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七日間摂心体験記

2008年朽木學道舎 灌仏会大摂心会(大接心)に参加して

はじめに
禅はむやみに厳しいものではない
前 夜
第一日
坐禅を組みっぱなしではない
二日目
三日目
四日目
提唱
坐禅による意識の深化
坐禅の妨げ
独参とは
食事
夜 坐
摂心で修行する意義
五日目、六日目
最終日
摂心終了後
その後
八日目
正 師
はじめて摂心する人へ
現代における禅


はじめに

まず、前置きになりますが、この灌仏会大接心の感想は、接心の個人的な体験記であると共に、接心に参加されたことのない方、また坐禪に関心がありながら、禪の敷居の高さに実際に参禅することをためらわれているような方の為に、接心というものが実際にどのように行われているのか、また実際の参禪はどのようなものなのか、そのガイドのような形で書いていきたいと思います。

多くの方にとって、禅や禅寺、禅道の持つイメージ、その禪の敷居は高過ぎ、近寄りがたいものに感じられていると思います。
ましてや、摂心で朝から晩まで坐り続けるなど、とても普通の人には不可能なことだと思われるのが普通かもしれません。

私にとっても、実際に参禪に赴くまでは、禅の敷居はとてつもなく高いものでした。
何か一言でも質問をしたものなら、すぐさま警策をもって打ち据えられるような、そんなイメージがありました。


禅はむやみに厳しいものではない

そうした、禪に対する固定化されたイメージの為に、かつての自分のように、禪に関心を持ちながら、実際の参禪を躊躇われている方がいるとしたら、非常に残念なことです。実際に参禪して感じられるものは、そうした禪のイメージとは、全く違ったものです。
かつて朽木学道舎での七日間の摂心が、私の初めての坐禪であり、参禪となりましたが、坐禪の経験がない、全く初めての方でも、坐禪に何か求めるものがあってこられた方であるならば、七日間を坐ることは決して難しいことではありません。

そうした方の為に、かつて私も禪の敷居の高さに参禪を躊躇った者として、実際の参禅はどのようなものなのか、少々長くなると思いますが、その点においてなるべく詳しく体験記を書きたいと思います。

私が朽木学道舎へ参禪するようになってから、3年程になります。坐禪そのものの経験も、それまでありませんでしたので、3年ということになります。
お盆、ゴールデンウイーク等の連休にはよく摂心に参加させて頂いており、また學道舎へ参禪されている方の中では、一番家が近い方ですので、週末の休みや少し長い連休が取れた時にも、時間の都合が取れる時は、参禅させてもらっています。


前 夜

今回の灌仏会大摂心には、7日間を通して参加させてもらいました。
29日に仕事を終えて、車で夜9時前に學道舎に到着すると、7日間参加される方は少なく、今回のゴールデンウイークは、連続して休みが取りにくい形になっているので、多くの方は5月2日から5日間参加されるということでした。
摂心は明日30日の朝から正式に始まりますが、私自身も比較的時間の都合を取りやすい仕事をしているとはいえ、やはりこうした機会は、そうそうありませんので、既に始まったものと気を引き締め、11時過ぎまで坐ってその日は休みました。


第一日

あくる朝30日より、摂心が始まりました。

摂心のスケジュールは、夏時間なので、4時振鈴(起床)、4時20分より二炷(一炷(いっちゅう)は約40分)の坐禪、7時に粥座(朝食)、8時20分より三炷の坐禪、11時半に斎座(昼食)、13時20分より三炷の坐禪、16時30分より薬石(夕食)、18時20分より三炷の坐禪、一日の最後に四弘誓願文(しぐせいがんもん)と普回向(ふえこう)を読んで、21時以降は随座、22時に開枕(就寝)となります。

一日の最後に読む四弘誓願文と普回向を掲載します。四弘誓願文は三度読みます。

四弘誓願文

衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)

煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)

法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)

仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)

(意味)

生命あるものは限りなけれども、誓ってみちびかんことを願う

わずらいなやみは、尽くることなけれども、誓って断ちきらんことを願う

ことわりのかずは、はかりなけれども、誓って学ばんことを願う

さとりの道ははるかなけれども、誓って成し遂げんことを願う

 

普回向

願(ねが)わくは此(こ)の功徳(くどく)を以(も)つて

普(あまね)く一切(いつさい)に及(およ)ぼし、

我等(われら)と衆生(しゅじょう)と、皆共(みなとも)に仏道(ぶつどう)を成(じよう)ぜんことを。

十方(じーほー)三世(さんしー)一切佛(いーしーふー)

諸尊(しーそん)菩薩(ぶーさー)摩可薩(もーこーさー)

摩可(もこ)般若(ほじゃー)波羅密(ほろみー)

(意味)

若しも願うことが可能であるならば、今此処に積み上げた成果を

広く一切のものに及ぼし

われわれ自身と全ての生物とが

皆一緒に釈尊の教えを達成する事が出来るように願いたい

あらゆる方角における過去,現在、未来のあらゆる仏(ほとけ)

多数の仏道修行者、偉大な人々

真実に向かう為の偉大な知恵


坐禅を組みっぱなしではない

一炷と一炷の間には径行(きんひん、歩行禪)と(ちゅうかい、足を休めたり、手洗いに行く時間)が20分間あります。一日に一度独参と提唱があります。

こうしてスケジュールを見ると、摂心に参加されたことのない方は、早朝から夜までびっしりと坐禪をしているように見えて、普通の人にはとても無理なように感じると思いますが、食時の後には、約一時間半の空き時間があります。

坐禪の経験者は少し休んだ後坐ったりもしますが、初心の方が無理をする必要はなく、この時間はゆっくりと体を休めたり、外を少し遠くまで散歩することもできます。坐禪と坐禪の間の抽解の時間も、20分あるので、その間別室で横になって体を休めたり、縁側で体を楽にしたり、外の椅子に坐って景色を眺めたり、外を少し歩いたりも出来ます。

禪堂の玄関の土間には、各自で御茶が飲めるようにしてあり、抽解等の時間には自由に飲むことができます。ごく簡単にですが紅茶やコーヒーも飲めるようにしてあります。
老師の奥様が手作りされた御菓子が置かれる事もあります。

そういった感じで、坐禪以外の時間も充分あり、その時間はゆったりしたものです。摂心中、ただ厳しい雰囲気のみが禪堂を支配しているということはありません。

30日からの参加者はまだ少なく、また初心の方もおられませんでしたので、他の方がこられる2日までは、一炷の始まりと終わりの鐘は打たず、めいめいが坐れる長さだけ自由に坐り、足が痛くなったら自由に抽解を取り、又坐る形になりました。

坐禅に多少習熟してきますと、一炷以上の時間を坐ることも、難しいことではなくなってきます。
一炷ごとに鐘を打つと、かえって坐禪が途切れ途切れになってしまうので、朽木學道舎では、人が多いときは無理ですが、それほど多くない時は、しばしばこうした形をとります。


二日目

最初の一日目、二日目は、より徹底して坐る意味で、それぞれが自分に合った時間で坐るということになりましたので、私は禪堂内で坐る他にも、早朝や晩は外で坐ったりもしました。
學道舎の裏手の山は、途中まで15分程で登れる道がついているのですが、その行き止まりまで上って、大きな杉の大木の下に、じかに、坐布を用いず、すぐ横を流れるせせらぎの音を聞きながら、坐ったりしました。

また朽木学道舎の前の川に渡された、大きな丸太二本を渡して作られている、橋の上で坐ってみたり、川べりで坐ったりもしました。その橋は、昨年の夏に老師が参禪者と渡したものです。

一日目はまだ、川上にある大きな桜の木は、花を付けていて、非常に美しい佇まいを見せていました。
二日目はわずかの風に、花が舞い落ちていくのを見ました。桜の花びらが絶え間なく川面を流れていく中、カジカの独特の鳴き声とせせらぎの音を聞きながら、橋の上で坐りました。
三日目には、花は全て散ってしまいました。

こうして文章に書くと、何か美しさに酔っているかのように見えてしまいますが、他の時ならともかく、摂心の時はそういった余裕はありません。

普段の生活を離れて、こうした自然環境の中で一週間を過ごすだけでも、何らかの気付きといったものが得られるかもしれませんが、こうして一週間坐り通せる機会というのは一年において、また人生においても、そうあるものとは限りませんので、油断なく呼吸を見つめることに徹します。
初心の内は外の環境にどうしても注意が引きずられますが、そうしたことも無くなれば、ただ呼吸を見つめることに徹底するのみです。

もちろん、自然の移り変わりに対して敏感であり、無常に気づくこともまた、大変な修行であることに変わりはありません。それゆえ、古人も修行の場として、山深い場所を選んできたものと思います。

七日間を坐る摂心では、個人差はありますが、だいたい三日目が峠となります。一日目はそれほど苦もなく坐れますが、同じ姿勢を維持する為、二日目、三日目と足の痛み、人によっては腰など他の部分の体の痛みもだんだん増して行きます。

その三日目までをしっかり坐っておくと、峠を越えた四日目からは、痛みはありながらも、痛みと共に坐れる状態と言うのでしょうか、耐えられない痛みといった感じではなくなります。ここからやっと、禪の本当の醍醐味が感じられるようになってきます。
ですので、一泊から三泊の坐禅では、なかなかそこまで届きません。三日間の坐禪だと、痛みの峠をやっと終えてこれから、というところで終了になってしまい、非常に勿体無いのです。

四日目以降は坐禪中、全く足の痛みを感じない時もあります。また姿勢を維持し続けることにも、全く力が要らない、そういった状態になったりします。
そういった状態を、定力じょうりきがつく、禪定ぜんじょう力がつくと言います。定とは、簡単に言えば三昧サマーディーを意味します。

今回の摂心は定の深まりが早く、二日で峠を越したようで、三日目からは抽解に足を休めなくても、一炷目から次の食事の時間まで、三炷を通して坐れるようになりました。一炷が終わって鐘が鳴っても、このまま次の回も坐れる、続けて坐りたいと思えば、径行と抽解に坐を立つ必要はありません。

もちろん、坐禪は足の痛みを我慢することが目的でもなく、当然のことながら、我慢大会でも何でもありませんので、うまく姿勢が維持し続けられない時、足が痛い時は、抽解の時に足を休めます。

坐禪が深まってくるとでも言うのでしょうか、定力がつきはじめると、意識の上でも様々な変化を感じることになります。


三日目

摂心の三日目、5月2日には、今回の摂心に参加される大半の方が揃いました。
摂心の参加者は、いつもだいたい男性と女性が半々といった感じです。三日目からは、人も多くなりましたので、一炷ごとに鐘を打つ形になりました。
その一炷の始まり(止静)と終わりの鐘は参禪者が交代で打ちます。専門僧堂では、女性が鐘を打つことはありませんが、ここでは男性、女性、関係なく交代で順番に鐘を打ってもらいます。

坐っている時は、自分の坐禪の変化、深まりというものは、案外あまり分からないものですが、定が深まってくると、鐘を打った時に、安定して、澄んだ音が出るようになります。そうした変化に気づくことも、とても重要です。聞こえ方も変わってきます。

摂心のおよそ三日目までは、前述したとおり、体の痛みなどで、楽なものであるとは言い難いものです。そういった痛みも、坐禅を継続していく内に、だいぶ慣れてしまうものなのですが、初めの内は特に厳しいものに感じられると思います。
不思議なことなのですが、既に定力がついて、非常に深く、静かに、落ち着いて坐っている人が、一緒に坐っていると、その人の定に同調する、引き寄せられるという感じでしょうか、それほど坐禪の経験のない方でも、三日もかからずに深く坐ることが出来るようになります。

こうしたことは一人で坐っている時には起こりえないものです。
もちろん、新しく見えられた参禪者の方々が、深い問題意識を持って坐禅に向かわれているからこそであることは、言うまでもありません。

新しく参禪者の方が来られれば、坐っていても禪堂内に多少ざわつきがあるものですが、その日から禪堂内は非常に静かでした。
とても不思議に感じられる程の静けさでした。

一日目、二日目は朝晩の冷え込みが厳しく、セーターを着て、毛布を羽織って坐りました。三日目以降は朝晩の冷え込みも、ずいぶん少なくなりました。昼はセーターや毛布があるとかえって暑すぎるので、外さなければならず、そうするとまた徐々に体が冷えてきたりして、こうした季節の方がかえって風邪を引きやすいので、注意が必要でした。

摂心中、5月5日に雨が降った以外は、良い天気が続きました。禪堂の中で坐っていても、少しだけ冷たい、気持ちのいい春の風が、無双窓から禅堂の中にも入ってきて、頬を撫でていくのを感じました。

日本の伝統的な造りをしている茅葺の禅堂は、多くの光は入らないようになっており、無双窓から差し込む春の光は、とても静謐で、坐禅を助けるものであるように思いました。

そのように禪堂内の空気も、冬の禪堂の空気とは全く違ったものでした。
その空間の中に、衝立を前にして、参禪者がほとんど何の音も立てずに、坐っていました。
人が集まることで、かえって静寂は更に深まり、密度を増しているように感じました。

