ運行)
出町柳駅前発、朽木学校前行で葛川(かつらがわ)梅ノ木まで約1時間。ここで高島市営バスに乗り換え。京都バスホームページ ⑩朽木学校前行き

出町柳駅前  7:45 14:55

大 原    8:14 15:25
平      8:33 15:44
葛川梅の木  8:50 16:01 (ここで下車して待ちます 近くにトイレあります)

帰り
朽木学校前  9:30 17:00
葛川梅の木  9:48 17:19
平      10:05 17:36
大 原  10:24 17:55
出町柳駅前 10:54 18:24

 

【帰  路】

帰路
(最終日まで参加の方は、接心終了後の斎座(昼食)のあと座談がありますので、以下の④が最適です ③の場合は、学校前で待ち時間が長く④のバス利用の場合と同じ時間にJR安曇川到着となります)
小入谷(學道舎前)発  朽木学校前着 バス会社による針畑線時刻表
①7:05(土日祝)     8:08(八幡神社経由)
①7:18(平日)     8:08
②9:38          10:28
③12:38                   13:28
④13:38                   14:28
⑤17:21                    18:11

学校前発 安曇川駅行き  江若交通公式サイトバス時刻表
①9:22(平日)
①9:42(土日祝)
②10:36
11:32
12:42
③④14:37
15:34
16:38
17:44
⑤18:17
到着時間は省略。学校前から安曇川駅までは約28分

以上、時刻表は改定が行われることがありますので、上記URLなどで必ず時刻表の最新情報をご確認ください

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喜捨のお願い

大多喜學道舎開単趣意と喜捨のお願い

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ダルマサンガは、もとより寺院ではありませんから檀家もありません。また、法律で税上、優遇された宗教法人でもありません。

なぜなら、ダルマは時間や空間の制限を超えたものであり、特定の国や地域、時代に左右されるものではないからです。

ソビエト連邦の崩壊や、その後の東ヨーロッパの歴史を見るまでもなく、国家は絶対的な存在ではありません。ダルマは国家の存亡さえ超えた普遍のものです。

ダルマを探求すべく集うものが、国によって認められなければならないというものではありません。

ダルマサンガは、仮に宗教法人としての条件、資格ができたとしても、そうした在り方からは離れた自由な存在でありたいと思います。

何よりも組織ではなく「共に道を学ぶ集い」ですので、檀家制度や宗教法人などとは無縁です。

あくまでダルマサンガの趣旨と活動を理解し支援してくださる、自由な自立した有縁の方々や参禅者の喜捨(布施)によって運営するというのが原則的な姿勢です。

もとより額の多少を問うものではありません。ご理解ご協力のほど、どうかよろしくお願いいたします。合掌

 


*振込先 「ゆうちょ銀行」

クツキガクドウシャダルマサンガ

記号 14620 11427301

*他の金融機関からの振込み場合

店名 四六八(読み ヨンロクハチ) 店番 468 普通預金 1142730

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参玄記

*参禅者の参考に期するために、これから自らの参禅記を書く予定ですが、以下の文章の内容がその前半にあたります。以下、参考までに。

「名前のない新聞」というミニコミに掲載されたインタビュー

今年の山水人の祭りで「コミューン座談会」や「ナナオをしのぶ座談会」に出て頂いた飯高さんは、山水人の隣の谷に30年ほど前から住んでいる方で、山や自然に詳しく、山水人でも原生林をトレッキングする案内役にもなっていた。

また一方、若いころからの人間とは何かという問いを究めるため長年禅の修行をし、師から印可を受け、今は無宗派で出家在家に拘わらない自分の禅堂を主宰している人だ。

座談会での話がとてもおもしろかったので、もっと話を聞いてみたいと思い、10月半ばに朽木村小入谷の朽木學道舎を訪ねてお話をきかせてもらった。

探求の旅

高校を一度中退して旅をしたり、何かを求めていたという飯高さん。でもそれがいったい何なのか、自分でもわからなかったという。だから本を読むことと旅をすること、そしてアルバイトでいろんな人間に出会うこと。そんなことを繰り返しながらひたすら何かを模索していたという。

私の大学時代というのは、学生運動が激しかった後ですが、早稲田では学内で学生が同じ大学の学生によって殺されるという事件がありました。ですから政治的イデオロギーに対する不信が渦巻いてましたね。大学の外でも革マル派と中核派が鉄パイプで殴りあい、殺し合うという状況がありました。

そうした宗教的なドグマとか政治的なイデオロギーで人が対立し、最後には殺し合うような状況を見ながら、それでは人間には、いったいよりどころとなるような確固たるものは存在しないんだろうか、犬や猫のように生きるのが一番いいんだろうかという、そうした疑問がありましたね。いまでは犬や猫のように生きるのがいちばんいいことだと、良く分かってますが。(笑)

また環境の問題に関わり合うようになった底流には、子供のころから水俣の問題がありましたね。千葉に住んでいたんですが、隣の市にもチッソの工場があり、TVから伝わってくる「怨」と書かれたムシロ旗を持って座り込んでいる人達の光景は、いまだに目に焼き付いていて、忘れることはできません。

