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参禅の感想-15

T.Mさん 20代後半


目次
大学時代の探求と宗教との出会い
ダルマサンガとの出会い
禅道場での修行
修行の経過
現成公案

大学時代の探求と宗教との出会い

 大学に入学したころから「共生とはどういうことか」ということが頭から離れなかった。自分自身がこれからどのように生きていくべきか分からなかった。自分と周りの人がどうすれば平穏無事でいられるのか分からなかった。自分の内側から湧いてくるこれらの問いに答えようと在学中は経済学から科学哲学まで幅広い分野を学んだ。しかし大学の学問はどうしても私にとってはリアリティを感じることができなかった。机上で学んだことと現実世界の乖離を常に感じていた。

 そんなとき、友人の一人が仏教の考え方を紹介してくれた。Youtubeの南直哉さんの動画も合わせて紹介してくれた。その晩、その動画をみて衝撃を受けた。「自分は如何に生きていくか」「他者とどのように共存していくか」という仏教の扱っている中心問題は私の抱えていた問題そのものであるように感じた。そこから仏教に興味をもって、インドでチベット仏教の入門コースを受講したり、京都の参禅会に参加したりして修行と勉強を始めた。

 仏教への興味と理解が深まってくると、宗教一般への興味も芽生えた。キリスト教系の大学に通っていたこともあって実際には、キリスト教の方が仏教よりも身近な環境だった。大学礼拝に参加したり、通学中に四谷のイグナチオ教会のミサや朝祷会に参加するようになった。当時は、自分自身が日本人として生きていることに実感が無かったので、特に日本の禅にこだわりがある訳でもなく、結局キリスト教も仏教も他の宗教も結局は同じことを説いているように感じた。それでもキリスト教で洗礼を受けることは無かった。当時、明確に意識していた訳ではないが、今考えているみると教団としてのキリスト教が教義を重んじて、聖書の解釈、イエスキリストの解釈はこうあるべきという模範解答を示すばかりで信者とキリストの個人的なつながり、信者にとってのキリストとはどういう存在であるかということを軽んじることに違和感を感じていたのかもしれない。それでも大学時代は自分の問題意識を現実世界に及んで深く掘り下げようと朝のミサには通い続けた。キリスト教の教義のためではなく自分の問題解決のために跪いて祈り続けた。

 宗教への興味を持った時期に一方では大学からの交換留学生としてベルギーに留学する機会に恵まれた。それまで日本で生活してきた私にとって、自分が日本人として生きていることを意識することは無かった。しかし一度日本の外で生活を始めると自分が日本人であることを強く意識せざるを得なくなった。それからは、せっかく日本人として生まれてきたのだからという理由で日本と日本人について関心が移り、日本の文化に深く根付く禅仏教に惹かれるようになった。
 

ダルマサンガとの出会い

 大学卒業を直前に控えたころ、カトリック教会へのミサに参加しながら坐禅も継続したいと思った。良い座布をインターネットで探していたところ、ダルマサンガの販売している座布を見つけて注文した。それが縁となり、在家で本格的な摂心ができる禅堂があることを知り、大学卒業前に一度参禅してみることにした。

 初めて朽木學道舎に行って、その環境の素晴らしさに感動した。背後には山、前には川が流れる自然環境に位置して、日本の伝統家屋である茅葺屋根の禅堂はベルギーから帰ってきて、日本とは何かということを考えていた私にとってはまさに求めていたものだった。これぞ古来日本人の生き方が伝えられていると思った。

 そこで飯高老師と初めて相見して、坐禅に興味を持った理由などを聞かれたがそのときは自分の中の考えが纏まっておらず、うまく伝えることはできなかった。けれども、老師の圧倒的な存在感と力強さを感じることはできた。

 本格的な初めての摂心では呼吸についての指導を受けた。以前に行った参禅会でも坐禅の入門としての数息観といった話を聞いていたので、最初はそれの延長くらいにしか考えていなかった。摂心の日数を重ねて提唱と独参を受けていくうちに、呼吸が坐禅にとってすごく大切なものであることが理解できるようになった。とはいうものの体感として呼吸の大切さを理解できた訳ではなく、最初の摂心は体のあちこちが痛む中で内から湧き出てくる想念に振り回されながら終わった。最後の独参の際に老師に「何を求めてそれほど真剣に坐っておられるのですか」と質問されて「坐禅は私にとって十字架に掛かることです」と答えようと思ったが、禅修行の場でキリスト教の話を持ち出すのも不適切かと思い、何も言わず黙っていた。今思えば初めての摂心は体は痛かったが、提唱と独参でいただいた言葉がどこか自分の心に、自分の抱いていた問題意識に響いていることを感じていたのだろう。これまで大学での学問や知識としての仏教やキリスト教では決して解決のできない自分の内なる問いの根本的かつ現実的解決法を坐禅や摂心を通して実践できる気がした。
 
 初めてのダルマサンガでの摂心は充実したものであったが継続的な通参は難しいと思っていた。というのも大学時代に留学した際に就職先を決めて帰国したので、大学を卒業したら働くためにまた海外に戻る予定だった。しかし、就労ビザの関係で予定通りに働き始めることが難しくなり、進路を考え直すことになった。元々、自分の問題意識を解決するために宗教的な生活への興味はあったので、就職する予定が頓挫したことを契機としてキリスト教の修道院か禅宗の僧堂のようなところで集中的に修行をしてみようと思った。ここでもやはり自分が日本人であるという意識を大切にしたいと思い、また日本人の農業を基本とした生活にも興味があったのでカトリックの修道院ではなく、曹洞宗の禅道場に入門した。

禅道場での修行

 入門した禅道場は曹洞宗の認可僧堂ではないが僧堂に近いスケジュールに沿って生活しており、摂心も毎月することができる場所だった。また米や野菜を自分たちで作り、山から原木を切り出して料理と風呂は薪エネルギーで生活するという自給自足に近い生活をしていたので作務もかなり忙しかった。農作業や山仕事をしながら禅修行をすることは充実感があり、楽しかったが「自分はここに何をしに来たのか」ということを自分自身で常に意識しなければ、己事究明を中心にする修行生活ではなく、ただの農的隠遁生活に陥ってしまう危険性があった。本来の禅道場のあり方は摂心、坐禅を主として、その坐禅を中心とした生活を支えるために作務がある。しかし自給自足のような生活をしているとそんなキレイごとは言っていられない。天気や米、野菜の様子に合わせて摂心の日程があってもそれをキャンセルして農作業を行わななければならないこともしばしばあった。そうしたことが重なるとどうしても農作業が主で摂心や坐禅が従になり本来の修行の主従関係が逆転してしまうこともあった。

 坐禅については「ただ黙って坐る」を家風とする道場だったので、坐禅の指導はほとんどなく、摂心中は一切無言でお経や偈文はなく、提唱や独参もなかった。そのために坐禅の方法やあり方などに混乱をきたしている参禅者の姿もよく見られた。具体的には坐禅を何のために、どこに向かってやるかについていつも迷いの中にいる人や坐禅中の姿勢(法界定印や背筋の伸びなど)に囚われて、坐禅中はそればかりを気にしている人などであった。幸運なことに私自身は禅道場に滞在して生活しながら、時間を見つけては年に数回はダルマサンガに継続して参禅して飯高老師の指導を受けていたので、坐禅の方法やあり方、どこに向かって修行しているかなど迷うことはほとんどなかった。曹洞宗の禅道場とダルマサンガの両方の坐禅、摂心を経験して、坐禅、提唱、独参の三本柱は摂心には欠かせないように思う。そうしなければ修行者の勝手な都合の良い解釈で修行がおかしな方向に進んだり、一方でせっかく発心した人が坐禅の仕方、方向が定まらず修行全体に対して絶望することにもなりかねない。

 また曹洞宗の道場であったので「悟り」の事実を根底から否定されることも多かった。「悟り」はタブーのように扱われ、それについて参禅者の間で話題にすることはほとんど無かった。身心脱落や悟りを求めて修行するのではなく、すでに悟っているからこそ修行ができる、生活そのものが悟りであるといった解釈が主流であった。もちろんこのような解釈は「悟り」を自分の外において、何か特別なものを追い求める修行者を戒める意味である。それでも私にとっては「悟り」の事実を頭から否定する曹洞宗のあり方に疑問を感じていた。それはダルマサンガでの参禅を通して、ブッダダルマとは本来どういうものであるかという実際の様子を飯高老師から直接お聞きしていたので、当然の疑問であった。問題なのは「悟り」自体ではなく「悟り」に執着して、そこに腰掛けようとする「人」であり「自意識」であるにも関わらず、宗門では「悟り」自体を問題としている点が明確におかしいと感じていた。

 入門した禅道場には結局3年間滞在したが、叢林での修行の難しさを何度も痛感することがあった。一つ目は道場の規矩(規則)やスケジュールに従っていれば修行をしている気になってしまう危険性があった。典座当番で料理が上手に作れるようになったから、食事作法を覚えたから、鐘が上手く打てるようになったから修行が進んでいる訳ではないが、禅道場という閉鎖空間は勘違いを招きやすい環境であった。そんなこともあって私自身は機会があれば意識して禅道場の外に出て、ダルマサンガの摂心に参禅したり、托鉢に出たりして環境がマンネリ化しないように注意して、禅道場に滞在中は自分の問題意識を解決するために禅道場で修行していることを意識して思い起こしていた。禅道場での修行の難しさの2つ目は指導者が禅の修行を終えた師家ではなく、先輩雲水(修行者)であったこと。もちろん責任者としての堂頭はいたが、叢林生活での指導の中心は先輩雲水であった。禅修行の本来の目的は己事究明であって、他人の機嫌を伺う方法を学ぶことではない。しかし、先輩雲水が指導役となると己事究明ではなく、常に先輩雲水の目を気にしての修行となってしまい、せっかくの恵まれた環境が台無しになってしまう危険性さえあった。最後に毎月同じスケジュールでまた同じメンバーで生活しているので修行がマンネリ化しやすい環境にあった。ダルマサンガでは在家の方が中心で、摂心参禅のメンバーは毎回変化するし、また当分摂心に参禅できない方も多いので一回の摂心に向けた真剣さが凄まじいと感じる。それに対して禅道場では今月の摂心が終わってもまた来月の摂心があるような気がして一回の摂心に賭けるモチベーションを維持することは難しかった。