摂心中、参禪者同士は話をすることも、目を合わすことさえありませんが、その深まりゆく静寂の中で、何か本当に深く共有しているものが、あるような気がしてなりませんでした。


四日目

摂心の四日目、5月3日には、一月に亡くなられた御父様の供養にと、今回初めて坐禪を経験されるSさんという女性の方が、富山県からお見えになり、今回の摂心に参加される全ての人が揃いました。今回の摂心は大型連休に行われるということで、遠方から来られている方がほとんどでした。

実は今回の摂心の数日前、老師の御父様も亡くなられ、老師は摂心の直前まで千葉の御実家に戻られていました。


提唱

Sさんがお見えになったので、提唱の際には、老師の御父様が95歳の大往生だったこと、非常に美しい、穏やかな死顔をしていて、葬儀もとても感動的なものであったことも、老師は話されました。
Sさんが涙を啜られているのが聞こえました。

そうした経緯があり、今回の提唱では、「無門関第四十七則 兜率の三関」と、「正法眼蔵 生死の巻」を同時に用い、死の問題を正面から取り上げている祖録から提唱をされました。また、老師が長年研究されてきた宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも触れ、亡くなった人は生きている人にとってどのような存在であるのか、どこにある(いる)と言えるのか、といったことにも言及されました。

坐禪、独参と共に摂心の三本柱の一つである提唱とは、もともと禪から生まれた言葉で、法を引っ提げて唱えるという意味があり、祖録を元に老師が法そのものを提示するものです。ですので、論理的に、説明的に捉えられるようなものではなく、また、そのように提唱を解釈しようとすべきでもありません。
風の音を聞くように、ただ聞いていてください、と老師は提唱の際に言われていました。

随息観で重要な点は、無理のない正しい姿勢で足を組み、ただ呼吸に留意する、呼吸を見つめ続けることです。
そして、思いを放つ。さまざまな思いに引き回されない。
目に映るものにも、耳に聞こえる音にも、鼻に匂う香りにも、心に浮かぶ思念にも、なるがままに、それらの一切のことを、相手にせず、邪魔にせずに坐ることです。


坐禅による意識の深化

摂心も三日目以降、半ばに入り定力がついてくると、あまり坐を立つ必要がなくなるので、外に出ることもほとんどなくなりました。
その頃になってくると、日常でも、疲れている時など顕在意識の活動が抑えられているときには、誰にでもままあるものですが、様々なイメージが鮮明に見えたり、物音が何か人の声のように感じられたりといったことが起こりやすくなります。坐禪に習熟してくる程、よりはっきりとした形で出てくるようになります。

そうしたものが出てくることは探求の過程において必ず通過するものであり、必要なことなのですが、それにとらわれると探求の妨げになり、魔境と呼ばれます。
そういったものが坐禪の中で意識化されること自体が、自分というものを構成している、様々な想念を手放している過程であると言えると思います。

ですので、何が見えても、何が聞こえても、何が起こっても、相手にせず、邪魔にせず、ただ呼吸を意識して坐るのみです。
そうしたものは夢と同じようなものです。夢から覚めてしまえば、座布団から立ってしまえば、それまでのものです。
そして、その日坐禪の中で感じたことを独参の際に老師に話します。
そうすると、不思議な程次の日の坐禅では同じものを感じたりはしなくなります。意識の中に深くしまいこんだものを、自分という括りから手放してしまう、そういったことが起きるのだと思います。
ですので、独参の場でそうしたことを話すことは、大変重要なことです。探求が、正しく滞ることなく進んでいくかは、そこにかかっているように思います。

摂心も佳境にはいると、定力がついているので呼吸はより静かになり、体も安定して坐れるようになるので、非常に静けさを意識するのですが、一方で前述したような日常では意識されることのない、内面の激しさというものも、前面に押し出されてくるように思います。


坐禅の妨げ

ただ、注意して頂きたいのは、坐禪の中で感じられることは本当に人それぞれで、その人特有のものです。こういった記述を読んだが為に、前もって先入観を持って坐ると、妨げにしかなりません。
坐る時は、この感想全てを忘れ去って、全てを投げ捨て手を打ち払って、坐ってください。

自分がかつて坐禪で経験したものであっても、それに沿わせようとしながら坐ることは、やはり妨げにしかなりません。坐禪に自分というものを持ち込んでしまうことが、何よりの障害です。

妨げているのは自分しかありません。
その自分を構築している様々な想念を、坐禪の中で捨てていく、そしてただ普通を本当に普通に生きられるようになる、それが坐禪であるように思います。
それこそがどんな奇跡や超常的な力よりも本質であり、尊いものであるように思います。
そうしたことが坐禪を続けていくと、分かろうとしなくても、体にしみ込んでくるように分かってくるように思います。


独参とは

独参は、坐禪の中で感じたこと、疑問に思った事等を老師に尋ね、正しい工夫が出来ているかどうかを、確認する場所です。分からないことや、疑問を持っていたりすると、坐禅の妨げになります。

今回、肉親の死という、人間の避けがたい悲しみを抱えて、参禪に来られた方がいたからでしょうか、悩みを抱えていても、坐る時の妨げになりますので、そうした荷物を下ろす意味で、悩みを持たれている方は、独参の場でその荷物を下ろしていってください、と老師は独参の前に話されました。

独参は、今回新しく建てられた独参用の建物で行われました。この独参の建物も、老師と参禪者の手によって基礎の段階から建築したものです。
老師がその独参の建物から鈴を鳴らすと、参禪者が一人ずつ、禅堂の土間においてある鐘を二回叩いて、独参へ向かいます。
独参から戻られた女性の参禪者の方が涙を啜られていました。
参禪者の方も様々な思いを抱えて、参禪されているものと思います。

独参の作法は、入り口で一拝、老師の前で一拝、終わりに一拝、五体倒地で額を床に付けて礼拝します。本来は三拝ずつですが、時間がかかる為一拝ずつということになっています。

独参の室内でのことは、人に話しても、聞いてもいけません。
独参は、摂心の中でも非常に重要なものです。

独参の場でのやりとりは、参禪者一人一人に即したものであり、人によって全く違った指導の方法を取り得るために、独参の室内での話は、自分と他人の独参を比較して坐禪の邪魔にならないように、決して人に話しても、聞いてもいけないことになっていますが、独参の雰囲気については、紹介しても構わないとのことでしたので、ここで少し述べさせていただきます。
老師の前で礼拝を済ませた後、姿勢と呼吸を整え、自分の坐禅の方法、随息観であれば、随息観(数息観に参じていれば、数息観)に参じております、といいます。

独参の場は単なる言葉のやりとりの場ではありません。そこで伝わるのはむしろ言葉ではないものです。

礼拝を済ませ、姿勢と呼吸を整え、目を上げ老師の目を見た途端、空気の密度が変わっていくのを感じます。その空気の密度が、自分の意識に浸透していき、自分の中から言葉が閉め出されていくのを感じます。

独参に向かうにあたって、今日の坐禪で感じたこと、疑問に思ったことを考えていくのですが、坐禪によって定が深まっていると、口を開いてもその空気の密度の中に、言葉が音になる前に消えてしまうように感じます。頭に言葉があっても、なかなか言葉を出すことが出来ません。非常に時間がかかることがあります。
その空気の密度の前に、言葉、そして言葉を基にした言語認識、思考というものがあまりに表層であり、限界があるかを感じます。かなりの困難を感じながら、自分の坐禪についていくつかのことを述べます。

そのことについて、老師からいくつかの指摘と話があります。
独参は短く終わる時もあれば、長く何も話さないままの時もあります。坐禪が深まってくるほど、その沈黙がいかなるものであるか、伝わってくるものであるように思います。


食事

食事は作法によって、始まりから終わりまで、一言も話さなくても滞りなく、非常に合理的に行われます。参禪者は応量器と呼ばれる、大中小の三つの漆の器を、摂心中を通して使います。食事が終わると、お湯と沢庵できれいにして、重ねて袱紗に包んで片付けます。
朝食(粥座)と昼食(斎座)には食事の前に、五観之偈(ごかんのげ)、生飯之偈(さばのげ)、三匙之偈(さんしのげ)を読み、食事の後に折水之偈(せっすいのげ)を読みます。

その中でも最も広く読まれているものである、五観之偈を掲載します。
五観之偈
一には功の多少を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。

二には己が徳行(とくぎょう)の全欠を[と]忖(はか)つて供(く)に応(おう)ず。

三には心を防ぎ過(とが)を離るることは貪等(とんとう)を宗(しゅう)とす。

四には正に良薬を事とすることは形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんが為なり。

五には成道(じょうどう)の為の故に今此(いまこ)の食(じき)を受く。

(意味)

一つ目には、この食事が調うまでの多くの人々の働きに思いをいたします。

二つ目には、この食事を頂くにあたって自分の行いが相応しいものであるかどうかを反省します。

三つ目には、心を正しく保ち過った行いを避けるために、貪りの心を持たないことを誓います。

四つ目には、この食事を、身体を養い力を得るための良薬として頂きます。

五つ目には、この食事を、仏様の教えを正しく成し遂げるために頂きます。

粥座はお粥、斎座は(米と麦の)御飯、薬石(夕食)はその残りで作った雑炊、又はうどんを頂きました。
食事は十分な量があり、品数も豊富で、お代わりをすることも出来ます。畑で取れた野菜や、周辺で取れた山菜、コシアブラ、ヨモギ等を使った天麩羅等の料理も出されました。

なるべく音を出さないようにして頂きます。そうすることで、自分の今、現在に、より注意深くなります。こうしたところで、坐禅による変化が非常によく分かります。

また、毎日当たり前のように行っている、食べる、食事を頂くということが、我々の生命にとってどういうことなのか、どんな言葉による説明よりも明白に気付かされます。

摂心の間、最初から最後まで、参禪者全ての食事を作って頂いた老師の奥様には、この場を借りて御礼の言葉を述べさせて頂きたいと思います。有難う御座いました。


夜 坐

定力がついてくると、短い睡眠時間でも坐れるようになるので、摂心の日が経つにつれ、五時間、四時間、三時間と、睡眠時間を短くして夜坐やざをしました。
以前全く眠らずに坐ってみたことがありましたが、次の日の朝の一炷目、二炷目と定力が抜けてしまっていて、姿勢を維持することもうまく出来ないような状態でしたので、私の場合最低二時間は寝ておかないと次の日に支障が出るようです。

初心の方が、無理して夜坐をする必要はありません。開枕かいちん(就寝)の時間になったら、ゆっくり休んでいただいてかまいません。

夜坐よりも、次の日の坐禅の方が重要ですので、無理をし過ぎればいいというものではありませんし、それぞれの方の健康の具合、体力、気力もありますので、ここでは夜座はしなければならないものではありません。体を壊して普段の仕事に差支えが出るといったこともあってはなりません。

無理をし過ぎること、真面目過ぎることもまた、自分の枠を強め、妨げになります。
しかしながら、摂心においては、法を求めるならば多少の無理を試みることもまた必要です。


摂心で修行する意義

私自身は、悟りを求めて遮二無二坐るような人のみが、摂心に参加すべきであるとは思っていません。
たとえ年に一度であっても、世の中で普通に仕事をしている人が坐りに来る、そういったことであってもいいと思っています。我々が生きる日常、社会もまた、厳しい状況にあるように思います。

そうした日常を離れ、無言の内に、溢れるほどの様々な情報の刺激や、社会の中での自分の位置によって忘れている、或いは忘れようとしている、本当の自分の本心、深く隠された自分の感情と直面する。
それは必ずしも楽なことではありませんが、それによって本来自由そのものだった自分に、生きていく上でまとわりついた、余計な夾雑物を捨てていくことになります。
摂心という言葉には、本来の自己に親しむ、という意味があります。
摂心において、悟りや見性といった明確な体験がなくても、それだけ本来の自己に親しんだことになります。

実際のところ、自分の限界まで摂心を坐り抜き、どれほど深い安らぎ、落ち着きを感じたとしても、自意識の根が切れない内は、日常に戻ってしまえば、三日も経てばいつもの日常の自分に戻ってしまいます。
例えるなら、泥水が静かな状況で上澄みと沈殿物に分かれていたものが、また揺さぶられて泥水に戻ってしまうようなものです。

それでも参禅を継続していく中で、悟りや見性といった体験がなくても、あらゆるものが変わっていっていることに、何かの機会に気がつくことでしょう。
その違いはやはり決定的なものであると言わざるを得ません。
私は日本に生まれてきたことに殆ど何の感情も持ってはいませんでしたが、禅が日本に今もなお法を伝えるものであることに、深い敬意と感謝の念を抱かざるを得ません。


五日目、六日目

最終日に近づくと、坐っていると鐘を叩く音は、自分の頭が叩かれているかのように感じ、外で鳥の声が聞こえただけでその音が頭をカツーンとやるように感じ、床が軋む音がすると、自分が割れるかのように自分の中に響き、その度ごとに思わず頭と体が大きく仰け反りました。