人間が豊かさを求めて作り上げたはずの近代社会が、その人間に対して刃を向けるというのはいったいどうしてなのか、という問題意識がずっとありました。もうひとつは成田ですね。光景として忘れられない象徴的なものは、自分の農地を守るために、百姓のお母さんが、自分の体に糞尿をかぶって鉄塔に体を鎖でしばりつけて抵抗したり。

そうしたニュースを見ながら思春期を過ごしましたから、反体制・反権力的なものが抜けきれないというのは、たぶんそういうところにあると思います。
そもそも人間とはいかなる存在なのか、その人間が構成する社会、国家とかを、書物や大学から与えられる知識ではなく、自分の頭で考え直してみたいと思い、大学を休学して当時は日本の社会から一番遠いように思えたインドに行きました。

いまから33年ほど前のことです。
大学を卒業する時にもまだ確たるものがなかったんですが、卒論では宮沢賢治の研究をしました。当時はまだ変わり種の詩人・童話作家ということで、日本の文学史、思想史の中でどう位置づけたらわからないような存在でしたね。私の研究は、特に仏教との関係で思想家としての宮沢賢治について書きました。

それがものすごくおもしろくなったことと、指導教官からも絶賛されましたので、大学を出たら何年間か山の中に入って勉強を続けたいと考えたんです。それがこの土地にやってきた理由です。とりあえず3年いて、それでまた東京にもどろうと思っていましたが、それから30年です。(笑い)

そして大学を卒業すると、学生時代に京都から日本海まで歩いた際に来たことがある朽木村に家を借りて入った。ここは冬には2mも雪が降り、ブナ帯の小宇宙でもあり、小さな東北とも言える土地。クマやシカ、夜鷹など、賢治の童話に出てくるような動物たちもほとんどいるという。

禅の予感

宮沢賢治がやろうとしたこと、表現しようとしたことは、近代の世界観、人間観を超えたものを表現しようとしていたんです。必ずそれは限界が来るということを、彼はわかっていたと思うんです。
賢治は一時はラジカルに法華経信仰に打ち込んでいた時期がありますが、十代の頃から5年くらい本格的に禅の修行をしているんです。

そのへんが彼の童話や詩やすべての源泉になっていると思います。
禅が探求するダルマというのは、そもそも宗派なんぞにはかかわりませんし、仏教だけに帰属するようなものでもありません。彼自身がダルマの実践をすることによって、とても深いところから物事を見たり考えたりすることが可能になり、それが彼の作品に普遍性をもたらしている。

賢治の生活圏は岩手県の花巻、盛岡周辺に限られた非常に狭い範囲でしたが、彼の世界が普遍性を獲得しているというのは、彼がダルマに目覚めていた人だからだと思います。特に法華経の信仰者に多いようですが、たいていの人は何か特定の信仰を持つと、その人の世界は閉じられた偏狭なものになってしまう。でも賢治の世界は、限りなく世界に対して開かれている。それは何故なのか。

高校や大学時代、いろんなことを考えてもわからないわけですが、その答えは禅にしかないだろうというのはあったんです。つまりほんとうに大切なことは外から与えられるものではなく、答えというのは必ず自分の中にある。それを見いだすためには禅の修行をするしかないだろうという、直感めいたものがありました。

教えとしてどれほど素晴らしい言葉があったとしても、それは自分のものではない。「門より入るものは、これ家珍にあらず」という言葉がありますが、それは外側から入ってくるものはあなたのほんとうの宝ではないということです。イデオロギーや宗教的ドグマ、あるいは他者が作り上げた哲学などではなく、自らの内側に答えを求めて禅の修行をはじめたんです。

ここへ来た頃は、日本の仏教の現状に失望しておりましたから、宮沢賢治の研究をしながら、土地のおじいさんに炭焼きや昔の暮らし、山の様子などいろんなことを教わったり、自分で周囲の植生や野生動物などを調べたり、山仕事をしながら暮らしていました。そして独りで坐禅をしていました。

そうこうしているうちに、3、4年して祖牛さん(本紙2008.11月号登場)が隣の谷に入ってきて出会い、友達になったんです。祖牛さんを通じてまずナナオと知り合うことができました。ナナオがここで詩の朗読会をやることになり、一緒に原生林を歩いたり酒を飲んだりするつきあいが始まりました。

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アレン・ギンズバーグ、サカキナナオと美浜原発の対岸で



それから88年にアレン・ギンズバーグに会わせてくれ、その後の92年でしたかゲイリー・スナイダーに会わせてくれました。彼は、若いころは山林労働をし、日本で12年も禅の修行をした人ですが、寒山や宮沢賢治の英訳をしたり、「骨輪禅堂」という禅堂を作ったり、それは非常に驚きでしたね。要するに私がやろうとしたことをもうみんなやっているんですから。

