参禅の感想-4

20代男性 現在、求職中

 摂心に伺ってから、早くも一ヶ月が経ちました。初めての参禅で勝手も分からず、色々ご迷惑をお掛けしました。お世話になり、ありがとうございました。

 仕事を探しているところなので、面接の日などと重ならずに、次回の摂心もいけるようであれば、またメールで連絡させて頂きます。

あれから毎日、少なくとも線香1本くらいの時間は、できる限り坐るようにしています。

 以前、ヨーガを習っていた時は、どうしても無理のかかる努力が必要で、毎日、継続するのができなかったのですが、何も期待せず、呼吸を見つめ、ただ静かに坐ることは、それほど無理なく続けられるようです。

 大きな変化はありませんが、坐っているときの重心が、より据わるようになり、体がぶれなくなり、寝ている間の夢が、リアルになった気がします。日常生活に戻るとやはり色々ありますが、毎日、坐禅をする時間は取りたいと思っています。
 参禅の感想を送ります。それでは失礼します。

 参禅に至った動機

 2、3年前、インターネット上で朽木學道舎の存在を知りました。インド思想の本などを読んでいたこともあり、禅には十代のころからから、漠然とした関心がありました。

 在家の方がされている、無宗派の禅堂という特殊な場所で、ホームページに禅について書かれている内容が、よく読んでいたインド思想の本に似た響きを感じたこと、また「風と森の学校」という活動もされていることに興味を感じたのですが、禅という日常触れる機会のないものに対して、やはり敷居が高いと感じて、参禅に行こうとまでは思わずにいました。

生きる上で、哲学や宗教、特にインド思想や仏教というものについて考えるのは好きでしたが、実際に特定の宗教を信じたりすることには、今も非常に抵抗があります。ただ、どれだけ本を読み考えても、それだけでは言語的理解の域を出ないということも、いつも感じていました。

そんなことを考えつつ、仕事に追われる毎日を送っていましたが、その生活の中で生きることに対する疑問が抑えきれなくなり、それまでの仕事を辞め、これからどのように生きていくか、次への展望が見出せずにいた為、一度参禅に行ってみようと思いました。

参禅してみて

06年1月30日から2月5日までの7日間の摂心に参加しました。
朽木學道舎の周辺は山に囲まれ、雪が深く、とても静かな場所でした。

1月29日夕方、學道舎に入り、翌30日から5日まで、他の参禅者との私語はすべて禁止され、摂心では挨拶も必要ありません。1回に40分の坐禅をして20分の休憩、それを朝5時に起きて2回、粥座(朝食)の後3回、斎座(昼食)の後3回、薬石(夕食)の後3回行います。

昼食前のには、提唱(坐禅したまま、今回は碧巌録からの逸話を聞きました)、夕食後に独参(師家の元に一人で行き、自分の坐禅について疑問に思ったことなどを聞いて確認する)、一日の最後に「四弘誓願文」を全員で唱えます。

それ以外の回は足を組み、姿勢を正し、静かな細く長い呼吸をして、そこに作為を加えず、呼吸だけを意識して、衝立を前にひたすら坐りました。

坐禅している間、いろんな思考がめぐってきますが、それを邪魔にせず、相手にせず、訪れては去って行くままにしておき、そのやってくる思考を掴んだり、のぞき込んではいけないということでした。そのほとんどは些細な独り言のようなもので、その回が終わると忘れてしまいますが、中には快不快な様々な鮮明なイメージや、忘れていた記憶なども、呼び起こされました。坐禅の間は、思考を起こるがままにさせつつ、ただ呼吸を意識している、それだけをやっていた気がします。

師家は摂心の間、何度も呼吸の重要性を話されました。呼吸という、意識的にもでき、また意識で完全に支配できない無意識的に続いているもの。人が酸素を吸い、二酸化炭素を吐き、植物が光合成をして二酸化炭素を吸収し酸素を作る、呼吸の中に思考とは別の、肉体の、生命のサイクルがあり、ただ呼吸そのものになりきることが重要である、そういうことを言われたと思います。

3日位経過して、坐禅している間は感じないのですが、その後の食事の時などに、呼吸と食事の動作一つ一つに自然に意識が留まり、心が静まり落着きを感じるようになりました。それまでは食事の作法を間違えないか、自分だけ食べ終わるのが遅れないかなど、周りを伺ってばかりいましたが、そのように心が彷徨い出ることなく、「今、ここ」に落ち着いているという感覚がありました。その落着きの感覚こそ、いつもここではないどこかに、探していたものであるように思いました。ここではないどこかなど、求められないと分かりつつ、それをいつもどこかに求めていた気がします。

食事はなるべく音を立てないようにして頂きます。食事の作法に則り、食器を並べ、食事をよそってもらい、食べ終わった後は、お湯と沢庵で食器をきれいにします。食事の前後に、何度も合掌があります。そのようにして食事を頂くと、食事もまた、呼吸と同じく、非常に重要なものだと感じました。食べ物によって自分の命が繋がっていることを、不思議と強く感じました。

以前、永平寺の修業の様子をテレビで見て、禅堂で出る精進料理というと、ほんの少ししか出ないのだろうと思っていましたが、品数も量も充分な、大変おいしい精進料理を頂きました。お代わりもできましたが、僕には多すぎて、御飯一杯の量を減らしてもらわなければならないほどでした。本来は腹七分(で合っていたでしょうか)ですが、一日中、坐禅を行う摂心は体力勝負なので、必要充分な量を取ってください、ということでした。

一日のほとんどを坐って過ごしたので、一週間は早く感じられました。最後の独参だったか、師家から言われた道元禅師の言葉「仏道を習うとは自己を習うなり。自己を習うとは自己を忘るるなり」という言葉が、印象に残りました。

 「あなたが、これからどこの禅堂で、どんな師の元で学ぶにしても、仏道を習う、坐禅を組むことは、自己を習うことであり、あなたの本来の自己は既に悟った存在で、その本来の自己に参じている、自分自身に参じている、ということをことを忘れないでください」というようなことを言われました。本来の自己がどういうものなのか、分かっているわけでもないのですが、その言葉は、何か自分の中にストンと入る感じがしました。

仕事も辞めたところで、何か生きる上でのヒントだけでもつかめれば、という思いでしたが、そういう意味では、気付きは確かにありました。真摯に取り組めば何か気付くものがあると思います。また何か小さなことでも気付くものがあると、継続して取り組んでいこうと思うものだと思います。