一日の終わりにお経を読むと、グッと掴まれたように自分の意識全てが読んでいる文字そのものになってしまい、お経がお経を読んでいるといった感じで、自分がお経を読んでいるといった感じではなくなります。

坐禪によって、自我が作り出している自分と世界の境界が薄れてきているからです、と老師は言います。その他様々なことがあります。

定力によって坐ることは可能ですが、疲労もまたかなり蓄積しているので、食事の後は横になって休みました。食事の後は胃に血液が行っているので、食事の直後に坐ることはここでは勧められていません。


最終日

摂心も七日目、最終日になりました。正午に開静(終了)となります。
摂心の終わりに茶礼がありました。参禪者は、衝立を挟んで向かい合うように坐っていましたが、外側に向かって坐り、御茶を注いでもらい、御菓子を頂きます。茶道はこの茶礼から発展したものです。
静かに御茶と御菓子を頂くと、摂心が終わったことを感じました。

それから全員、単(それぞれの坐る場所)を立って、御聖僧様の方を向き、般若心経を読みました。その後、灌仏会ということで、四弘誓願文と普回向を読みながら、順番に聖僧壇の誕生仏に甘茶をかけていきました。

灌仏会(かんぶつえ)は、御釈迦様の誕生を祝う行事です。様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たします。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝います。

全ての参禪者が甘茶をかけ終わると、自分の単に坐り、御聖僧様の方に向かって、老師の鐘の合図に従って深く三拝し、単を立って礼拝し、灌仏会大摂心は開静しました。


摂心終了後

その後、摂心終了後の食事会がありました。摂心は終わったので、参禪者は互いに話をしてもかまいません。
料理は、周辺で採れたコシアブラ、ヨモギ等の山菜と學道舎で栽培している椎茸の天麩羅が美しく盛り付けられ、老師の奥様が酢に漬ける段階から作られた鯖寿司等もあり、ご馳走でした。

よく晴れた日で、縁側のガラス戸を開け放ち、外からの空気が気持ちよく、部屋から眺める景色が非常に綺麗でした。参禪者の方の互いの近況を聞いたりしながら、ゆっくりと料理を楽しみました。


その後

食事が終わった後も、参禪者同士で長く会話を楽しんでいましたが、今回の摂心に参加された参禪者の方も、一人、一人と、席を立たれ、帰っていかれました。

私は、後二日間仕事の休みをもらっていたので、残り二日間も學道舎に滞在し、摂心によって溜まっている作務を手伝うことになりました。富山県から摂心の四日目にお見えになったSさんも、三日後の5月9日朝まで滞在して坐っていかれるということでした。私も朝と夜は一緒に坐ることになりました。
他の参禪者の方は夕方までにお帰りになり、それ以降は、また会話をせず坐りました。

その夜の坐禅で、非常に定の深まりを感じ、こうした休みを取れる機会は一年の中で他にありませんので、私は明日もう一日坐らせてもらえるようにお願いしました。


八日目

翌朝、二炷を坐って粥座が終わり、私は体を休める為に書院の縁側に楽に座って、外の景色をただ眺めていました。

外には朝の光が差し、庭の大葉菩提樹の葉は、その朝の光を透かして輝いていました。本当にいつもの光景であり、毎日大葉菩提樹はいつもこうしてあるはずですが、それは尋常ではない輝きでした。

その大葉菩提樹の姿は、本当に静かで、ゆるぎなく、どこにも行こうとせず、生命を湛え、生を讃えていました。その姿は時間性というものを持ちませんでした。

それから私は外に出て、木の橋を渡って川の堤防沿いを歩きました。
冬の間は殆ど姿を見ることのなかった鳥が、電線に止まって私のすぐ上で、機敏に頭と体を動かしながら、賑やかに長く囀っていました。その姿にはどこにも人間のような緊張も、苦悩の兆しもありませんでした。
ただ命を生き、寛ぎきって、春を謳っていました。

本当に静かで美しい、春の日でした。
なんということだろう、と思いました。

この世界の中で、自分だけが世界を逆さまに見、錯覚し、いいものを悪いと言い、ないところに邪悪なものを見、激しい感情を隠し、後ろ手にナイフを隠すかのように自分を抑えて生きている、自分の愚かさ。

我々もまた存在そのものから離れたことは一度として無いにもかかわらず、自己というものが生み出す境界の中で、その限られた領域を永続的に保持しようとして苦しむ。

いつも、世界はこのようにして在った。
春の静かな美しさの中を歩きながら、私は自分の愚かさを深く恥じていました。

次の一炷目が始まる前に禪堂に戻り、そしてまた坐りました。老師は摂心中に溜まった別の仕事をされていて、禪堂にはSさんと私が衝立を挟んで坐っていました。

前日の食事会が終わった後、Sさんがいろんな考えが出てきてしまって、うまく坐れないと話されていました。
そうしたものが出てくること自体が、それを手放している過程そのものですので、どんなに下らない事が出てきても、又どれほど悲しい事が思い出されたとしてもそのままに眺め続け、それを抑えつけたりせず、悲しい事が思い出されたならば、そのまま涙を流して泣いて下さい、と話したのですが、そんなことを人に話したことが、結果的に自分自身に向かって話したことになったのでしょうか。

坐っていると、今回の摂心のことが思い出すともなく、頭の中を巡っていました。
共に坐った参禪者の方々の姿、今朝の大葉菩提樹の輝き、春の訪れを告げる鳥の囀り声、満ちている春の空気、溢れる光、新緑の山々・・・。

世界は美しい、ふとそんなことを思ったような気がした途端、涙が流れてきました。
かつて自分を割った悲しみ、それ以来自分の半分以上が死んだように感じ、どれほど何かに感動しても、どんなことをやっても、決してもはや動かず、熱を持たない部分といったものを常に感じてきましたが、その悲しみをもう一度悲しみ、その痛みをもう一度感じました。

涙は止まることなく、片手を着いて身をかがめ、タオルに顔を埋めて声を出さず、声なき声を震わせて、長い間涙は流れました。
こうしたことはかつてなかったように思います。

流れる涙の中で、自分の中にも温かい血が流れていることを感じました。
かつて、この世界を疑うこともなく、もっと自由に、屈託なく生きていた自分を思い出しました。

摂心は前日に終わったので、その日の午後からは川を遡ったところにある子母婆(コモンバ)の滝へ行きました。
途中まで車で行き、そこからは歩いて向かいました。
軽トラの荷台に乗って風を受けながら、木漏れ陽の林の中を抜けて行き、それから新緑に包まれた道の上をゆっくりと歩いて、景色を楽しみながら滝へ向かいました。
シャクナゲが満開を迎えていました。

滝の周辺はひんやりとした空気が心地よく、足を水に浸してみると、痺れるように感じる程の水の冷たさでした。滝の流れを十分に堪能し、楽しんだ後、滝の傍で坐りました。

夕方以降は、また会話をせず坐りました。

夜坐っていると、禅堂の隅のほうで何かがゴソゴソと音を立てていました。ネズミか何かだろうかと思っていると、物陰からネズミにしてはかなり大柄なものがピョンピョンと飛び跳ねながら出てきました。目がとても大きく、尻尾がふさふさして太い動物。ニホンリスでした。
禪堂の中を行ったり来たりし、柱を器用に登ったり降りたりしながら、必死に外へ出られるような場所を探しているようでした。あまりに必死なので、無双窓を開いて逃がしてやりました。

翌日老師にそのことを話すと、ニホンリスはこの辺りでも滅多に見ないということでした。
かつてヤマネも禅堂の中に迷い込んできたことがあるそうです。ヤマネも禪堂の柱を器用にするすると登っていったそうです。

去年のお盆、その時は摂心はなく、夜一人で禪堂で坐っていて、何やら音がするなと思っていると、鮮やかな緑色をした、とても大きくて非常に美しい、スマートなフォルムをしたモリアオガエルが、ペタン、ペタンと禪堂の中へ何処からか入り込んで来たのでした。

以前から井守が水の中で尾を揺らして泳ぐ姿や、蛙の表情や佇まいは、本当に存在に寛いでいるかのようだと、感嘆する思いで眺めていたので、大きく美しいモリアオガエルが禪堂に入って来た時は、ここでは蛙もまた法を求めて坐りに来るのか、と愉快な気持ちがしたものでした。

翌日、5月8日が当地における月遅れの灌仏会の日ということで、早朝、二炷坐った後、竹竿の先に花束を付けて、庭先に天高く掲げました。

それから粥座を頂いた後は、冬の間使わなかった薪を移動させたり、布団を干したり、建築中だった小屋の骨組みを、これまでの予定より小さくする為に解体したり、摂心中に溜まった諸々の作務を夕方迄手伝いました。

翌日の朝帰られるSさんは、お昼からは坐るのも、辺りを散策するのも自由ということになり、夕刻前までは遠くまで素足で川沿いを歩いたりして、散策を楽しまれていたようでした。

その日の夕方、日が暮れる前に、私も帰路の途に着きました。

普段だと、摂心が終わったその日の内に車で帰ると、車の中では視野の隅々まで意識が行き渡るのを感じ、非常にゆっくりと景色は流れ、体は奇妙なまでに軽く、カーステレオをつけると音が体に沁み込んでいくように感じ、大きく開かれた感覚、坐禪による意識の変化を感じながら帰ったはずですが、今回9日間滞在して、今回の摂心は自分にとって、8日目にして摂心が終わったような、そんな感じがありました。

坐禅で体験したことや、気づきといったものは、日常に戻ると確かにあったはずなのに、夢のようにあったかどうかさえ分からない、掴めないものに感じられる時があります。たしかにそれは通常の認識の作用で掴まえられるようなものではなく、認識の作用が静まっている時に、理解できるものであるように思います。
そうした禪と日常の分離といったものもまた、坐禅を続けていく内に無くなっていくことでしょう。禪は特殊な体験をするためにあるものではなく、ただ当たり前のことが当たり前に理解できるようになる、そのようなものだと思います。

坐禪を続けていく程に、私は禪を知らず、法を知らないと感じます。法、ダルマ、存在の事実は、人間の自意識の一切の介在を許さない、と老師は言いますが、確かに自分というものが掴む事が出来るようなものではないことが分かります。

参禪する動機や理由というものは、言葉としてある程度整理されて自分の中にあったわけですが、最近は自分が何に向かって参じているのか、坐っているのか、それすら分からないような気がすることがあります。それはたしかに自分というものが掴んだり、介在出来るようなものではないからです。


正 師

ですので、正しい指導者の元に参禅するということは、参禅するにあたってまず第一に、何よりも重要なことであると思います。指導者は印可を受けた師家であることが必須でしょう。そうでなければ、やらないほうが無難です。

師家は道案内です。実際に自分の足で道を歩むのは参禪者その人であり、禅を教えるものは何より坐禅そのものです。実際に坐ることの他にありません。
私も数多くの書物の中に真実の影を探しましたが、数千数万の真理に関する書物を読んでも、ただ一炷の坐禅の代わりになるものではないと感じます。


はじめて摂心する人へ

今回の摂心も、坐禅は全くの未経験の方が数名参加されましたが、全くの未経験でも七日間の摂心を坐り抜けないということはありません。本当の禪の味わいを知る為には、やはり最初の三日の峠を過ぎることが必要ですので、初めての方こそ五日間から七日間を坐られると、言葉ではない確かな実感として、禪の持つ意味を感じられると思います。

ここでは、紋切り型な禪のイメージにあるような、坐っていて少しうとうとしただけで警策を打ち据えたり、少しでも作法を間違えたら怒鳴りつけるといったようなことはありません。

私にとっても実際に朽木学道舎へ参禅に赴くまで、禅の敷居というものはとてつもなく高いものでしたが、禪にそうしたイメージが先行し過ぎていることは、残念なことのように思います。実際の参禅の中で感じられてくるものは、もっと全く違ったものです。

参禅される方の問題意識がどのようなものであれ、それこそがその方にとっての取りかえようの無い公案であり、実際に坐る時に、坐禅の中にそのことを持ち込む必要はありませんが、それが内発的な厳しさとなります。

もちろん足の痛みはありますし、普段は直視することのない、自己と直面する厳しさといったものはあります。坐禅は一見すると不合理な行為に見えます。それでもなお求める何かがあって、摂心(接心)に参禅されたなら、そこで得るものは決して少なくないと思います。


現代における禅

世界とは何か。
世界を認識している自分とは何か。
それは二つの異なったものであるのか。
それとも認識の機能が、自己と世界、自己と他者、自己と自然、そして生と死、あるがままのものとあるべきもの、そうした全ての二元性、分離を生み出すものであるのか。
それによって生まれる、個人の内外における対立、葛藤、争い、そして自らの生存を脅かすほどの環境への破壊、搾取の根源的な終息はありうるのか。