修行の経過

 禅道場で修行する難しさを感じながらも、ダルマサンガに平行して参禅していたので修行を相続して来れたと思っている。曹洞宗の禅道場に入門して以降、私はどこか坐禅にこだわりを持っていた。坐禅さえしていれば、安心で修行はできていると思っていた。そんな折、飯高老師よりメールをいただく。「ダルマサンガは、参禅者のそれぞれが自らが修行する場として、各自が支えて行く禅堂です。薪割りや、屋根の葺き替えの萱刈りなど、多くの参禅者が手伝いにきてくれ、そうして摂心の相続が可能になっているのです。あなたは、摂心に来られるだけです。」

 言葉が心に突き刺さった。体に電気が走ったようだった。なんと自分は愚かであったことか、これまで坐禅、摂心のことしか考えられなかった自分が情けなくて、申し訳なくて本当に悲しかった。これまでの自分のことしか考えていない行動を心から懺悔して反省した。

 このことを契機として自分の修行する場を自分自身で支えていくことの大切さに気づき、坐禅に対する特別意識もなくなっていった。坐禅中の姿勢のこだわりのようなものもなくなっていった。すべてを「修行」として身構えるのではなく、より自然体で生活できるようになっていった。自分の修行をする場を自分自身で支えていくという姿勢、そしてそれを実践することは修行を深める上で大切なことだった。

 修行の深まりを感じ始めていたころ、坐禅の様子も変化し始めた。ある夏の朽木での摂心で朝晩にヒグラシが鳴いていて、その声が今まで感じたことのないほど鮮明に聞こえるようになっていた。こんなこともあるんだなあと自分でも驚いた。

 修行を深める上でもう一つ大切だったのは、信仰ではなく信を持つこと。神様を信仰したところで、仏教を信仰したところで、自分の問題が解決できるとは限らない。坐禅をするのも何かのためにするのではない。ダルマサンガの摂心に参禅していてもそれは同じことで当初は「何かを独参に持っていきたい」と思う気持ちがどこかであった。しかし自分自身だけを信じて坐に徹しきることが何よりも大切だった。どれだけ素晴らしい提唱を聞いても、何度独参を受けても、信決定して徹底して坐禅するまでは問題を解決することはできないと思った。飯高老師も提唱でこのことはよく言われてる。

 曹洞宗の禅道場に入門して2年が過ぎた頃、出家得度することになった。安名(お坊さんの名前)を考えていたところ、以前ダルマサンガの提唱でお聞きした道元禅師の道歌が真っ先に頭に浮かんだ。『冬草も 見えぬ雪野のしらさぎは おのか姿に身をかくしけり』。『禮拝』と名付けられた道歌だった。朽木學道舎の真冬の越年摂心の提唱で聞いた一句で、提唱で聞いてからその道歌が頭から離れなかった。外は雪が降りしきり、一面真っ白になった景色と道歌に詠われた情景が心の中で深く共鳴していたのだと思う。私の修行の目的は坐禅を習得することでも仏教マニアになることでもなかった。本当に身も心も礼拝をする、そんな礼拝ができたとき、自分自身の修行は円成すると思った。何年、禅道場で修行しても、住職に嗣法の資格を貰っても、自分自身が全てのものに心から礼拝できなければ修行が円成することはないと思った。せっかく出家得度の縁を頂けたなら、心から礼拝ができる自分自身に正直な坊さんになりたいと思った。

 また朽木學道舎のトイレに貼ってある張り紙を読んだ。そこには「この雪隠は雲古を微生物の力を借りて禅堂の畑の野菜を育てる肥料に変えます」という旨が書かれていた。雪隠はなんと素晴らしいものかと感動した。この二つのことが機縁となり「雪隠」という安名をいただいた。出家得度して以来、大衣に御袈裟を掛けて坐禅するようになり、より一層の精進に努めようと気持ちを新たにした。

現成公案

 禅道場での最後の雪安居中に大きな転機があった。その年の雪安居中の課題の一つは道元禅師の『学道用心集』の参究であった。その中で『狗子仏性』の公案について言及されていた。それを読んだ瞬間、ここ3年間ほど相続してきた「呼吸を見つめる功夫」が臍落ちした。これまでは頑張って呼吸を見つめようと努めていたけれども、別に努める必要はどこにもないことに気づいた。小さな「私」が見つめようが見つめないが呼吸は常に存在していて、「私」に宿っていることに気づいた。『狗子仏性』で狗子に仏性があるか、ないかという問い自体に意味がないのと同じように、呼吸においても「私」が見つめる、見つめないのには関係なくそこに確かに存在していることに気づいた。以前知識として聞いたことのあった公案が始めて自分の問題として降りてきた。これは結構な衝撃だった。一気に肩の力が抜けた。呼吸を努めて見つめよう、見つめようとしてなんとこれまで独り相撲をしてきたことか。それ以来坐禅の深まりを一層感じるようになった。

 3年間過ごした禅道場を離れ、曹洞宗の本山で修行することになった。本山に上山する前に少しまとまった時間が取れたのでダルマサンガの大多喜學道舎の摂心に始めて参禅することになった。久しぶりの7日間の摂心ということもあり、後悔のないように油断なく坐っていた。この摂心は一日目からかなり集中できていた。5日目の独参で、残りの摂心の時間を只管打坐で坐るよう指導を受けた。6日目は坐禅の方法を息念の法から只管打坐に変化させたため最初は掴みどころがなく、なかなか落ち着かなかったが夕方くらいになるとようやく落ち着いてきた。6日目の差定が終了し、最後の夜だったのでしばらく夜坐をしようと思い、居間で休憩しながら「喫茶去」の扁額を見た途端、笑いが込み上げてきた。周りに他の参禅者の方もおられたので心の中で笑っていた。「喫茶去」。なんと当たり前のことか。そんなことは言うまでもないことではないかと。食事が坐禅と同じで大切である所以が臍落ちした。応量器を使って食事をすることと坐禅で只管打坐することが全く同じに感じた。そうすると自分でも驚くほど意識が鮮明になり、高揚しているのを感じた。その状態で夜坐を始めると、これまで聞いたことがあった公案が次々と向こうから降りてくるのを感じた。『南泉斬猫』『婆子焼庵』これまで訳の分からなかった公案が手に取るように、自分の問題としてよく分かる。どうしてそうなったのか自分でもよく分からなかった。最終日の独参で老師にそのことを報告。その後「転た悟れば、転た捨てよ。途中のことですから決して掴まないように」という言葉をいただく。

 人の自意識は巧妙なもので自分が意識していなくても、知らず知らずの間に世界と自分自身との間に境界を作ってしまう。ダルマサンガのホームページにも述べられているように、継続して同じ場所に参禅しているとその場所に基づいて摂心や修行の枠のようなものを作ってしまう。これまでは朽木學道舎で参禅していたので、どこかで自分で枠を作り、自分自身をその枠に閉じ込めていたのかもしれない。今回場所を変えて、大多喜學道舎での初めての参禅経験がそれを如実に実証することとなった。

 ブッダダルマ(法)を求めて禅修行することは簡単ではない。曹洞宗のような伝統と格式のある禅道場の門を叩いてもそこで本当にブッダダルマを参究できるとは限らない。むしろブッダダルマを参究するのに必要なことは自分自身の内から湧いてくる問題意識を決して誤魔化さないこと、そしてブッダダルマを体現している指導者に教えを請うことであると思う。そしてそれをどこまでも相続していくことに尽きる。まさに坐禅弁道と参師問法の両輪を軸として正念相続をしていくのみである。近道はどこにもない。どこかの禅道場や僧堂で修行していても、それに満足して腰掛けるのではなく、自分自身の修行を絶えず問い直すことが大切だと思う。「百尺竿頭進一歩」という絡子(御袈裟の簡略版)の裏面に書かれた言葉が身にしみる。ということでこの参禅記を終わりにしたいと思う。


2016年9月28日
合掌





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参禅の感想ー14 アメリカでの禅との出会いから、朽木學道舎まで

30代女性 環境教育 新潟県在住


禅との出会いは、今から10年ほど前、アメリカでのことでした。

交換留学でカリフォルニアの Santa Clara University というカトリックの大学へ行き(渡米した日はなんと2001年9月10日でした)、宗教学(Religious Studies)を志望して、様々な授業を受けていました。

その中の「Zen Spirituality」という授業を受講し、「これだったのか!」と思いました。
どう生きたらいいのか、どう生きていきたいのか、という悩みに、あるいは何となく予感していたことに、”Zen” は次々と答えと名前をくれるかのような出会いでした。

その「Zen Spirituality」の授業には40~50人の学生が出席していて、講義の前に必ず15分間の坐禅の時間がありました。
教授はもとは神父でありながら仏教(禅)に改修した黒人の男性で、その教授の振鈴(チベタンベル)で坐禅が始まります。


足が組めない人は椅子で、できる人は床で、人種も先祖の国も宗教も違う様々な人たちが、一つの部屋で静かに真面目に坐を組んでいます。
私はというと日本人でありながら、仏教徒でもなければ坐禅も初めて。まさに「るつぼ」と言った感じの不思議な空間でした。


毎回の授業ごとに数十ページという何冊もの禅関連のテキストの読書が課題で、今は日本に逆輸入されている「Zen Mind, Beginners Mind」という鈴木俊隆老師の本も英語で読みました。日本で仏教の本を読んでも難解だった教えやお経の意味などが、英語では明快に分かりやすく翻訳されていました。


授業だけでなく毎日朝晩坐るようになり、バスに自転車を積んで朝の坐禅会へ通ったりもしていました。

一番の衝撃は、カリフォルニアの南部にあるZen Mountain Centerでの ‘Earth&Sky Sesshin’ に参加したことでした。
空港から車で2時間ほど入った、街とは隔絶された山のど真ん中にある禅堂で、私は初めての摂心(確か5日間だったと思います)を体験しました。
もちろん無言の行で肉食もせず、朝は少し山を登っていった所にある開けた岩の上で、蝋燭の明かりを真ん中に置いて、円になって夜明けまで坐禅をしたり、自由時間の間に希望者が集まってヨガをしたり、一人で森の中で坐ったりと、伝統的な禅の摂心とは違うかもしれませんが、本当に心地よく満ち足りた時間を過ごしました。