今回、初めての摂心はそんな感想を持ちました。

2006年4月18日、独接心を終えて

携帯メールから失礼します。お世話になりました。

大阪の道路は入り組んでいて抜けるのがほんとに大変でした。しかも要らない所で曲がってしまい、迷いに迷いかなり焦りましたが、無事フェリーに乗りました。今出航待ちです。

本当にありがとうございました。今日は本当にいい天気で、山に囲まれた空気のきれいな所で、川の流れる音を聞き、そしてあの縁側に座っていると、人間本来の、心と体に沿った暮らしというのは、こういうものなのかなと、しみじみ思いました。また沖縄からメールさせて頂きます。

無事ガラス工房に着きました。沖縄北部で朽木學道舎に負けず劣らずひと気の離れた場所にあります。海と空と山だけがふんだんにあります。静かさでは米軍の飛行機がたまに飛ぶので負けますが。もし実際にやってみたことが思うようでなくても、禅の修行と変わらないと思って頑張ります。またたまにメールします。失礼します。

2006年9月1日

ご無沙汰しております。お元気ですか。
今日(もう昨日になりますね)福井に帰ってきました。

ちょうど一月前程から、宿で一緒になった大阪芸大でデザインを学んでいる韓国人の留学生と一緒に、旅をしていました。

 当初、一月かけてキャンプしながら、久米島から島々を南下し、西表島の密林を縦断しようという計画でしたが、五日間程滞在した久米島から、一旦那覇へ戻り、宮古、石垣と行く予定が、台風の影響でフェリーが欠航になり、予定を変え島々を北上しながら、最終的に屋久島に行くことにし、与論島に行ったのですが、屋久島へは一旦鹿児島へ行かない限り船がないとのことで、また予定を変更し、与論島から那覇へ戻り、そこから偶然、臨時便で一本だけ出ていた屋久島行きの船に乗り、屋久島をめぐり登山をし、山を縦走してきました。

老師も屋久島で御覧になったと思うのですが、樹齢数千年の屋久杉の姿は、その大きさも佇まいも、僕の想像力を遥かに超えて、存在していました。

 

 山の中は全てが苔で覆われ、そこらじゅう荒々しく倒れた巨木の上に、更に大木が縦横無尽に根を張り、そびえていて、まるで自然が作った戦場跡か廃墟のようでもあり、またその死と破壊の中に、まさに人間の尺度を超えた命がたぎっているようで、どこからが生なのか、どこまでが死なのか、そのように分けること自体が無意味であるようにも思えた光景でした。

また屋久島の山上から、山々の頂きに巨石がごろごろと転がっている姿を見た時は、本当に何ものかの意志があって、そのように配置したのではないかと、まるで神々が遊ぶ為に作った庭のように思えました。自然が作り出した光景をなぜ美しいと感じるのか、そこにはからいがあるかのようにまで自分が感じるのが不思議でした。日本庭園はこのような自然を模しているのだなと感じました。

予期しないこともたくさん起きたり、旅の間、ほとんどテント泊であったり、かなりハードな旅でしたが、今まで経験したことのない面白い旅でした。

表層的な日常生活の中で、相変わらず今この自分に不満を持ち、今ここではないどこかに心は希望を求め、目を遠くにやり今生きていることをないがしろにしてしまっている気がします。それでは本当にどれだけ生きたところで、同じことの繰返しであるように思います。心を決め、老師の元で参禅を継続させて頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

弟が、學道舎から返信が来て、とてもよいアドバイスをもらったと喜んでいました。ありがとうございました。
T.Mさん 滋賀県在住 男性 60代 大学職員(専門は電気)
参禅記
私はかねてより坐禅にあこがれておりまして、正しく指導していただけるところを探しておりました。
インターネットで朽木學道舎を知り、ホームページを拝見して、その趣旨が願ってもないほどのことであり、また、近いところでもあり、大変有難くおもいました。
その後、師との手紙やメールでのやりとりがあり、一度お会い出来、昨年の五月の摂心に参加させていただくことが出来ました。
山里の初夏という素晴らしい環境の中で座っておりますと「野鳥のさえずる声」「風の音」「かじかの鳴き声」などが耳に入りこころを落ち着かせてくれました。
私は元来、粗忽であわて者なので、摂心の作法に戸惑いましたが、摂心を終わってみて、非常に落ち着いた心持になれたことを深く感謝しております。 本当に摂心に参加できて良かったとつくづくと思っています。
長い間、脈々と引き継がれてきた摂心というものの大切さが、よくわかりましたし。私自身が大切に思ってきたことへの確信を得ることもできました。と申しましても初心者です。
何もわからないままに、参加しましたが、極めて自然にわかりやすく指導して戴き、有難く思いました。
私が強く感じたことは、正しい指導を受け、自分自身で体験することが、 最も重要だということです。
(初めての摂心後の便りから)
合 掌 すっかりご無沙汰いたしております。お陰様で当方は元気に過ごしており、ありがとうございます。
五月の摂心は、とても大きく貴重な体験であり、毎日の生活に、みずみずしく活かされております。当然、端緒の体験としてではありますが。有り難うございます。
先生の方も、自然環境に大きな影響をお受けのようで、大変でございますね。
生き物との共存と云う現実は、決して生易しいことではないのですね。
国内外各地で、極端な気象現象を呈していて、とても「他所事」とは思えません。
七月の摂心のご案内を賜りまことに有り難うございます。
ご迷惑をおかけすることになるかも知れませんが、勤務との調整で例え1日でも2日でも参加させて戴ければ幸甚でございます。
7月10日ごろまでに電話連絡をさせて戴くことになると思いますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
皆様によろしくお伝え戴ければなおさら幸甚でございます。
「四弘誓願文 」 のメールありがとうございます。「四弘誓願文」と「般若心経」には、いつもこころが洗われます。
ありがたいことでございます。
戴いたメールにしたためていただいたように、日程につきまして、或いは前後の滞在希望になるかも知れませんが、併せまして、よろしくお願い申し上げます。
合 掌
K.Nさん 20代女性 鹿児島在住 有機農業に従事
 學道舎での約半年の参禅を経て、現在、鹿児島で有機農業をしています。
 無農薬・無化学肥料はもちろん、家庭で出る野菜くずなどを全て牛の糞と混ぜて堆肥化し、畑に還すことに徹しています。
 食物は燃えるごみではない、とういことにこだわるようになったのも、参禅の大きな成果です。
 「自分とはどういう存在なのか?」「自然と一つである。」
 それを身をもって実感することができた、ということです。
 参禅をしようと深く決意したのは、一杯のお粥の温もりが、全身に染み渡る体験をしたときでした。
 当時、IT関連の仕事で、朝から晩までPCに向かう暮らしに限界を感じ、心身が病み、アル中になっていました。酒が手放せず、自分を完全に見失っていました。
 「自分とはどういう存在なのか?」「自己とは?本来的に生きるとは?」
 そのような問いかけは、中学生時代からずっとあり、哲学・宗教の本をよく読んできました。禅には特に興味がありました。それでも、知識としてだけでは解決されない、腑に落ちないものを、ずっと抱え続けていました。
 縁あって、自分が最も切実に求めているときに、実践としての禅、学道舎に出会うことになったのです。
 仕事も住処も捨て、というと大袈裟ですが、少なくとも気分としては、もうこれしかないという、切羽詰った状況で学道舎に向かいました。