言葉による追求、解釈、答えは結局、私に根源的な理解と解決をもたらしませんでした。私は言葉による答えを求めません。

現代において、いまや全人類的に認識されるようになった地球規模の環境の危機といったものもまた、我々個人個人の意識のありようが反映されたものであることは、否定できないものであるように思います。
それは大袈裟過ぎると思われるかもしれません。

しかし、我々自身がそもそもどういった存在なのか、全ての世界に生きる個人個人がそのことを、切実なる感情と共に、根源的に問わざるを得なくなるほど、おそらく人間が引き起こした危機は、人間の意識と身体の内外にわたって、更に露呈していくことだろうと思われます。

その上で、禪が、さらに言えば仏教が本来示していた、この世界のありようの事実、存在の事実に人が目覚めるとは、この現代の世界を生きる我々にとって、どういった意味があるのか、どういった可能性があるのか、宗教の問題としてではなく、問われる時に来ているように思います。

そうした意味で、伝統の軽視はあってはなりませんが、禪もまた、現代に即した言葉で語られる必要があるように思います。

禪だけが、仏教だけが、存在の事実に目覚める唯一の道ということではないことでしょう。気づいていようがいまいが、人もまた存在の事実そのものであり、そこから離れている人というのもありません。
そのことをただ人自身が納得できない故に、坐ることになります。私自身はやはり、日本に生まれたことを感謝するものです。

禪について私のような人間がこのように語ることは、大いに愚かな事なことであり、無意味なことです。
禪や真理といったものに関する知識があるゆえに、それが坐禪の妨げになることもありえます。
実際に坐ることに比すれば、こうした記述は全く無意味です。坐る時はどうか、これまで見聞きしてきた全てを忘れ、開かれて坐ってください。

本来の自己にあなた自身が親しむことが、一番良いことでしょう。それがあなた自身と自身が生きる世界を変えていくことでしょう。こうしたことは、やはり実際に坐ってみないと分からないものです。
長くなりましたが、これで感想を終わりたいと思います。

<おわり> 2008.6.12 K.E

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大多喜學道舎について

大多喜學道舎について

大多喜學道舎は、2013年4月8日の花祭の日に、ダルマサンガの第二禅堂として開単された。

目的の一つは、増えてきた東日本からの参禅者の便宜を図るためだが、いつも同じ環境の禅堂ではなく、時にはまったく違う「場」で摂心に参禅してみることも必要なことだ。誰しも、参禅の過程で無意識に自分の中に「枠」をつくってしまう。

そうした自意識が作り上げる巧妙な「枠」が、目覚めを妨げることになりがちだ。ただ単に、交通の便が良いから、近いからというだけでなく、時には朽木で、またある時には大多喜で参禅してみることが望ましいからである。

大多喜學道舎全景
弓の形をした日本列島の、矢をつがえる場所に当たる房総半島の中央部、太平洋岸よりの山中。現在の行政区分では夷隅郡大多喜町。太平洋に注ぐ夷隅川と東京湾に注ぐ養老川の分水嶺の源流域に位置する。

日本海型気候の冷温帯(ブナ帯)下部に在る朽木學道舎に対し、こちらはシイやカシからなる暖温帯の山の中。朽木が「陰」であるとすれば、太平洋に突き出た半島のこちらは「陽」。

古代の大国であった上総の国、そのほぼ中心部に位置する大多喜は、徳川四天王の一人本多忠勝が開いた城下町。周辺には「粟又の滝」で名高い養老渓谷や東大演習林、日蓮上人ゆかりの清澄寺など、自然環境のみならず、歴史的にも由緒ある素晴らしい土地である。

東京からの所要時間は2時間と少し。JR外房線の大原駅で「いすみ鉄道」に乗り換えた参禅者は、黄色いメルヘンチックな列車に揺られ、夷隅川沿いの鉄路を源流へと遡行する。あるいは、JR内房線の五井駅で小湊鐵道に乗り換え、養老川沿いを内陸に向かって延びるローカル列車に揺られながら、源流地帯を目指す。

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都会の喧騒や、日常生活の慌ただしさを離れ、ノンビリと列車に揺られて参禅に向かう時間そのものが得難い時間となり、充実した坐禅・摂心へといざなってくれる貴重な時間だ。

二つの鉄路の終点である上総中野駅で下車。駅から歩いて10分もかからない場所にもかかわらず、辺りは静かな田園地帯、朽木學道舎と同じく山に囲まれ、背後に川が流れ、日当たりの良い高台にある。文字どおりの「山環抱水」の地。

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周囲は様々な樹木に囲まれ、沢山の果樹も植えられ、一年中、花が絶えることはない。特に春には、山桜、オオシマザクラ、ソメイヨシノ、ボタンザクラと、桜に囲まれる。

 

DSCN3047
 

近くには、良く耕された田んぼ。そして學道舎の眼前には、放棄され荒れ果て、野生に帰った耕作放棄地。私見によれば、禅堂の位置する「場」は、こうした野生と文化の接点に在ることがこそが望ましい。

到着した参禅者を迎えるように、玄関先には大きく枝葉を広げたスダジイの大木が屹立する。房総半島では、榊と同じようにご神木として扱うのだとか。土地面積は750坪ほどあり、朽木學道舎の1,5倍ほど。数寄屋建築の母屋は85坪。最大15人ほどの人が、宿泊し坐禅ができる。

大多喜學道舎の建物は、そう古くないこともあり窓が大きく明るい。そのため禅堂は薄暗い洞窟に入って行くようなイメージして改築工事を進めた。菩提達磨が面壁九年した洞窟。

大多喜學道舎 禅堂内部
過疎や少子化・高齢化によって、全国各地に空き家が増えているが、朽木も大多喜もそうした民家を禅堂に活用するための一つの提案でもある。全国各地の参禅者が、小さなサンガを作り、空き家を改築して、そこら中に禅堂があるようになれば、さぞかし素敵なことだろう。

もちろん、大多喜學道舎も何らの伝統や権威、格式にも無縁だ。朽木と同じく、都会からの距離は、必然的にやってくる参禅者を選別する。気軽に門を叩くような人はいない。参禅者は、みな深い問題意識と求道心を持つ方ばかりだ。

そうした人たちが参集する摂心は、朽木に劣らず真剣な充実したものとなる。摂心中の一切の私語を禁じることは、ダルマサンガの最も厳格な規矩の一つだ。挨拶も必要ない。大多喜は朽木と違い、線路や駅、国道に近く、日中は長閑な列車の汽笛の音などが聞こえるが、それでも朝晩は深い静寂に包まれる。ただ、風や川の音。そして朽木よりはるかに多様な鳥や虫達の鳴き声。

ダルマサンガには、少人数ながら僧侶も参禅されるが、あくまで在家中心の禅堂である。もちろん、男女は平等であり、入門の先輩後輩の別はあるにせよ、ゆるやかで民主的な関係を旨とする。

何よりも修行を中心とし、坐禅・摂心を大切にするために、最小限の規則があることは云うまでもない。男性と女性が共に同じ空間で坐るのはもちろん、振鈴や坐禅の開始や終了を告げる鐘も、初参禅の方は別として、男女の別なく順番に打って頂く。また、お経は初心の方でも戸惑うことのないよう、宗派に偏らない短く重要なものを最小限にしている。

警策(きょうさく)は、師家しか使うことを許されておらず、たまに策励のために打つことがあっても、罰策として使用することはない。全ては己の問題であり、誰に強制されるものでもないからだ。

足が痛む場合は静かに合掌し、速やかに組み替えることは許される。半跏趺坐も結跏趺坐も無理な場合は日本座、それでも無理な場合は、椅子を使うことも。

初参禅の方には最低6時間は睡眠を取るように指導しているが、大多喜學道舎でも夜坐が許されており、熱心な参禅者は、自発的に夜遅くまで坐禅を続ける。

当然のことで言うまでもないことであるが、ダルマサンガでは食事を何よりも大切にしている。大多喜でも同じく、摂心中は完全な精進料理。それを漆の応量器で頂く。調理はもちろん、その作法も含め、食事を頂くことが禅の修行そのものであるから。

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お米は、地元の知人が丹精込めて作って下さる、ほとんど農薬を使わないお米。ブナの森から流れ出る源流域の清冽な水で育まれた美味しいお米を、朽木から運び、五分搗きで炊く。厳選した調味料を使用い、野菜は側の畑の菜園で収穫したものを中心に、春には大多喜の名産であるタケノコや山菜、秋は沢山の種類のキノコなど。

ダルマサンガの坐禅は、身心の健康を目的とした「健康坐禅」とは程遠いが、却ってその食事や深い腹式呼吸、朝の真向法やチベット体操などにより、身心の健康と調和を回復するには良い時間となる。

摂心の最終日、最後の茶礼を済ませ、参禅者はそれぞれ下山の途につく。急ぎでない人は参禅者のクルマに同乗し、15分ほどのところにある七里川温泉へと向かう。千葉では珍しい硫黄泉だ。摂心で疲れた身体をほぐし、またノンビリとローカル線に揺られて帰途に着く。来る時は反対側の列車に乗れば、房総半島を横断したことになる。

大多喜學道舎開単の趣意と喜捨のお願い

 

大多喜學道舎の位置と環境

大多喜學道舎は、千葉県南部の房総丘陵に位置しています。
太平洋に注ぐ夷隅川と東京湾に流入する養老川の分水嶺が複雑に入り組んだ源流地帯、夷隅川の支流、板谷川上流にあります。
標高百メートル足らずとはいえ、深い森に覆われた急峻な山地地形や、渓流といった多様な環境があることから、陸上に限れば、房総丘陵は千葉県内でもっとも生物多様性が高い地域です。

古代は大国であった上総の国、現在の行政区域ですと夷隅郡大多喜町の西南部。大多喜町は房総半島のほぼ中央に位置し、東西約12km、南北約19km、総面積129.84k㎡と、千葉県の町村で最も広大な面積を有し、朽木と同じように、森林総面積の約70%を占める山郷です。

玄関先のシンボルツリー、スダジイの大木

玄関先のシンボルツリー、スダジイの大木



朽木學道舎が、日本海側気候のブナやミズナラ、アシュウスギなどからなる冷温帯の落葉広葉樹林帯に位置するのに対し、大多喜學道舎は、太平洋側のスダジイ、ヤブニッケイ、ウラジロガシ、アラカシなどからなる暖温帯の照葉樹林帯にあります。

コナラ、アカメガシワ、カラスザンショウ、ヤマザクラなどの落葉樹も点在していますが、日本文化の基層の一つである常緑広葉樹(照葉樹)が優占しています。

千葉県内に棲息するほ乳類の、ほとんどが確認されています。大型種としてはホンシュウジカ、イノシシ、ニホンザル、ホンドタヌキ、アナグマなど。

深い森林には多様な植物が生育し、そのため昆虫類も多く、さまざまな野鳥の棲息を可能にし、繋殖しています。年間を通して見られる種としては、キジ、コジュケイ、ホオジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、メジロ、カワラヒワなど、30種にも及び、夏鳥はサシバ、アオバズク、オオルリ、サンコウチョウ、ホトトギス、ツツドリなどが確認されています。

晩秋から日本列島を南下してくる冬鳥の仲間ではオシドリ、マガモ、チョウゲンボウ、アカハラ、ジョウビタキ、ウソなど20種近くになります。


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参禅の感想-13 禅との出会い インドから日本へ

K.Yさん 30代男性 理学療法士

禅との出会い インドから日本へ

私はインドとネパールを1年間旅しました。その途中で瞑想することを覚え、そして日本で禅と巡り合うことになりました。

インドを旅していると、宗教や信仰、死生観などについて考える機会が多くあります。私は瞑想やヨガを習い、実践していく中で「自分とは?」ということに向き合っていくことになりました。そして、私の関心は「故郷の日本で培われた精神性とは?」ということに移っていきました。

禅への興味

おそらく、日本での禅への一般的なイメージというのは、厳しい規律の中で集団生活を送ることや、坐禅中の罰則(警策)などではないかと思います。

私の場合は、50年代のビート・60年代のヒッピーと呼ばれた人達が傾倒していたもの、現在では一部のサーファーがヨガと同様に生活に取り入れているもの、というイメージを持っていました。そして、どうして西洋人である彼らが禅に興味を示し、実践するのかに関心がありました。

長い旅の中で知り合う西洋人の中には禅に興味を持っている人もいて、日本人よりも禅について知っている人にも会いました。彼らは、一般的な日本人が抱いているイメージを持っているわけも無く、より精神的なものを禅に求めていると思いました。

ヴィパッサナー体験記

ヴィパッサナーの10日間コースを初めて体験したのは、ダラムサラでした。旅の途中に出会った友人達の勧めがきっかけでした。建物の内外には仏教の装飾がほとんどされていなかったことや、口コミで広がっていることなど、宗教的ではないところが、参加しようと思った理由です。

体験する前に、ヴィパッサナーの入門書を熟読して、その概念は頭に入っていたため、コース中のテープによる解説に対しても、比較的、理解が安易に出来たと思っています。

はじめの3日間は、足の痛みを含めて大変でしたが、少しずつ慣れて、コース半ばは順調に進みました。そして、心に抱えていた鬱憤のようなものが取れているのに気がつき、とても穏やかな気持ちになりました。最後の3日間は疲れてしまったというのが率直な感想です。