指導者はニュージーランド出身の方で、独参を受ける機会もいただきました。
長期滞在者(resident)と私のような短期の参禅者が混じっており、摂心後に話したところ「大学入学までの半年はここで過ごすんだ」という18歳の男の子や、ヨガをインドなどで一通り学んでから、ここに長期滞在している目のきれいな男性、私の帰り際に遠くから大声で「会えてよかった!」と叫んでくれた快活な女性など、多様な理由で、多様な人たちがそこに集っていました。
その摂心は括弧づけで retreat(リトリート、隠遁) ともされており、アメリカでは普段の暮らしと瞑想的な “隠遁生活” との間を、こんなに自由に行ったり来たりできるのかと驚きました。


日本に帰ってからも、アメリカで禅を通して出会った人たちの美しさが忘れられず、あれはどこから来るんだろう?と書物に探し始めて、アメリカの禅と、50~60年代のビート・ジェネレーション、ディープ・エコロジーなどを絡めて「空の心~『アメリカ禅』が呼び覚ます仏教の新たな可能性」という勇敢なタイトルの(笑)卒業論文を書きました。
その動機の一つになったのは、帰国してから方々の禅寺や禅の会に参加してもアメリカで体験したような感動がなかったことでした。

坐禅する人の中に若い人は当時はあまりおらず、また作法や読経などが大変重んじられていて、アメリカの「誰もが選べる様々な瞑想法の一つ」のような気軽さとは正反対に、禅は一部の人達のものという感じがしました。

その中でも、鎌倉の寺で開かれる居士向けの摂心と土曜坐禅会には度々通っていました。

年末の鑞八摂心は朝の2時か3時に起きだして、寒いなか窓を全開にして「丹田に力を込めれば寒くない!!」と先達の方に怒鳴られながら体を震えさせて坐ったり、うとうとするとすぐに警策を持った人が飛んで来たり、摂心中は大変辛かったのですが、摂心終了後は達成感と解放感、不思議な昂揚感があり、全身で受けるお日様の光がとても暖かかく感じられたのを覚えています。

また、坐禅中にふっと自分がいなくなる、内と外を隔てる枠が外れるような感覚になることがたまにありました。

居士の方の中には老師に公案をもらって独参をされている人もいましたが、当時の私には全くその意味が分かりませんでした。
ただ自分の中で、あぁこうすればいいかもなぁ、この感じいいなぁ、そんな風にして「気持ちよい理想の状態」つまり、自分勝手な理解による“空”を追い求めて坐っていたように思います。


他にも在家の会や、兵庫の禅道場、尼寺、屋久島の道場などを訪れました。
自分がちょっと深く坐禅をしたいと思った時、ご縁のあった所に、曹洞/臨済の別なく片っ端から行ってみるという感じでした。

また、正直なところ日本の禅の現場を体験して見てみたいという興味もありました。
そして分かったことは、一口に禅と言っても、場所によって各々のカラーは全然違うということです。
どんな組織でも独自のカラーを持つものですが、禅が体系づけられた宗派でありその骨となる部分(仏法)が揺るぎないものであるのに、血肉となる部分がこうも変わってくるのかと思いました。

警策や独参の有無、見性の意味合い(どう見ても至っているようには見えないが、摂心中に次々と見性する人が現れたり)、老師の提唱(現代口語での説明がほとんどなかったり、提唱自体がなかったり)、それに何より坐禅の仕方についての指導が違っていました。

きちんとこの道で修行しようという時にはこれらは大きな差異になるのかもしれませんが、当時の私には先述の通り「自分にとっての禅」ができることが重要でしたので、それぞれの“カラー” は個性程度にしか気にしていませんでしたし、法が継がれた系譜についての知識も興味もありませんでした。

また、「この方の下で学んでみたい」と志すような師との出会いもありませんでした。
先の鎌倉のお寺で、老師の提唱中に隣で居士の方が涙していても、私には響かないような場面もあり、本当に法縁というのは人それぞれだなぁと思います。


就職活動もしておらず、一度はしばらく禅道場で修行してみようかとも思ったのですが親に泣かれたために止め、もともと自然が好きだったので環境教育を学ぶ大学院に入り、修了後は新潟の自然学校で働くことになりました。
社会人になって忙しくなると、ほとんど坐禅をすることもなくなり、瞑想はヨガや “スピリチュアル” な世界のものに取って替わられたりして、実質的には禅から離れていましたが、心のどこかにはいつも禅を据えていました。

学生時代の東京暮らしを経て、それ以降もずっと抱えることになった問題意識は、東京・都市への強烈な違和感にありました。
言葉にするならば、自我が肥大化し、暴走している人間の在り方に対する違和感ですが、その対局には常に「自然」と「禅」がありました。

「ほんらい人はどう在るべきか」という答えを、その両者は持っているのだとどこかで確信していました。
そしてそれを自分が体験することで実践し、自分の仕事として表現していきたいと、今後の道を考え始めた時、朽木學道舎に出会いました。

ホームページを見て、昨年の年末の成道会摂心に一部参加しました。
初めてホームページを見た時にすでに「ここで修行していきたい」と腹を決めていました。
自分が卒論を通して取り組んだテーマのまさにそのものがそこにあり、アメリカから始まった初心と今後の道とが、スーッと一本の線でつながった気がしました。

楽しみにしていた摂心への参加、安曇川駅から雪の降る真っ白い景色の中を、バスを乗り継いで小入谷に到着しました。
最初は禅堂の前をそれと気づかずに通りすぎてしまったほどの凄まじい雪の量に、またそんな奥まった土地に禅堂があるということにびっくりしました。

もはやかまくらのような茅葺きの道場の扉を明けると、奥の禅堂で坐禅が始まっているようでしたので、土間で待たせていただくことにしました。

程なくしてガツンと扉が開き、雪の中から30キロの米袋を両腕に抱えて老師が中へ入ってこられました。
アウトドアのジャケットに冬用のブーツというお姿で、あまりにお若く見えたので「この方だろうか?」と一瞬戸惑いました。

老師にお部屋に通していただくと、書棚に並ぶ本の数と種類にまず驚きました。
禅だけでなく、私も大きな影響を受けたゲイリー・スナイダーを含むビート関連の書物、自然系の書物などが大変魅力的だったのと、老師が積んで来られた学識の豊かさに頭が下がる思いでした。

また、その隣にはビートの詩人であるアレン・ギンズバーグ直筆の學道舎へのメッセージが額に入れてかけられていて、これにもまた驚きました。


茅葺き古民家の居間を改築したという禅堂はたいへん寒く、白い毛布をかぶって皆さん坐っておられました。
私もそのようにして坐っておりますと、老師がいらしてご自分の単に坐られました。


薪ストーブが空気を吸う音がする以外はない静寂の中、突然「バチーン!」と、ものすごい音がしました。老師が警策を床に打ち付けた音でした。
私はびっくりして、坐ったまま飛び跳ねていたと思います。

そして、正確にはたどれませんが老師がこのようなことを仰りました。
「音が鳴った瞬間、それを聞いたのは誰ですか? その間は自分はなく、ただ音そのものだったはずです。それが本来です」。

摂心中の提唱では、老師がその時に集まった参禅者の様子を見て、曹洞/臨済の別なく禅の語録から一つ選んでお話し下さいました(同じ語録を取り上げる摂心もあります)。
老師のお話を聞きながら、震えたり涙したりしている自分がいました。

真っ直ぐに心に届く提唱は初めてでした。「言葉」はとても難しいものだと思います。
言葉にして概念化することで、元々から離れているのに一人歩きしてしまう言葉があまりにも多いように感じますが、その指の間から零れ落ちるような全てを老師の言葉は掬っていくようなのです。借り物でない言葉で、大概大いに脱線しながら(笑)私たち参禅者に、なんとか伝えてくださろうとする真摯な思いが、びしびしと伝わってきました。


毎晩の独参では、その時の坐禅の疑問点を相談することができます。
「私に参じるのではないですよ、ご自分に参じるのです」という老師の言葉の意味が分かったのは後のことで、それまでは独参となると緊張して大変でした。
独参を続けるうちに、いかに自分が今まで自己流の坐禅を続けてきたかが見えてきて、唖然としました。

過去の参禅から習った坐禅の仕方(時にはある老師が仰っていた教え)について、ここでは真逆のことが言われることもしばしばでした。
そして、独参で教わった通りに坐り始めると、今までこんなに楽に坐ったことがないというほど、リラックスして気持ちよく坐禅ができるようになってきました。

足はもちろん痛いのですが、体のどこにも緊張がなく、摂心が進むにつれ心も自ずと静かになっていきました。
老師は「集中」ということを仰りません。
そこには「意識を集中させる」という自意識がすでに働いているからです。

「自意識をどこにも添えない」と仰ります。「良い坐禅、悪い坐禅というのはない。良い悪いを付けることが悪いのです」と。
自分の今の坐禅を持っていき、そこで極めて具体的に仏の立場からご指導いただける独参は本当に有難いものだと思います。
「師なしで禅の修行をすることは、小さな船で大海原に漕いでいくようなものだ」と言われます。

私は今まで、師に付くということの意義が全く分かっていませんでした。
しかし學道舎に出会い、飯高老師に出会い、摂心に通い続ける中で、ようやく納得がいきました。

【本来の自己に目覚める】と言って、言葉上は同じことを言っているようでも、本当にその師が「分かっていること」を話しているのかについては、参禅して体感するしかないと思います。あるいはその師が「分かっている」としても、やはり人それぞれに違う体を持って生まれてきたように、その人に与えられた法縁という不思議な働きがなければ、自分にとって正しい師とのつながりは得られないのでしょう。

老師から「あなたには『ディープ・エコロジー』を生涯の公案としていただきたい」という言葉をいただきました。

また「宗教や禅というものは、最後には消えてなくならなくてはいけません」とも。
在家の身で仏道修行を終えられた老師だからこその、バランス感覚というのでしょうか、決して禅を仏道をおさめることを目的化しない姿勢に、深く共感しています。

私はことあるごとにアメリカの禅堂を思い出します。自己の成長、あるいは自己の本来を求める全てのご縁ある人たちに、禅がより身近で開かれたものであるようにと願って止みません。