 月に一度の摂心を中心に、半年間通い続けたのは、坐禅そのものだけでなく、学道舎を取り囲む、本物の自然と一体となって呼吸できる場所を求めたということも、大きな理由です。

 ブナの原生林が広がる芦生の森の麓、鹿の声や山鳥の鳴き声が、カーンと山々に木霊する音が響きます。新緑の躍動感、源流の清澄感、森の呼吸・・静寂に包まれながらも、本当の自然の音が、自分の体内から沸き起こってくるのを実感できる場所です。
 一本の木の影を辿れば太陽があるように、自己を徹底的に探求すれば宇宙がある。
 そんなくさい言葉を、なんの衒いもなく、ただ実感として思うようになりました。
 坐禅、提唱(老師が禅語録などを読んでくださる)、独参(老師との対座)が摂心の三本柱と言われます。

 参禅者の私語は厳禁ですが、禅堂の空気や内的想いに触発され、自己との対話、内面の言葉は、普段よりも膨大になるような気がします。(坐禅に同じ道がある訳ではないので、あくまでも個人的な体験です。)

 無我とか無心の境地というものには、全くこだわりません。何も考えないということもせず、内面に去来することを、手をつけずに、放っておく。

 呼吸そのものになることだけに意識を集中すると、自分が宇宙に放り出される感覚、逆に言えば、雨の滴が落ちる音が、自分の内から聞こえてくる感覚になり、内も外も境界がなく、しがみついている自己もなくなる。

 それでいて、この宇宙に自己が存在しているということが、はっきりと分かるようになります。

 坐禅をすることは、非日常や現実逃避でもなければ、特別な力を得るというのでもありません。当たり前のことが当たり前と分かる、その単純さに気付くものだと思います。
 ここからが禅で、これは別というのではありません。日々の暮らしの中で毎日坐禅をしてはいませんが、私にとっては畑を耕すこと、日々の食事を頂くことが、禅と同じだと思っています。

 得てして日常生活では、宇宙や自然との関係の中での自分の位置を見失いがちですから、学道舎のような場所で、定期的に確認作業をしなければならない、というのはあります。

 ご縁がありましたら、学道舎で道を求める方と一緒に坐ることができたら、そう願っております。

M.Sさん 30代後半 女性ロンドン在住 映像関係(フリーランス)

 本屋やレコード屋に入って欲しかったものが思い出せず、ただ店内を徘徊して、出てきてしまうように、禅や精神的なものには前から興味はあったが、普段生活していると忘れてしまっていた。

 自分の精神が、あまりにも冬眠状態であるのに気づいたのは、ここ二、三年前の事で、以来ヨガを始めたりして、少し目覚めて来た今日この頃、次は何をしようと模索中でいたが、今回それは坐禅なのだ、と何故か決めていた。

 インターネットで調べると、大きなお寺や坐禅同好会はすぐ見つかったが、どれもあまりピンと来ない。しばらくねばって、やっと朽木學道舎のサイトを見つけた時、何か運命的なものを感じてしまった。

 老師のことを読んで、在家でこんな生き方をしている人がいるのだ、と感心。かっこいー。思い切ってメールを出してみた。それから一週間。門前払いをされたと思いつつ電話をかけると、老師は意外に気さくであった。いろいろお話ししてくださって、参禅のお許しが出る。

 前日
 
 午前中の新幹線で京都へ。心はカラッポで、特に大きな期待も不安もない。ピュアな気持ちで臨んでみたかったので、何の予習もなし。しかし、昨日、古本屋のレジで目に飛び込んできた、佐藤俊明著「禅のはなしー二つの月ー」という本を買ってしまった。

 冒頭の、道端の草を右か左か迷って食べられずに餓死してしまう驢馬とは、まさに私のことである。修証不二?悟るなんて大層な。私には一生以上かかります。老師へのメールには、今までテキトーに生きてきたので、精神の鍛錬をしてみたい、と書いた。

 湖西線に乗ってしばらく行くと、空一面は真っ白に曇り左手に迫る山にも雲が怪しく降りてきた。線路の右側ぎりぎりからは冷たい灰色の湖が果てしなく広がり、人っ子一人いないちょっと怖い風景。安曇川の駅でバス停を見つけると、ちょうどバスが出て行くところだった。

 次のバスまで約一時間。駅前の地図の前でボーッと立っていると、何故だかわからないけれど、涙があふれてきた。死んだばあちゃんの事も頭をかすめる。

 何だか懐かしい所に来たような気がした。空を見上げると、一面の雲がほんの少しだけ切れて、五秒間くらい陽がさした。Here comes the sun. 村役場でさらに小一時間バスを待つ。

 時間の流れがゆっくりしていく。ようやく小入谷についた頃には、もう日もとっぷり暮れていた。バス停(?)で老師のお出迎え。

 茅葺き屋根の古民家の中は、しーんとしていて懐かしいにおいがする。老師がお茶を出してくださり、何か訊かれたが、また突然涙が出てきて何も云えなかった。老師が「川で、カジカが鳴いていますね」とおっしゃった。

 しばらくその鳴き声を聞く。そして老師はすぐに私を道場に連れていき、坐禅の仕方を教えてくださった。黙って坐っていると落ち着いた。

接心一日目 晴

 まだ外は暗い静寂の中で坐禅する。初めての経験ながら何故か全てがしっくりくる。するべき事をしているというこの環境に満足。ゆっくり長く呼吸するのが結構難しい。

 ちょうどお腹がすいてきた頃に鐘が鳴り、粥座の時間。老師の見よう見まねで食事の「儀式」をする。何度も合掌しながら昔の人の簡素な生活を思う。お百姓さんが丹精込めて作ったご飯を、一粒残さず食べること。そのお米を実らせてくれる太陽を、お天日様と呼ぶこと。