このヴィパッサナーは、無言で瞑想に励み、現在の自己を観察することで心が穏やかになる、とても優れた技法だと思いました。また、世界中から集まった何十人もの人々と同時に瞑想することは、とても大きなエネルギーを感じることができ、充実した時間となりました。

その後、再び10日間コースに参加するのは少し億劫に感じたため、3日間のコースを一度行ったに留まりましたが、旅の間はほぼ毎日、短時間ながらこの瞑想を続けていました。継続していると、朝、瞑想をした日としない日では、その日一日の心の状態が随分違うと感じるようになりました。

私はヴィパッサナーのコースを体験し、自分で継続していく中で「同じ仏教を土台としている禅、日本の伝統的な禅、様々な文化圏の人を惹きつける禅というものは、一体どういうものなのだろう?一度体験してみたい」と強く思うようになりました。しかし、寺院などで行われている坐禅会について、インターネットで調べてみたものの、私の気持ちを動かすものは見つかりませんでした。

友との出会い

日本へ帰ったら僧になるために出家する、という友人に出会ったのは、バラナシのガンガー沿いのゲストハウスでした。私がそこで使っていた部屋は、彼も一年前に使っていた部屋だと、別の部屋に長期滞在しているサドゥ(ヒンドゥーの修行僧)から聞いていました。彼は一年経ったこの時、バラナシに戻ってきていて、偶然そのサドゥと再会し、ゲストハウスに一緒に来たのでした。

私はこの時、ちょうど鈴木大拙の著書を持っていたため、彼と話が合い、また、波乗りという共通の趣味を持っていたため、なんとなく波長が合ったのを覚えています。

私が禅に興味があると話すと、この朽木學道舎を教えてくれました。そして、インターネットでそのホームページや老師のインタビューを読みました。老師の言葉にはどれも強く共感を覚え、ここへ行けば禅の本質に出会えると思い、日本に戻ったら行こうと心に決めました。

この學道舎を知ったことは、日本に戻る良い動機になったと思います。また、この友人との出会いの状況から、ここへ行くことは、何らかのメッセージとして受け取ることが出来ました。

摂心体験記

日本に戻ってから、3ヵ月後に摂心に参加しました。楽しみに待っていた、6月の摂心でした。この一週間は晴れの日が多く、過ごしやすい気温で、気持ちの良い中で坐禅に集中できたと思います。禅堂には全体に木材が使われていて、落ち着いた雰囲気を作り出していました。また、自然の音と光の中で坐れる環境になっていたと思います。

摂心で特徴的な食事の作法は、はじめは不慣れなため上手く出来ませんでしたが、慣れてくると一つ一つの動作に集中が行き渡り、落ち着いて作法を行える様になりました。これも1つの禅なのだろうと思いました。

摂心前半の提唱で老師が話されることは、私の坐禅の進行具合にピタリと当たっていたので、このまま進めていけば良いのだと確信を持つことができました。

毎晩の独参では、老師と一対一で坐禅の進行具合を確認でき、それに対する助言をしてもらえるため、摂心を通して安心して坐禅に集中することができました。

休憩中は外で過ごすことが殆どでした。流れる川を見つめたり、森の中を歩いてみたりすることで、移り行く意識の流れや、宇宙との一体感の様なものを体感した気がします。

摂心後半、一度だけ、食後の約一時間に作務を行いました。禅堂の屋根に使う藁をまとめて縛り、一箇所に集めるという作業でした。適度に体を動かすことで、その後の坐禅はより一層深くなったと思います。

摂心が進み、半ばを過ぎた頃から、坐っていることが苦痛ではなくなりました。それに伴い、坐っていられる時間も次第に長くなり、禅定も深くなりました。楽しみさえ覚え、もっと坐っていたいと心から思うようになりました。

最後には、現実的では無いような音が聞こえたり、目の前に虹色の紋様が現れたり、体の感覚が研ぎ澄まされたりと、今まで経験したことのない程に深い禅定に達したと思います。これらの経験は、摂心の成果が出ているという実感が湧き、充実した気持ちになりました。ただし、これらに囚われることなく坐禅を続けるように、と老師から助言を戴きました。

終わってみて、私は禅(特に摂心)とは一つの生活様式だと思いました。それは、本来の自己を発見するために、人里離れた静かな場所で、無言を貫き、完成された共同生活を送ることだと。その中心にあるものが坐禅であると。

そこには、厳しい規律によって管理された生活からかけ離れた、本当の意味での精神の自由が存在していると思います。このような精神的伝統のある日本に生まれたのは本当に幸運だと思います。この學道舎はそう思わせてくれる大変に貴重な場所だと心から思います。

また摂心に参加したいという意欲が、一ヶ月以上経った今でもありますし、摂心後もほぼ毎日、短時間ながら自宅で坐禅を続けています。
私は禅について全てを知ったわけではありませんが、自分とは何者なのかを知るためには、私にはこれが一番合っている方法だと思っています。長い旅の果てに禅と出会いましたが、自己探求の旅はまだまだ続きそうです。

最後に、この素晴らしく貴重な経験をさせて下さった老師、毎日大変美味しい食事を作って下さったご夫人、そして、共に摂心に参加した方々に対し心より感謝申し上げたいと思います。
終わり

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2011年「入梅摂心会」の日程

平成23年「入梅摂心会」は、6月6日(月)〜6月12日(日)正午まで。

6月は連休がありませんので、例年、参禅者も少なく、とても静かな摂心となります。

夏至を間近に控えた下界では、晴れるととても暑い季節ですが、學道舎のあたりは、まだ新緑の美しい涼しい頃です。

暑くもなく、寒くもなく、特に初心の方にとっては参禅の好時節です。

 

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普勧坐禅儀

原(たず)ぬるに、夫(そ)れ道本円通(どうもとえんづう)、争(いか)でか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。

宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。

況んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出(い)づ、孰(たれ)か払拭(ほっしき)の手段を信ぜん。

大都(おおよそ)当処(とうじょ)を離れず、豈に修行の脚頭(きゃくとう)を用ふる者ならんや。

然(しか)れども、毫釐(ごうり)も差(しゃ)有れば、天地懸(はるか)に隔り、違順(いじゅん)纔(わず)かに起れば、紛然として心(しん)を(の)失す。

直饒(たとい)、会(え)に誇り、悟(ご)に豊かに、瞥地(べつち)の智通(ちつう)を獲(え)、道(どう)を得、心(しん)を(の)明らめて、衝天の志気(しいき)を挙(こ)し、入頭(にっとう)の辺量に逍遥すと雖も、幾(ほと)んど出身の活路を虧闕(きけつ)す。

矧(いわ)んや彼(か)の祇薗(ぎおん)の生知(しょうち)たる、端坐六年の蹤跡(しょうせき)見つべし。

少林の心印を伝(つた)ふる、面壁九歳(めんぺきくさい)の声名(しょうみょう)、尚ほ聞こゆ。

古聖(こしょう)、既に然り。

今人(こんじん)盍(なん)ぞ辦ぜざる。所以(ゆえ)に須(すべか)らく言(こと)を尋ね語を逐ふの解行(げぎょう)を休すべし。

須らく囘光返照(えこうへんしょう)の退歩を学すべし。

身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目(めんもく)現前(げんぜん)せん。

恁麼(いんも)の事(じ)を得んと欲せば、急に恁麼の事(じ)を務(つと)めよ。

夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲飡(おんさん)[飲食(おんじき)]節あり、諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪(ぜんなく)を思はず、是非を管すること莫(なか)れ。

心意識の運転を停(や)め、念想観の測量(しきりょう)を止(や)めて、作仏を(と)図ること莫(なか)れ。

豈に坐臥に拘(かか)はらんや。尋常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。

或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。

謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の※(もも)の上に安じ、左の足を右の※(もも)の上に安ず。

半跏趺坐は、但(ただ)左の足を以て右の※(もも)を圧(お)すなり。

寛(ゆる)く衣帯(えたい)を繋(か)けて、斉整(せいせい)ならしむべし。

次に、右の手を左の足の上に安(あん)じ、左の掌(たなごころ)を右の掌の上に安ず。

兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。

乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。

耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。

舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しんし)相(あい)著け、目は須らく常に開くべし。

鼻息(びそく)、微かに通じ、身相(しんそう)既に調へて、欠気一息(かんきいっそく)し、左右搖振(ようしん)して、兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)して、箇(こ)の不思量底を思量せよ。

不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。

所謂(いわゆる)坐禅は、習禅には非ず。

唯、是れ安楽の法門なり。

菩提を究尽(ぐうじん)するの修證(しゅしょう)なり。

公案現成(こうあんげんじょう)、籮籠(らろう)未だ到らず。

若(も)し此の意を得ば、龍の水を得たるが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり。

當(まさ)に知るべし、正法(しょうぼう)自(おのずか)ら現前し、昏散(こんさん)先づ撲落(ぼくらく)することを。

若し坐より起(た)たば、徐々として身を動かし、安祥(あんしょう)として起つべし。

卒暴(そつぼう)なるべからず。

嘗て観る、超凡越聖(ちょうぼんおつしょう)、坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)も、此の力に一任することを。

況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。

豈に神通修証(じんずうしゅしょう)の能く知る所とせんや。

声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀たるべし。

那(なん)ぞ知見の前(さき)の軌則(きそく)に非ざる者ならんや。

然(しか)れば則ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡(えら)ぶこと莫(な)かれ。

専一(せんいつ)に功夫(くふう)せば、正に是れ辦道なり。

修証(しゅしょう)は自(おの)づから染汙(せんな)せず、趣向更に是れ平常(びょうじょう)なる者なり。

凡(およ)そ夫れ、自界他方、西天東地(さいてんとうち)、等しく仏印(ぶつちん)を持(じ)し、一(もっぱ)ら宗風(しゅうふう)を擅(ほしいまま)にす。

唯、打坐(たざ)を務めて、兀地(ごっち)に礙(さ)へらる。

万別千差(ばんべつせんしゃ)と謂ふと雖も、祗管(しかん)に参禅辦道すべし。

何ぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛卻(ほうきゃく)して、謾(みだ)りに他国の塵境に去来せん。

若し一歩を錯(あやま)らば、当面に蹉過(しゃか)す。

既に人身(にんしん)の機要を得たり、虚しく光陰を度(わた)ること莫(な)かれ。

仏道の要機を保任(ほにん)す、誰(たれ)か浪(みだ)り石火を楽しまん。

加以(しかのみならず)、形質(ぎょうしつ)は(た)草露の如く、運命は電光に似たり。倐忽(しくこつ)として便(すなわ)ち空(くう)じ、須臾(しゅゆ)に即ち失(しっ)す。

冀(こいねが)はくは其れ参学の高流(こうる)、久しく摸象(もぞう)に習つて、真龍を怪しむこと勿(なか)れ。

直指(じきし)端的の道(どう)に精進し、絶学無為の人を尊貴し、仏々(ぶつぶつ)の菩提に合沓(がっとう)し、祖々の三昧(ざんまい)を嫡嗣(てきし)せよ。

久しく恁麼(いんも)なることを為さば、須(すべか)らく是れ恁麼なるべし。

宝蔵自(おのずか)ら開けて、受用(じゅよう)如意(にょい)ならん。

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ある女性の初関透過

*以下の文章は、2010年度「秋分大摂心」に参禅されました40代の女性からのお便りです。

文中にもありますように、都合で摂心4日目に下山されました。それでも、御本人は帰宅されてからも摂心を相続されていたようです。

 こうした体験を公表することは、間違えますと他の参禅者の邪魔をすることになりかねないことは、充分に承知しておりますが、既成宗門を中心とした禅が形骸化し、現代の混迷した社会に生きる人たちの自由と解放に繋がっていない状況の中で、ほんらいの禅がもっている素晴らしい可能性について理解して頂くために、御本人の了解のもとに、敢えて公表することにしました。

 「初関」を透過しただけでも、長い間抱えてこられた悲しみ、苦しみが一瞬にして氷解する様子が良く表現されております。誰よりも御本人が良く理解されておりますが、これで禅における修行がようやく本格的に始まったということです。

 禅の初学者が読む祖録の一つに「十牛図」がありますが、真の自己に目覚めるとは、八番目の円相によって表現されております「人牛倶忘」にしかありません。
 それまではすべて途中のものです。道元禅師が身心脱落された後に、「一毫の仏法もなし」と断言されておりますように、この「わたくしの心身」はもちろん、ダルマも仏教もすべて無くならなければないけません。伝統的な仏教の言葉で云えば「解脱」であります。

 参禅者が初関を透過することができれば、禅の修行についての迷いは無くなります。正しい坐禅を相続して行けば、必ず自意識の根が切れる(切れた分だけ自由で伸びやかな本来の自分に近づく)こうした体験があるということを知って頂きたいと思います。