長文にお付き合い下さりありがとうございました。 合掌



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参禅の感想-13 禅との出会い インドから日本へ

K.Yさん 30代男性 理学療法士

禅との出会い インドから日本へ

私はインドとネパールを1年間旅しました。その途中で瞑想することを覚え、そして日本で禅と巡り合うことになりました。

インドを旅していると、宗教や信仰、死生観などについて考える機会が多くあります。私は瞑想やヨガを習い、実践していく中で「自分とは?」ということに向き合っていくことになりました。そして、私の関心は「故郷の日本で培われた精神性とは?」ということに移っていきました。

禅への興味

おそらく、日本での禅への一般的なイメージというのは、厳しい規律の中で集団生活を送ることや、坐禅中の罰則(警策)などではないかと思います。

私の場合は、50年代のビート・60年代のヒッピーと呼ばれた人達が傾倒していたもの、現在では一部のサーファーがヨガと同様に生活に取り入れているもの、というイメージを持っていました。そして、どうして西洋人である彼らが禅に興味を示し、実践するのかに関心がありました。

長い旅の中で知り合う西洋人の中には禅に興味を持っている人もいて、日本人よりも禅について知っている人にも会いました。彼らは、一般的な日本人が抱いているイメージを持っているわけも無く、より精神的なものを禅に求めていると思いました。

ヴィパッサナー体験記

ヴィパッサナーの10日間コースを初めて体験したのは、ダラムサラでした。旅の途中に出会った友人達の勧めがきっかけでした。建物の内外には仏教の装飾がほとんどされていなかったことや、口コミで広がっていることなど、宗教的ではないところが、参加しようと思った理由です。

体験する前に、ヴィパッサナーの入門書を熟読して、その概念は頭に入っていたため、コース中のテープによる解説に対しても、比較的、理解が安易に出来たと思っています。

はじめの3日間は、足の痛みを含めて大変でしたが、少しずつ慣れて、コース半ばは順調に進みました。そして、心に抱えていた鬱憤のようなものが取れているのに気がつき、とても穏やかな気持ちになりました。最後の3日間は疲れてしまったというのが率直な感想です。

このヴィパッサナーは、無言で瞑想に励み、現在の自己を観察することで心が穏やかになる、とても優れた技法だと思いました。また、世界中から集まった何十人もの人々と同時に瞑想することは、とても大きなエネルギーを感じることができ、充実した時間となりました。

その後、再び10日間コースに参加するのは少し億劫に感じたため、3日間のコースを一度行ったに留まりましたが、旅の間はほぼ毎日、短時間ながらこの瞑想を続けていました。継続していると、朝、瞑想をした日としない日では、その日一日の心の状態が随分違うと感じるようになりました。

私はヴィパッサナーのコースを体験し、自分で継続していく中で「同じ仏教を土台としている禅、日本の伝統的な禅、様々な文化圏の人を惹きつける禅というものは、一体どういうものなのだろう?一度体験してみたい」と強く思うようになりました。しかし、寺院などで行われている坐禅会について、インターネットで調べてみたものの、私の気持ちを動かすものは見つかりませんでした。

友との出会い

日本へ帰ったら僧になるために出家する、という友人に出会ったのは、バラナシのガンガー沿いのゲストハウスでした。私がそこで使っていた部屋は、彼も一年前に使っていた部屋だと、別の部屋に長期滞在しているサドゥ(ヒンドゥーの修行僧)から聞いていました。彼は一年経ったこの時、バラナシに戻ってきていて、偶然そのサドゥと再会し、ゲストハウスに一緒に来たのでした。

私はこの時、ちょうど鈴木大拙の著書を持っていたため、彼と話が合い、また、波乗りという共通の趣味を持っていたため、なんとなく波長が合ったのを覚えています。

私が禅に興味があると話すと、この朽木學道舎を教えてくれました。そして、インターネットでそのホームページや老師のインタビューを読みました。老師の言葉にはどれも強く共感を覚え、ここへ行けば禅の本質に出会えると思い、日本に戻ったら行こうと心に決めました。

この學道舎を知ったことは、日本に戻る良い動機になったと思います。また、この友人との出会いの状況から、ここへ行くことは、何らかのメッセージとして受け取ることが出来ました。

摂心体験記

日本に戻ってから、3ヵ月後に摂心に参加しました。楽しみに待っていた、6月の摂心でした。この一週間は晴れの日が多く、過ごしやすい気温で、気持ちの良い中で坐禅に集中できたと思います。禅堂には全体に木材が使われていて、落ち着いた雰囲気を作り出していました。また、自然の音と光の中で坐れる環境になっていたと思います。

摂心で特徴的な食事の作法は、はじめは不慣れなため上手く出来ませんでしたが、慣れてくると一つ一つの動作に集中が行き渡り、落ち着いて作法を行える様になりました。これも1つの禅なのだろうと思いました。

摂心前半の提唱で老師が話されることは、私の坐禅の進行具合にピタリと当たっていたので、このまま進めていけば良いのだと確信を持つことができました。

毎晩の独参では、老師と一対一で坐禅の進行具合を確認でき、それに対する助言をしてもらえるため、摂心を通して安心して坐禅に集中することができました。

休憩中は外で過ごすことが殆どでした。流れる川を見つめたり、森の中を歩いてみたりすることで、移り行く意識の流れや、宇宙との一体感の様なものを体感した気がします。

摂心後半、一度だけ、食後の約一時間に作務を行いました。禅堂の屋根に使う藁をまとめて縛り、一箇所に集めるという作業でした。適度に体を動かすことで、その後の坐禅はより一層深くなったと思います。

摂心が進み、半ばを過ぎた頃から、坐っていることが苦痛ではなくなりました。それに伴い、坐っていられる時間も次第に長くなり、禅定も深くなりました。楽しみさえ覚え、もっと坐っていたいと心から思うようになりました。

最後には、現実的では無いような音が聞こえたり、目の前に虹色の紋様が現れたり、体の感覚が研ぎ澄まされたりと、今まで経験したことのない程に深い禅定に達したと思います。これらの経験は、摂心の成果が出ているという実感が湧き、充実した気持ちになりました。ただし、これらに囚われることなく坐禅を続けるように、と老師から助言を戴きました。

終わってみて、私は禅(特に摂心)とは一つの生活様式だと思いました。それは、本来の自己を発見するために、人里離れた静かな場所で、無言を貫き、完成された共同生活を送ることだと。その中心にあるものが坐禅であると。

そこには、厳しい規律によって管理された生活からかけ離れた、本当の意味での精神の自由が存在していると思います。このような精神的伝統のある日本に生まれたのは本当に幸運だと思います。この學道舎はそう思わせてくれる大変に貴重な場所だと心から思います。

また摂心に参加したいという意欲が、一ヶ月以上経った今でもありますし、摂心後もほぼ毎日、短時間ながら自宅で坐禅を続けています。
私は禅について全てを知ったわけではありませんが、自分とは何者なのかを知るためには、私にはこれが一番合っている方法だと思っています。長い旅の果てに禅と出会いましたが、自己探求の旅はまだまだ続きそうです。

最後に、この素晴らしく貴重な経験をさせて下さった老師、毎日大変美味しい食事を作って下さったご夫人、そして、共に摂心に参加した方々に対し心より感謝申し上げたいと思います。
終わり

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参禅の感想-12

20代男性 現在、求職中

 摂心に伺ってから、早くも一ヶ月が経ちました。初めての参禅で勝手も分からず、色々ご迷惑をお掛けしました。お世話になり、ありがとうございました。

 仕事を探しているところなので、面接の日などと重ならずに、次回の摂心もいけるようであれば、またメールで連絡させて頂きます。

あれから毎日、少なくとも線香1本くらいの時間は、できる限り坐るようにしています。

 以前、ヨーガを習っていた時は、どうしても無理のかかる努力が必要で、毎日、継続するのができなかったのですが、何も期待せず、呼吸を見つめ、ただ静かに坐ることは、それほど無理なく続けられるようです。

 大きな変化はありませんが、坐っているときの重心が、より据わるようになり、体がぶれなくなり、寝ている間の夢が、リアルになった気がします。日常生活に戻るとやはり色々ありますが、毎日、坐禅をする時間は取りたいと思っています。
 参禅の感想を送ります。それでは失礼します。

 参禅に至った動機

 2、3年前、インターネット上で朽木學道舎の存在を知りました。インド思想の本などを読んでいたこともあり、禅には十代のころからから、漠然とした関心がありました。

 在家の方がされている、無宗派の禅堂という特殊な場所で、ホームページに禅について書かれている内容が、よく読んでいたインド思想の本に似た響きを感じたこと、また「風と森の学校」という活動もされていることに興味を感じたのですが、禅という日常触れる機会のないものに対して、やはり敷居が高いと感じて、参禅に行こうとまでは思わずにいました。

生きる上で、哲学や宗教、特にインド思想や仏教というものについて考えるのは好きでしたが、実際に特定の宗教を信じたりすることには、今も非常に抵抗があります。ただ、どれだけ本を読み考えても、それだけでは言語的理解の域を出ないということも、いつも感じていました。

そんなことを考えつつ、仕事に追われる毎日を送っていましたが、その生活の中で生きることに対する疑問が抑えきれなくなり、それまでの仕事を辞め、これからどのように生きていくか、次への展望が見出せずにいた為、一度参禅に行ってみようと思いました。

参禅してみて

06年1月30日から2月5日までの7日間の摂心に参加しました。
朽木學道舎の周辺は山に囲まれ、雪が深く、とても静かな場所でした。

1月29日夕方、學道舎に入り、翌30日から5日まで、他の参禅者との私語はすべて禁止され、摂心では挨拶も必要ありません。1回に40分の坐禅をして20分の休憩、それを朝5時に起きて2回、粥座(朝食)の後3回、斎座(昼食)の後3回、薬石(夕食)の後3回行います。

昼食前のには、提唱(坐禅したまま、今回は碧巌録からの逸話を聞きました)、夕食後に独参(師家の元に一人で行き、自分の坐禅について疑問に思ったことなどを聞いて確認する)、一日の最後に「四弘誓願文」を全員で唱えます。