 沈黙の中、一つ一つの動作や、三つのお椀が小さくふろしき包みになっている様、その全てがlovelyー素敵で愛らしいーと思う。

 無駄がなく簡素ながら、可愛い。タイに行った時人々がいつも「コプンカ(ありがとう)」と言って手をあわせていたのを思い出す。とても美しく炊けたお粥をひそかに感動しながら味わった。
 
 外に出て山を歩く。道端で動物の死骸を虫が食う。それはテンだと老師が教えてくださる。他にも小さい花や、木や草や蜘蛛、何千何万という生命が生きている。澄んだ空気を吸い、小川のせせらぎを聴いて、なんだか遊びにきたみたい。

 坐禅はとてもおもしろく、いろんな事が頭に浮かぶまま過ごす。私って煩悩バリバリ。老師は私の考えていることが分かるのかな?そのうち坐りながら眠ってしまう。

 お昼には山のごちそうが出る。このお米が老師自らの手によって作られたと知りまた感動。仮眠した後は、老師外出のため、独りでついたてに向かう。木の節をじっと見ていると、様々なものに見えてきて、アニメーションのように動き出すものもある。とてもentertainingである。あっという間に時が経つ。

 初めての独参。老師と一対一で向かい合わせにすわるのは緊張する。しかも、私は世間をナメているので、敬語もろくに喋れない。しばし沈黙。老師が、私が不思議とここにこうしているのは何かの縁で、私は永い間坐ってきた人であるとおっしゃった。

 そう言われて少しも違和感がない。ふうんやっぱり、とさえ思う。涙が出たのもそういう訳?これを帰依するというのでしょうか。どんな因縁でここに来たのか、ちょっと気になる。本当の自分を見つけなさい。こころとは、そして仏とは?

 老師は、風邪でだいぶ辛そうだ。何かお手伝いしたいが、やらせてもらえない。「禅のはなし」にあった、道元禅師の一話を思い出す。天童山景徳寺にて修行中、猛暑の中、作務をしていた高齢の老師を助けようとすると、その老師、用典座は「佗は是れ吾にあらず」と答えたという。キビシイ。

 修行を実行に移すのにこんなに時間がかかったのは、一度始めたら終わりがないと、どこかでわかっていたから。私は本当に怠け者なのである。

二日目 強風、雨

 夜明け前から風がすごい。坐るのにもなれてきて、呼吸も長めになってきた。粥座のあと仮眠をしたが、午前中半ばでまた眠くなる。せっかく坐禅しにきたのに眠ってしまうのはもったいない。

 雨で外に歩きにも行かれない。独参でその事を話すと、眠くなったり意識が朦朧とするならばなりきれば良し、私は「眼の人」なので、見えてくるものに気を取られずに、こころの眼で呼吸を見つめるようにと言われる。

 ただ坐っているだけだったが、老師は熱心に坐っているとおっしゃる。かなり長いこと正座をして、脚が痛い。お昼に老師が黒米にマーガリンをつけて食される。

 また仮眠すると、その後はいい感じで坐り続けられた。静寂の中で、意識が冴えてくる。午後最初の坐禅で、四肢の感覚がなくなり、指先と足先だけが感じられるようになる。

 身体が固まって変だけど心地よく、意識も朦朧から恍惚へという感じ。組んだ手が右と左の肘くらいの所に一組ずつ、合計三組位あるような感じは、千手観音を連想させる。こんなに美味しいごちそうを毎日食べて、寝て坐って呼吸するだけでいいという幸せ。

三日目 雨のち曇りちょっと晴 満月

 早朝寒く、シャキッとする。薄暗い中で坐るのがよい感じ。しばらくするとまた睡魔に襲われ合間に外を歩いてみたりする。しかしこんなにも眠くなるものか。老師が三日目くらいに辛くなりますよ、と 云われたが本当だ。

 お昼は豪華に柏餅まで出る。そういえば今日は五月五日であった。雨が止んだので散歩に出て仮眠時間がなくなり、午後やっぱり眠ってしまう。冷たい水で顔を洗ってみたが、効き目は小。気がつくとまた食事。食べてばかりで何だか悔しい。

 独参の話題は、私の常々感じている喪失感や、時として鬱になること、仕事や人生において師と呼べる人がいまだかつていない事など。それとは別に「精神鍛錬」のためここに来たと思っていたけれど、けっこう関係があるのかもしれない。今まで偉そうに自分は無宗教だと信じていたが、西洋で生活しているうちに、選べと云われたら、やっぱり仏教なのだなと、思うようになっていた。

 「無宗教」の私は、第三者の精神分析医に悩みを話し、両親の生い立ちまで分析される。自分でも分析する癖がついてしまったのか、他人に相談する事もなくなって、けっこう自己完結してしまう今日この頃。

 言いたい事をうまく言えずにいると、老師は私の一言から話を広げ、個人的な事まで、いろいろと興味深いお話をしてくださった。そのお言葉は、禅という宗教に基づいているのであろうが、その枠をはるかに超えて、私に響いてきた。

 私のこれから進んでいく道はこれのような気もするが、しかし宗教というものには、まだ違和感と抵抗がある。
自らの光を拠り所とするというその原理は、果たしていわゆる宗教とは対極に位置するのでは? 私のこだわり過ぎ? 理神論が仮面をかぶった無神論である、とはこういう事なのか??

四日目 霧のち快晴

 早朝、5度位だったが、もっと寒く感じた。 晴れてきたので外に出ると、草っ原の草一面に朝露がついてあまりにも美しく、しばし立ち尽くし、小さい花などを観賞。気温が上がってきて、地面から霧の立ち上る光景を眺める。

 全ての窓が開けられ、道場に埃が舞っているのを見た時、衝動に駆られ掃き掃除をして爽快感を味わってしまう。そのあと初めて、老師にパシッと警策をいただく。けっこう痛いのね。

 独参。こころとは何かというのが、まだわかりません。魂とは何かと訊かれ、人が生まれる時そこから持ってきて、死ぬとまたそこに戻るようなもの、と答えると、老師は「日本人だねえ」と笑いながらおっしゃった。今思うと、それは魂というより生命?