老師へ
合掌
おはようございます。
「秋分大摂心」も今日で最終日ですね。
先に帰りましたが、皆さんと一緒に坐っているつもりで、この3日間を過ごしていました。
 今朝、暁天坐を終えて、しばらくして日課となっている、飼い猫を階段で遊ばせるために玄関を開けて、外に出ました。(家は団地の5階なので、階段の踊り場からは周辺がよく見渡せます) 家の周りは、T市の外れのためか、変電所や、ゴミ焼却場がすぐ近くにあります。変電所に近いため、周りは鉄塔だらけ。
 空はいつも沢山の鉄塔と電線に遮られています。 今までは、それが嫌で嫌でたまらなかったのですが、今朝、夜明け前の澄み切った空の中の鉄塔を見たとき、なんというのでしょうか、「只這是」(ただこのとおり)としか言いようのない見え方で、鉄塔が見えてしまいました。
 今まで、何を見ていたのでしょうか?何も見てはいなかったのだなぁ…とつくづく思いました。 それから、何回か鉄塔を見てみるのですが、やはり、鉄塔は鉄塔として、只あるがまま。醜いものでも、忌むべきものでもなくなってしまっていました。
 今までは、自分にとって嫌なものなので、風景の中から、切り取って見てしまっていたのだと思います。 初めて、「只這是」で見えたとき、鉄塔を、美しいとさえ、感じました。なんだか、とても優雅に佇んでいる様にすら見えました。

 びっくりしてしまって、何度も何度も見るのですが、やはり、すっかり、力も抜けたような様子で、ただ立っている鉄塔たちが存在しているのです。

 もうひとつ、びっくりしたことは、鏡を(鏡の中の自分を)見るのが嫌ではなくなっていることでした。 鉄塔が鉄塔として見えた後、炊事場の横の鏡に、ふっと目が止まりました。 鏡の中には、私が映っていました。とても静かな気持ちで見ることが出来ました。そんな風に自分を見たのは初めてのことでした。

 「私ってこんな顔をしていたんだ…」 とても冷静に見ることが出来ました。今までは、鏡で自分を映して見るのがあまり好きではなく、 今朝のように、ただただそのまま自分を見ることが出来たのは、初めてでした。 心だけ参加していたような、後半の3日間も、坐禅のうちに数えてもらっていたのでしょうか。そんな今朝の出来事でした。


 そして、最後にもう一つ。20年前に、とても大きな悲しみを得ましたが、ずーっと、ずーっと、いまだにまるで、昨日のことのように苦しかったのですが、それが、今朝のその二つの出来事の後、思い返してみても、胸の痛みも、悲しみも、今までのように苦しくはなくなってしまっていました。 以前、老師が教えてくださったように、これが、「空ぜられる」ということなんでしょうか? なんだか、不思議な感じですが、とても、楽になりました。 秋分大摂心、本当にありがとうございました。                                    M  拝
老師へ
もうすぐ職場に着きますが、今朝の鉄塔は、私にとっては、2回目の斧に当たる出来事だったのかもしれません。
あのあと、いろんな物が目に入ってきて、こんなに様々なものが存在していたの!?…というビックリと、
様々なものが均等に見えていると言ったらいいのか、今まで嫌だったものが目に入っても嫌な感じではなく、
反対に、好きだったものが目に入っても、それだけが飛び切り目立って見える訳でもなく、
なんだか当たり前のものが当たり前に見えているような…
今まで、薄皮一枚通して見ていたような、その薄皮が剥がれてしまったような
なんかいつもと違う感じで
でも、当たり前で…
なんか不思議な感じです。
老師、本当にありがとうございます。
今回は、しみじみうれしいです。
そしてありがたい気持ちでいっぱいです。
九拝

*次の文章は、秋分摂心からほぼ4ヵ月後の、神戸「楽の森禅フォーラム」での体験について書かれたもの。
こんばんわ。
今、A尼とKちゃんと、Tさんに
メールを出し終わりました。
(トリが老師です・笑)
Kちゃんは、2月3月も摂心なのですね~
A尼もお仕事再開されたんですね~!

さて昨日、禅フォーラムで坐って、耳が変わったみたいです。

きっかけはシャッターの音。

いつも聞いているビルのシャッターが閉まる音を、あんなふうに聴いたのは初めてだったかも。

素晴らしいオーケストラの交響曲みたいに、とんでもなくきれいでした~

で、今朝からは、耳が「ふし穴」になったみたいです。


昨日、シャッターの音が轟いた時、
聞いているうち、
「音」だけになったみたいでした。
音が止むまで音だけだったみたいです。
(あとで、そうだったらしいと言葉になりました)
音についての思い出話ですが、
夏だったか、摂心中に
ヒグラシの声が自分の中で鳴り響いて、
(というか、自分が無かった??)
参禅者の方の感想の中にも
同じような出来事が綴られていたなぁ~、
こんな感じのことなのかなぁ~
とか、思ったことがありました。
昨日の出来事は、
それより更に圧倒的な感じでした。
音だけでしたね~…
いつもは、シャッターの音は
すぐに「うるさいなぁ~」という思いに飛んでしまうし、
階段を行き来する人の音とか、
道行く人の大きな話し声とかにも
坐っている時は、やはりどうしても
うっすらと「うるさいなぁ~」という思いに行きやすかったのですが、
昨日のシャッター以降の諸々の
物音、話し声は、なんにも思わなくなりました。
「あ、音がしてる…」
くらいの感じで、ただそのまま聞くことが出来て、
とても、楽になりました。
どんな音にもひっかからなくなったというか、
カタマリの自分がないというか…
どの音も、むしろ、愛おしいような、
どの音も、ある種、美しくて、
「いつもこんなに豊かな音に包まれて
暮らしているのか~」
って、感動して、うれしくて、
胸がジ~ンとして、なんか、
ちょこっと泣いてしまいました。
音というものを、今までは
こんなに自分勝手に価値付けて
自分の中に止めてひっかかっていたのかぁ~!!
と、びっくりしました。
(価値付けたために引っかかっていたわけですよね…)
昨日のシャッター以降は、
音が、
右の耳から、左の耳へ、
ただ頭部の中を通過していっている感じ、
音が通り抜けることで
頭の中をスースーと掃除してるみたいです。
スースーしてます。
今まで知らないな~…この変な?感じ。
昼頃までスースーが激しかったですが、
だんだん落ち着いてきました。
でも、もう、今までの聞き方とは変わってしまったようです。
音にもこんなにも、好き嫌いの価値付けを
していたんですね~
びっくりします。
いやはや、どんだけ、
自我は「仕事」熱心なんでしょう!苦笑
今朝の坐禅中、今までは気がつかなかった、
遠~くの電車の音にも気がついて、
こんな音も、ほんとは、ここまで届いていたんだな~
と、またまた感動してしてしまいました。
そして、「鼻息かすかに通ず」という感じの
極めて静かな呼吸をしていたようです。
初めてだと思います。
老師が呼吸についてお話してくださることは、
今までは、「そんな息もあるのか~」と
頭では、知っていても、「どんななのかな~?」
という世界でしたが、今朝は、少しだけ体験できたようです。
あんなに静かな息があるのですね~…
ほんとに、呼吸してないみたいな…
ふと思ったのですが、私は、
鉄塔で、目を開いて?もらい、
シャッターに耳を開いて?もらい、
次は鼻か?(その次は喉?)
なんか冗談みたいな、この展開…
風邪薬でもあるまいし~…
でも、そんな風に、ひとつひとつ、
価値付けのお仕事に励んでいる器官が
お仕事から外れていくのも面白いですね~…
それと、鉄塔とか、シャッターとか、
きっかけに鉄がらみが多いのは
我が父上が鉄の仕事をしてたからでしょうか~・笑
次は何によって、何が外れていくのやら~?・笑
それはさておき、
ただただコツコツ坐るのみ、ですね。
なんで、こんなに飽きないのか
ほんとに不思議ですね~
1チュウ、1チュウ、
いつも違う「旅」みたいで、
飽きません。
では、明日からの摂心、
よい時間となりますように。
合掌

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ダルマサンガの基本経典

初期仏教から

一夜賢者経

過ぎ去れるを 追うことなかれ。
いまだ来たらざるを 念うことなかれ。
過去、そはすでに 捨てられたり。
未来、そはいまだ 到らざるなり。
されば、ただ現在するところのものを、
そのところにおいて よく観察すべし。
揺ぐことなく、動ずることなく、
そを見きわめ、そを実践すべし。
ただ今日 まさに作すべきことを熱心になせ。
たれか明日 死のあることを知らんや。
まことに、かの死の大軍と、
逢わずというは、あることなし。
よく、かくのごとく見きわめたるものは、
心をこめ、昼夜おこたることなく 実践せん
かくのごときを、一夜賢者といい、
また、心しずまれる者とはいうなり。

(増谷文雄訳『阿含経典第五巻』)

大乗仏教から

摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行。深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄不増不減。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多。故得阿耨多羅三藐三菩提。

故知般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚。故説般若波羅蜜多呪。

即説呪曰。
羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。
( ガテー  ガテー  パーラ・ガテー  パーラ・サンガテー ボーディ スヴァーハー )
般若心経

中国の禅から

石頭希遷大師「参同契」

竺土大仙の心。東西密に相附す。
人根に利鈍あり。道に南北の祖なし。
霊源明に皓潔たり。支派暗に流注す。
事を執するも元これ迷い。理に契うも亦悟にあらず。
門門一切の境。回互と不回互と。回してさらに相渉る。
しからざれば位によって住す。
色もと質像を殊にし。声もと楽苦を異にす。
暗は上中の言に合い。明は清濁の句を分つ。
四大の性おのずから復す。子の其の母を得るがごとし。
火は熱し風は動揺。水は湿い地は堅固。
眼は色耳は音声。鼻は香舌は鹹酢。
しかも一一の法において。根によって葉分布す。
本末すべからく宗に帰すべし。
尊卑其の語を用ゆ。
明中に当って暗あり。暗相をもって遇うことなかれ。
暗中に当って明あり。明相をもって覩ることなかれ。
明暗おのおの相対して。比するに前後の歩みのごとし。
万物おのずから功あり。当に用と処とを言うべし。
事存すれば函蓋合し。理応ずれば箭鋒さそう。
言を承ては須く宗を会すべし。自ら規矩を立することなかれ。
触目道を会せずんば。足を運ぶもいずくんぞ路を知らん。
歩みをすすむれば近遠にあらず。
迷て山河の固をへだつ。
謹んで参玄の人にもうす。光陰虚しく度ることなかれ。

日本の禅から

永平高祖(道元禅師)発願文

願くは我と一切衆生と、今生より乃至生々を尽くして正法を聞くことあらん。聞くことあらんとき正法を疑著せじ。不信なるべからず。正に正法にあはん時。世法を棄てて仏法を受持せん。ついに大地有情と共に成道することを得ん。願くは我たとひ過去の悪業多く重なりて障道の因縁ありとも。仏道によりて得道せりし諸仏諸祖。我を愍みて業累を解脱せしめ。學道障り無からしめ。その功徳法門あまねく無尽法界に充滿彌綸せらん哀れみを我に分付すべし。仏祖の往昔は吾等なり。吾等が当来は仏祖ならん。仏祖を仰観すれば一仏祖なり。発心を観想するにも一発心なるべし。憐れみを七通八達せんに得便宜なり落便宜なり。
この故に龍牙の曰く。昔生未だ了ぜずんば今須らく了ずべし。此の生に累生の身を度取せよ。古仏も未だ悟らざれば今者に同じく。悟り了れば今人も即ち古人。静かにこの因縁を參究すべし。これ諸仏の承当なり。かくのごとく懺悔すれば、必ず仏祖の冥助あるなり。心念身儀発露白仏すべし。発露の力罪根をして銷殞せしむるなり。これ一色の正修行なり、正信心なり、正信身なり。

宝治元年丁未孟冬(1247年10月) 比丘道道元 鎌倉において

興禅大燈国師 遺誡

汝等諸人此の山中に来たつて道の為に頭を聚む。
衣食の為にする事なかれ、
肩有つて着ずと云ふ事なく、口有つて食はずと云ふこと無し。
只須らく十二時中無理會の處に向つて、
究め来たり究め去るべし、
光陰矢の如し、謹んで雑用心すること莫れ、
看取せよ看取せよ。
老僧行脚の後、或は寺門繁興佛閣経巻、金銀を鏤め、
多衆閙熱或は誦経諷呪長座不臥一食卯斎六時行道
たとい恁麼にし去ると雖も、佛祖不傳の妙道を以て、胸間に掛在せずんば忽ち因果を撥無し、
眞風地に墜つ、皆是れ邪魔の種族なり。
老僧世を去る事久しくとも兒孫と称する事を許さじ。
あるいは一人あり野外に綿絶し、
一把茅底折脚鐺内に野菜根を煮て喫して日を過すとも
専一に己事を究明する底は、老僧と日々相見報恩底の人なり、
誰か敢て軽忽せんや。
勉旃。勉旃。