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鵜の瀬にて、ゲリー・スナイダーと



それまでは、それぞれ海の向こうのしかも雲の上の人だったんですが、人生っておもしろいもので、共に山を歩いたり、大阪で中之島から関電の本社まで反原発のデモ行進をしたりして。私が修行した小浜の禅道場にも案内しました。明通寺の中嶋哲演さんのところにはみんな連れてってますよ。そうした得難い出会いをもたらしてくれた祖牛さんやナナオには、ほんとに深く感謝しています。

仲間たちと、京大西部講堂や小浜の県立図書館でナナオと彼らの詩の朗読会を主催しましたが、両方とも大盛況でした。当時、わたしは若造でしたが、一人の人間としてとてもきちんと応対してくれたことに感動しました。今になって思えばそれは同じ道を歩むダルマ・フレンドに対する敬意だったと思います。

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月を指す指

祖牛さんとは、彼も比叡山や大徳寺で修行してきた人なので、話があったわけです。そして彼から、一山越えた若狭の小浜に世界中から参禅者が集まっているお寺があると教えられたので、フッと行ってみようという気になり、はじめて接心に参加しました。

当時も、今に劣らず貧乏暮らしでしたから、歩いて山を越え、小浜の禅道場まで摂心という一週間の集中坐禅、それが一年に6回あるんですが、他の人の2倍くらい仕事をして、お金と時間をやり繰りして通いました。ここには古代に大陸と奈良を結んだ古い道が通っていますが、その道がほとんど廃道になっていたのを再び開いて歩けるようにして通ったわけです。

はじめての接心は素晴らしい経験でした。完璧につくられたシステムなんです。1週間、無言で朝4時から夜9時まで、40分坐禅して、20分の歩行禅と休息の時間がありますが、それを繰り返していくんです。もう脱帽したという感じでした。それまで何年も一人で坐っていたのは、遊びにしか過ぎなかったとさえ思いました。独参といって老師と1対1で問答をしたり。

何よりも世界中から集まったダルマを探求する仲間たちといっしょに坐る、ものすごく凝縮した時間でしたね。ほんとうに学ぶということは、自らの全存在を賭けて行うものであるという当たり前のことを思い知らされました。

その頃から、宗派であるとか出家や在家ということではなく、ダルマを中心にした仏教の再生ということを考えていました。何よりも大事なことは一人でも多くの人が実際に坐禅するということです。仏教の原点というのは釈尊が菩提樹のもとで坐禅をして悟りを開かれたというところにあって、組織とか教義というのは二の次、三の次なんです。

国が違えば違う、規則や習慣などは決して普遍的なものではありません。ですから、最初からお坊さんになるつもりはまったくありませんでした。いつも一環してあったのは、仏教とか禅というのは月を指す指だということです。つまり問題にすべきはダルマそのものであると。
そうやってダルマを探求している過程で、オーム真理教の事件が起きたときには、禅の修行をしている人間としてほんとうにショックでした。

伝統に向き合い、継承することの大切さを改めて再認識させられました。仏教には、中心などというものはありません。言ってみれば全ての存在、その中の人間もすべての人が宇宙の中心なんです。ですからいわゆるグルイズムとかいうものは、全く仏教でもなんでもない。

お釈迦様がどういうことを言われたかというと、漢訳仏典には「自灯明、法灯明」とあります。つまり自己を灯としなさい、そしてダルマ=法を灯火としなさいと言っておられる。ダルマ=法というのは人の介在を許さない存在の事実そのものです。漢民族はダルマというサンスクリット語に「法」という字を当てました。

サンズイに去るですね。つまり、水が高いところから低いところに流れるというのは、仏教徒だけの真理ではなくて、地球上どこに行っても同じです。ですからイスラム教徒であろうとキリスト教徒であろうと、ダルマ(法)そのものとして在るのです。それを人が否定しようが攻撃しようが関係ない。人間の介在を許さない存在の事実そのものです。

その存在の事実、一人一人が宇宙の中心なんだということに即して人が共同性をつくる。当然、指導者はいても教祖なんていう存在はない。禅の師家とは、自らが必要とされることがなくなることを目的として仕事をしているのです。ですからほんらいの禅の道場というのはいつも外に開かれていて、閉じられた世界ではあってはいけないのです。

全てのものがサンガの一員

私にとってはコミューンや共同体という言葉よりサンガという言葉のほうが親しいですね。ここに来て30年になりますけど、こうした狭い地域社会で、人間だけを相手にしていると辛い時があるものです。ここは平安時代くらいから人が住み続けてきた土地ですが、地元の人達は共同性がなければ生きられないんです。こういう雪の深い山の中では。

現代においてはサンガ、共同性というのは人間だけを考えるんじゃなく、森の木々や野生の生き物、太陽や月、川、この土地、こうした全てのものと共に自分はいるんだと認識しながら生きていると楽しいし、豊かなんです。春になると里に下りていた山鳩が帰ってきたり、キツツキが繁殖のためにドラミングをはじめるんです。春一番、雪が解けて、その音が森に木霊する。