それ以外の回は足を組み、姿勢を正し、静かな細く長い呼吸をして、そこに作為を加えず、呼吸だけを意識して、衝立を前にひたすら坐りました。

坐禅している間、いろんな思考がめぐってきますが、それを邪魔にせず、相手にせず、訪れては去って行くままにしておき、そのやってくる思考を掴んだり、のぞき込んではいけないということでした。そのほとんどは些細な独り言のようなもので、その回が終わると忘れてしまいますが、中には快不快な様々な鮮明なイメージや、忘れていた記憶なども、呼び起こされました。坐禅の間は、思考を起こるがままにさせつつ、ただ呼吸を意識している、それだけをやっていた気がします。

師家は摂心の間、何度も呼吸の重要性を話されました。呼吸という、意識的にもでき、また意識で完全に支配できない無意識的に続いているもの。人が酸素を吸い、二酸化炭素を吐き、植物が光合成をして二酸化炭素を吸収し酸素を作る、呼吸の中に思考とは別の、肉体の、生命のサイクルがあり、ただ呼吸そのものになりきることが重要である、そういうことを言われたと思います。

3日位経過して、坐禅している間は感じないのですが、その後の食事の時などに、呼吸と食事の動作一つ一つに自然に意識が留まり、心が静まり落着きを感じるようになりました。それまでは食事の作法を間違えないか、自分だけ食べ終わるのが遅れないかなど、周りを伺ってばかりいましたが、そのように心が彷徨い出ることなく、「今、ここ」に落ち着いているという感覚がありました。その落着きの感覚こそ、いつもここではないどこかに、探していたものであるように思いました。ここではないどこかなど、求められないと分かりつつ、それをいつもどこかに求めていた気がします。

食事はなるべく音を立てないようにして頂きます。食事の作法に則り、食器を並べ、食事をよそってもらい、食べ終わった後は、お湯と沢庵で食器をきれいにします。食事の前後に、何度も合掌があります。そのようにして食事を頂くと、食事もまた、呼吸と同じく、非常に重要なものだと感じました。食べ物によって自分の命が繋がっていることを、不思議と強く感じました。

以前、永平寺の修業の様子をテレビで見て、禅堂で出る精進料理というと、ほんの少ししか出ないのだろうと思っていましたが、品数も量も充分な、大変おいしい精進料理を頂きました。お代わりもできましたが、僕には多すぎて、御飯一杯の量を減らしてもらわなければならないほどでした。本来は腹七分(で合っていたでしょうか)ですが、一日中、坐禅を行う摂心は体力勝負なので、必要充分な量を取ってください、ということでした。

一日のほとんどを坐って過ごしたので、一週間は早く感じられました。最後の独参だったか、師家から言われた道元禅師の言葉「仏道を習うとは自己を習うなり。自己を習うとは自己を忘るるなり」という言葉が、印象に残りました。

 「あなたが、これからどこの禅堂で、どんな師の元で学ぶにしても、仏道を習う、坐禅を組むことは、自己を習うことであり、あなたの本来の自己は既に悟った存在で、その本来の自己に参じている、自分自身に参じている、ということをことを忘れないでください」というようなことを言われました。本来の自己がどういうものなのか、分かっているわけでもないのですが、その言葉は、何か自分の中にストンと入る感じがしました。


仕事も辞めたところで、何か生きる上でのヒントだけでもつかめれば、という思いでしたが、そういう意味では、気付きは確かにありました。真摯に取り組めば何か気付くものがあると思います。また何か小さなことでも気付くものがあると、継続して取り組んでいこうと思うものだと思います。

今回、初めての摂心はそんな感想を持ちました。

2006年4月18日、独接心を終えて

携帯メールから失礼します。お世話になりました。

大阪の道路は入り組んでいて抜けるのがほんとに大変でした。しかも要らない所で曲がってしまい、迷いに迷いかなり焦りましたが、無事フェリーに乗りました。今出航待ちです。

本当にありがとうございました。今日は本当にいい天気で、山に囲まれた空気のきれいな所で、川の流れる音を聞き、そしてあの縁側に座っていると、人間本来の、心と体に沿った暮らしというのは、こういうものなのかなと、しみじみ思いました。また沖縄からメールさせて頂きます。

無事ガラス工房に着きました。沖縄北部で朽木學道舎に負けず劣らずひと気の離れた場所にあります。海と空と山だけがふんだんにあります。静かさでは米軍の飛行機がたまに飛ぶので負けますが。もし実際にやってみたことが思うようでなくても、禅の修行と変わらないと思って頑張ります。またたまにメールします。失礼します。

2006年9月1日

ご無沙汰しております。お元気ですか。
今日(もう昨日になりますね)福井に帰ってきました。

ちょうど一月前程から、宿で一緒になった大阪芸大でデザインを学んでいる韓国人の留学生と一緒に、旅をしていました。

 当初、一月かけてキャンプしながら、久米島から島々を南下し、西表島の密林を縦断しようという計画でしたが、五日間程滞在した久米島から、一旦那覇へ戻り、宮古、石垣と行く予定が、台風の影響でフェリーが欠航になり、予定を変え島々を北上しながら、最終的に屋久島に行くことにし、与論島に行ったのですが、屋久島へは一旦鹿児島へ行かない限り船がないとのことで、また予定を変更し、与論島から那覇へ戻り、そこから偶然、臨時便で一本だけ出ていた屋久島行きの船に乗り、屋久島をめぐり登山をし、山を縦走してきました。

老師も屋久島で御覧になったと思うのですが、樹齢数千年の屋久杉の姿は、その大きさも佇まいも、僕の想像力を遥かに超えて、存在していました。

 

 山の中は全てが苔で覆われ、そこらじゅう荒々しく倒れた巨木の上に、更に大木が縦横無尽に根を張り、そびえていて、まるで自然が作った戦場跡か廃墟のようでもあり、またその死と破壊の中に、まさに人間の尺度を超えた命がたぎっているようで、どこからが生なのか、どこまでが死なのか、そのように分けること自体が無意味であるようにも思えた光景でした。


また屋久島の山上から、山々の頂きに巨石がごろごろと転がっている姿を見た時は、本当に何ものかの意志があって、そのように配置したのではないかと、まるで神々が遊ぶ為に作った庭のように思えました。自然が作り出した光景をなぜ美しいと感じるのか、そこにはからいがあるかのようにまで自分が感じるのが不思議でした。日本庭園はこのような自然を模しているのだなと感じました。

予期しないこともたくさん起きたり、旅の間、ほとんどテント泊であったり、かなりハードな旅でしたが、今まで経験したことのない面白い旅でした。

表層的な日常生活の中で、相変わらず今この自分に不満を持ち、今ここではないどこかに心は希望を求め、目を遠くにやり今生きていることをないがしろにしてしまっている気がします。それでは本当にどれだけ生きたところで、同じことの繰返しであるように思います。心を決め、老師の元で参禅を継続させて頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

弟が、學道舎から返信が来て、とてもよいアドバイスをもらったと喜んでいました。ありがとうございました。

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参禅の感想-10

T.Mさん 滋賀県在住 男性 60代 大学職員(専門は電気)
参禅記
私はかねてより坐禅にあこがれておりまして、正しく指導していただけるところを探しておりました。
インターネットで朽木學道舎を知り、ホームページを拝見して、その趣旨が願ってもないほどのことであり、また、近いところでもあり、大変有難くおもいました。
その後、師との手紙やメールでのやりとりがあり、一度お会い出来、昨年の五月の摂心に参加させていただくことが出来ました。
山里の初夏という素晴らしい環境の中で座っておりますと「野鳥のさえずる声」「風の音」「かじかの鳴き声」などが耳に入りこころを落ち着かせてくれました。
私は元来、粗忽であわて者なので、摂心の作法に戸惑いましたが、摂心を終わってみて、非常に落ち着いた心持になれたことを深く感謝しております。 本当に摂心に参加できて良かったとつくづくと思っています。
長い間、脈々と引き継がれてきた摂心というものの大切さが、よくわかりましたし。私自身が大切に思ってきたことへの確信を得ることもできました。と申しましても初心者です。
何もわからないままに、参加しましたが、極めて自然にわかりやすく指導して戴き、有難く思いました。
私が強く感じたことは、正しい指導を受け、自分自身で体験することが、 最も重要だということです。
(初めての摂心後の便りから)
合 掌 すっかりご無沙汰いたしております。お陰様で当方は元気に過ごしており、ありがとうございます。
五月の摂心は、とても大きく貴重な体験であり、毎日の生活に、みずみずしく活かされております。当然、端緒の体験としてではありますが。有り難うございます。
先生の方も、自然環境に大きな影響をお受けのようで、大変でございますね。
生き物との共存と云う現実は、決して生易しいことではないのですね。
国内外各地で、極端な気象現象を呈していて、とても「他所事」とは思えません。
七月の摂心のご案内を賜りまことに有り難うございます。
ご迷惑をおかけすることになるかも知れませんが、勤務との調整で例え1日でも2日でも参加させて戴ければ幸甚でございます。
7月10日ごろまでに電話連絡をさせて戴くことになると思いますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
皆様によろしくお伝え戴ければなおさら幸甚でございます。
「四弘誓願文 」 のメールありがとうございます。「四弘誓願文」と「般若心経」には、いつもこころが洗われます。
ありがたいことでございます。
戴いたメールにしたためていただいたように、日程につきまして、或いは前後の滞在希望になるかも知れませんが、併せまして、よろしくお願い申し上げます。
合 掌

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参禅の感想-9

CSさん 40代前半 男性 福井県在住 会社員(専門は建築)
(摂心前のメール)
御返答ありがとうございます。
5月の連休に参加できれば、とおもっております。
動機を考えていたのですが、禅への関心はひたひたと静かに満ちてきたという感じです。
特段、大きな波が訪れた わけでもないです。

永平寺町のとなり町で生まれ育ちましたので、大きな存在は知っておりました。

ただ 特別な関心は抱いておりませんでした。それがこの2、3年、帰省した折に宝慶寺や 吉峰寺をよく参拝するようになり、いつか心を落ち着けてじっと坐ってみようと、おも うようになってきました。