 

白隠禅師坐禅和讃

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき
夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
一坐の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし
況や自ら回向して  直に自性を証すれば
自性即ち無性にて  既に戯論を離れたり
因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し
無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として うたうも舞うも法の声
三昧無礙の空ひろく  四智円明の月さえん
この時何をか求むべき  寂滅現前するゆえに
当所即ち蓮華国  この身即ち仏なり

 

四弘誓願文(しぐせいがんもん)

ー(仏教徒として心に掲げ、精進すべき四つの弘大な誓願)

衆生無辺誓願度 [しゅじょうむへんせいがんど]

ー数限りない一切の衆生を救済しようと誓うこと

煩悩無尽誓願断 [ぼんのうむじんせいがんだん]

ー尽きることのない多くの煩悩を断とうと誓うこと

法門無量誓願学 [ほうもんむりょうせいがんがく]

ー広大無辺な法門をことごとく学ぼうと誓うこと

仏道無上誓願成 [ぶつどうむじょうせいがんじょう]

ーこの上ない仏道を修行し尽くして、かならず成仏しようと誓うこと


般若心経 The Heart Sutra

●延命十句観音経

観世音。南無仏。 (観世音菩薩に帰依します)

与仏有因。与仏有縁。 (我々にも仏と同じ因果の法則があり、また縁でつながっています)

仏法僧縁。常楽我浄。 (仏と法と僧の縁によって、私たちは常に心を清らかにし、楽しく過ごせます)

朝念観世音。暮念観世音。 (朝にも夕べにも観世音菩薩を念じます)

念念従心起。念念不離心。 (この念は仏心から起こり、また心を離れません)

五観の偈(ごかんのげ)

粥坐と斎坐の食事の際に、この「五観の偈」をお唱えしてから頂きます。特に禅の修行においては、食事も大切な修行の一環です。ブッダは修行中に断食などの苦行をしました。

 しかし、苦行によって目的を達することができないとして、苦行を放棄し、村の娘スジャータの供養した乳粥を食べて、体力を回復し、菩提樹の下で成道されたと伝えられています。
  • 一には功の多少を計り、彼の来処を量る。(ひとつには こうのたしょうをはかり、かのらいしょを はかる)

    「これからいただく食物が食事として料理され、お膳にのせられるまでに、どれ程の人の手を経ているかを思い、感謝することを教えてる。私たちの主食とする米一つを見ても、どれだけ手間隙をかけ、多くの人々によって、目の前の食べられる状態になったかに思いを致す。」

 
  • 二には己が徳行の全欠を忖って供に応ず。(ふたつには おのれがとくぎょうの ぜんけっとはかって くにおうず)

    「大事な食物を戴くだけの資格が自分にあるだろうかという反省をする。自分の行いがどれだけ人のお役に立っているか。」

 
  • 三には心を防ぎ過を離るることは貧等を宗とす。(みつには しんをふせぎ とがをはなるることは とんとうを しゅうとす)

    「貧瞋痴(とんじんち)の三毒をはじめとする心の過ちを離れて、心を正しく保つことが大切だということを示している。人は美味しいものはもっと食べたいと貪りを起し(貧)、味がないものには腹を立てていかり(瞋)、正しい食事の仕方を知らないので(痴)病気になったりするだろう。」

 
  • 四には正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり。(よつには まさにりょうやくをこととするは ぎょうこをりょうぜんがためなり)

    「これからいただく食事は、正しい健康を保つための良薬、飢えや渇きをいやし、肉体が枯れるのを防ぐことを目的としている。」

 
  • 五には成道の為の故に今此の食を受く。(いつつには じょうどう の ためのゆえに いまこのじきをうく)
    「食事をいただく究極の目的は、悟りを開くためであるという。つまり、道を成し遂げるための食事であって、食事も大事な修行の一環だということ。」
 

生飯の偈

汝等鬼神衆(じてんきじんしゅう) 我今施汝供(ごきんすじきゅう)

此食偏十方(すじへんじほう)一切鬼神供(いしいきじんきゅう)

上分三宝 (じょうぶんさんぼう) 中分四恩 (ちゅうぶんしおん)。
下及六道 (げきゅ

うろくどう) 皆同供養 (かいどうくよう)

 

●三匙の偈  (食前の誓い)


  • 一口為断一切悪(いっくいだんいっさいあく)。

    「一口を頂くに当たり、一切の悪をしないことを誓う。」

 
  • 二口為一切善(にくいいっさいぜん)。

    「二口を頂くに当たり、すべての善行することを誓う。」

 
  • 三口為度衆生(さんくいどしゅじょう)。皆共成仏道(かいくじょうぶつどう)。

    「三口を頂くに当たり、全ての人々を救うことを誓う。」

 

●折水(せっすい)の偈(げ)  (感謝の辞)


  • 我此洗鉢水(がしせんぱっすい)。

    「私は水一滴まで粗末にすることなく感謝して全てをいただいた。」

 
  • 如天甘露味(にょてんかんろみ)。

    「美味しくて而もこの上ない満足だ。」

 
  • 施与鬼神衆(せよきじんしゅう)。

    「食べられない運命の者達に分け与えた。」

 
  • 悉令得飽満(しっりょうとくぼうまん)。

    「全ての者に満足してもらえた。」

    オンマクラサイソワカ

    「この世界はこの上ない素晴らしく尊いのだ。」

 

●後唄文 (後辞)


  • 処世界如虚空(ししかいじきくん)。如蓮華不着水(じれんかふじゃしい)。

    「住んでいるこの世界は無相なのだ。心は蓮華葉上の水玉の如く汚れず自在なのだ。」

 
  • 心清淨超於彼(しんしんじんちょういひ)。稽首礼無上尊(きしゅりんぶじょうそん)。

    「心は元もと清淨にして一切を超越している。これ以上尊いことはないではないか。」

 

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摂心と独参について

ekadanpizu独参とは
 

 独参は、坐禪の中で感じたこと、疑問に思った事等を老師に尋ね、正しい工夫が出来ているかどうかを、確認する場所です。分からないことや、疑問を持っていたりすると、坐禅の妨げになります。

  今回、肉親の死という、人間の避けがたい悲しみを抱えて、参禪に来られた方がいたからでしょうか、悩みを抱えていても、坐る時の妨げになりますので、そうした荷物を下ろす意味で、悩みを持たれている方は、独参の場でその荷物を下ろしていってください、と老師は独参の前に話されました。

独参は、今回新しく建てられた独参用の建物で行われました。この独参の建物も、老師と参禪者の手によって基礎の段階から建築したものです。 老師がその独参の建物から鈴を鳴らすと、参禪者が一人ずつ、禅堂の土間においてある鐘を二回叩いて、独参へ向かいます。 独参から戻られた女性の参禪者の方が涙を啜られていました。 参禪者の方も様々な思いを抱えて、参禪されているものと思います。

独参の作法は、入り口で一拝、老師の前で一拝、終わりに一拝、五体倒地で額を床に付けて礼拝します。本来は三拝ずつですが、時間がかかる為一拝ずつということになっています。

独参の室内でのことは、人に話しても、聞いてもいけません。

独参は、摂心の中でも非常に重要なものです。

独参の場でのやりとりは、参禪者一人一人に即したものであり、人によって全く違った指導の方法を取り得るために、独参の室内での話は、自分と他人の独参を比較して坐禪の邪魔にならないように、決して人に話しても、聞いてもいけないことになっていますが、独参の雰囲気については、紹介しても構わないとのことでしたので、ここで少し述べさせていただきます。

老師の前で礼拝を済ませた後、姿勢と呼吸を整え、自分の坐禅の方法、随息観であれば、随息観(数息観に参じていれば、数息観)に参じております、といいます。  独参の場は単なる言葉のやりとりの場ではありません。そこで伝わるのはむしろ言葉ではないものです。

礼拝を済ませ、姿勢と呼吸を整え、目を上げ老師の目を見た途端、空気の密度が変わっていくのを感じます。その空気の密度が、自分の意識に浸透していき、自分の中から言葉が閉め出されていくのを感じます。

独参に向かうにあたって、今日の坐禪で感じたこと、疑問に思ったことを考えていくのですが、坐禪によって定が深まっていると、口を開いてもその空気の密度の中に、言葉が音になる前に消えてしまうように感じます。

頭に言葉があっても、なかなか言葉を出すことが出来ません。非常に時間がかかることがあります。 その空気の密度の前に、言葉、そして言葉を基にした言語認識、思考というものがあまりに表層であり、限界があるかを感じます。かなりの困難を感じながら、自分の坐禪についていくつかのことを述べます。

そのことについて、老師からいくつかの指摘と話があります。 独参は短く終わる時もあれば、長く何も話さないままの時もあります。坐禪が深まってくるほど、その沈黙がいかなるものであるか、伝わってくるものであるように思います。

以上は朽木学道舎摂心会7日間坐禅体験記より

 

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坐禅の仕方

Dharma

基本的な作法


合 掌(がっしょう)

相手に尊敬の念をあらわすこと。両手の掌を合わせ、臂を脇の下から離し、指先を鼻の高さに揃えます。


叉 手(しゃしゅ)

歩くときの手の作法。右手の親指を中にして拳を作り、これを胸に当て、これを左手の掌でおおう。


隣位問訊(りんいもんじん)

両隣の参禅者への挨拶です。自分の坐る位置に着いたら、その場所に向かって合掌し低頭する。両隣に当たる二人は、これを受け合掌。


対坐問訊(たいざもんじん)

坐る向かいの人への挨拶。隣位問訊をしたら、右回りをして、向かいに坐っている人に合掌、低頭する。向側の人はこれを受けて合掌する。


結跏趺坐(けっかふざ)

両足を組む坐り方。対坐問訊が終わったら、そのまま坐蒲の上に腰をおろし、足を組む。右の足を左の股(もも)の上に深くのせ、次に、左の足を右の股の上にのせ、左手を坐蒲に添え、右手は床をおさえ、身を坐蒲と共に右回りをして面壁(めんぺき)する。


半跏趺坐(はんかふざ)

結跏趺坐ができない人の足の組み方。左の足を右の股のうえに深くのせます。結跏趺坐でも半跏趺坐でも肝要なのは、両膝とお尻の三点で上体を支える。自分の身体に合った坐蒲を使用し、両膝を確実に地につけ、その三辺が正確な二等辺三角形を描くように坐ること。

上体の作法両脚のまわりの衣服を整え、背骨をまっすぐにのばし、お尻を後方につきだすようにして腰にきまりをつけます。両肩の力を抜き、腰の骨をまっすぐに伸ばし、首筋には力を入れず、顎を引き、頭で天をつきあげるようにすると、背骨がまっすぐになります。

手の作法(法界定印、ほっかいじょういん)

右の手のひらを上向きにして組んだ足の上に置き、その上に、左の手のひらを同じように上向きにして置き、両手の親指の先を、かすかに接触させます。力を入れておしてはいけませんが、決して離さないようにします。目の作法目は決して閉じないで、自然のままに開いておく。視線は、およそ1メートル前方、約45度の角度におとしたままにする。


呼吸について(欠気一息、かんきいっそく)

すべてのものを吐き出してしまうような気持ちで、大きく口を開けて息を吐き出す。いっぱいに吐き出すと、あとは吸おうと思わなくとも、新鮮な空気が身体全体に入ってきます。この深呼吸を数回行った後は、鼻からの自然な呼吸にまかせる。
口の作法

 舌の先を上の歯の内側の付け根につけ、歯と歯とをつけ、唇を密着させる。口を結び、開けたり、動かしたりしない。

左右揺振(さゆうようしん)

腰骨を中心にして、上半身を左右に振り子のように動かし、じょじょに小さくし、脊梁骨を地球の鉛直線に合わせ、坐相を正しく落ち着かせる。


止静鐘(しじょうしょう)

坐禅の始まる合図。参禅者の身相が整う頃、堂頭(どうちょう)が入堂して堂内を一巡し、正しい坐にあるかを点検します。これを検単(けんたん)といいます。堂頭が自分の後ろに巡ってきた時は合掌をし、通りすぎた後に法界定印にもどします。この後、鐘が三回鳴ります(止静鐘)。止静鐘が鳴るまでに、自分の坐る場所に坐っているように。


警 策(きょうさく)

心のゆるみを警めるために打ちます。睡魔におそわれたり、心が乱れた時などに自分から受ける方法と、 姿勢が悪かったり眠っていたりする人に直堂(じきどう)(堂内を監督し、警策を行ずる者)の方から入れる方法があります。

どちらの場合も、右肩を軽く打って予告されます。他所では合掌して首をやや左へ傾け右肩をあけるようにしますが、学道舎ではそのままの姿勢で受け、終わったら合掌のまま頭を下げ、もとに戻ります。

抽解鐘(一回鳴ります)

終わりの鐘が一回鳴ると終わりの合図です。合掌し低頭したのち、左右揺振します。今度は、両手の手のひらを上にして膝に置き、はじめ小さくだんだん大きく揺り動かします。身体をほぐしたのち右回りをして向きを変えます。