 そろそろ、もう明日で終わりになって、ここを去らなければならない時が来る、という事が頭をよぎる。ここにいつまでもいられたらいいなあ。人は同時に何カ所にもいられない。

 カムチャツカの少年がキリンの夢を見ているとき メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている。これからどう生きていくべきか。いろいろ思いふけってしまう。人の苦しみにあふれた世の中で、こんなに贅沢なことをしている自分は、確かに恵まれている。

 ただ坐るだけで、何も要らない。こんな生活もいいかも。私はこれでもけっこう厭世的なところがあり、出家でもして世のしがらみを断ち切れば楽になるのではないかと考えたこともある。

 現世では、lust for life、あまり生きる意欲がないことが、悩みの種にもなっていて、それだから人が世の中で成し遂げることができなくて、何か、自分はちょっと変なのだと思っていた。このような自分と日常生活の折り合いを、どうつけるのか。

五日目 日本晴

 目覚める時とても寒く、一瞬気がゆるみ、布団のぬくっとした感じにやられてしまう。着替え終わる頃には、老師がもうお線香を焚いておられたが、目を覚まさねばと思い、急いで顔を洗いにいくと、やっぱり、ちょっと遅れてしまった。

 二度目の警策をいただく。外の天候や調光の仕方で微妙に変わる、道場内の自然光がすばらしい。坐りながら、あーもうおしまいになるんだなあ、と寂しくなるが、だからこそ過去でも未来でもない、ただ「今」この時を生きようと呼吸する。

 最後の独参では、感極まるという感じでまたものが言えなくなり、顔も引きつる。今言うなら、訳も分からず突然やって来たこんな人間を引き受けるばかりか、こんなにすばらしい経験をさせてくださって、いろんなお話をしてくださり、食事から何からお世話してくださり、理解とご支援を与えてくださって、誠にありがとうございました。

 お身体の具合がすぐれないにも拘らず、ずっと一緒に坐ってくださったことも、私が最後までやり通すのに、どんなに励みになったことかわかりません。

 たったの五日間でしたが、この経験が、私の今後の人生を変えることは必至です。これから修行をつづけ、いつかは老師のお手伝いができる位になりたいと思います。i sit because no because、本当ですね。

 今までの、ご褒美のような四弘誓願と茶礼をして終了。五日間着た着物と袴から洋服に着替えると、今まで、タイムスリップしていたような気がした。その間に味わった生活は、蛇口をひねれば水が出ること以外は、百年以上前から、殆ど変わっていないのだろう。そして今、その生活をこよなく愛している自分がいた。坐禅にハマってしまったようです。

ここで一句。

After the long and hard rain,

full moon behind the pale vail.

And in the morning i saw

a million pieces of crystal

sparkling in the brightest sun,

and a spring mist

rising above the meadows

up into the blue sky blue.

(06年02月9日の便りから)

接心終了後東京に戻るといつも、明るいニュースが流れています。

紀子さまが、ご懐妊だとか。この度もまことにおめでたい事ですね。

今回も大変お世話になりました。

初めて他の参禅者の方と一緒で「普通の禅堂」ではこうするのかという事が少しわかりました。

提唱もはじめてでしたが、興味深いお話が聞かれ、午前中の眠気が覚めるので、毎日、楽しみな時間になりました。

それでもやはり少人数で、私たちはなんて恵まれているのだろうと思いました。

飯高転石師家に出逢えたことは、私の一生の宝物だと、接心を重ねる毎に感じます。

師家もお疲れのところ、送って下さり有り難うございました。帰りは無事に戻られましたか?

今日の東京は雲一つない陽気で、空気も春一歩手前のにおいがしていました。

また雪山の静寂に取って代わってコンクリートと街の音に囲まれ、朽木での生活も過ぎてしまえばあっという間で今となっては夢のようです。missing it already….

そちらのお天気はいかがですか?

ひとり籠って仕事をするには最高の環境だと思いますが、ちょっと寂しそうですね。

クマさんやや雪女には、くれぐれも気をつけて、ご自愛ください。

ここで一句。

「雪布団 肩に積もりし 大接心」

合掌

Mさん 女性 30代 岐阜県
この度は、お世話になりました。
勝手をきいていただいたおかげで、無事に、予定通り帰ることもできまして、家族にも心配をかけずにすみました。摂心中、それだけが心配でしたので、ありがたかったです。
一日では何も解らないのは当然なのに、以前、一日だけ、坐禅の仕方を教わりに伺ったときも、親切に教えていただき、ありがとうございました。
ここで教えていただいたように、坐禅をしていけば間違いないという確信がありつつも、家ではなかなか坐禅することができませんでした。睡魔に襲われてしまうこと がしょっちゅうで、情けなく、坐禅への気持ちもなえていました。

 事情があり、数日に渡る摂心には参加できないと思っておりましたが、以前、声をかけていたことで、参加できるなら、この5月と思い、ずっと心に残っていました。でも、こんな状態で、一日、坐り続ける摂心に参加するなんてできるだろうか…と思うと、なかなか決心がつきませんでした。

そんな折に、以前、参禅したことのある人を対象にと、摂心の案内メールをいただきました。ずっと迷っていた背中を、ポンと押してもらった気持ちになり、 また迷わないうちに、参加しますとメールを出しました。

 でも、それから摂心の直前まで、日数にしたら3~4日だったと思いますが、やはり、摂心で坐れるだろうかという思い(それは、ほとんど、恐怖感でした…)に、ずっと襲われていましたが、自分はこの道を歩けないと分かるだけでもいいじゃないか、途中 で逃げ出してもいいじゃないかというくらい、追い詰められらた気持ちで参加したのです。今となっては、たいそうな取り越し苦労でした。

3日間と少しでしたが、坐り続けることができましたのは、坐禅するに無駄ない、またとない環境をつくり、具体的にも、間接的にも支えてくださる老師の存在があることは言うまでありませんが、なにより、常時、通っていらっしゃる方々の存在があったからです。

 摂心なので、言葉の交流などはないですが、 私は、その熱心に真摯に坐ってみえる方々に、ずっと引っ張っていってもらっている気持ちでした。本当に、ありがたかったです。

坐禅については、まだ何かを語れる段階ではありません。坐禅をしているときは、想念がでてくることも多いですが、一方で、とても落ち着いた心持ちになれました。私はこれまで、苦しみから逃れたいと、覚醒セミナーなるものや、セラピーやワーク、瞑想会など、いろいろ探してきましたが、もう、他を探す必要はなくなったという確信があります。