最初のメールにも書きました通り、私は坐禅の経験がまったくありません。
動機も上記 のように『何となく』という感じです。
そのような者が参加してよいものかどうか、 参加できるかどうか迷いまして、とりあえず一度話だけでも聞いてみようとおもい、訪 問した次第です。
今回は、これで失礼いたします。
連休の近くになりましたら、またメールいたします。
(摂心後のメール)
今回の摂心に参加できて、本当によかったとおもっております。
ありがとうございまし た。
大きな屋根まっさらな食事自身のための時間
現代社会の中で、このようなものに接する機会があることに、感謝しております。
専用禅堂の建設、トイレの建設等でお手伝いできることがあれば、とおもっております。(外断熱構法、ミミズの浄化槽等の情報、日を改めてメールいたします。)
學道舎を出た後、Sさんと小浜、永平寺、宝慶寺を巡りました。
宝慶寺の檜造の僧堂は清々しく、「総檜造り」という言葉の認識をあらたにしました。
(つまり、自分は成金趣味的なマイナスのイメージを抱いていた、ということです。)
いつか坐れたらと、おもいます。
これからも坐り続けるとおもいます。
求めず、ただ坐るのみです。
(二度目の摂心後の便りから)
摂心ありがとうございました。
体が慣れるぶんだけ、難しくなるように感じます。
計らいを取り去り、坐るだけのむずかしさ、
こうして感想を述べることすらも
計らいかとおもわれてきて、こわくなります。
朽木の自然はやはり美しく、すばらしいものです。
その一方で
どんなに鳥の声が美しくとも、我々は鳥にはなれない。
という老師の言葉も心に残ります。
また、テロがおきました。
犠牲者、犯人、社会、
闇がますます広がるような気がします。
8月は、6日から15日まで、私用で東京にいかなければなりません。
摂心には参加でき ませんが、8月中に一度は坐りたいとおもっております。
また、作務にかんしても、 力になれればと考えておりますので、お声かけてください。
2006年5月9日
接心ありがとうございました。
家に戻ってみると、燕がまた巣作りをはじめていました。4月の上旬に一度巣作りを はじめたのですが、猫に襲われてしまい一度離れてしまいました。
車庫の出入り口の上に巣があり、その位置は車があると、猫にしてみればボンネット の上からちょうど飛びつける手ごろな高さなのです。(ボンネットの上には猫の足跡 が)
今度は、大事を取って、近くに駐車場を借りましたが、大家さんに事情を何気なく話 していると、そういう事ならばと、夏の間だけただで貸してくれそうです。
今回外で座れたのは、よい経験でした。実はかなりワクワクして座りはじめたのです が、気分が高ぶってしまった分だけ、落ち着きがなくなったようにおもいます。経験 を重ねればもっと充分に座れると思いますので、是非今後も続けていきたいです。日 没時や林の中でも座ってみたいと思います。
作務は、今回は畑仕事で、畑仕事をやった事ない僕は、その道のプロの2人の足手纏 いにならないように黙々とスコップでほり起こしておりました。

 それにしても二人が いきなり鍬と鋤を手に取り、頭上高くふりかざした姿を見た時は、これはお呼びじゃ ないなとおもいました。(笑)残っていた道具はスコップとツルハシで、「あ-やっ ぱり僕は建設業」とひとりごちした次第です。


この作務も取り入れていっていいと思います。

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参禅の感想-8

K.Nさん 20代女性 鹿児島在住 有機農業に従事
 學道舎での約半年の参禅を経て、現在、鹿児島で有機農業をしています。
 無農薬・無化学肥料はもちろん、家庭で出る野菜くずなどを全て牛の糞と混ぜて堆肥化し、畑に還すことに徹しています。
 食物は燃えるごみではない、とういことにこだわるようになったのも、参禅の大きな成果です。
 「自分とはどういう存在なのか?」「自然と一つである。」
 それを身をもって実感することができた、ということです。
 参禅をしようと深く決意したのは、一杯のお粥の温もりが、全身に染み渡る体験をしたときでした。
 当時、IT関連の仕事で、朝から晩までPCに向かう暮らしに限界を感じ、心身が病み、アル中になっていました。酒が手放せず、自分を完全に見失っていました。
 「自分とはどういう存在なのか?」「自己とは?本来的に生きるとは?」
 そのような問いかけは、中学生時代からずっとあり、哲学・宗教の本をよく読んできました。禅には特に興味がありました。それでも、知識としてだけでは解決されない、腑に落ちないものを、ずっと抱え続けていました。
 縁あって、自分が最も切実に求めているときに、実践としての禅、学道舎に出会うことになったのです。
 仕事も住処も捨て、というと大袈裟ですが、少なくとも気分としては、もうこれしかないという、切羽詰った状況で学道舎に向かいました。

 月に一度の摂心を中心に、半年間通い続けたのは、坐禅そのものだけでなく、学道舎を取り囲む、本物の自然と一体となって呼吸できる場所を求めたということも、大きな理由です。


 ブナの原生林が広がる芦生の森の麓、鹿の声や山鳥の鳴き声が、カーンと山々に木霊する音が響きます。新緑の躍動感、源流の清澄感、森の呼吸・・静寂に包まれながらも、本当の自然の音が、自分の体内から沸き起こってくるのを実感できる場所です。
 一本の木の影を辿れば太陽があるように、自己を徹底的に探求すれば宇宙がある。
 そんなくさい言葉を、なんの衒いもなく、ただ実感として思うようになりました。
 坐禅、提唱(老師が禅語録などを読んでくださる)、独参(老師との対座)が摂心の三本柱と言われます。

 参禅者の私語は厳禁ですが、禅堂の空気や内的想いに触発され、自己との対話、内面の言葉は、普段よりも膨大になるような気がします。(坐禅に同じ道がある訳ではないので、あくまでも個人的な体験です。)


 無我とか無心の境地というものには、全くこだわりません。何も考えないということもせず、内面に去来することを、手をつけずに、放っておく。

 呼吸そのものになることだけに意識を集中すると、自分が宇宙に放り出される感覚、逆に言えば、雨の滴が落ちる音が、自分の内から聞こえてくる感覚になり、内も外も境界がなく、しがみついている自己もなくなる。

 それでいて、この宇宙に自己が存在しているということが、はっきりと分かるようになります。


 坐禅をすることは、非日常や現実逃避でもなければ、特別な力を得るというのでもありません。当たり前のことが当たり前と分かる、その単純さに気付くものだと思います。
 ここからが禅で、これは別というのではありません。日々の暮らしの中で毎日坐禅をしてはいませんが、私にとっては畑を耕すこと、日々の食事を頂くことが、禅と同じだと思っています。

 得てして日常生活では、宇宙や自然との関係の中での自分の位置を見失いがちですから、学道舎のような場所で、定期的に確認作業をしなければならない、というのはあります。


 ご縁がありましたら、学道舎で道を求める方と一緒に坐ることができたら、そう願っております。

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参禅の感想-7

M.Sさん 30代後半 女性ロンドン在住 映像関係(フリーランス)

 本屋やレコード屋に入って欲しかったものが思い出せず、ただ店内を徘徊して、出てきてしまうように、禅や精神的なものには前から興味はあったが、普段生活していると忘れてしまっていた。

 自分の精神が、あまりにも冬眠状態であるのに気づいたのは、ここ二、三年前の事で、以来ヨガを始めたりして、少し目覚めて来た今日この頃、次は何をしようと模索中でいたが、今回それは坐禅なのだ、と何故か決めていた。

 インターネットで調べると、大きなお寺や坐禅同好会はすぐ見つかったが、どれもあまりピンと来ない。しばらくねばって、やっと朽木學道舎のサイトを見つけた時、何か運命的なものを感じてしまった。

 老師のことを読んで、在家でこんな生き方をしている人がいるのだ、と感心。かっこいー。思い切ってメールを出してみた。それから一週間。門前払いをされたと思いつつ電話をかけると、老師は意外に気さくであった。いろいろお話ししてくださって、参禅のお許しが出る。

 前日
 
 午前中の新幹線で京都へ。心はカラッポで、特に大きな期待も不安もない。ピュアな気持ちで臨んでみたかったので、何の予習もなし。しかし、昨日、古本屋のレジで目に飛び込んできた、佐藤俊明著「禅のはなしー二つの月ー」という本を買ってしまった。

 冒頭の、道端の草を右か左か迷って食べられずに餓死してしまう驢馬とは、まさに私のことである。修証不二?悟るなんて大層な。私には一生以上かかります。老師へのメールには、今までテキトーに生きてきたので、精神の鍛錬をしてみたい、と書いた。

 湖西線に乗ってしばらく行くと、空一面は真っ白に曇り左手に迫る山にも雲が怪しく降りてきた。線路の右側ぎりぎりからは冷たい灰色の湖が果てしなく広がり、人っ子一人いないちょっと怖い風景。安曇川の駅でバス停を見つけると、ちょうどバスが出て行くところだった。

 次のバスまで約一時間。駅前の地図の前でボーッと立っていると、何故だかわからないけれど、涙があふれてきた。死んだばあちゃんの事も頭をかすめる。

 何だか懐かしい所に来たような気がした。空を見上げると、一面の雲がほんの少しだけ切れて、五秒間くらい陽がさした。Here comes the sun. 村役場でさらに小一時間バスを待つ。

 時間の流れがゆっくりしていく。ようやく小入谷についた頃には、もう日もとっぷり暮れていた。バス停(?)で老師のお出迎え。


 茅葺き屋根の古民家の中は、しーんとしていて懐かしいにおいがする。老師がお茶を出してくださり、何か訊かれたが、また突然涙が出てきて何も云えなかった。老師が「川で、カジカが鳴いていますね」とおっしゃった。

 しばらくその鳴き声を聞く。そして老師はすぐに私を道場に連れていき、坐禅の仕方を教えてくださった。黙って坐っていると落ち着いた。

接心一日目 晴

 まだ外は暗い静寂の中で坐禅する。初めての経験ながら何故か全てがしっくりくる。するべき事をしているというこの環境に満足。ゆっくり長く呼吸するのが結構難しい。

 ちょうどお腹がすいてきた頃に鐘が鳴り、粥座の時間。老師の見よう見まねで食事の「儀式」をする。何度も合掌しながら昔の人の簡素な生活を思う。お百姓さんが丹精込めて作ったご飯を、一粒残さず食べること。そのお米を実らせてくれる太陽を、お天日様と呼ぶこと。