しばらくするとオオルリやサシバが渡ってくる。いつもそういう生き物たちとの生活がある。それは一つの場所に生き続けること、住み続けることのすばらしい喜びですね。そういうサンガ。人間は自然を収奪しなければ生きられませんし、今は鹿の害でほんとに畑もできないくらいの酷い状況ですが、それでもやっぱり全てのものをコミューンの一員として考える必要がある。共同性の構成員としてきちっと考えてこなかったから現在の結果になっているんだと思います。

私は昔から山が好きでしたから、あちこち旅したり山を歩いてる中で、日本の国土のすばらしい場所が公共事業の名のもとに破壊されていく現場を見てきました。この土地でも奥山の峰越林道に反対したり、イヌワシを守るための運動などもしてきましたが、結局それは、人間が自然から疎外されてしまってるために、そういうことが平気でできるわけです。

現代の環境問題の根源には、「心の汚染」といいますか、近代の誤った世界観、自然観、人間観がもたらしている問題があることに気がついた訳です。

禅では尽十方(じんじっぽう)世界真実身体というんですが、つまり宇宙がほんとうの身体なんだということです。本来、自分と分離したものは何もないということですが、それは悟りを開かないかぎりわからない。それなら「悟り」というのは何なんだろうということですが、漢字で書くとりっしんべんに吾(われ)ですよね。つまり吾の心。

では心とは何かが問題になるわけです。21世紀は「心の時代」だなんてコピーがありますが、みんな自分の心がわからないわけです。禅の修行で何を明らかにするかというと、簡単に言うと「心」を明らかにするんです。「則心是仏」心そのものが仏であると。道元禅師の書かれたものの中に「明らかに知りぬ 心とは山河大地なり 日月星辰なり」とありますが、われわれの心のなかに、この大地、山や川、太陽も月も星々もスッポリと入っているのです。

我々は通常すべてが分離され、境界のある世界しか知りません。それは仏教では差別の世界といいます。しかし私とあなたと宇宙をつらぬいている平等の世界があります。「空」ともいいますし「無」ともいいます。これまで宗教の世界では、それは特別な聖なる宗教的な世界として表現されてきました。しかし現代においては、そうあってはいけないのではないか。誰でもすべての人が当たり前のようにそのことを生きるというか、普通に認識することが必要なのです。

アメリカで環境運動に関わっている人達はおしなべて禅、特に道元禅師の著作を読んでいるということを知り驚きました。でも日本では分裂しているわけです。いわゆる精神世界を追及しているような人は現実的な環境問題にはあまり関心がなく、いつも自分の内面にしか関心がないし、逆に環境問題に関心を持っているような人は自分の内面とか意識にほとんど関心をもたないように。

それは非常に不幸だと思いますね。ほんらい、内側も外側もなく一つのものですから、両方とも必要なことだと思います。

ここでやるべきこと

ここでずっとやってきて、ようやく自分の生き方が見えてきたんです。為すべきことが。まず飯の種として山の仕事をしている際に、「拡大造林」という言葉に象徴されるような林業のありかたにこれは完全におかしい、こんなことをやっていたらとんでもないことになると、自分の体を通してわかったわけです。

これだけ雪が深い、しかも標高1000m近いところにまで杉や桧だけを植えることが、どれほど無理があるか。ここは生杉という地名もあるくらいでもともと天然杉があるところなんです。ところがその天然杉を全部伐ってしまって、よそから持ってきた杉の苗を植えるような愚かなことを平気でやっていたわけです。

それで行政に対して意見書を書いたり、滋賀県主催のフォーラムに出席したりして、当時の知事にも直接言いました。まあ、かなり変わってきましたけどね。奥山の成績不良地は、環境林として広葉樹と針葉樹が混じっている本来のこのあたりの森林の状態にもどしていこうということになりました。

今までのように林業というものを経済効率だけで考えるのではなく、ようやく環境の視点から見るようになった。というのは時代がそうなっていますし、莫大な税金を投入しても、それに見合うだけの結果が得られてないという状況があるので変わってきたんです。

その他にも禅堂を始めるまでは、いろいろなことをやりました。例えば、数年前から滋賀県には「やまの子」という森林環境教育の授業があります。それまでの滋賀県はすべての視点が琵琶湖に集中していて、琵琶湖を中心とした環境教育は20年以上前からありました。小学校5年生になると琵琶湖の船上で「うみの子」という1泊2日の環境教育授業を受けるんです。

でも琵琶湖の水はいったいどこから来るのか。その水源の森林について学ばなければ、琵琶湖にや水について半分しか学んだことにならない。片手落ちじゃないかという意見書を出したんです。そしていま「うみの子」に対になる「やまの子」授業というのが完全に制度化されました。

その他にもいくつものことに関わりましたが、私個人としては自分の人生の中でひとつやるべきことをやれたなと思うんです。自分の人生の時間も限られてますから、50歳を境にこうしたことからは手を引きました。この地域のことも問題ですが、もっと大きくダルマを中心に民族とか宗教とかすべてをこえて人間がほんらいどうあるのかということを共に探求できるような、そんな場所を作りたいと思っていたんです。