真実を知るというところは、はるか遠いのですが、精神的に少しでも強くなれたらと、その方向を向いて、微々たる一歩を歩いていきたと思い ます。

この度は、ありがとうございました。
摂心体験談と禅フォーラムに参加して
2010年4月29日~5月5日までの灌仏会大摂心と5月、6月の南山城禅フォーラムに参加しました。
参加する前と参加後の自分が変わった訳ではないですが、生きていくのが随分「楽」になったようです。余分な要らない力(ほんとに余分で、要らない力!)が抜けるようになってきた…、というよりは、要らない力が入る自分に、その都度、よく気がつけるようになってきた…という方がぴったりくる表現でしょうか。
摂心に参加するまでは、心の荷物をあれこれ勝手に背負い込んで、押し潰されそうになって、汲々としていました。…とは、今だから言えることで、当時は「何故だかわからないけど、なんだか、苦しい!!どうしたらいいの??」という日々が、知らぬ間に長く続いていたようです。本人としては、ある意味、無自覚でした。
なんというのか、どうしようとも動かしようもない現実の事実に、ウンウン独り相撲をしていたような、はたまた、独り勝手に、いいの悪いの、好きの嫌いの、正しいの正しくないの、…etc.…etc.判断しては、心の内であれこれ言い募っては責め立てて、自家中毒していたような、そんな感じで過ごしていたようです。(これもやっぱり今だからわかることですが・苦笑)
何度も何度も坐ってみて、さて、今はどうなのか?
何故、今、「楽」なのか?
以前より、現実の事実に「降参する」?のが上手くなったのかもしれません。
或いは、不様であろうと何であろうと、自分の姿をそのままに受け止められるようになったのかもしれません。
現実は、何もなく、極めて深く静かに平和なのに、ひとり勝手に自分で自分を苦しくしているだけ…?!というのが、どうも私の苦しさの原因だったのかもしれないなぁ~…と認めるしかない体験を、「坐る」ことを通して教わったからかもしれません。
摂心の期間中は、坐る毎に様々な体験がありましたが、一番印象に残っているのは、6日目の早朝の出来事です。
その日は、早く目が覚めたので、そ~おっと二階から抜け出して、學道舎の前を流れる川の畔で、ひんやりとした、いい匂いの朝の空気に包まれて、せせらぎの音と河鹿蛙の啼き声に「きれいだなぁ~」とうっとり聞き惚れていました。
ふと、合掌して自分をまとめたくなり、しばらくそうしていましたが、突然、辺りの音の全てが、自分の中にドドォ~ッ!となだれ込んで来た!と思った次の瞬間、自分が斧でパカッと割られたような感じになって、突然、広い広い?世界?に投げ出されたような感じになりました。
あまりに異質な世界に、「えっ?!何コレ??」とびっくりした途端、あっという間にさっきまでの、音と自分、周りと自分が別々の世界に戻ってしまいました…。
ほんのほんの一瞬垣間見た、とても「広い広い」あの世界からすると、普段の自分は、自分勝手に作り上げた様々なもので、なんとまぁ、自分を小さく小さく閉じ込めて、窮屈にしてしまっているのだろう!!あの広い広いところから、なんだってまぁ、遥かに自分を隔ててしまっているのだろう!!…そんな風に感じてしまいました。
この体験から、今まで汲々としていたのは、なんのことはない、全て自分の作り事のせいではなかったのか…?と感じさせられてしまった訳です。
6月の禅フォーラムでも貴重な体験をさせて頂きました。
一炷目の中ほどでしょうか、「呼吸が勝手に呼吸をしている」という感じになり、身体のあちこちから、ふっ、ふっ、ふ~っと力という力が抜けていきました。抜けてみると、「え?!こんなにあちこち力が入っていたの?!」と驚きつつも、すっかり力の抜けたその心地よさに、しばし休んでいました。
何もしようとしなくても勝手に息がやって来て、勝手に息が去っていく。
なんだか不思議な感じでしたが、それは、本当に深い安らぎでした。
何もしようとしなくても、生命が勝手に生命を繋いでくれている。
自分は何も、何もしなくてもいい、ただ生かされている。
「なんだぁ!自分は何もしなくてよかったんだぁ!」と気がつくと、ほんとにほんとに楽になりました。
ほんとうに、今まで、何をそんなに、「自分が」「自分が!」と何でも自分がしているつもりで、肩肘張って、目を吊り上げていたのでしょう?!(苦笑)
この体験では、「生きる」ことにおいて、自分は何もして来てはいなかった!!ということに強烈に気づかされました。
4月末から初めて参禅した自分が、安心して坐り、こうして貴重な体験を重ねられているのは、摂心やフォーラムで同じ時間を、ひたすら真摯に、共に坐って下さる方々があってこそ、そして老師はじめ諸先輩方の誠実に坐ってこられた時間の積み重なりがあってこそ、と感じます。
坐るのは、ひとり向き合うことなのですが、でも、様々あった体験は、ひとりでは、決して絶対に成し得ないことだったのを、ひしひしと感じます。
摂心期間中の日々の食事も、坐ることを支えてくれていました。
摂心から帰ってきて、「精進料理というのは、料理を作る者が、精魂こめて精進して作るところから精進料理という」という言葉に触れましたが、朽木學道舎で頂く食事は、正に、そういうものでした。
初めての参禅で、やはりどこか緊張している自分を、ほっとさせてくれたのは、手間ひまかけて作られた、心のこもったおいしいお料理の数々でした。夜に出していただく甘い手作りのお菓子も元気の素でした。
そして、坐ることだけに専念出来たのは、學道舎でもフォーラムでも、諸先輩方が、陰に日向に、細々とした様々な仕事をこなして下さっているからでした。
提唱でのお話や独参でのやり取りも、誤って「坐る」ことのないように、何度も何度も「坐る」ことの真髄を摑ませて下さろうとする老師の思いが伝わってきて、坐するときの大きな支えとなりました。
時々話して下さる、老師の修業時代の思い出話にもほっこり励まされました。こちらまで懐かしいような気持ちになり、親しみを感じるお話ばかりでした。
古人の方々の言葉を聴くことは、今この時代を共に生きている同輩達や先輩方との繋がりだけでなく、肉体としては会えずとも、「坐る」ということに打ち込んで来られた古の方達が連綿と受け継いでこられたものが伝わってきて、ず~っと、ず~っと伝わってきていることに、ただただ感動してしまいました。
摂心期間中、一緒に坐った方々とは、全く言葉を交わさないわけですが、それでも寝食を共にし、一炷一炷、貴重な時間を共に坐った間柄の方達に対して、私の中には、なんだか不思議な一体感が生まれていました。
最終日には、一緒に坐った方達も、學道舎の場に対してすらも、自分の身体の一部のような感じがして仕方がなかったです。三々五々、解散していく時には、自分の一部がプチン、プチン!とちぎり取られていくような、そんな感じさえしました。面白いですね~。
朽木學道舎や、南山城のお茶室を包んでくれている、山々に息づいている全ての生命にも「ありがとう」を伝えたいです。沢山の生命に包まれて、自然の中で、芯からほっと寛げました。
思いがけず、長くなってしまった感想文のお終いに、朽木學道舎とのご縁を繋いで下さり、物心両面に亘って援けて下さった上、摂心に快く送り出して下さった職場の方々に深く感謝したいと思います。
もしもここに勤めていなかったとしたら、朽木學道舎や坐禅とのご縁も、いまこの時に結ばれていなかったかもしれません。
本当に、安心して、気持ちよく坐らせてもらうことが出来ました。
行住坐臥、全てを「禅」にできる日を夢見つつ、今日も自分の実際の姿を逃げず隠さず、しっかり受け止めて行こうと思います。
みなさん、ありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願い致します。
2010年7月10日 三日後からの小暑摂心参禅を前に
*この方にはさらに、秋分大接心後の体験があります。メニュー「摂心体験記」のサブメニュー「ある女性の初関透過」に繋がります。