 沈黙の中、一つ一つの動作や、三つのお椀が小さくふろしき包みになっている様、その全てがlovelyー素敵で愛らしいーと思う。

 無駄がなく簡素ながら、可愛い。タイに行った時人々がいつも「コプンカ(ありがとう)」と言って手をあわせていたのを思い出す。とても美しく炊けたお粥をひそかに感動しながら味わった。
 
 外に出て山を歩く。道端で動物の死骸を虫が食う。それはテンだと老師が教えてくださる。他にも小さい花や、木や草や蜘蛛、何千何万という生命が生きている。澄んだ空気を吸い、小川のせせらぎを聴いて、なんだか遊びにきたみたい。

 坐禅はとてもおもしろく、いろんな事が頭に浮かぶまま過ごす。私って煩悩バリバリ。老師は私の考えていることが分かるのかな?そのうち坐りながら眠ってしまう。

 お昼には山のごちそうが出る。このお米が老師自らの手によって作られたと知りまた感動。仮眠した後は、老師外出のため、独りでついたてに向かう。木の節をじっと見ていると、様々なものに見えてきて、アニメーションのように動き出すものもある。とてもentertainingである。あっという間に時が経つ。

 初めての独参。老師と一対一で向かい合わせにすわるのは緊張する。しかも、私は世間をナメているので、敬語もろくに喋れない。しばし沈黙。老師が、私が不思議とここにこうしているのは何かの縁で、私は永い間坐ってきた人であるとおっしゃった。

 そう言われて少しも違和感がない。ふうんやっぱり、とさえ思う。涙が出たのもそういう訳?これを帰依するというのでしょうか。どんな因縁でここに来たのか、ちょっと気になる。本当の自分を見つけなさい。こころとは、そして仏とは?

 老師は、風邪でだいぶ辛そうだ。何かお手伝いしたいが、やらせてもらえない。「禅のはなし」にあった、道元禅師の一話を思い出す。天童山景徳寺にて修行中、猛暑の中、作務をしていた高齢の老師を助けようとすると、その老師、用典座は「佗は是れ吾にあらず」と答えたという。キビシイ。

 修行を実行に移すのにこんなに時間がかかったのは、一度始めたら終わりがないと、どこかでわかっていたから。私は本当に怠け者なのである。

二日目 強風、雨

 夜明け前から風がすごい。坐るのにもなれてきて、呼吸も長めになってきた。粥座のあと仮眠をしたが、午前中半ばでまた眠くなる。せっかく坐禅しにきたのに眠ってしまうのはもったいない。

 雨で外に歩きにも行かれない。独参でその事を話すと、眠くなったり意識が朦朧とするならばなりきれば良し、私は「眼の人」なので、見えてくるものに気を取られずに、こころの眼で呼吸を見つめるようにと言われる。

 ただ坐っているだけだったが、老師は熱心に坐っているとおっしゃる。かなり長いこと正座をして、脚が痛い。お昼に老師が黒米にマーガリンをつけて食される。

 また仮眠すると、その後はいい感じで坐り続けられた。静寂の中で、意識が冴えてくる。午後最初の坐禅で、四肢の感覚がなくなり、指先と足先だけが感じられるようになる。

 身体が固まって変だけど心地よく、意識も朦朧から恍惚へという感じ。組んだ手が右と左の肘くらいの所に一組ずつ、合計三組位あるような感じは、千手観音を連想させる。こんなに美味しいごちそうを毎日食べて、寝て坐って呼吸するだけでいいという幸せ。

三日目 雨のち曇りちょっと晴 満月

 早朝寒く、シャキッとする。薄暗い中で坐るのがよい感じ。しばらくするとまた睡魔に襲われ合間に外を歩いてみたりする。しかしこんなにも眠くなるものか。老師が三日目くらいに辛くなりますよ、と 云われたが本当だ。

 お昼は豪華に柏餅まで出る。そういえば今日は五月五日であった。雨が止んだので散歩に出て仮眠時間がなくなり、午後やっぱり眠ってしまう。冷たい水で顔を洗ってみたが、効き目は小。気がつくとまた食事。食べてばかりで何だか悔しい。

 独参の話題は、私の常々感じている喪失感や、時として鬱になること、仕事や人生において師と呼べる人がいまだかつていない事など。それとは別に「精神鍛錬」のためここに来たと思っていたけれど、けっこう関係があるのかもしれない。今まで偉そうに自分は無宗教だと信じていたが、西洋で生活しているうちに、選べと云われたら、やっぱり仏教なのだなと、思うようになっていた。

 「無宗教」の私は、第三者の精神分析医に悩みを話し、両親の生い立ちまで分析される。自分でも分析する癖がついてしまったのか、他人に相談する事もなくなって、けっこう自己完結してしまう今日この頃。

 言いたい事をうまく言えずにいると、老師は私の一言から話を広げ、個人的な事まで、いろいろと興味深いお話をしてくださった。そのお言葉は、禅という宗教に基づいているのであろうが、その枠をはるかに超えて、私に響いてきた。

 私のこれから進んでいく道はこれのような気もするが、しかし宗教というものには、まだ違和感と抵抗がある。
自らの光を拠り所とするというその原理は、果たしていわゆる宗教とは対極に位置するのでは? 私のこだわり過ぎ? 理神論が仮面をかぶった無神論である、とはこういう事なのか??

四日目 霧のち快晴

 早朝、5度位だったが、もっと寒く感じた。 晴れてきたので外に出ると、草っ原の草一面に朝露がついてあまりにも美しく、しばし立ち尽くし、小さい花などを観賞。気温が上がってきて、地面から霧の立ち上る光景を眺める。

 全ての窓が開けられ、道場に埃が舞っているのを見た時、衝動に駆られ掃き掃除をして爽快感を味わってしまう。そのあと初めて、老師にパシッと警策をいただく。けっこう痛いのね。

 独参。こころとは何かというのが、まだわかりません。魂とは何かと訊かれ、人が生まれる時そこから持ってきて、死ぬとまたそこに戻るようなもの、と答えると、老師は「日本人だねえ」と笑いながらおっしゃった。今思うと、それは魂というより生命?

 そろそろ、もう明日で終わりになって、ここを去らなければならない時が来る、という事が頭をよぎる。ここにいつまでもいられたらいいなあ。人は同時に何カ所にもいられない。

 カムチャツカの少年がキリンの夢を見ているとき メキシコの娘は朝もやの中でバスを待っている。これからどう生きていくべきか。いろいろ思いふけってしまう。人の苦しみにあふれた世の中で、こんなに贅沢なことをしている自分は、確かに恵まれている。

 ただ坐るだけで、何も要らない。こんな生活もいいかも。私はこれでもけっこう厭世的なところがあり、出家でもして世のしがらみを断ち切れば楽になるのではないかと考えたこともある。

 現世では、lust for life、あまり生きる意欲がないことが、悩みの種にもなっていて、それだから人が世の中で成し遂げることができなくて、何か、自分はちょっと変なのだと思っていた。このような自分と日常生活の折り合いを、どうつけるのか。

五日目 日本晴

 目覚める時とても寒く、一瞬気がゆるみ、布団のぬくっとした感じにやられてしまう。着替え終わる頃には、老師がもうお線香を焚いておられたが、目を覚まさねばと思い、急いで顔を洗いにいくと、やっぱり、ちょっと遅れてしまった。

 二度目の警策をいただく。外の天候や調光の仕方で微妙に変わる、道場内の自然光がすばらしい。坐りながら、あーもうおしまいになるんだなあ、と寂しくなるが、だからこそ過去でも未来でもない、ただ「今」この時を生きようと呼吸する。

 最後の独参では、感極まるという感じでまたものが言えなくなり、顔も引きつる。今言うなら、訳も分からず突然やって来たこんな人間を引き受けるばかりか、こんなにすばらしい経験をさせてくださって、いろんなお話をしてくださり、食事から何からお世話してくださり、理解とご支援を与えてくださって、誠にありがとうございました。

 お身体の具合がすぐれないにも拘らず、ずっと一緒に坐ってくださったことも、私が最後までやり通すのに、どんなに励みになったことかわかりません。

 たったの五日間でしたが、この経験が、私の今後の人生を変えることは必至です。これから修行をつづけ、いつかは老師のお手伝いができる位になりたいと思います。i sit because no because、本当ですね。

 今までの、ご褒美のような四弘誓願と茶礼をして終了。五日間着た着物と袴から洋服に着替えると、今まで、タイムスリップしていたような気がした。その間に味わった生活は、蛇口をひねれば水が出ること以外は、百年以上前から、殆ど変わっていないのだろう。そして今、その生活をこよなく愛している自分がいた。坐禅にハマってしまったようです。

ここで一句。

After the long and hard rain,

full moon behind the pale vail.

And in the morning i saw

a million pieces of crystal

sparkling in the brightest sun,

and a spring mist

rising above the meadows

up into the blue sky blue.


(06年02月9日の便りから)

接心終了後東京に戻るといつも、明るいニュースが流れています。

紀子さまが、ご懐妊だとか。この度もまことにおめでたい事ですね。

今回も大変お世話になりました。

初めて他の参禅者の方と一緒で「普通の禅堂」ではこうするのかという事が少しわかりました。

提唱もはじめてでしたが、興味深いお話が聞かれ、午前中の眠気が覚めるので、毎日、楽しみな時間になりました。

それでもやはり少人数で、私たちはなんて恵まれているのだろうと思いました。

飯高転石師家に出逢えたことは、私の一生の宝物だと、接心を重ねる毎に感じます。

師家もお疲れのところ、送って下さり有り難うございました。帰りは無事に戻られましたか?

今日の東京は雲一つない陽気で、空気も春一歩手前のにおいがしていました。

また雪山の静寂に取って代わってコンクリートと街の音に囲まれ、朽木での生活も過ぎてしまえばあっという間で今となっては夢のようです。missing it already….

そちらのお天気はいかがですか?