ずっとそのためにやってきたわけですから、その仕事に立ち返りました。ディープ・エコロジーについていえば、この思想は現代における仏教の創造的な展開、日本においては仏教、禅の再生を考えるときに大きな力になると考えているわけです。その提唱者であるノルウェーのアルネ・ネスという哲学者にも、来日した際に会うことができて、小浜の友人の寺や原発を案内できたことは、ほんとうに幸運でした。

ディープ・エコロジーによれば、現在の地球環境問題の原因は、近代以降、人間が自然に対してとってきた誤った態度にあると考えます。自然とは開発や征服の対象ではなく、人間と自然とはほんらい一体であり、自然のなかで自然にささえられて生きるのが人間という存在なのだと。

そうした正しい世界観を再発見することなしには、環境問題はけっして解決しない。つまり、現在の文明や社会のあり方を前提としたうえでの、いわゆる環境保護運動というものを否定せざるを得ない。地球規模の環境問題というのは、現代社会のシステムと文明 が生みだしたものですから、それを根本的に解決するためには、現在の社会システムと文明それ自体を変革することがどうしても必要となるはずです。

そのためには、現代社会に住むわれわれ一人一人が、まず自己の探求や暝想などによって誤った近代的世界観を捨て、ほんらいの有機的な生命世界のなかに織り込まれて存立している真の自己のあり方に目覚めること、そして生活をエコロジカルなものに改め、調和のとれた世界を実現していくための直接行動に立ち上がろうというのがディープ・エコロジーの基本的な考え方なんです。

ガンジーの思想やスピノザ、禅などをベースにした思想なのですから当然ですが、人間の内面に向き合い、その根源を探求してきた仏教が社会に向けてどう展開して行くのかという問題を考えるときに、ディープ・エコロジーの思想はとても参考になるのです。

ブナ帯の小宇宙

琵琶湖淀川水系の源流に位置するこの土地は、ブナ帯の小宇宙です。標高が460mから900mくらい、ここからちょっとあがるとブナがわーっと出てきます。ブナ帯の本場は東北ですが、西日本ではブナ帯の中に生活圏がある地域というのは、ほとんどないと思います。ここに暮らしてきた人達は、長い歴史の中で、当然、植生とか気候の影響を受けながら文化をつくっていくわけです。

先人は素晴らしい山村の文化を産み出しているんです。人間がある特定の環境の中でどんな生活文化を育んだのか。人間と自然、環境を考えるには最高の地域ですね。残念ながら、そうした知恵が、過疎と高齢化によってどんどん失われていきました。過疎によって、精神文化も含めた日本の文化の多様性が失われているんだ、という視点がほとんどないですね。

ほとんど経済的な視点からしか語られない。我々日本人は、海辺で生きたり、平野で生きたり、都市で生活したり多様ですが、不便で厳しい山村の文化にこそすばらしいものがある。特に人間と自然との関係をどういうふうに作ってきたのか。次の世代に伝えなければならない膨大な知恵があるんです。

那智勝浦の色川というところに、ここに参禅しにきた若い女性が移住しているんですが、その彼女がここの藁の使い方にしても民具にしてもものすごい繊細だと。それは冬3ヶ月雪があるからだろうと云ってましたが、それだけが理由ではないですね。和歌山県は林業先進県ですから、周りを見廻したらほとんど杉・檜なんです。そうしますと、多様な植生の中で、この木は何に使ったら一番人間の暮らしにとって役立にたつのかとか。

そうした自然環境との対話の中で、手仕事とか民具を産み出してきた伝統が、もうとうに切れている。一世代、二世代たつとそうした知恵は伝わらない。ところがここは山奥で、ブナ帯の小宇宙という特別な場所です。そういう中でついこの間までそうした知恵が、連綿と伝えられてきた。

一つの場所に住み続けるということには、地域の自然環境もそうですし、歴史や人の暮らしと対話しながら生きる、深い喜びというもがあります。定着をしなければわからない喜びというのもあるんですね。ぜひ、若い人たちもそうした知恵を大切にして欲しいと思い、なんとか次の世代に伝えていきたいという思いでいろんなことをやっています。

広大な旅・禅

飯高さんのつくった禅堂はお寺とはちがい、在家の人=飯高さんが指導して禅の修行をする場ということのようだ。HPに詳しい案内が出ており、修行したい人に開かれている。

禅の世界には印可証明というのがありまして、老師が参禅者に「あなたはもう私と同じになったから、もう参禅しなくて良ろしい。これからは自分で法を伝えていきなさい」というのを印可というんですけど、それを受けたからこそ私はこういうことをしているんです。自分免許ということは、禅の世界では許されません。