Hさん 男性 30代前半 ドイツ フライブルク在住

参禅の動機

 私は西洋哲学の研究をはじめて8年になりますが、数年前から、これまでまったく気が付かずにいた、哲学と仏教のつながりが少しずつ見えてまいりました。その後、仏教とくに禅を自分なりに勉強しながら、実際にフライブルクのある禅グループの坐禅会にも、定期的に参加するようになりました。

 禅のみならず仏教では一般にそうでしょうが、教えを単に知識として勉強するのではなく、実践つまり修行がそこに伴わなければまったく不十分だという考えがあってのことです。

 そんななか、昨年の12月に日本に帰った折、東京のあるお寺で集中坐禅会に参加する機会がありました。ところがその指導のあまりの厳しさ、策礼の激しさに、心身ともに耐えられず、途中で脱落せざるを得ませんでした。

 その時は自分の意気込みの甘さを悔いて、今後どのように坐禅に関わっていったら良いかと悩みもしました。その後ドイツに戻ってからも細々と坐禅を続けていましたが、そんななか、偶然にも朽木學道舎のホームページに出会いました。

 老師の活動や理念について拝読させていただき感銘を受け、そこになにか言い知れぬご縁を感じて、今年(2006年)11月末に7日間の独摂心をさせていただいた次第です。

 【摂心

 摂心中は毎日、独参の時間を設けていただきました。お話の中で印象的だったのは、坐禅における「呼吸」の大切さでした。酸素を取り込み、二酸化炭素を吐くという一見単純な活動に、私たちの生命は支えられており、またそのなかに自然全体とのつながりがあらわれている。

 これまでの参禅では無字の公案が課されましたが、今回こうした呼吸の出入りに意識を集中し、呼吸に成り切ろうとする「随息観」に、初めて取り組みました。まず指摘されたことは、自分の呼吸の「粗さ」でした。

 これまでひたすら気合を入れて無に成り切ろうとする坐禅をしてきた結果、体に余計な力が入っていただけでなく、あまりにも呼吸をないがしろにしていたことに気づかされました。

あたかも針に糸を通すように綿密な呼吸を心掛けて、音や気配すらも出さない位に細やかな呼吸を練っていくように、と老師は注意されました。摂心の最初は、姿勢を保つことや呼吸を調えることに腐心していましたが、4日目を過ぎた頃から体も呼吸も安定しはじめ、同時に呼吸に意識を置くことが容易になってきました。

不思議なことに、こうなると楽れるようになってきます。もちろん体の節々も痛くなっているのですが、それも丁度いい緊張感をもたらしてくれました。摂心5日目になると、かなり深い集中が可能になってきました。

 おそらくそれと関係があるのでしょうが、ある時、呼吸に集中するあまり、突然呼吸の音が聞こえなくなって、静寂のなか、世界と自分の時間がピタッと止まってしまったかのような不思議な経験がありました。

 また、休憩中外に出たときのことですが、ふと見上げると、川岸に立っていた木々の色、形、模様のなかに、瞬間自分の意識がすーっと引き込まれていくような現象も経験しました。

 老師は、大切なことは「正受する」こと、つまり自我を介在させることなく、ものごとを正しく受け取ること・ありのままに受け取ることだとおっしゃっていましたが、坐禅をひたすら続けることで、意識が世界に対して何らかの判断を加える以前に立ち帰り、主観と客観の分離が成立する以前の、ものそのものがありのままに受け取られる場に立ち会うことができる、ということが分かったように思えます。

摂心を終えて

 7日間、これほどまで集中的に坐り続けたことは、私にとって初めての経験でした。坐禅、とくに呼吸の仕方、呼吸への集中の仕方が、この摂心を通じてかなり身についたのではないかと感じています。摂心前に老師からいただいたメールの中で、「できれば7日間坐り続けるように」と言われていました。

今回の参禅で、今後坐禅を進めていくうえでの基礎ができたように思えます。しかし、独参のときに老師がおっしゃった「坐禅をすることは何ら特別なことではありません」という言葉は印象的でした。

 いたずらに厳しさだけを振りかざして、これが坐禅なのだとして、それが何か高尚なことであるかのように考える風潮や、そうしたことが禅を必要としている多くの人々を遠ざけてしまっている現状を嘆いておられました。

 尋常でない厳しさ、苦行を通じて見性を得たとしても、それでは見性した「私」が残ってしまい、こんどは「悟り」の経験に縛られ、自由を失う危険があること、見性や悟りどころか、禅や仏教の跡形も残らなくなるよう「熟すまで待つ」姿勢が大切だということには、大変共感しています。