そして、足を解きゆっくりと静かに立ち上がります。 坐蒲を元の形に直します。直し終わったら、自分の坐っていた場所に向かって合掌し低頭(隣位問訊)し右まわりして向かいの人に合掌(対坐問訊)します。そのあと、叉手で退堂します。

経 行(きんひん)

坐禅が長時間行われる場合、堂内をゆるやかに、静かに歩行すること。坐禅中に経行鐘(きんひんしょう)が鳴ったら(二回鳴ります)、合掌し低頭し、左右揺振し、組んだ足を解き、ゆっくりと静かに立ち上がります。坐蒲を直し、自分の坐っていた場所に向かって合掌し低頭(隣位間訊)し、右回りして向かいの人に合掌し低頭(対坐問訊)します。

そのあと、叉手にして、呼吸を整え、最初の歩を右足より出します。列の前後を等間隔に保ち、堂内を右まわりに緩歩します。緩歩の方法は、一呼吸に半歩前進します。息を吸い吐く間に、足の甲の長さの半分だけ歩を進めるのです。呼吸の仕方や上体の姿勢、目や口元などは、坐禅の場合と同様です。

5分ほど歩きますと係の方の合図があります。それを聞いたら、直ちにその場に両脚を揃えて止まり、叉手を合掌に変えて低頭し、右足から、普通の歩速で進行方向に進み、自分の坐っていた場所にもどり、隣位問訊、対坐問訊したのち退堂します。


-〈注意事項〉-

時計などは外し、靴下や足袋は脱いでおくこと。

堂内を歩くときは、必ず叉手にします。

聖僧さまの前を横切ってはいけません。





坐禅の準備と心得

*坐る前の準備
特に身体のかたい方は、真向法 簡単なハタヨガ、太極拳、チベット体操などで、身体をほぐすことが有効です。
股関節を柔軟にして、楽に坐禅の姿勢が取れるようにする為には、真向法体操が有効です。
以下のYouTubeの動画が参考になります。



真向法体操

*どんな服装で坐るか

ジーパンのような窮屈なズボンなどは適さない。ユッタリしたズボンやスカートが望ましい。普通、ズボンを履くときのようにお腹の上を締めているのは良くないので緩める。できれば作務衣や着物に袴で坐るのが良い。

*どんな場所で坐るか

できるだけ静かで清潔な場所を選ぶ。風や日光が直接当たるような所は避ける。屋外でもかまわないのだが、初心の内は他者が気になるので、屋内がよい。

*明るさについて

  あまり明るすぎのは気が散ってしまい、暗すぎるのは心が沈んでしまうので良くない。古来、読書をするには、少し暗いくらいが良いとされる。昼間は、カーテンを引くなどして、夜は調光式の照明などで調節する。

*面壁か対坐か

 臨済宗は対坐であるが、曹洞宗は面壁である。達磨の証跡を見るまでもなく向上門(修行中)は本来みな面壁であったはずである。それに面壁のほうが他者が気になったり、気が散ることもなく、落ち着いて坐れる。基本的に面壁で坐るべきである。壁や襖などに向かい、目線から7、80センチくらい離れて坐る。

*食事と睡眠

  「飲食節あり」と示されているように、食事は過不足なく腹七分から八分で止め、食事の前後はさける。また睡眠も少なすぎるのも良くないし、もちろん貪るのはもっと良くない。

*坐禅の長さ、時間

 坐禅中、時間を気にしなくて良いように時計を置いておく。あるいは、あらかじめ時間で長さを決めておいた線香を立て、時間を計る。線香の香りが禅定を助けてくれるという効用もある。

*坐禅の回数と坐る時間帯

一日のうちにいつ坐るのがいいかであるが、仕事や家庭の事情で理想通りの時間を選べない人がほとんどであろう。ただ、朝の坐禅と夜の坐禅は明らかに違う。可能ならば朝晩2回、30分くらいの坐禅ができれば理想である。

 ほとんどの宗教で、夜明け前や日没の頃がもっとも神聖な時間として、祈りを捧げたり沐浴したりすることが行われているが、古来、太陽が西に傾きはじめてから地平線に没するまでの時間が、いちばん深く坐れると云われる。

 わたくしの経験からも、夜の昏鐘坐、学道舎では 6:20~7:00がいちばん良く坐れます。在家の生活ではもっとも坐禅に難しい時間ですが、一人暮らしの方などは、週に一度の休日などにこの時間帯に坐ってみることを勧めたい。

*坐蒲について

  「坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用ゆ」(普勧坐禅儀)とあるように、坐禅をするには、まず厚くて大きな座布団を敷く。なぜ厚くなければいけないかというと、薄いとどうしても早く脚が痛みやい。また痔疾に罹る恐れもなしとしない。

「痔」という漢字が、病垂に寺であることを知るべきである。古来、痔はお坊さんの持病であったようだ。 その上に、円形のクッションのような坐蒲を置く。直径30センチ以上、高さは10センチ、パンヤがしっかりと詰めてあるものを選ぶ。

臨済宗では、長い単布団と呼ぶ蒲団を折り返して使うが、バカらしいほど高価であることと、腰が沈んでしまうので勧められない。(大きな座布団が高価なため入手できない人は、できるだけ本綿入りの古い敷き布団を探し、それを二つ折りにして使う方法もある。)

坐禅の組み方

*坐禅の三要素ー身息意

 調身の法 足の組み方 手の組み方

 ー右の手を下に左の手を上にして左の足の上に、置く。「法界定印」という印相である。 熱心に坐禅すると手が崩れるが、気になるようだったら、右手の親指と人差し指で輪をつくり、そこに左手の親指を差し入れ軽く握るようにしてもよい。

姿勢

 腰をしっかりと立てる。下腹が両股の間に入り込むように。 上半身には決して力を入れず、ユッタリとしておく。 首の後ろが伸びるように、軽く顎を引く。顎が上がっているときは、視線も高くなっている場合が多い。 目は、坐禅儀にも「眼は須く常に開くべし」と示されているように、絶対に閉じてはいけない。

調息の法

 坐禅儀には、まず始めに「欠気一息せよ」と示されているように、深呼吸をする。 あとは「鼻息微かに通ず」と示されておりますように、鼻から自然な呼吸をする。

調心の法
道元禅師も「心操を整うること、もっとも難し」と云われていますように、心、意識の状態をどうしたらいいのか、という問題はもっとも難しいものです。

 思いを放ち、さまざまな想念に引き回されないこと。目に映るものにも、耳に聞こえる音にも鼻に匂う香りにも、心に浮かぶ思考にも、あるがままに。それらの一切のことを、相手にせず、邪魔にせず、ただ坐ること。

(詳細は後日に記述します)

気海丹田とは、もともと仙道の言葉。

朽木学道舎の坐禅その他の作法は、基本的には曹洞宗の作法に従います。以下の動画を参考にしてください。



曹洞宗の坐禅・座禅入門

*魔境について

  熱心に坐禅に取り組んでいる人は、坐禅中、さまざなま心境が起こります。具体的に物が見えたり、聞こえたり、恐ろしいことや、素晴らしい光景など。こうしたことは魔境と呼ばれ、驚くに値しません。

かつて学道舎に参禅した50歳くらいの女性、しっかりした高校の先生でしたが、摂心に来られ初日、5,6火主も坐ったら、もうかなりの魔境が出たようで、パニックになったというような例もあります。

坐禅の修行を続けて行く上で害があるような魔境は、自分でも良く認識できますので、いいのですが、素晴らしい境地が現出する場合、人はどうしてもそうしたものに取り憑いてしまう。独参の必要性が、こうした所にもあるわけです。

魔境に対する態度としては、どんな心境が現れても、それは心の作用であり実体はない。ですからその魔境をいっさい相手にせず、邪魔にもせず、ただ随息観なり只管打坐の工夫に徹することが最も大切なことです。

そうやって正しい工夫を相続して行くうちに、もとより虚妄なものですから、追い払おうとしなくとも、消えてなくなります。もっとも、次にはまた違う魔境が、手を替え品を替え現れてきますが。

*坐禅から出るとき 後日に記述します。

*経行(きんひん)について

坐禅から立ち上がり、手は叉手(しゃしゅ)といって右手の親指を中に折って握り、それを鳩尾の上に当て、それを左手の手のひらで覆う。腕を一文字にし、視線は自分の足から2メートルほど前方の床に自然に落とす。歩行禅であるから、随息観、只管打坐など、自分の参じている工夫に三昧で歩くことはもちろんである。

曹洞宗では、一息半歩といい、一呼吸の間に半足分すすむというユックリした歩き方であるのに対して、臨済宗ではトットと小走りに歩く。経行は静中(坐禅中)と動中(日常)をつなぐための修行である。これも一息半歩の曹洞宗の方法が優れている。

*動中の工夫について

動中の工夫
坐禅の大事と題して「せぬときの坐禅を人の知るならば なにか仏の道へだつらん」 至道無難禅師白隠禅師は「動中の工夫は、静中の工夫に勝ること千万倍す」とまで云い、日常の工夫を勧めている。ダルマの探求者には、日常の中に雑用があってはならない。普通の人の日常的な価値観ではつまらないことと思えるような、部屋の掃除であるとか、洗い物のような仕事も、動中の工夫に最適な仕事である。

 仕事でも、何の用事でも、その時にはその仕事に成り切って一所懸命につとめ、少しでも合間ができたときには、椅子に坐っていても腰を延ばして、息を吐ききり、5分でも良いから随息観をする。こうして動中の工夫を相続し、坐禅の静中と日常の動中を平行して進める。

*独参について

 独参は、師家と學人が一対一で問答商量する場である。
*独参の作法ー後日に記述します。

*読書と読経について 「古教照心」の必要性

ダルマサンガの基本経典

初期仏教から 一夜賢者経 過ぎ去れるを 追うことなかれ。 いまだ来たらざるを 念うことなかれ。 過去、そはすでに 捨てられたり。 未来、そはいまだ 到らざるなり。 されば、ただ現在するところのものを、 そのところにおいて … Continue reading

普勧坐禅儀

原(たず)ぬるに、夫(そ)れ道本円通(どうもとえんづう)、争(いか)でか修証(しゅしょう)を仮(か)らん。 宗乗(しゅうじょう)自在、何ぞ功夫(くふう)を費(ついや)さん。 況んや全体逈(はる)かに塵埃(じんない)を出( … Continue reading

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生命地域主義について

buna生命地域主義とは

朽木學道舎の位置と環境についてかなり詳しい説明をしているのは、近年、日本でも注目されてきた「生命地域主義」(バイオリージョナリズム)という思想に、舎主が深い共感をおぼえているからです。



しかし、この考え方は、日本近代の知識人が様々な西欧思想を深く問い直すことなく、移入紹介してきたようなものではありません。


従来の西洋と東洋、北と南などの文化、政治・経済などの枠組みを越えて、環境の問題は21世紀の最大の問題になりつつあります。誰でも一つの「場所」に生きており、その場所についての深い認識なしに、その土地に根差す確かな生き方をすることは不可能です。


禅を深く探究していきますと、いま自分のいる場所が世界の中心であり、すべての存在はそれぞれ宇宙の中心であることがわかります。逆に言えば、今いるこの「場所」についてを深く知れば知るほど、ほんらい環境の中でさまざまものと一体のものとして生きている自分自身の存在に気づくことができるのです。その気づきは享楽的な一時的な喜びではなく、自己存在が自分を取り巻いている山や川、植物、野生動物などと共鳴して生きているという深い喜びです。


環境文学としての俳句や、生活のすべてを芸術化した茶道などの優れた文化を産み出した日本の文化ですが、禅と同じようにそれが現代社会が直面するさまざまな問題とは別の次元で形骸化してしまっているような現状です。
誰でも、一つの場所に根差して深く生きようとすれば、必然的に「生命地域主義」の思想に行き着きます。そうした意味でこの考え方は、人種や国境を超えた普遍的なものです。この思想を通じて、現代社会に生きるわたしたちの存在そのものや、この社会のあり方などを問い直すことができると思います。一つの場所について深く知ることなしに、別の場所について真に知ることはできません。


たんなる知識としてだけでなく、いま自分のいる場所について深く知ることは、生命地域主義の基本です。その土地の気候を知り、地形つまり川や山について知ることが出発点です。そしてその場所の植生についての認識が必要です。ある植物がどのように分布し、その生態学的な意味を理解する必要があります。さらにその植生の歴史的な背景を知ることです。


長い人間と環境の交渉のなかで、植生が変化していたりします。潜在植生がどのようなものであるかにも注意を払う必用があります。つまりその土地で人間がどのように生きてきたかを探るのです。


朽木學道舎では、生命地域主義の観点からこの土地を再認識し、参禅者とその知識や土地との深い共感や喜びを共有したいと思います。そして朽木學道舎のある場所について深く知ることによって、それぞれの人がいま生きている場所について、より深く知ることができるようになればと期待します。

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