禅の伝統では、老師のもとに参禅して意識の根源に帰り着いた人が印可され、自分でまた別のところに道場を開いたわけです。たいていは山の中ですが。その人に力があれば人が集まってくるし、なければ来ない。それは縁ですから、来なければ来ないで悠然として生きるだけです。来たかったら来なさいと。

禅には長い伝統の中で、人間性のついての、あるいは人間と宇宙の関係についての深い対話があるわけです。国境や民族、2500年以上もの時間を超えて培われた非常に確かなものがあります。現代人は、そうした伝統に対してもっと謙虚であっていいと思いますね。

仏教の中でも禅はもっとも素晴らしい精神の伝統として、いまや世界中に広まっておりますが、その淵源の地である日本に生まれて、新興宗教や外国の仏教の修行をするというのは、何かとてももったいないような気がします。

わたくしがもっとも敬愛しているアメリカの詩人ゲイリー・スナイダーさんも、アメリカ先住民の知恵は先住民に生まれなければわからないが、日本の禅は必ず自分を受け入れてくれるだろうと最初から思っていたと。

彼にとっても問題はダルマそのものだったのですね。そこに至るために、先住民の文化を通して行くのか、でもそれは非常に難しいだろうと。その民族固有の方法論とかしきたりとか文化を通してできあがってるわけです。でも禅は普遍的なものですから。それで彼は日本に来て修行したわけです。

問題は何かということを、今の若い人もけっこう感づいているんじゃないでしょうかね。
最近、南米まで行きアヤワスカとか幻覚植物を求めて旅する若い人が多いようですね。それはきっと、当たり前だと思っている日常的な意識が、本来のものじゃないということを分かってるんでしょうね。

無意識のうちにだけど感じているんですよ。だからそういう意識を変えるようなドラッグとか、そういうものに惹かれるでしょうね。私の学生時代だとカルロス・カスタネダの「ドンファンの教え」なんていうのが流行ったんですが、文化人類学が明らかにしたように、人間の意識の根源は普遍的なものなんです。

それはダルマの探求によって悟りを開いたときに見えてくるものと、おそらく全く同じものだと思います。禅というのは多少の時間はかかりますけど、自分の根源的な意識に還る広大な旅でしたね。非常におもしろかったですよ。

───面白かった、ということは探求がずっと続いていくんじゃなくて、もう終わったということですか?

ハッキリと決着がつくものです。終わっていなかったら、禅堂なんて、こんなことをしていません。帰り着くことなしに印可ということは有り得ません。わたしは、現代におけるもっとも優れた禅の指導者である原田雪渓老師に出会い参禅できたことが、これまでの人生最高の幸運だったと思っています。

雪渓老師は出家しても、そのまま(在家)でもどちらでもいい「これからは新しい時代に即応した形で法を伝えるように」というのが老師の言葉です。
禅堂をやっていくには、お坊さんになった方がはるかに楽ですよ。お金とか社会的信用とか。

でも今問題なのは、人間が本来どういう存在なのか、宇宙と人間との関係、人間と人間との関係、真の自己の在りよう、いつの時代でも問題だったかもしれませんが、今の時代ほどこの根源的な問いを問題にしなければならない時代はないと思ってるんです。

その意味でここに来る人にはダルマそのものに向き合ってもらいたい。真の自己、宇宙そのものと向き合ってもらいたい。

そのために、ここには何宗であるとか出家であるとか在家とか、そうしたことは問題にしません。ダルマにとって本質的でないものはできるだけ簡略化して、しっかりした無理のない坐禅を相続し、作務をしたり、山を歩いてほしいのです。

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朽木學道舎について

草堂

草堂朽木學道舎は、ダルマサンガの第一禅堂。



朽木學道舎は、ダルマサンガの第一禅堂。

2001年5月に開単した禅堂には、爾来、十数年の間、一年に10回ほど開かれる摂心を中心に、全国各地から年齢や性別、職業など、実に多様な人々が参集され、すでに延べ数百人の方が共に坐禅を行じている。

朽木學道舎を目指してやってくる参禅者は、琵琶湖へと注ぐ安曇川沿いの細い山道を来るしか道はなく、その道は源流沿いに山裾を縫うように続いている。そして安曇川の源流最奥の集落にある學道舎に到着する。

小さなバスに揺られ、源流へと遡行する時間こそが、これから始まる摂心のための大切な導入部なのだ。

確かに、交通の至便な東京や京都などの都会の中に在り、何の苦労もなく気軽に行ける禅堂も、とても有難い存在だ。しかし、遥か中国の唐代の昔から、禅の道場のほとんど全ては、山の奥深い場所にあった。現在にいたるも、京都や鎌倉の街の中にあるお寺が、山などないにも係わらず、寺号とともに山号を持つことからも明らかだ。

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それは、古の精神の探求者でたちが、道場の在るべき土地や空間の力を、熟知していたからに違いない。日本においても、弘法大師空海や伝教大師最澄の頃まではそうであった。