 釈尊が「苦行によっては悟れない」とお気付きになり山を降りたことには、やはり大きな意味があったのだと感じます。坐禅をすることは何ら特別なことではなく、それどころか世間の目から見ればなんと無駄なこと、愚かなことに見えるかもしれません。しかし、「愚かさに徹する愚者こそが賢者になる」、老師のこの言葉に深く考えさせられています。

 かつての禅の世界では、修行者が優れた師を求めて諸方を訪ね歩くことが行われていると聞きますが、坐禅を進めていく上で、自分にあった見識のある指導者が本当に不可欠であると感じます。何といっても、人は「決して一人では悟ることができない」のですから。

 今回は冬支度でお忙しいにもかかわらず、独摂心の場を設けてくださり、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

Dさん 男性 30代 京都市 禅宗僧侶
五日間有難うございました。
老師並びに奥様、食事、参禅環境のお世話有難うございました。真心のある御もてな しが身に沁み込んできたように感じています。 熱心な参禅者の方々には、その姿勢、菩提心に、感動、励まされ、よい刺激を受 けることが出来ました。厚く感謝しています。
箇条書きですみませんが、以下に印象に残っていることをテーマごとに日記風に述べ てみたいと思います。
・自然環境の素晴らしさ
日本的な創造性、懐かしさ漂う茅葺屋根の禅堂とその周りの素晴らしい自然環境の中で、しばらく自己に親しむ生活から遠ざかっていた自分を振り返ることができた。無意識に自然的な生活に戻りたい、帰りたいという要求がずっと働いていたのだと思う。

 坐禅と坐禅の合間、近くの神社まで20分ぐらいの道程、童心のようになって雪の中を踏みしめた時、「ほっと自分に帰っているという感覚」が甦ってきました。なんだか、針畑川の「源流」を訪ねることは、日本人の源流、精神の源流、自分というものの源流と繋がっている気がした。

・自然ということ
 独参で今の自分の精神状態を述べた時、自分の口から「自然体でいたいという感じが自分の中にあります。人を見ても、世の中を見ても、皆そういう思いがあるように思います。日本人には、自然というものが心の情景にあるというか、素朴な自然観があると思います。

けど、『自然で居たい』ということに囚われると、自然ではいられないというか、『自然をよし』(たぶん自然主義のようなことを言いた かったのだと思う)とするのは本当の自然じゃないというか、だから自然には生きられないというか。それもまた、自然という言葉に振り回されているような・・・」というような事を言った。

 老師は「只管打坐も同じ事です。只が残っているうちは只ではないのです」と。また、「自然というのは後から名付けた名前です。そういう状態があるわけではないのです。自然不可得ですよ」と云った。「自然不可得」の響きが、胸に飛び込んできた。

 そう云えば、食事をした部屋の壁の額には「no nature」というゲーリー・スナイダーの詩があった。そうだ、ここ(朽木學道舎)へ来る前のメールのやり取りで、「山や川と共に坐ってごらんなさい」と老師からメールを頂いたのだった。

・大地性
 此処に来て「大地性」ということについても触れられたように思う。やはり「大地から離れて、人は生きられない」。「大地に在る」という生活。「大地の上に大地と共に生きる」、鈴木大拙のいう「大地的霊性」の自覚が、「大地性」を失った現代の人々の無意識に、それを要請しているようなものがあるのだろうと感じる。

 もっと昔の日本人はもっとおおらかで、たくましかったのだと思う。老師は「今のお寺には、たくましさがないように感じます」と言った。まったくそうであり、自分もその中の一人だと思った。一日目に「そんなに眉間にシワを寄せ、小さく坐らないでドッシリと大地に任せて、もっと大きく坐りなさい」と云われたのを思い出す。

・専門の禅道場との比較について
 この禅堂では、自分自身の自主性を重んじてくれる。それはある意味、厳しいことである。規則に拠って、人の命令に従って行動する方が楽なこともあるからだ。自分は禅宗の専門道場で何年間か修行させてもらった身なので、伝統や形式、制度や規矩(規則)の必要性、重要性も感じてはいるが、上の人からの命令によってやらされているという思いがずっとあったと思う。

 どうしても、先輩方の云う「させて頂く」という思いが起らない自分に悩んだこともあった。そんなこと、いつのまにか忘れてしまったが…

 今朝、TV番組で禅寺の参禅風景が映されていたが、ずっと係りの僧侶が、参禅者の人たちを睨みっぱなしだった(笑)。正座も崩さしてもらえず、ただ我慢する生活を強いられて一泊して家に帰っていく。それなりに禅寺の厳しさも体験し、一日我慢できた自分に満足できるだろうが、なんだか「この体験を活かして実生活も・・・」だけでは寂しいような気持ちだ。
 本当の厳しさ、優しさとは何だろうか。あれでは、いかにも禅寺は特別な修行をする処であり、人を寄せ付けないというイメージを作ってしまい、禅マニアしか行かなくなるではないかと危惧する(笑)。初めて坐禅する方に、痛さや厳しさを植え込み、高尚?な話をして、遠ざけてしまうという現状に違和感を感じたことがある。

 また、僧侶側においても、大きな修行道場の摂心では、部署や持ち場によってはとても忙しく、一度も一週間坐り通したということがない状態のまま、1年後、二年後に、自坊(自分のお寺)に戻って、住職の仕事に就くという修行僧がほとんどです。

 お寺で精神を鍛えるのが目的ではありませんが、摂心による「靜中の工夫」(基礎)なしに、いきなり「動中の工夫」(応用)に向わなければならないのは、実践生活、精神生活上大変なことだと思います。

 私自身も料理当番や、参禅者のお世話係りの時、自身で坐禅できないことを悔やみ、与えられた仕事に徹せられなかったことがありました。「菩提心」の大事さを今更ながら思います。

・これから
 ここしばらく、坐というものから離れた生活をしていて、最近、「坐りたい」という気持ちが強く起こってきた。この禅堂で5日間、みっちり坐らしていただくことができ感謝しています。これからも、「坐りぬく」まで「坐りたい」という気持ちを大切 に参禅して行きたいと思っています。
 参禅中、『肯心みずから許す』いう言葉を頂きました。それは、「自分で自分を許すということ」。カウンセリングでは「人に受け入れられて、初めて自分を受け入れら れる」ということを云いますが、「人に許される、受け入れられる」ということを超えた「自分で自分を許す」という道があるということを知りました。

さらに、独参で 「最後は、許すも許されるもないんですよ」と老師に言われてしまいましたが・・・

 私の参禅は始まったばかりです。     合掌
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