ひとり籠って仕事をするには最高の環境だと思いますが、ちょっと寂しそうですね。

クマさんやや雪女には、くれぐれも気をつけて、ご自愛ください。

ここで一句。

「雪布団 肩に積もりし 大接心」

合掌

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参禅の感想-6

Mさん 女性 30代 岐阜県
この度は、お世話になりました。
勝手をきいていただいたおかげで、無事に、予定通り帰ることもできまして、家族にも心配をかけずにすみました。摂心中、それだけが心配でしたので、ありがたかったです。
一日では何も解らないのは当然なのに、以前、一日だけ、坐禅の仕方を教わりに伺ったときも、親切に教えていただき、ありがとうございました。
ここで教えていただいたように、坐禅をしていけば間違いないという確信がありつつも、家ではなかなか坐禅することができませんでした。睡魔に襲われてしまうこと がしょっちゅうで、情けなく、坐禅への気持ちもなえていました。

 事情があり、数日に渡る摂心には参加できないと思っておりましたが、以前、声をかけていたことで、参加できるなら、この5月と思い、ずっと心に残っていました。でも、こんな状態で、一日、坐り続ける摂心に参加するなんてできるだろうか…と思うと、なかなか決心がつきませんでした。


そんな折に、以前、参禅したことのある人を対象にと、摂心の案内メールをいただきました。ずっと迷っていた背中を、ポンと押してもらった気持ちになり、 また迷わないうちに、参加しますとメールを出しました。

 でも、それから摂心の直前まで、日数にしたら3~4日だったと思いますが、やはり、摂心で坐れるだろうかという思い(それは、ほとんど、恐怖感でした…)に、ずっと襲われていましたが、自分はこの道を歩けないと分かるだけでもいいじゃないか、途中 で逃げ出してもいいじゃないかというくらい、追い詰められらた気持ちで参加したのです。今となっては、たいそうな取り越し苦労でした。


3日間と少しでしたが、坐り続けることができましたのは、坐禅するに無駄ない、またとない環境をつくり、具体的にも、間接的にも支えてくださる老師の存在があることは言うまでありませんが、なにより、常時、通っていらっしゃる方々の存在があったからです。

 摂心なので、言葉の交流などはないですが、 私は、その熱心に真摯に坐ってみえる方々に、ずっと引っ張っていってもらっている気持ちでした。本当に、ありがたかったです。


坐禅については、まだ何かを語れる段階ではありません。坐禅をしているときは、想念がでてくることも多いですが、一方で、とても落ち着いた心持ちになれました。私はこれまで、苦しみから逃れたいと、覚醒セミナーなるものや、セラピーやワーク、瞑想会など、いろいろ探してきましたが、もう、他を探す必要はなくなったという確信があります。

真実を知るというところは、はるか遠いのですが、精神的に少しでも強くなれたらと、その方向を向いて、微々たる一歩を歩いていきたと思い ます。


この度は、ありがとうございました。

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参禅の感想-5

摂心体験談と禅フォーラムに参加して
2010年4月29日~5月5日までの灌仏会大摂心と5月、6月の南山城禅フォーラムに参加しました。
参加する前と参加後の自分が変わった訳ではないですが、生きていくのが随分「楽」になったようです。余分な要らない力(ほんとに余分で、要らない力!)が抜けるようになってきた…、というよりは、要らない力が入る自分に、その都度、よく気がつけるようになってきた…という方がぴったりくる表現でしょうか。
摂心に参加するまでは、心の荷物をあれこれ勝手に背負い込んで、押し潰されそうになって、汲々としていました。…とは、今だから言えることで、当時は「何故だかわからないけど、なんだか、苦しい!!どうしたらいいの??」という日々が、知らぬ間に長く続いていたようです。本人としては、ある意味、無自覚でした。
なんというのか、どうしようとも動かしようもない現実の事実に、ウンウン独り相撲をしていたような、はたまた、独り勝手に、いいの悪いの、好きの嫌いの、正しいの正しくないの、…etc.…etc.判断しては、心の内であれこれ言い募っては責め立てて、自家中毒していたような、そんな感じで過ごしていたようです。(これもやっぱり今だからわかることですが・苦笑)
何度も何度も坐ってみて、さて、今はどうなのか?
何故、今、「楽」なのか?
以前より、現実の事実に「降参する」?のが上手くなったのかもしれません。
或いは、不様であろうと何であろうと、自分の姿をそのままに受け止められるようになったのかもしれません。
現実は、何もなく、極めて深く静かに平和なのに、ひとり勝手に自分で自分を苦しくしているだけ…?!というのが、どうも私の苦しさの原因だったのかもしれないなぁ~…と認めるしかない体験を、「坐る」ことを通して教わったからかもしれません。
摂心の期間中は、坐る毎に様々な体験がありましたが、一番印象に残っているのは、6日目の早朝の出来事です。
その日は、早く目が覚めたので、そ~おっと二階から抜け出して、學道舎の前を流れる川の畔で、ひんやりとした、いい匂いの朝の空気に包まれて、せせらぎの音と河鹿蛙の啼き声に「きれいだなぁ~」とうっとり聞き惚れていました。
ふと、合掌して自分をまとめたくなり、しばらくそうしていましたが、突然、辺りの音の全てが、自分の中にドドォ~ッ!となだれ込んで来た!と思った次の瞬間、自分が斧でパカッと割られたような感じになって、突然、広い広い?世界?に投げ出されたような感じになりました。
あまりに異質な世界に、「えっ?!何コレ??」とびっくりした途端、あっという間にさっきまでの、音と自分、周りと自分が別々の世界に戻ってしまいました…。
ほんのほんの一瞬垣間見た、とても「広い広い」あの世界からすると、普段の自分は、自分勝手に作り上げた様々なもので、なんとまぁ、自分を小さく小さく閉じ込めて、窮屈にしてしまっているのだろう!!あの広い広いところから、なんだってまぁ、遥かに自分を隔ててしまっているのだろう!!…そんな風に感じてしまいました。
この体験から、今まで汲々としていたのは、なんのことはない、全て自分の作り事のせいではなかったのか…?と感じさせられてしまった訳です。
6月の禅フォーラムでも貴重な体験をさせて頂きました。
一炷目の中ほどでしょうか、「呼吸が勝手に呼吸をしている」という感じになり、身体のあちこちから、ふっ、ふっ、ふ~っと力という力が抜けていきました。抜けてみると、「え?!こんなにあちこち力が入っていたの?!」と驚きつつも、すっかり力の抜けたその心地よさに、しばし休んでいました。
何もしようとしなくても勝手に息がやって来て、勝手に息が去っていく。
なんだか不思議な感じでしたが、それは、本当に深い安らぎでした。
何もしようとしなくても、生命が勝手に生命を繋いでくれている。
自分は何も、何もしなくてもいい、ただ生かされている。
「なんだぁ!自分は何もしなくてよかったんだぁ!」と気がつくと、ほんとにほんとに楽になりました。
ほんとうに、今まで、何をそんなに、「自分が」「自分が!」と何でも自分がしているつもりで、肩肘張って、目を吊り上げていたのでしょう?!(苦笑)
この体験では、「生きる」ことにおいて、自分は何もして来てはいなかった!!ということに強烈に気づかされました。
4月末から初めて参禅した自分が、安心して坐り、こうして貴重な体験を重ねられているのは、摂心やフォーラムで同じ時間を、ひたすら真摯に、共に坐って下さる方々があってこそ、そして老師はじめ諸先輩方の誠実に坐ってこられた時間の積み重なりがあってこそ、と感じます。
坐るのは、ひとり向き合うことなのですが、でも、様々あった体験は、ひとりでは、決して絶対に成し得ないことだったのを、ひしひしと感じます。
摂心期間中の日々の食事も、坐ることを支えてくれていました。
摂心から帰ってきて、「精進料理というのは、料理を作る者が、精魂こめて精進して作るところから精進料理という」という言葉に触れましたが、朽木學道舎で頂く食事は、正に、そういうものでした。
初めての参禅で、やはりどこか緊張している自分を、ほっとさせてくれたのは、手間ひまかけて作られた、心のこもったおいしいお料理の数々でした。夜に出していただく甘い手作りのお菓子も元気の素でした。
そして、坐ることだけに専念出来たのは、學道舎でもフォーラムでも、諸先輩方が、陰に日向に、細々とした様々な仕事をこなして下さっているからでした。
提唱でのお話や独参でのやり取りも、誤って「坐る」ことのないように、何度も何度も「坐る」ことの真髄を摑ませて下さろうとする老師の思いが伝わってきて、坐するときの大きな支えとなりました。
時々話して下さる、老師の修業時代の思い出話にもほっこり励まされました。こちらまで懐かしいような気持ちになり、親しみを感じるお話ばかりでした。
古人の方々の言葉を聴くことは、今この時代を共に生きている同輩達や先輩方との繋がりだけでなく、肉体としては会えずとも、「坐る」ということに打ち込んで来られた古の方達が連綿と受け継いでこられたものが伝わってきて、ず~っと、ず~っと伝わってきていることに、ただただ感動してしまいました。
摂心期間中、一緒に坐った方々とは、全く言葉を交わさないわけですが、それでも寝食を共にし、一炷一炷、貴重な時間を共に坐った間柄の方達に対して、私の中には、なんだか不思議な一体感が生まれていました。
最終日には、一緒に坐った方達も、學道舎の場に対してすらも、自分の身体の一部のような感じがして仕方がなかったです。三々五々、解散していく時には、自分の一部がプチン、プチン!とちぎり取られていくような、そんな感じさえしました。面白いですね~。
朽木學道舎や、南山城のお茶室を包んでくれている、山々に息づいている全ての生命にも「ありがとう」を伝えたいです。沢山の生命に包まれて、自然の中で、芯からほっと寛げました。
思いがけず、長くなってしまった感想文のお終いに、朽木學道舎とのご縁を繋いで下さり、物心両面に亘って援けて下さった上、摂心に快く送り出して下さった職場の方々に深く感謝したいと思います。
もしもここに勤めていなかったとしたら、朽木學道舎や坐禅とのご縁も、いまこの時に結ばれていなかったかもしれません。
本当に、安心して、気持ちよく坐らせてもらうことが出来ました。
行住坐臥、全てを「禅」にできる日を夢見つつ、今日も自分の実際の姿を逃げず隠さず、しっかり受け止めて行こうと思います。
みなさん、ありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願い致します。
2010年7月10日 三日後からの小暑摂心参禅を前に
*この方にはさらに、秋分大接心後の体験があります。メニュー「摂心体験記」のサブメニュー「ある女性の初関透過」に繋がります。

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