道元禅師もまた、京の都を離れ、理想的な道場の場を、雪深い北陸の山中に求めた。永平寺は、もともと現在の地よりさらに高い大仏山の頂上近くにあったようだが、道元禅師もまた、山や森、その土地の持つ力を感じ取る鋭敏な感覚の持ち主であったろう。

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現在の高野山や比叡山、永平寺は、残念ながらもはや門前の喧騒から自由ではない。
西日本の暖温帯に位置しながら、彼らが自らの修行の「場」として求めたのは、標高の高い山中であった。

そこは冷温帯の夏でも涼しい場所であり、修行のためにはオゾンや気圧の状態が、人間の意識に最も良い影響を及ぼすことを、経験的に把握していたに違いない。

現代社会の喧騒の中に生きる我々は、そうした「場」や空間、山や川、森の持つ力を感じ取る能力を失っている。そうした感覚や感性を取り戻すには、現代ような時代であればこそ、ほんらい在るべき「場」になければならない。

朽木學道舎の中心となる草堂は、背後の山に抱かれるように東を向いて建ち、前を川が流れるという理想的な環境の中に在る。學道舎の草堂を見て「まるで地面から生えたようだ」と言った参禅者人がいたが、茅葺屋根の禅堂は、厚い土壁ろ巨大な梁が舟の竜骨のように巡る高い天井と相まって、旧盆摂心が行われる盛夏でも、ヒンヤリとしてとて涼しい。また、雨が降ってもほとんど音がしない。

禅堂は草堂の山側半分を改築したものであり、定員はほぼ15名ほど。毎回、参加するメンバーが違う在家の禅堂では、一回一回、名前を覚え、独参で充分な時間が取れる限界の人数だ。大きな囲炉裏の回り、無垢の桧を張ったフラットな床の上に、面壁で坐る。

所謂、床より高い位置に坐る「単」はない。それは坐禅以外にも使うという実際的な利便性を考えてのこともあるが、何より坐禅が持つその「大地性」を大切にしたいからだ。

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禅の世界的な学者であった鈴木大拙は、禅の持つ大きな特徴の一つとして、その「大地性」に言及する。確かに、一切を受け入れ、一切を育むと大地は地蔵菩薩の徳に象徴されるように、禅の精神性そのものだ。

坐禅の「坐」という漢字は、土の上に二人の人。ゴータマ・シッダールタが大地にシッカリと根を張ったピッパラ樹の下、大地にドッシリと坐り禅定に入られたのも、インドの暑熱を避けるという実際的な問題はあったろうが、やはり、その大地の持つ力を感じていたに違いない。

直立二足歩行をし、手で自由に火や道具を使い、周囲の環境を改変して行くのが人間の属性だとすれば、足や手を組み、その方向を内側に向け、人間以前の生命存在そのもに帰る、坐禅とはそうした営為だ。

日本に禅が伝えられてから、すでに千年近い歳月が流れた。それにも係わらず、現代に至るまで、日本各地の禅堂のそのほとんどが、いまだ中国宋代の建築様式を踏襲したものだ。そしてその中で行われる提唱や参禅は、いまだ漢文脈を出ることはない。

確かに、唐や宋の禅の黄金時代に産み出された文化や祖録、語録が、それほど素晴らしく優れたものであることは云うまでもないが、そろそろ現代の日本に相応しいものにすべき時ではないだろうか。

朽木學道舎が、雪深い厳しい環境の不便な山奥に位置すること。そしてまた、何らの伝統も権威も格式ももたないことが、否応なくやってくる参禅者を選別する。安易な気持ちの人は来るはずもなく、學道舎に集う学人は押しなべて、深い問題意識と求道心を持つ人ばかりになる。

そうした人たちが参集するダルマサンガの摂心は、真剣そのものであり、少人数とは云え、毎回、充実したものとなる。摂心中は一切の私語が禁じられ、挨拶なども全く必要ない。深い沈黙と静寂の中、ただ、風や川の音、そして鳥や獣、虫達の音が聞こえるだけだ。

また、ダルマサンガはいかなる権威主義とも無縁であり、僧侶も参禅されるが、あくまで在家中心の禅堂である。もちろん、男女は平等であり、入門の先輩後輩の別はあるにせよ、ゆるやかで民主的な関係を旨とする。何よりも修行を中心とし、坐禅・摂心を大切にすらために、最小限の規則があることは云うまでもない。

男性と女性が共に同じ空間で坐るのはもちろん、振鈴や坐禅の開始や終了を告げる鐘も、初参禅の方は別として、男女の別なく順番に打って頂くようにしている。また、お経は初心の方でも戸惑うことのないよう、宗派に偏らない短く重要なものを最小限にしている。

警策(きょうさく)は、師家しか使うことを許されておらず、たまに策励のために打つことがあっても、罰策として使用することはない。全ては、己の問題であり、誰に強制されものではないからだ。

足が痛む場合は静かに合掌し、速やかに組み替えたりすることは許される。半跏趺坐も結跏趺坐も無理な場合は日本座、それでも無理な場合は、椅子を使うことも許されている。

初参禅の方には最低6時間は睡眠を取るように指導しているが、夜坐も許されており、旧参の参禅者のほとんどは、自発的に夜遅くまで坐禅を続ける。

当然のことで言うまでもないことであるが、ダルマサンガでは食事を何よりも大切にしている。摂心中は完全な精進料理。それを漆の応量器で頂く。調理はもちろん、その作法も含め、食事を頂くことが禅の修行そのものであるから。

お米は、地元の知人が丹精込めて作って下さる、ほとんど農薬を使わなお米。ブナの森から流れ出る源流域の清冽な水で育まれた美味しいお米を、五分搗きでお出している。調味料も厳選したものを使用し、野菜は前の畑の菜園で収穫したものを中心に、春には山菜、秋は沢山の種類のキノコなど。

ダルマサンガの坐禅は、身心の健康を目的とした「健康坐禅」とは程遠いが、却ってその食事や深い腹式呼吸、朝の真向法やチベット体操などにより、身心の健康と調和を回復するには良い時間となる。

摂心は最終日の正午には終わり、最終日の斎座(昼食)は、いつもカレーが定番だ。肉の入らないピースカレー。このときばかりは私語も許され、その後の茶話会まで、参禅者同士の楽しい会話が花開く。

その後、最後の茶礼を済ませ、参禅者はそれぞれ下山の途につく。急ぎでない人は、自家用車で来られた参禅者のクルマに同乗し、朽木温泉に向かう。ユッタリと湯船に浸かり、摂心の疲れを癒してから家路に着くのも、また格別だ。

 

位置と環境

山居buna

夜座更たけて眠り未だ熟せず

まことに知る弁道は山林に可なることを

渓声耳に入り月眼に到る

この外更に何の用心をかもちいん

ー道元禅師ー

琵琶湖に流入する安曇川の支流、針畑川の源流に位置し、日本海と太平洋の分水嶺にそびえる百里ヶ岳の南西の小さな谷間にあります。(滋賀、福井、京都の三府県の境に近い滋賀県西北部)


標高500メートル近い山間部のため、冬季には2メートルもの積雪があり、典型的な雪国です。気候は暖温帯から冷温帯への移行帯に 属し、そのため付近はブナやミズナラ、トチノキ、アシュウスギなどからなる豊かな森林地帯です。

ツキノワグマ、カモシカ、ニホンジカ、キツネ、テンなどの大型ほ乳類。鳥類ではオシドリ、ヤマセミ、カワガラスなどの渓流の鳥アオ ゲラ、コゲラ、ヤマガラなどの森林の鳥が生息し、夏にはカッコー、ホトトギス、ヨタカなどが渡ってきます。さらには、百里ヶ岳の周 辺にはイヌワシ、クマタカなどの猛禽類が生息しております。



朽木學道舎は背後に山を抱えて東に面して建ち、前には針畑川が南流するという優れた地理的環境に恵まれ、また古代より大陸や朝鮮半 島から若狭へと海を渡って来た人々が、奈良や京都の都へと歩いた古くからの街道のそばにあり、歴史的にも象徴的な場所に位置してお ります。

木々の梢を渡る風や、裏の山裾を流れる水の音。ときおり聞こえる鳥やけものたちの鳴き声。漆黒の闇に煌めく星座。雪の中の静寂。雪 解けとともに始まるめくるめくような春の息吹。夏空に浮かぶ白い雲。ホタルの乱舞。秋の紅葉のシンフォニー。 ここにはほんとうの光と闇、そして静寂があります.
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施設の概要

施設の概要

朽木學道舎



中心施設である草堂は、明治30年に建てられた伝統的な茅葺き民家を創造的に改築し、禪堂として再生したもの。

豪雪によって曲げられた天然杉の太い梁と、檜の五寸柱に支えられた合掌構造の屋根を持つ三層の建物です。

禪堂部分はおよそ32畳の板張り。大きな囲炉裏、高い天井には龍のような梁が交錯し、土壁と無双窓に囲まれた落ち着いた空間です。



草堂の北側と東側の川に面して菜園があり、裏の山側には小さな庫裡、風呂、雪隠があります。

裏の山すそに沿って小川と小道があり、カタクリやヒメザゼンソウ群落のある水源の谷へとつづきます。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大多喜學道舎

大多喜學道舎の建物は、新しい数寄屋風の大きな2階建ての木造建築です。
事情があって完成間近に放置され、十年以上も空家で倉庫のような状態だった建物を買い取り、内外共に整備を進めております。
建坪が90坪近くあり、この建物だけで15人ほどの坐禅、宿泊、食事、独参などの部屋があります。

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上総中野駅に近く、側の川向うに小湊鉄道の線路が通っておりますが、一日に4本から6本しか列車の運行がなく、それもノンビリしたディーゼル。近くの国道465号線も、通勤時間以外はクルマの通行量も少なく、朝晩は特に静かです。

學道舎の建物は、日当たりの良い高台にあり、風通しと見晴らしの良い気持ちの良い土地です。

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